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 スカイの一撃に、鉄扉が曲がった。

 室内を逃げ回るミュゼとカンザネスが、自分の武器を回収するまでは出来た。けれど、スカイの側に寄る事はどうしても出来なかった。

 二人はスカイを『制圧』しようと考えている。傷も少なく抵抗できない状態に持ち込みたい。けれど、スカイ自身がそれを許さない。

 近寄らせてくれない。なのに本気で攻撃している様子では無かった。カンザネスもミュゼも、二人とも掠るくらいで済んでいる。もし本気だったとしたら、掠るくらいでは済んでいないだろう。

 スカイは泣いている。笑顔のまま、涙を流している。手加減している害意は余裕の表れだろうか。それとも。


「ころしてください」


 はっきりとした声色で紡がれるそれが本当の望みだと言うのか。

 今まで自分から死を望んだことが無い二人には、あまりに辛い言葉だった。どんな絶望する過去があっても、いつかは笑顔で過ごせる時が来ると信じているからだ。

 けれど今のスカイにとっては、これまでも、これからも、ずっと地獄なのだ。これまで受けて来た苦痛は癒える事は無いだろう。けれど苦痛を引きずりながらも生きる選択をした者だっている。スカイにも、その選択をして欲しいのに。


「ころしてください、ミュゼさん。カンザネス先生。でないと僕は、きっとあなた達をころしてしまう」


 相手は子供だ。しかしプロフェス・ヒュムネだ。

 エルフが魔法を使うように、ヒューマンが武器を扱うように、生まれ持って備わっている力の使いどころを教えるのは大人の役目だ。しかし彼は自分の意志で、明確な害意を以て二人に敵意を剥き出しにしている。

 部屋の隅で動けない双子に、その矛先が向かわないようにするので精一杯だ。


「でも……できませんよね、あなた達じゃ」


 スカイの言葉は嘲笑も含まれていた。カンザネスが臍を噛む。

 それは強者の余裕と、二人の甘さへの嘲りだ。スカイを本気で殺そうと思えばできる筈の二人が、今でもスカイに希望を持ってしまう。またこの施設で、今度こそ何もかもを過去にして平和に暮らして欲しいと願ってしまう。

 その甘さが、今のスカイには許せなかった。


「スカイ君っ、考え直して! 今度こそ、私達は貴方を守るから!!」

「守る? 守るってなんですか。僕じゃなくて、他の子が危ない目に遭ってるのに? なのに僕を守るって言うんですか? 今度こそ僕じゃない他の子が死んでも、それでも僕を守ろうって思えますか? 僕は僕が望む望まざるに関わらず『化け物』だそうです。多分ですねぇ、僕はミュゼさんより強いですよ。僕を守るくらいなら、他の子を守ってくださいよ」


 大人二人を相手取って、傷を負っていても流暢に話せるくらいには頑丈な種族。

 植物が枝葉をもぎ取られても、簡単に死なないのと同じように。


「オードも! エデンもっ!! 僕を友達として扱ってくれた大事な子さえ守れないあなた達に、僕が守れるって言うんですか!!!」


 スカイの慟哭は、壁の破砕音と同時に聞こえた。ミュゼを狙った一撃は躱すのが精一杯で、辺りに石の破片が飛び散る。

 スカイが今、生きている事が地獄だというのなら。

 その地獄から救ってくれるのは誰なのか。

 少なくとも、ミュゼにもカンザネスにも自分ではないという事だけは分かっている。


「あの時僕を! あなたが! 殺していてくれたら!! そしたら誰も傷つかなかった!! 僕はっ! ここまで自分を呪う事もきっと無かったのにっ!! 一瞬だけ幸せを夢見て、突き落とされて、こんなはずじゃなかったって、何度も、何度も! またそんな事を繰り返して生きていけだなんて、ミュゼさんは悪魔だっ!!」


 反省部屋とされてきた部屋が無残な姿に変わる。泣きながら震えるエデンとオードが必死に目を閉じて祈るように身を寄せ合っていて、そんな姿を見てもスカイの攻撃は弱まらない。

 捨て鉢になって怒鳴り散らしているスカイは、息を切らせる事も無く、絶望の表情を双子に向けた。


「……ぼくは、じぶんでしぬのは、こわいです。でも、きっと、ひとりじゃなかったら、しねます」


 ミュゼも、カンザネスも、これまで幾度となく誰かを害する意思を見せた者を見て来た。

 けれどここまで幼く、悲しい意思の元誰かを傷付けようとする者は居なかった。

 エデンもオードも同時に震える。そして、大きく開いた目でスカイを見ていた。


「だいすきな、ふたりだから、ぼくは、くるしませずに、ころしてあげられる。ふたりがいっしょなら、ぼくは、きっと、こんどこそ、しんでしあわせになれる」

「スカイ君っ……! そんな事、言うなよ……! 誰かと心中なんて、勝手に道連れにされた方の気持ち考えろ!! スカイ君がそんな事したら、二人は幸せになんてなれないよ!?」

「じゃあ、その前にミュゼさんが僕を殺してくださいよ」


 スカイの足が、双子に向かって一歩を踏み出す。

 その動きを引き留めようと、カンザネスが駆け出した。

 振り上げてスカイを狙ったそれに殺意はない。未だスカイの改心を諦めていない切っ先は、その心の鈍りを呼んだかのようにスカイの蔦が易々と受け止める。

 縄になった蔦に食い込んだ刃先が絡め取られ、カンザネスを越える力で持ち主を吹き飛ばした。打撃を受けたカンザネスの横っ腹が鈍い音を立てる。


「っぐ、がっ……!?」


 苦悶の呻き声。


「カンザネス様!?」


 喰らった一撃は重かったようで、カンザネスも床に転がったまま返事も出来ずに悶絶している。大の大人が吹き飛ぶくらいの衝撃だ、ミュゼが喰らっても無事では済まない。

 恐怖は捨てて来たと思っていた。怖がるのは自分の柄じゃないと思っていた。

 震える足に無理を強いて、転がるように双子の前に躍り出る。

 アクエリアが側にいないことが、こんなに心細くて怖い。


「スカイ君……、この二人には手を出さないで。……この二人には、何があっても生きていて貰わなきゃいけないんだ」

「……はい。僕も、そう思います。二人には生きていて欲しい。元気で、幸せに過ごして欲しい。優しくて、素敵な女の子達です」


 スカイの表情は穏やかだった。

 なのに。


「そんな二人をこの手で殺せたら、僕も死ななきゃいけない、って、必死になれると思うんですよ」


 言葉は、絶望の前では無意味だった。既に彼は絶望について結論が出ていて、それを覆すことは出来ない。

 悠長に説得している時間なんて無いのだ。

 子供にこんな惨い事を言わせるこの世界に反吐が出そうになる。『誰か』の為の『何か』にもなれないで、ミュゼは自分の非力を悔いるだけ。


「別に、僕は貴女でもいいです……ミュゼさん。僕を助けてくれて、こんな地獄に引きずり込んでくれた貴女だから。こんな僕にも同情して、ずっと一緒に居てくれそうですし。やさしくて、あかるくて、まぶしい貴女を、僕はこの手で殺したら……きっと後悔して、死にやすくなるんでしょうね」


 生き死にの話をしているのに、スカイの表情はまるで穏やかだった。

 両腕を伸ばして、双子の盾になろうと胸を張る。何があっても、背に庇った二人をこれ以上傷付けさせはしない。


「おねえ、さん。にげて」

「だめだよ、おねえさん」


 双子の声が聞こえる。この声を、ずっと前から聞いてみたくて、でも聞けなくて、血の繋がった肉親が居ない時期の方が長い人生だった。

 この双子が過去に何から繋がって、未来に何を繋いでいくかミュゼが良く知っている。体に流れる血の一部は、思考などよりももっと本質的な所で二人の存在を刻み付けている。

 生きて、も。

 逃げて、も。

 ミュゼが一番、二人に言いたい事だ。


「二人とも」


 自分の命と、双子の命。

 ミュゼがそれらを天秤にかければ、簡単に双子に傾いて揺らがない。


「おねーさんに、任せなさい」


 不安で今にも崩れそうなのは、どちらだろうか。

 それでもミュゼは大人の女の意地として、精いっぱいの強がりで、微笑んだ。

 白薔薇の蕾が開くように綻ぶ美貌の持ち主に、双子は言葉を失う。


 つい最近出会ったばかりのこのシスターに、見た事もない筈の母の姿を幻視してしまったからだ。


「ミュゼさん、ごめんなさい。貴女には恨みは――無いと言ったら、嘘になります」


 蠢く蔦が、ミュゼを狙って高くに位置付き振り下ろされる。


「ずっと一緒に、地獄で恨み合って過ごしましょうね」


 振り下ろされる瞬間は、まるで世界の時間が引き延ばされたような不思議な感覚を覚えた。

 ほんの一秒が、一分を数えられるまでに長く伸びたような気がするのは、死を覚悟しているからか。今更武器を構えても、このプロフェス・ヒュムネの力には勝てずに押しつぶされてしまうだろう。


 でも、ミュゼは諦めていない。

 だって約束したから。

 殺される時も側に居ろ、と、酒を交わして約束させた。

 彼が一度交わした約束を破る男ではないと確信している。だから。


 目の前で編まれて太くなった蔦の一本が燃え落ちるのを、驚きもせずにただ見ていられた。


「っ、あ……!?」


 驚愕したような声はスカイの口から漏れていた。

 最初に降りかかる筈だった蔦は焼け落ちて火が広がる。一瞬で焼き尽された蔦の一本は床に落ちた直後には灰と化していた。

 スカイまで燃える事は無かった。主力の一本を失ったスカイが目に見えて動揺している。


「――残念ながら、その人は八十年先まで俺が予約済みなんですよ」


 ひしゃげた扉の方向から、声。

 ミュゼは新たに姿を現した人物に向かって、気の抜けたような笑顔を浮かべて見せた。


「………遅いよ、ばか」


 アクエリアだ。


「あの後、掃討の手伝いに正門の方に行ってましてね。貴女達がいるから安心して任せていれば、これは……」


 アクエリアが室内を見渡す。中の惨状はアクエリアが改めて言葉に出すような状況ではない。死体がふたつ。ひとつは職員、もう一つは頭が潰れてそれが誰だったか彼には判別できないものだ。

 壁際には幼い子供が二人と、それを庇うミュゼ。そして倒れ伏して、しかし息があるのが一人。

 倒れているカンザネスには、アクエリアの横から走って近づく影があった。ジナードだ。


「カンザネス!」


 痛みに呻く彼に手を貸し、肩に担ぐようにして立ち上がる。


「ジナードさん、余力があるならあちらのお子さんたちもよろしくお願いします」

「お願いって……アクエリア、貴方はどうするつもりなの」

「少しばかり、教育的指導をお任せされたいと思いまして」


 そう言って腕を振ったアクエリアの掌から、炎が燃え盛る。それはアクエリアを包むことなく、熱を持ちそこに留まっていた。

 ジナードの顔色が変わる。彼の実力は、正門の掃討を一方的に手伝われた時に知った。大雨の中を慈悲も無く、過分な魔力を以て『片付けていった』。

 ごくり、とジナードの喉が鳴る。此処に居ては巻き込まれる、と直感で思ってしまったからだ。視線を双子に送れば、アクエリアの声が聞こえていたのか二人が駆け寄ってきた。


「……程々に」


 ジナードはそう言い残すと、カンザネスを担いでよろける足元でその場を離れた。その姿から離れないよう双子も駆け足でついていく。

 この場に残っているのは、スカイとアクエリア、それからミュゼと死体だけだ。


「……やっと、きてくれた」


 スカイは既に涙も止まり、笑顔を浮かべている。声は喜色に震え、幼い口調で言葉が紡がれる。


「ぼくを、ころしてくれるひと。ずっとおもってました。アクエリアせんせい。あなたなら、ぼくをころしてくれるって、しんじています。いわれたんです。ぼくは。たすけられたとき、おとこのひとから。『おれは、やさしくないんだ』って。だから、やさしいあなたなら、きっとぼくをころしてくれるって」


 今から解放される、その瞬間を待ち侘びていたかのような笑顔だ。


「ぼくは、あなたがいいです……アクエリアせんせい」


 対するアクエリアの表情は、完全なる無感情。


「過度な期待は身を滅ぼしますよ。俺が優しいと思っていたら大間違いです」


 怒っているでもなく、悲しんでいるでもなく、アクエリアは一度だけミュゼに視線を向ける。


「俺が先に予約していた女性に手を出そうとした罰、受けて貰いますからね」

「あはっ、そうですか。ミュゼさんもアクエリアせんせいの『だいじなひと』なんですね? じゃあ、あなたのめのまえでぐちゃぐちゃにこわしたら、ぼくをころしてもらえるんでしょうか」

「……そんな冗談、吐き気がするんで止めなさい」


 此処に来て漸く、アクエリアの眉間に皺が寄った。

 睨むアクエリアと、微笑むスカイ。

 戦闘開始の一歩が、どちらともなく踏み出された。



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