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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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 時間は流れる。

 様々な事件や問題が起き、ディルは騎士として二度、厳密には三度の戦争を経験した。

 その戦でも、幾つも喪われた命があった。しかしディルはその時、喪われた命を無視できる立場にいなかった。元から人への愛着が薄く、涙ひとつ見せる事は無かったけれど。


 ディルはその三度目の戦争の時に、アルセン王国で広く伝えられている宗教である『三神教』、その信徒である神父達を取り纏める王国騎士隊『月』の隊長になった。




「―――傾注」


 季節はもうすぐ冬になる晩秋のこと。

 専用に用意されている室内は、黒のカーテンと壁飾り。重苦しく垂れ込める黒の布は、声の主の低音を吸収しても揺らめかずにそこにある。

 壁には灯りの為の蝋燭も掛けられているが、これは滅多に使用されることはない。この部屋が使用されるのは大体が朝早く、日が上ってからだからだ。

 広い窓から入る光は、その場にいる面々の姿をはっきりと照らしている。その誰もが、闇色の神父服を纏った者達だ。

 粛々と頭を垂れて声を聞く者達の正面に立っているのは二人の男。

 一人は癖の強い茶色の髪を首の後ろで一つ結びにしており、この場に居る誰もをその冷たい瞳で見回す者。先程の声の主はこの男である。

 そしてもう一人は、背中を過ぎて腰まで届きそうな長い白銀の髪を結びもせず流している男。この男だけが、静謐な室内に置いても椅子に座る事を許されていた。誰を見る事もしない瞳は、髪と同じ色の睫毛が伸びる瞼によって閉じられている。傾注、と言われて漸く男の瞼が開いた。そこから見える灰色の瞳は、まるで生きている者のそれとは思えない。作られたのではないか、とまで思わせる美しさがそこにあった。


「……頭を上げよ」


 それは銀髪の男の口から発せられた声。その声が許可を下して漸く、集まった者達は顔を上げる。

 集まって列を成す者達は、それなりに地位のある神父であった。『只の』神父ではない、というのが正確か。

 この場に居る者は、全員が全員、城仕えである。それも、有事の際には戦場に出る者達だ。神父と騎士を兼任する、戦う力を持った者達。その中でも小隊長、中隊長を任されている者達ばかり。そして前に立つ二人の男こそ、その者達――騎士隊『月』――を纏める地位にいる副隊長と隊長。

 隊長である白銀の髪を持つ男は、それから徐に椅子から腰を上げ、決まりきった神への祈りを口にした。聖書の一説を諳んじるだけのそれを、その場にいた全員が復唱する。全員の口から祈りの言葉が出終えた所で、隊長が口を開いた。


「本日の伝達事項は二点。港町ケラックにて魔獣の目撃情報。八番街トルファラ修道院付近で不審者情報。副隊長フュンフに編成を言い渡している、後ほど確認しておけ」


 時の流れの中で、白銀の髪を持つ隊長――ディルは司令官としての身の振り方も覚えた。それは副官を務める男、緩やかに波打つ茶の髪を持つフュンフの功績もあるのだが。

 集合してからの待機時間よりも短く済んだ伝達の時間は、ディルの口から齎される「解散」の一言で終わる。それからは各々の就労時間になり、ディルも己に割り振られた執務室へとフュンフと戻る。

 『月』の隊長執務室は、ディルの後見人だった『月』隊長ダーリャから継いだものだ。彼はディルが二度目の戦争を経験した後、隊長の座をディルに押し付けて諸国を巡る旅に出た。いつも通り停戦という形で終わったかに見えた戦争は、またすぐ帝国の言いがかりを受けて開戦へと向かったのだけれど。

 彼が決めた内装そのままにしているのはディルも部屋の内装というものに興味が無かったからで、黒を基調にした執務室はよく言えば重厚、悪く言えば辛気臭い。部屋の隅にある香炉は、ディルが副隊長を務めていた頃も今も一度として触った事が無い。現在副隊長を務めているフュンフの趣味には合うようで、彼の気が向いた時には何かしらの香が焚かれている。


「お疲れさまでした」


 ディルは執務机に付き、フュンフは丁度気まぐれの時期なのか香炉に香を入れ火を点す。そして上司を労う彼は頭を下げて執事のような姿でディルに向かう。


「……ふん」


 ディルは手を組んで俯く。一日の始まりの常である伝達の時間は、ディルにとってこの上なく面倒なものだった。隊長になったからといって、人は急激に変わることが出来ない。一人の時間を好み、誰かと話をすることは今でも不得手だ。不得手といっても、ごく限られた者はその範疇ではないが。特にフュンフはディルに『個人的に』仕えて長いので、ディルとの距離の測り方を心得ている。


「今日の隊長の執務は書類に署名、内文は私が確認しておりますので一応目を通して頂くだけで結構です。施設の視察は四件、『花鳥風月』での会議が昼過ぎになっております」

「会議……フュンフ、汝だけ出席では叶わぬか」

「無理です」


 すぐに執務を放棄しようとするディルをいなすのも副隊長であるフュンフの仕事。


 フュンフ。本名をフュンフ・ツェーンといい、貴族であるツェーン家の次男だ。年齢はディルよりも十以上離れている。細やかな気配りを忘れない神経質な男で、貴族であるためか所作に品がある。

 かつて彼が小隊長を務めていた戦場でディルに助けられたことに必要以上の恩義を感じて、まるで信仰対象かのようにディルを慕う危うい男だ。

 仕方なしにディルが書類への署名を始める。内文は署名をしながらフュンフが説明するのを聞き流していた。今日の書類は急ぎのものがあるでもなし、いつもよりは少ない枚数に名前を書きつけると一つ目の執務は終わった。 


「お疲れさまでした、紅茶をお持ちします」


 署名が終わるのを見計らって、フュンフが茶の用意をするために室内を移動する。今が初冬なのもあって、指先に冷えを感じてディルが指を擦り合わせた。

 フュンフが用意するのは温かい紅茶だ。魔宝石を使って淹れるフュンフの紅茶を、ディルは文句も感謝も無く口に運ぶ。茶菓子は用意してもディルは口にしないので、味気ない休憩時間は紅茶だけで体裁を整える。

 時間を確認すると視察には余裕がある。次はフュンフから何の仕事を言い渡されるやら、とディルが思っていると、窓の外から大声が聞こえて来た。


「テメェら隊長を差し置いていい御身分だなぁ!? あぁ!?」


 フュンフが露骨に嫌な顔をする。

 『花鳥風月』隊長執務室は中庭を軸に東西南北四方向に分かれ、それぞれの窓の外が中庭となっている。フュンフが迷惑そうな顔を隠そうともせずに窓の外を見ると、中庭で『花』隊の士官数人と女が対峙していた。それで委縮しているのは、女ではなく士官達の方だったけれど。


「仕事サボって賭け事とは楽しそうでいいなぁ、なんならアタシともっと楽しい事しようぜ! テメェら九番街屯所に今から集合! アタシが満足するまで絶対帰してやんねええ!!」


 肌を覆う平服に胴まで覆う皮鎧、木製の修練用剣を手に騎士達に怒鳴り散らす女。

 何も知らぬ者が見たら、男士官相手に無礼な女だと思われるかも知れない。

 しかし事情を知っているものからすれば、それは頻繁に見られるいつもの光景だ。

 簡素な装備で彼らの前に立っているその女こそ、騎士隊『花鳥風月』の『花』隊長なのだから。


「た、隊長! 違うんですって、俺はリケイロに誘われただけでっ」

「ははーん! リケイロも一枚噛んでんっての!? よしお前らリケイロ引きずってこい、リケイロが噛んでんならトルダーも無関係じゃねえんだろ! あとは適当にその辺に居る『花』の奴ら巻き込んで連れてこい! 皆で楽しい楽しい鍛錬の時間にしようじゃねえか!」


 傍迷惑な大声に、他の執務室の窓からも隊長達が顔を出していた。フュンフが『風』の副隊長と目が合い互いに苦笑を浮かべる。『花』の副隊長も、執務室から自分の隊長が喚いているのを呆れた顔で見ていた。三人が目を合わせて肩を竦ませ、再び執務に戻る。

 ディルは、まだ椅子に座ったままだった。


「……『花』は、相変わらず喧しくて参ります」


 フュンフは以前から『花』隊長を疎ましく思っていた。騒がしい喧しい姦しい、そのくせ人望ばかりが厚くて自隊多隊問わず大多数の騎士が彼女を慕っている。竹を割ったような性格と、部下を気遣う心配りが上手いのがまた小憎らしい。

 上に立つ者としては威厳を兼ね備えて欲しいものだが、彼女は威厳どころか部下たちと共に乱痴気騒ぎをする始末。かと思いきや根は貞淑で、浮いた噂はひとつも流れていない。


 彼女は王城に仕えている者の中でも、上位の者には以前から存在が知られている人物であった。

 城下五番街に店を構えるダークエルフの養女。彼女の育ての親であるダークエルフは城にこそ出向かないものの、王家に仕えている一人だ。

 表の顔は『酒場J'A DORE』、裏の顔は『国家公認裏ギルドj'a dore』。

 王家の命令一つで悪逆の徒を屠る組織。彼の『仕事』の前では、騎士さえも後処理役に回るしかない。

 朗らかな性格をしているらしい件のダークエルフが引き取った娘とはどんな生き物なのか。上層部の緊張を余所に、現れたのは粗暴な娘であった。その粗暴な娘は、王城で新たに得た人脈を最大限利用しつつ、実力で騎士隊長になった。


「いっそ今日は『花』も会議欠席であるならば私の心の平穏が保たれるのですが。全く……あの大声と無駄口をまた聞く羽目になるのかと思うと頭が痛……、………」


 フュンフは『花』が嫌がる部下たちを文字通り引きずるように中庭を後にする姿に背を向けると、今度は己の隊長の方を向いた。

 ディルはまだ紅茶のカップを手にしていた。手にしたまま水面を見ている。飲み切られていない紅色に、ディルの顔が映っている。

 微動だにしない隊長を見ながら、心の中で数を数え始めた。無言を貫いたまま時間の流れる中、二百を数える頃にはフュンフが折れるしかなかった。


「……そういえば回覧の書類が来ていましたな。次は『花』に回すものですが……そういえば私一人でも視察可能な施設がありました。私がそちらへ向かうとなるとこの書類を『花』隊長の元に回す者が必要ですが」

「先に言え」


 中身の入ったままのカップを下ろすと、フュンフが嘯きながら差し出した書類をディルがひったくる。

 中身に目は通さない。フュンフが執務に関係あるものであるなら後から何か言ってくるだろう。書類を手に、それまでの怠惰が嘘のように素早く椅子から立ち上がる。


「出て来る。視察先で合流できるか」

「でしたら九番街のヘリーツ教会でお待ちしています。……くれぐれも、遅くなりすぎませぬよう」

「分かっている」


 足早に執務室を後にするディル。

 扉が閉まった直後、フュンフは大きな溜息と共に肩を落とした。


 『月』隊長であるディルには、フュンフと他の一部の者しか知らない秘密がある。


 『心が死んでいる』とまで言われた彼は、『花』隊長に執着しているという事実だ。 



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