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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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 所変わって時間が過ぎ、『風』執務室で流れる空気は不安定だった。

 隊長であるエンダはその時間、他の任務で席を外していた。留守を任されているのは副隊長であるアールヴァリン。

 『花』と『月』の隊長を巻き込んだ婚約者選びの祝い事の話は、成人を迎える本人の耳にも入っている。当人は成人の仲間入りをするとはいえ、行事に自分のみならず国の未来が掛かっているとなると心も揺れるというもので。

 アールヴァリンと婚姻を結ぶものは、現時点では自動的に次期王妃となる。その婚姻にアールヴァリンの意思は関係ない。

 国王の目に叶い、国益を齎す者と結ばれることになるだろう。候補を絞るだけ絞った後からなら、少しは希望も汲まれるかも知れないが。


「………ふぅ」


 隊長が少量だけ残していた書類仕事を終わらせると、アールヴァリンは物憂げな溜息を吐いた。身体だけは成長した彼だが、精神は年齢に違わず青臭い。

 彼には想い人がいた。

 その想い人を、国王から婚約者候補とする事も許されなかったが。

 国益の為の結婚をすることを昔のアールヴァリンなら受け入れたかも知れない。けれど、今は幾ら青臭くても愛を抱いてしまった相手がいる訳で。

 愛していない女と結婚することは、相手に失礼にならないか。

 結婚した後、愛しい女はどんな反応をするか。

 どうにかして、彼女を婚約者候補とすることは出来ないのだろうか。それが叶えば、決してその機会を手離さないと誓えるのに。

 色々な悩みがアールヴァリンの頭に浮かんでは、解決できずに蟠っていく。苦しくて、辛くて、誰かに話を聞いて欲しいのに軽はずみに言える事でもない。

 ましてや、想いを向ける当人には。


「……はぁ」


 先程から吐き出される溜息に乗せた感情は、愛しい人へ伝えられない想い。

 鬱々とした感情を紛らわせる為に、『風』副隊長に用意されている小さな執務机で仕事に専念しようとしたが、今すぐ出来る仕事はもう終わりそうだった。

 ――その時だった。


「――!! ――、――!!」

「――は、――! お待ち――さい!!」


 何やら唐突に廊下が騒がしくなった。物思いに耽りながらのアールヴァリンはそれに気付くのが遅れてしまう。耳を澄ませているうちに、その声がどんどん近くなってきているようだ。


「ディル様、お考え直し下さい!」

「これでは反乱と判断されてしまいま――うわぁ!!」


 ガタン、バタン、と荒々しい音がする。アールヴァリンが不穏な言葉に思わず席を立ち上がる。

 聞こえた名前は知己のものだ。しかし『反乱』とは、欲の無い彼に不似合いで頭が混乱する。

 そうこうしているうちに、勢いよく扉が開いた。現れたのは『風』の騎士。


「アールヴァリン様、お逃げくださ――っ!!」


 その叫びと共に、彼は放り投げられた何かを身に受けて地に転がってしまう。投げられたのは同じ所属の別の騎士だった。

 何が起きた、と思考を巡らせるが時既に遅く。


「『花鳥風月』に属する『風』隊副隊長にして、建国神アルセンの血を受け継ぐアルセン王国第一王子アールヴァリン殿下」


 地の底を這うような低いテノールがアールヴァリンの耳に届く。

 そして、白銀の髪を持つ幽鬼のような男が扉の向こうから姿を現した。


「我はただひとつを申し奉る。邪魔立てする者に手荒な真似をしたが――殿下に害を成そうとは思っておらぬ」


 『月』隊長ディルだった。

 普段から覇気のない男だと思っていたが、今日は開かれた灰色の瞳が瞬き少なくアールヴァリンを捉えていた。同時に肌で感じる、殺気。

 ひ、と短い悲鳴がアールヴァリンの口から漏れる。同時、無抵抗を示すために両手を顔の位置まで上げた。


「な、何が目的だ? 金か? お前、そこそこ俸給良いだろう。そんなに不満に思う程少なかったか? 俺に俸給の加減を決める権限はないぞ、俺より父上――陛下に言えよ!」

「金銭目的ではない」

「じゃあ何だ、地位か? 『花鳥風月』団長の座か? 確かにカリオンとお前じゃ決着つかなかったが、団長は代々『鳥』が就くって決まってるからそれも陛下に言ってくれ!」

「地位など要らぬ。迷惑だ」

「何だってんだよ! お前それ以外に何要求するんだよ!! 嫌だ、俺はまだ死にたくないぞ!!」


 逆切れした様子のアールヴァリンだが、顔は真っ青だ。ディルから感じられる殺気は、まるでアールヴァリンの命そのものを狙っているようだったから。

 害を成すつもりはないなんて、そんな風に射殺さんばかりの視線で見てきておきながら何を言っている。未だ戦場にさえまともに出たことが無い若い王子は膝が震えていた。

 ディルの靴音が、アールヴァリンに近付く。

 ああ、此処で終わるのか。最後にあいつに愛してるって言っておけばよかったな――アールヴァリンの脳裏に愛しい人の姿が浮かんだ時。


「殿下」


 ディルが、その場で片膝を付いて顔を伏せた。

 それは忠誠を誓う騎士が見せる跪いた姿。


「――『花』隊長を婚約者候補とした選択を、取り下げろ」

「は……?」

「あの者を、選ぶな。他にも候補に相応しい者は存在するであろ」


 陳情の体を取っている割に不遜な物言いをするディルの姿に面食らうアールヴァリン。

 ふと気づくと、扉付近で転がっている騎士二人が起き出すところだった。アールヴァリンは、否応を返答する前にその二人に『問題ない』と示して追い払う。同時に人払いもするよう言いつけた。

 閉まる扉。二人だけの密室になった状態で、どうやら命の危険は本当にないようだと確信したアールヴァリンが首を竦めた。


「……お前、それを言いにわざわざ?」

「この申し出が通り次第、我は自室へと戻ろう。通らなかった場合、実力行使も辞さぬ」

「やめてくれ俺死んでしまう」


 しれっと脅しさえ加えて来た『月』隊長の表情は普段と変わらない鉄面皮なのが憎らしい。

 アールヴァリンは実際のところ、この男が本気を出したら殺されてしまうだろうということは分かっている。こんなに涼しい顔をして、人を殺す時も同じ顔。きっとそれがアールヴァリンでも、彼の表情は変わらないのだろう。

 机に体重を預けるように立って腕を組んだアールヴァリン。跪いたままのディルは顔を上げない。


「……あのな。今回の人選……俺がしたものじゃないんだ」

「……」

「だから、俺の意図は関与してない。お前があいつを婚約者候補にするなってのは……俺が叶えられるものじゃない。それこそ、陛下に言ってくれ。でも陛下だって簡単に覆したりしないだろうが」

「………」

「そもそも俺だって……選べるなら、あいつじゃなくて」


 不自然に言葉を切ったアールヴァリン。

 ディルは続く言葉を図りかねたが、それは他に相手がいるという示唆に他ならない。

 どうせ通じてないんだろうな、と諦めた王子殿下が苦笑する。自分の心にも他人の心にも疎くてよく今まで生きて来られたな、と。


「だから、俺がどうこう出来る問題じゃない。期待に沿えなくて悪いが、俺だってあいつを婚約者にだなんて考えてないよ」

「……あの者は、次期王妃となっても遜色ない程に美しいであろ」

「外見はな。でも王妃の職務が務まるかな? あいつは一か所に留まる女じゃないだろ」

「留まろうと思えばできる筈だ。それ故に騎士隊長の職に就いている」

「騎士隊長になった女が王妃にもなれるって思うんなら、それは疑問だけどな」


 ディルはアールヴァリンの見えない位置で拳を握った。

 騎士隊長である以前に、彼女は一人の『個人』だった。騎士隊長という役職を取っ払っても、ディルにとっては個人としての力量が充分だと考えている。

 人を惹きつけ纏める能力。

 雑務をこなす能力。

 後から王妃としての立ち居振る舞いを叩き込むことになったとしても、彼女はきっと上手くやる筈だ。

 ディルにとって彼女は、そういう人物なのだから。


「……本当に、あの者を選ばぬと?」


 実際に口で聞いても、ディルの不快感は消えない。念押しのように繰り返すと、アールヴァリンは首を振って答える。


「選ばない選ばない。俺だって女の好みはあるし、個人的にはもう少し肉感的で賢い方が好きだ」

「筋肉の付いた無駄のない体の何が悪い」

「悪くない悪くない! だから睨むな!!」


 ――これで本当に『自分の気持ちが分からない』と言っているのが不思議なくらいだ。


 実のところディルの感情は、近しい者には殆ど筒抜けになっている。

 『鳥』の隊長と副隊長はふとしたきっかけで何となく気付いているそうだ。

 『風』隊長のエンダは前から分かっていたそうで。

 『花』副隊長のソルビットだって、恋愛事で国を転がしたこともあるからすぐに気付いたそうだ。

 『風』副隊長のアールヴァリンは穏やかな性格をして人の気持ちに敏感で、気付くのは遅くなったが自分で理解した。

 気付けなかったのは『月』副隊長であるフュンフと、当の本人達だけ。

 だから悪戯のつもりで、アールヴァリンが口を開いた。


「……それに、好きな男が他にいる女なんて婚約者になんて選ぶつもりはないよ」


 その一言で、ディルの目が見開かれる。

 幽鬼のようだった動きから一転、勢いよく上げられた顔に立場の逆転を感じてアールヴァリンが微笑んだ。


「……すきな、おとこ……?」

「そう、好きな男」

「誰だ」

「俺が言えると思うか?」


 『花』隊長の好きな男は、確か白銀色の長髪で灰色の瞳をしている。感情の抑揚が殆ど無くて、国内でも五指に入る程の武力の持ち主だった筈だ。そうそう、今は『月』の隊長をしているのではなかったか。

 アールヴァリンの頭の中に煽る言葉は幾らでも出て来る。けれど、アールヴァリンがそれを言う事は許されない。

 これまで、ソルビットもフュンフも互いに伝えずに側で見守っていた努力を水泡に帰すような無粋な真似はしたくなかった。


「ディル、俺だって乗れる相談には限度があるんだよ。お前が言って来た事に対して俺がしてやれることは殆ど無いし、多分お前が考えてるような事態にはならないだろうことも分かってる」

「……」

「相談する相手を間違えてるよ、お前は。そもそも、そういうのは本人に言ってやった方が早いんじゃないのか」

「……我が、……あの者に、良く思われておらぬ。話も……聞き届けられるかさえ……不明だ」

「……………お前、それ本気で言ってんのか……?」


 何年もディルに片想いしている『花』隊長の事は、アールヴァリンだってよく知っている。だからディルの中の彼女の姿はなんと歪なものだろうと思っているのもずっと黙っている。

 自分達の忍耐力に称賛を送りたくなっているアールヴァリンは溜息に疲労感を乗せて逃がした。そして、もうこの男の相手もしたくない。


「先に執務室戻ってろ。こんな事態に相談するなら、相手は一人しか居ないだろ。執務室行くよう話してみる」

「一人? 誰だ、それは」

「そんなの決まってる。あいつの一番側に居て、あいつが一番気を許してる奴だよ」


 どうせ名前を暈したら、ディルには通じる話も通じないのだろうけれど。

 一先ずはその説得で了承してくれたディルは立ち上がり『風』執務室を後にする。

 ディルがいなくなった直後、先程伸されていた『風』の騎士がアールヴァリンの身を案じて小走りで執務室まで入ってきた。


「お怪我はありませんか、アールヴァリン様!」

「御無事でいらっしゃいますか!?」

「あー、大丈夫だ。死ぬかって思ったけど生きてる」


 生還が叶った状態に、アールヴァリンは今度こそ溜息に安堵を混ぜた。

 同時に、少し意地の悪い笑みを浮かべる。


「……仕返しにちょっと煽ってやったから、俺の事は気にしなくていい」


 アールヴァリンが出来る意趣返しはそれだけだ。しかし、満足だ。

 ディルの表情が僅かにでも思いつめたようなものになっていたから。 


「少しだけ楽しみだよ」



 

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