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「ふふっ。うふふ、うれしいなぁ。ぼく、これまでなんのおねがいごとをしてもかなわなかったのに」
倒錯的な恍惚の笑みを浮かべたスカイが、蠢く蔦を背中に負いアクエリアに視線を向けている。
アクエリアの手にはまだ炎が消えず残っている。発現者であるアクエリアを焦がそうともせずに、ただ揺らめいて。
睨み合うでもなく、ただ二人が見つめ合っている。そこには色気や情愛もなく、ただ静かな害意だけがあった。
「ぼくのせかいにかみさまなんていなかったけど、アクエリアせんせいがいた。いたいのもくるしいのもいやだけど、せんせいならぼくをころしてくれるっておもってた」
「人を殺人鬼みたいに言わないでくださいよ。……俺には女子供を手に掛ける趣味は無い」
アクエリアの言葉が終わるよりも早く、スカイが駆け出した。アクエリアに向かって走る直線状に、傷付けられた手首から血が垂れ落ちる。
スカイの命の軌跡だ。僅か十余年しか生きていない子供が、死を切望して強者に牙を剥く。
「人の話を聞かない男は嫌われますよ!!」
アクエリアが腕を体の正面で横に振る。その腕の動きに従って、炎の壁が出来た。高さはアクエリアの背丈ほどで、すっぽりと術者の体を覆い隠してしまう。
縄となった蔦は燃えた。だから、プロフェス・ヒュムネとしてのスカイの弱点は炎にあると思った。けれど。
「すかれるなんて、おもってませんもん!!」
スカイの蔦が蠢いた。二本になってしまった縄で走りながらひび割れる程床を強く叩き、その反動で炎の壁を飛び越える。
高く跳躍したスカイは空中で一回転するように、体勢を整えながらアクエリアの背後に着地した。
「ぼくは、ばけものです。そういわれてずっとすごしてきました。なんのことかわからなかったけど、こんなからだになったいまならなっとくできます。ばけものはころされるんです。としょしつのえほんにも、そうかいてありました」
悲痛な声に、離れた場所に居たミュゼが沈痛な表情を浮かべた。
アクエリアはスカイが炎を飛び越えるのを立ち尽くして見ている訳ではない。飛び越えたと同時に振り返り炎を消す。それからスカイが向かってくるのを、後ずさって距離を取る。
振り被り襲い掛かる蔦は、変わらず二本。右に左にと繰り出される鞭が撓るような動きを、軽々とはいかなくても躱し続ける。
「貴方は、あの化け物退治の絵本なんかに自分を重ねたんですか。これまでの自分が、あんな化け物に匹敵するようなものだったと思ってますか?」
「ばけものだって」
今までプロフェス・ヒュムネという種族としての戦闘を学べなかったスカイの動きは拙い。肉弾戦は得意じゃないと公言しているアクエリアでも、今のところ無傷だ。
「ばけものだって、すきでばけものにうまれたわけじゃないでしょう。ぼくだって、ふつうにみなさんとおなじようにうまれていれば」
「仕方なかったんです、貴方の出自環境に生まれれば誰だって生きる事に嫌気が差す。俺だったら飼い主も奴隷商も皆消し飛ばしてたでしょうね」
「でしょう? だからぼくは、もうおわりにしたいのに!!」
悲痛な声は、これまで抑圧されていた感情の開放。
アクエリアから見たらスカイは敵にもならない。もっと叫べ、もっと喚け、とアクエリアが念じる。これまでの苦痛を全て並べたてて、一人で苦しむことの愚かさを身を以て知って欲しかった。
スカイの声はアクエリアが聞いている。ミュゼも、顔を覆いながらも聞いている筈だ。苦しい、寂しい、痛い、辛い。その全てを分かち合えずとも聞き届ける者は、多ければ多い方がいい。
「終わりになんてさせない。貴方の事を心配している人たちは大勢いるんです。恨むのは自分の種族じゃなくて、そんな仕打ちをして来た奴らでしょう」
「わかってます! ぼくをこんなめにあわせたひとたちが、いまもいきてることがくやしくてたまらないんです!!」
編まれた蔦が、その怒声と共に解けていく。一瞬で無数の蔦に分かれたそれらが、一斉にアクエリアに襲い掛かる。
アクエリアの足は動かなかった。油断している訳では無いが、蔦は一瞬でアクエリアの四肢を絡め取る。四肢の形が服の上からでも分かる程に、ぎちりと音を立てて蔦が食い込んだ。そしてそのまま三方向に広げさせられる。その姿はまるで磔刑のようで。
「……ほら……アクエリアせんせい……。はやく、ぼくをころさないと……ころしちゃいますよ……?」
「………ふ、流石は混血でも『あの』プロフェス・ヒュムネって訳ですか。こんな細い蔦なのに、馬鹿力で……羨ましいくらいです」
容易く捕れた事に唇を歪めるスカイ。しかしアクエリアの表情は、命の危機を覚えた顔には見えない。
スカイがその不自然さに眉を顰める。ちらと視線を向けたミュゼも、アクエリアの状態は分かっている筈なのにスカイへ槍を向けようともしない。敵意には敵意を以て返されると学習していたスカイには不思議で堪らないことだった。
「……ミュゼさん、いいんですか? このままじゃ、アクエリアせんせい、しんじゃいますよ」
持ち場を離れた蔦の一本が、今尚縛られたままのアクエリアの首筋を辿る。並の男と変わらない肉付きのそこは、いかなアクエリアと言えど絞め上げれば苦悶の声を漏らすだろう。
いつまでも涼しい顔をしているアクエリアに、スカイも焦れた。この期に及んでまだ自分に誰かを殺すことが出来ないと思っているのか。
それならば殺してやろう。屠ってやろう。弑してやろう。
この世界を離れるための、後悔の材料にしてやる。
スカイは次の瞬間まで、そう思っていた。
「……そいつは、誰にも殺せないよ」
ミュゼの呟きがスカイの耳を掠めた。
「そいつが殺せるなら、もう死んでる。……アクエリアも、いつまで教育指導とやらを怠けてるつもりなの」
「……なまけ……? なにをいってるんです、こうして、せんせいは、ぼくが」
――捕まえているのに。
続きを口にしようとしたスカイは、異臭を感じた瞬間に言葉を止めた。
視線を戻すより先に、アクエリアを縛っていた筈の蔦の感覚がなくなる。痛覚は無いので、急に蔦の重さが消えたような違和感を背中に感じた。
煙さえ出ていない。
なのに、アクエリアを拘束していた蔦は一瞬で業火に巻かれて灰も残さず消えていた。
「……今日は、エルフ族の授業でもしましょうか」
アクエリアの服には、縛られていた時の服の皺以外に乱れが無い。手で軽く表面を払うと僅かな埃だけが出てきた。
一切の苦痛を負っていないかのような顔。拘束した時のスカイの蔦は、それなりに全力で絞め上げていた筈なのに。
「エルフは広大な森を有する自国からはなかなか出てきません。時折、変わり者はヒューマンの地に紛れて暮らします。精霊と契約し、魔力を有し、魔法を使う。そうですね、こんな風に」
軽く上げた手から、再び炎が噴き出した。部屋中を照らす程の紅炎が、熱を上げて燃え盛る。
「始祖に於いてはもう仔細を知っている者はいないでしょう。エルフ族はヒューマンのように、始祖から多少枝分かれします。右に行ったらエルフ、左に行ったら別のもの。何のことはない、少し『悪い事が好き』っていう種類がいるってだけなんですよね」
その炎がまるでスカイへの警告のように、一際大きく揺らめいて消える。
今以上、馬鹿な事を考えるな。
これ以上、その口から誰かを害することを言うな。
それが例え自分自身への言葉でも。
「俺は純粋なエルフじゃない。かといって混じりでもない。俺はね、スカイ君」
アクエリアがそっと両手を前方に出す。白い掌が、顔の前で打ち合わされた。
ぱん、と室内に響く打音。そのたった一瞬が、そこに居た筈のアクエリアの姿を変える。
肩にかかる程度だった紫色の髪が、背中まで伸びる濃い灰色の髪へ。
いつも眠そうにしていた藍色の瞳が、茶を思わせる獣のような鈍い金の瞳へ。
酒場に居るギルドメンバーの中でも一際白かった肌が、その場の暗闇を拝借したかのように浅黒く変わった。
「俺は、エルフはエルフでもダークエルフ。肉を好み悪徳に興じるとされている純血のダークエルフなんですよ」
外貌の変化に、スカイが目を見開いた。奴隷暮らしとはいえ、ダークエルフという種族の話は『よくない場所』にいたからか耳にすることがあった。
完全な個人主義で冷酷。
自分以外を下に見て、享楽に耽ることを好む。
そのためには何を害することも厭わない。
スカイは一度だけ、ダークエルフの姿を見た事があった。とは言っても、それは彫像でしか無かったが。
前の『主人』に所有されていた時、地下の一室に悪趣味に飾り立てられた場所があった。邪悪の象徴とされているダークエルフを祀る事は、いつからか特別な意味を孕むようになったらしい。
生きているかのような精巧な作りの像に、スカイは目を離せなくなった。
話に聞くそれだけの力が自分にあったなら。
誰を害しても気にも留めない冷酷さがあったなら。
きっと自分は、今のような地獄を見ずに済んでいたのかも知れない、と。
「……っふふ、あは、あははははっ!!」
今頃露わになる、アクエリアの正体。
それを知って、スカイは哄笑を上げ始めた。気が触れたかと思うような声が谺して、ミュゼが不快感に表情を歪める。
「そうですか、そうだったんですね。アクエリアせんせいだって、ばけものだった」
「……否定はしませんよ。俺達を乱獲する国だってあったくらいです。今では随分数も減って、時々ひっそり生きる混血が居ると聞くくらいではありましたが」
「いいじゃないですか、ばけものどうし。どっちがつよいか、いまここでたしかめてみましょうよ」
それはスカイなりの誘い文句だ。どうしても自分を殺して欲しくてたまらないらしい。
最早彼に普通の言葉は通じないだろう。聞こえても聞く気がないようで、アクエリアが瞳を細めて俯いた。
「そう言うならお相手してあげますよ。……後悔しても遅いぞ、プロフェス・ヒュムネ」
戦闘の緊張感に高揚し、頬を染めるスカイ。
止められるのは自分しかいないと理解したアクエリア。
ミュゼだけは、二人の戦闘の結果を見届けるためにその場に残っていた。




