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「……ご苦労だった」


 反省部屋で何があったかを報告するのに、場所を変えた。

 指定された場所はフュンフの使用している部屋、施設長室だ。

 施設長の執務机をフュンフとの間に挟んで事のあらましを語るのは騎士のジナード。カンザネスは援軍の他の騎士に担がれて、雨の中病院に向かったらしい。

 フュンフが城に戻った後、施設がウバライ引き入る一団に囲まれて、その数が多く敵性勢力の五名に中に入られた。その五名が五名とも死体となって発見されている事で話の裏は取れた。

 反省部屋に、よりにもよって首魁であるウバライ・ゴーンの侵入を許してしまった事で、施設職員一名の死亡も確認された。そのウバライさえ、今は物言わぬ死体となっている。

 敵性勢力の残りは捕縛、或いはその場で処断した。そこまではいい。


「……保護対象、スカイの死亡を以て、ミョゾティスとアクエリアの両名を解任する。依頼は未達、因って提示した報酬を満額支払う事は出来ぬ」


 一番の問題はアクエリアが報告を求められた、スカイの死亡の件だった。 

 ミュゼとアクエリア以外はその場にいなくて仔細が分からない。しかし、死しても尚ミュゼの腕に強く絡みついていたスカイの蔦が、自分から死を求めた何よりの証拠。

 フュンフは引き出しの中から何かを探り、二つ分の小さな革袋を出して机に置いた。


「この報酬を受け取り次第、即刻退去を命じよう」


 冷たい声と片方しかない瞳からの視線は、アクエリアに投げかけられる。

 アクエリアとミュゼはソファに向かい合わせで座っていたが、ミュゼはこの部屋に来るまでも来てからも、ずっと塞ぎ込んだままだ。

 自分の意思とは関係ないとはいえ、ミュゼの腕がスカイを死に至らしめた。スカイの胸を貫いた感覚が、槍を伝ってまだ手に残っている。


「……そんなもの、要りませんよ」

「これは施設職員として勤労した給金だ。受け取り給え、無報酬で誰かを働かせるほど、我等は落ちぶれてはいない」


 アクエリアに対するフュンフは素っ気ないを通り越して冷淡だ。早く出て行け、という視線を投げられてやっとアクエリアが腰を上げる。

 取ったのは自分の分の革袋。それを手にして、ミュゼの側へ。


「ミュゼ、行きますよ」


 声は僅かに柔らかい。しかし覇気のない彼女の下げられた後頭部へ声を掛けるが反応は無かった。

 守るべき対象が。

 スカイが。

 目の前で、自分の意思で死のうとする行為を止められなかった。

 ミュゼは身動ぎすらしない。心がスカイの死と同時に何処かへ行ってしまったようだった。


「女史はそのままにしておくといい。後から馬車を手配しよう」


 それはアクエリアには馬車を出さないという言葉と同意義だが、アクエリアはそんな仕打ちにも何も言わずに施設長室を出て行った。

 背中を見送ったのはジナードだけだ。


「……彼は、彼なりに……一所懸命だったと、思います。僕も……彼と同じ立ち位置だったとして。目の前であんな形で自殺されたら、止められるか分かりませんでした」

「ジナード。君はあれを不可避な悲劇だったとでも言いたいのかね?」

「分かりません。でも、彼は本来この施設に関係のない者です。僕達と同じように、子供達に万全の態勢で臨めって言っても……出来なかったでしょう」


 それはジナードだから言える言葉だった。

 ジナードの姓はベルフック。嘗て、十番街でウバライ率いる悪漢たちに妹を誘拐されてしまった当事者だ。程なくして見つかった妹は心を病んで、今も静養先から戻れていない。

 地獄を味わった者にしか見えない景色はある。悪意が一身に注がれる苦痛を、耐えかねて命を捨てる者は居る。

 スカイは命を捨てた側の者だ。そんな悲しい選択に至るまでの苦しみを、アクエリアのような余所者が分かち合えるとは思っていない。嘲りや侮蔑ではなく、ただの事実。


「……そろそろ仕事に戻れ」


 一方的に話を切り上げて、ジナードを部屋から追い出すフュンフ。

 彼は頭を一度だけ下げると、アクエリアと同じように部屋を出て行った。


「……」


 そうして無言になったフュンフは、音を立てて出していた革袋を仕舞いこむ。

 音に覇気のない視線を向けたミュゼは、その革袋が一回り大きいものと交換される所を視界に入れた。


「……手切れ金ですか?」


 この施設に来てから、二回目の同じ冗談。

 言葉に気力を感じられない文言を聞き流して、フュンフが説明を始めた。


「君は臨時職員として尽力してくれた。他の職員と混じり、子供達の世話もよくしてくれたと聞いている。私からの二心ない労いの心付けくらい、貰ってくれても良いのではないかね」

「……にしても、多すぎやしませんか。……私、肝心な時に限ってあんなことになったってのに」

「その全てが君の責任という訳ではないだろう」


 フュンフが珍しく見せた優しさに、ミュゼが言葉を詰まらせた。

 冷静に、公平に、物事を判断できる彼がミュゼの悲しみに寄り添おうとしている。その優しさは、今悲しみの淵にいるミュゼの心に穏やかに沁みた。

 けれどその言葉に笑顔で頷けるようなミュゼではない。


「……私の、せいだよ」

「………」

「私が槍なんて持ってったから。置いて駆け寄れば良かった。だって、アクエリアがスカイを殺すかもって思って、そしたら私、アクエリアを止めなきゃって、そう、考えて」

「君のせいではない。もし置いて駆け寄っていたとしても、スカイは自ら槍を取ったかも知れない」

「私はアクエリアを信じてる筈だったのに、こんな時に限って信じ切れてなかった。あいつが子供を、スカイを殺すなんて少し考えれば有り得ないって分かったのに、なのに、私はあんなことに」

「ミュゼ」


 スカイが居なくなった今、湧き出る後悔は尽きる事が無い。

 もう居ない相手にああすればよかった、なんて『もしも』の話をしても、命が戻る訳ではないのに。

 フュンフの表情が憂いを帯びる。未だに自分を責めるミュゼに、思う所があって。


「……私も、六年ほど前に似たような後悔をした」

「………ぁ」

「どれ程までに悔いても悔いても償いきれない過去だ、君の後悔は痛い程に分かる。身を焦がすような辛さ、心を苛む無念……自らの命で償えるのなら、私は今でもそうしたい」


 フュンフの後悔は彼女――『花』隊長の事だ。

 自分が死なせてしまったと自罰的に感じる思いは同じだ。フュンフは、苦痛に揺らぐミュゼの顔を見て、これまでも言ってしまおうかと何度か悩んでいた提案をそっと持ち掛けた。


「……ミュゼ。君は、この孤児院で働く気はないかね?」

「え……?」

「前から言っているように、この施設は慢性的な人手不足だ。特に、戦闘員としても稼働出来る専任職員など一人も雇っていない。君は、あのギルドで働くには些か優しすぎるのではと思っていてね」

「それは、……有難いお申し出ですが、きっとマスターが許しません」

「今すぐでなくていい。今回の事を話して陛下に仲介して貰おう。所属は変わらずギルドのままになるかも知れぬが、勤労先をこの施設にするのだ。勿論、陛下や殿下達の決定次第で、所属事態を此方に変更が出来るかも知れん」

「……それでも」


 心を痛めたミュゼには優しい申し出だった。

 ここまで辛い思いをしながら、あの冷たくて暗い酒場に戻らねばならないのか。沈んだ気分を更に海の底へ沈めるような、あんな人殺しの棲み処へ。

 本音を言えば、心から戻りたくない。この施設で、子供達に囲まれて、本を読んだり歌を歌ったり、時には反抗に手を焼きながら穏やかで優しい時間を過ごしていたい。

 でも、ミュゼにはそれが出来ない理由があった。


「本当に、その御誘いはとても嬉しいです。……嬉しいけれど、私は、あの場所へ戻らないと」

「……本気かね」

「時々の手伝い依頼なら受けますよ。でも、私がしなきゃいけない事は、此処じゃ多分できないから」

「……あの方の……『花』隊長の生存の件か」

「ウィスタリアとコバルトは、エデンとオードという名で見つかった。だから、あの子達の母親であるアイツは戦場では死んでない。それは確実なんです。今何処にいるのか、本当に生きてるのか、どうにか調べ上げないと」

「……」


 尽きそうになっていた気力を振り絞って、ミュゼが立ち上がる。それからフュンフの机まで歩いて行って、革袋を手に取る。袋の中で硬貨がぶつかり合う音が聞こえる。

 淑女の礼をしたミュゼは、そのまま踵を返して扉に向かった。


「馬車を呼ぶ。暫く施設内で待っているといい」

「いいです、アクエリアと歩いて帰るから」

「まだ雨は降っている。酒場までの距離を行くとなると、風邪を引いてしまうぞ」

「大丈夫ですよ、今日は濡れて帰りたい気分なんです」


 もう、顔は向けない。


「ありがと、フュンフ様。そっちこそ、どうか体に気を付けてね」


 ミュゼの歩んだ絨毯の上に数滴の雫が垂れて色が変わっているのに気付いていて、フュンフは何も言わなかった。

 親しい者に言うような言葉で体の事を心配され、自分はまだそんな風に気遣われる年齢ではないと憤慨するのはもう少しして。

 扉は閉まり、ミュゼの姿は消えてしまった。


「……誰か」


 一人きりになった部屋で、フュンフが声を出した。ミュゼと話していた時のそれを超える声量だ。


「お呼びですか」


 別室で控えていた職員が、ミュゼの去った扉から現れる。

 フュンフは人が来た事に安堵すると、一枚便箋を出す。


「今から手紙を書く。中を開かず、『風』副隊長の元へ確実に届けて欲しい」

「『風』副隊長……承知しました」


 頼みを承諾されてから、フュンフが便箋に文を書きつける。

 『風』副隊長は裏ギルドの副マスターでもある。隊は違えど同じ城に仕える者としても、個人としても、以前から多少の交流があった。彼の心の中に今でも存在している女性とも切っても切れぬ仲だったのがフュンフだ。

 何を書きつければいいだろう。フュンフの思考時間は僅かだった。書き出しに少し悩んだだけで、それを越えれば文章は勝手に指先が作り上げるかのように便箋に綴られる。


 『内密の話がある』


 『明日、日の昇る時間へ此方へ来て貰えるか』


 

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