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シアワセのレシピ  作者: ナカ
5/20

05

 買ってきた食材を種類別に仕分けて冷蔵庫へと収納していく。淡々と繰り返す作業は退屈なはずなのに、無心に繰り返していると呆気なく終わりの時が来てしまうからつまらない。空っぽになったバッグと物が増えた冷蔵庫。目の前にある【どう見ても一人分ではない量】に再び呼び戻されるのは忘れたいと願っていた複雑な感情で。気を抜くと直ぐにでも溢れ出てしまう涙が鬱陶しくて仕方が無い。

 小さな音を立てて閉まる冷蔵室のドアを軽く撫でてから再び洗面所へと引き返す。化粧鏡に映るのは相変わらず酷い顔をしている自身の姿。温度を調節した温い透明な液体を洗面ボウルに溜めながら用意する道具たちは長いこと愛用しているメーカーのもので。ヘアバンドで髪を上げぬるま湯で軽く肌を濡らすと、洗顔料の入ったポンプを押してそれを泡立てる。手元なんて見ない。目線は鏡の向こう側に居る自分へと向いている状態。重ねた手の中で膨らんでいく泡はいつの間にか体積を増し、気が付けば随分と堅くなってしまっていた。

 作った泡を顔に当て、ゆっくりと全体に馴染むように広げていく。いつもより堅さのあるそれは、皮膚に触れるたところから少しずつ消えて無くなってしまう。始めは小鼻、額から耳の裏、顎のラインにかけて泡を伸ばし、頬、目元、口元は軽く泡を馴染ませてからぬるま湯で洗い流す。そうやって作っていた仮面を剥がせば、鏡の向こう側に着飾らないままの素直な自分が現れる。

「……ひどい、顔」

 別に不細工だというわけではないと思うのだが、かといって美人だとか可愛いとかそう言うわけでもない。多分評価は普通。平凡で、つまらない、そんな感じ。だからこそ、相手に良い印象を与えるために化粧という道具で仮面を作る。少しでも見てくれを良くして自分という存在を演出するために。いつからだろう。それが当たり前になってしまったのは。

 一度汚れた水を捨て再び洗面ボウルへと溜められていく温い水。別に化粧自体が嫌いというわけではないはずなのに、こうやって偽りの仮面を剥ぎ取った瞬間の自分の顔が、時々嫌で仕方無いと感じる事がある。それは決まって【嫌なことがあった】と感じる時に起こる事が多い。

「………そうよね……」

 作られたものがそこにあるだけでも勇気が出ることはある。弱い自分を隠して笑うために嘘で塗り固めて作る自分の像。確かにその目的のためだけに化粧を施す訳では無いが、それでも自分に自信をもつためには、どうしてもこの仮面が必要になるという場面がとても多いと感じてしまう。

 だからこそ、それが剥がれて本来の自分が現れたとき、どうしても強く感じてしまうのが不安という感情なのだろう。

 今、自分の目の前に在るのはそんな弱くて情けない自分の姿。

 悲しいが、これこそが本来の自分なのだと再確認して更に気分は落ち込んでしまった。

「あーっっっ、もうっっ!!」

 態とらしく大声を上げた後、溜まったぬるま湯に手を突っ込み、掬い上げたそれを何度も何度も顔にかける。どこまでも情けなくて、弱いちっぽけな自分が消えて無くなるようにと、何度も何度も繰り返すそれ。後何回この行動を繰り返せば、気持ちを綺麗にリセットすることが可能なのだろうかと。何日経っても見えない答えを探して、今日も繰り返し考えてしまう。

 結局、温かった水が完全に冷たくなるまで、この無駄な行為は続いてしまっていた。

「……はぁ」

 すっかり塗れてしまった髪の生え際。水分を含んだそこが、湿り気を帯び少しだけ重く感じてしまう。渇いたタオルの柔らかさが心地良いと感じるものの、先ほどまで肌や髪に付着していた水滴がそれに勢いよく吸収されてしまうと、呆気なく濡れて不快な触り心地になるから面白くない。重くなったタオルは洗濯籠に放り込み、真新しいタオルを引っ張り出して顔に当てる。もう一度だけ溜息を吐いたところで気持ちを切り替えると、洗面所を出てダイニングへと戻った。

 テーブルの上には無造作に置かれたトートバッグがある。それもそのはずで、帰宅したときにマイバッグと一緒にそこに置いてそのままにしてあるからだ。そんなバッグを手繰り寄せると、椅子に腰掛け中を覗き見る。バッグの中にはいつもと同じアイテムがあるのだが、たった一つだけいつもとは異なるものがそこにはある。それはピンク色の一冊のハードカバー。今日見つけた図書館で借りたレシピ本だった。

「図書館でも思ったけど、レシピ本なのにハードカバーって珍しいなぁ」

 書店やコンビニなどで見かけるレシピ本は大体がムック形式のものばかり。サイズはA4から変形サイズのミニ本まで様々ではあるが、このようなしっかりした作りの物を見かけることはない。昔からあるシリーズの児童書には確かにハードカバーのものは存在していた気はするが、このように様々な種類の料理が収録されているわけではなく、一冊を通して一つのレシピをじっくり読ませるものだったと記憶している。だからこそこの本に対して感じたのはとても強い違和感で、それが余計に気になってしまったのかもしれない。

 机の上に本を置き、試しにページを開いてみる。扉を捲ると挿絵を描いた人の名前があり、数枚の口絵の後で、目次が何ページ分か続いていた。何の変哲もない構成は、本当にシンプルな形のレイアウトで。右開きの本のため縦書きなのが少々読みにくいと感じることは残念だと思ってしまう。

 カテゴリ別に分けられたレシピの数は思っていた以上に種類があるようだ。確かに結構な厚みのあるこの本だと、ムック本よりは収録出来る情報量は多くすることが可能なのだろう。頭から読もうかと思ったがそれは辞めて、一度本をひっくり返す。

 裏表紙を開いてページを捲ると現れたのが奥付情報。著者名はやっぱり始めて見る人で、誰なのかさっぱり分からない。以外にも発行年月日は最近のものらしく、本が出てから今年までの数字はまだ二桁にも達していなかった。

「へぇ」

 出版社は初めて見る会社。印刷所も余り聞かないところらしい。少なくとも大手のところから発行されたものでは無いことは確かのようだ。

「それにしても、贅沢な作り」

 もう一度本をひっくり返して表紙に戻す。言った通り、この本はレシピをまとめる形態のものにしては随分と豪華な作りになっていて。これが処女作だとすれば大分贅沢すぎるものでは無いかと思い浮かべる苦笑。果たして何部印刷され、どれくらい市場に出回り売れたのだろうかなんて、つい野暮なことを考えてしまい慌てて首を振る。それでもだ。もしこの本が書店にあったとして、自分はこれを迷うことなくレジに運ぶのだろうかという疑問は確かにあった。

 表紙は地味で、一見すると何の本なのかが分からない。淡いパステルカラーのピンクに可愛らしいイラストとロゴがあるだけで、背表紙をみてもそれがレシピ本だとは分かりにくいだろう。本を開いてみても、読ませる方向が右開き。サイズも四六版でページ数もあるため、読みながら料理を作るには向かないとも思ってしまう。その上本文は黒一色で刷られている状態で。仕上がりイメージの写真は口絵部分のカラー以外は全てモノクロなのだ。色の情報が欠如するだけで、美味しそうだという興味は半分以下にまで削がれてしまうから勿体ない。読めば読むほど、何故この本を借りようと思ったのかが分からなくなり眉間に皺が寄ってしまう。

 それでも折角本を借りたのだ。一つくらいはこの本を元に何かを作ってみても良いだろうと。

 何も考えずに適当に開いたページ。そこにあった料理の名前はポトフで、これで良いかとメニューを決め、本を片手にキッチンへと移動する。

 冷蔵庫を開け材料を確認すると、ちょうど良い事に必要な食材は全て揃っているようだった。

 こうやって呆気なく決まったメニューは数時間後には現実の物として皿の上で湯気を立てるのだろう。何かに使えるかも知れないと思い購入してあったブックスタンドを取り出すと、それに本を立てかけて早速調理を始めるため、仕舞ったばかりの材料を取り出し行う準備。

 使用する食材は、牛すね肉、にんじん、タマネギ、セロリ。野菜の種類を増やしたいならと書かれていたもので、丁度買い置きのあったカブとブロッコリーも追加しておく。それらに加えて香辛料の胡椒、ハーブ、クローブなど。味付けはブイヤベースを使用するようで、他の材料と同じように買い置きしていたキューブ型のものをワークトップに並べていく。

 まずは下ごしらえに、にんじんとカブから手を付ける。それぞれ皮を剥いてカブは葉を切り落とし、にんじんは半分にきりわける。次はタマネギで乾燥した茶色の皮を剥がし水で軽く洗ってから大胆にハーフカット。セロリは葉と茎に分けて茎の部分から筋を取り除いた後で指定された数字の幅に近い長さでカットしていく。

 トントントンと。カットボードと触れる度音を立てる鋭い刃物。規則正しいこのリズムを耳にしているだけで、少しだけ気持ちは楽しいものへと変わる。トントントン、トントントン。ただ、ポトフに使う材料はカットするサイズが大分大きくて。その音は直ぐに聞こえなくなってしまうのが少しだけつまらない。

 牛すじ肉を適当な大きさにカットしたら、次はそれらを煮込む作業へと移る。

 コンロにかけるのは大きめの鍋。外が赤く、中が白いホーロー鍋は、デザインに一目惚れして購入した物だ。付き合いの長いそれを軽く水で洗った後、五徳に乗せてカットした食材を入れていく。先に煮込むのは牛すじ肉。それを並べた後、セロリの葉の部分とローリエを加えて水を入れ火を点ける。火力は弱め。じっくり火を通し臭みを取っていく。沸騰したところで出てきた灰汁を丁寧に取り除きながら、役目を終えたローリエを取り出した後で塩、胡椒とブイヨンを加えて蓋をし暫し待機。

 軽く手を洗ってから水気を拭うと、本を手に取り椅子に腰掛ける。煮込む料理はどうしても時間がかかってしまうため、待機してる間にやることがなく手持ちぶさた。仕方が無いのでその間に本に書かれたレシピをノートに書き写そうかと思い始めて探すのは筆記用具だ。

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