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「現状を理解してくれたかい、騎士様とシスターさん?」
ウバライは絶対的な余裕を感じているかのように、短刀をオードの首元でちらつかせながら笑っていた。それは僅かな光を集めて反射し、何処に刃先があるのかを見せつけてくる。オードの細く白い首元で、時折肌に食い込ませては離していく。
下手な真似をしたら、オードが殺されてしまう。ミュゼは無言で槍の穂先を下げた。
「武器、捨ててくれねぇか?」
笑顔のウバライが、馬鹿にするような抑揚で二人に指示をする。ミュゼは直ぐに手から槍を離し、カンザネスも無言で地に下ろす。
武器を手放す間も、二人はウバライから目を逸らさない。どうにかしてオードの身を守れないかと、必死で思考を巡らせていた。
「……こんな事をして、ただで済むと思っているのか。陛下の膝元でこのような狼藉を働いて、無事に逃げおおせられるとでも?」
「逃がさねぇってんならそれでもいいぜ。ここに居るガキ共や非力な連中が何人死んでも構わねえってんならな。膝元だとかいう場所でそんな虐殺があったって明るみになったら、王の威信ってやつはガタ落ちだろうな?」
相手は、この施設を通して国にまで揺さぶりを掛けようと言うのか。
あからさまな挑発に、カンザネスが歯を食いしばった音までもが聞こえた気がした。騎士として忠誠を捧げた先を馬鹿にされるのは我慢ならないらしい。
狭くはないこの部屋には今、施設内の子供が全員入っている筈だ。働く職員も。ウバライは何処までこの施設の事を下調べしてきたのだろうか。
「あのハゲ……何してやがんだ……」
ミュゼが小声で悪態を吐いた。僅かに聞き取れたらしいカンザネスが横目で視線を寄越してきたが、それはただ一瞬で終わる。
誰に向けた悪口と思ったのだろう。目の前のウバライか。本当は、この場に居ない者へ向けた言葉だったのだけれど。
「俺と一緒にガキ共殺して国王の国内外の信用落とすのと、俺と奴隷のガキを身逃して保身するのと、どっち選ぶんだ騎士様?」
その間にもウバライは選択を迫ってくる。騎士一人が判断するには重すぎる内容だ。
時間稼ぎだけでも出来ないか。カンザネスがその場しのぎの策を考えている間、ミュゼがそっとカンザネスに見えるように掌を出した。『少し待て』の意味合いを持つそれを見て、焦る思考が少しだけ落ち着きを取り戻す。
「噂はお伺いしています、ウバライさん。……よくもこの場まで辿り着けましたね?」
時間稼ぎの役は、ミュゼが担った。
淑やかな口調に凛とした態度を漂わせるミュゼの言葉に、ウバライは真顔になる。外で迎撃している仲間、或いは爆発音を聞きつけて城から駆け付ける騎士を待つ為の言葉遊びだと気付いていても余裕は崩さない。
「そっちの騎士様が難なく俺を身逃してくれたからよ。ちょっとお邪魔させて貰ってんだ」
「ちょっと、の割に此方が払った犠牲の方が大きいようですね。……その腕の中の子、離してくれませんか」
「離さねぇよ? このガキは外まで付き合って貰う。逃げおおせたら解放してやっから、それまで待てや」
オードは声も上げずに震えて泣いている。その姿が痛ましくて、どうにかしてやりたくて、でも今一歩を踏み出せばウバライはオードを手に掛けてしまうかも知れない。
死んだ人間が生き返らないのは、この孤児院の子供達だって知っているだろう。そして、目の前で起こる『死』をこれ以上見せたくない。それ以上に、ミュゼはオードに死んでほしくはなかった。
「……オード……その子に、怪我をさせていないでしょうね?」
「あぁ? こんなガキの身が気になるかよ。気になるなら見せてやってもいい。……ほら」
ただの状況確認の質問だったつもりだ。しかし、次の瞬間ミュゼが目を疑う。
短刀がオードの頬を滑った。驚いて目を丸くし硬直するその頬に、一筋の赤線が走る。
「一か所傷がついてるな、ははっ!」
は、と、ミュゼの口から短い息だけが漏れた。怒りを抑えるので精一杯だ。
オードは顔を赤くし、マスター・ディルによく似た幼い顔を歪ませた。開いた目から、瞬きもしないのに幾筋もの涙が流れて止まらない。
「……っぇ、う、うええええっ……」
「煩い! 黙れクソガキ!!」
ウバライの怒号。しかしオードの嗚咽は止まらない。怖い、痛い、苦しい、そんな感情が溢れた顔だ。
カンザネスも怒りで体を震わせている。よりにもよってここまで下劣な男を内部に侵入させてしまった、その責任も感じているようだ。
「オードっ! やだ、オード!!」
半狂乱で叫ぶ声はエデンのもの。耳障りに聞こえたらしい高い声に、ウバライの視線がそちらへ向いた。
「……うるせぇクソガキは、数減らしたほうが静かでいいよな……?」
「っ、な!?」
オードの首を腕と胸で挟むようにして、ウバライが動いた。
「やめろ! そっちの子まで手に掛けよっうてのか!? どんだけ腐ってんだテメエはよ!」
「ああうるせえな! これだから女も子供も煩くて嫌いなんだよ!! お前達は所詮何も出来ねえんだ! 俺に逆らったらどうなるか、そこで指くわえてそこで見て――」
オードもそうだが、エデン――ウィスタリア――は絶対に殺されてはいけない。
どうにか状況を覆す良策はないのか。必死でミュゼもカンザネスも考えていた。
このままじゃ、エデンまで――そう思ったミュゼ達の視界で、ウバライの動きが不自然に止まる。
「……だめ、です……」
打ち捨てられていたスカイが、ウバライの足首を掴んでいた。ぼろぼろになった体で、行かせまいと力を振り絞ったように握りしめている。
「えでんも、おーども、……これいじょう、きずつけさせません……。ぼくの、だいじな、……」
「スカイ、まだ一丁前にそんな口が利けるってんだな? 仕置きが足りなかったみたいだな!!」
ウバライの片手が上がる。そしてその手に有った短刀が、スカイの手首に突き刺さるまでを、その場にいた全員が見ていた。
風を切って肉を切り裂く音。刃先が貫通したらしく、手首の二か所から鮮血が床に流れて溜まる。
「っあ、ぐ、ああああっ……!?」
「黙って見てろ。今後俺から逃げられると思うなよ。お前が逃げたら逃げただけ、周りが迷惑被る事になるんだからな。……全く、生きていられるだけで有難いと思うんだな、お前らプロフェス・ヒュムネはよ!」
ウバライは痛みにのたうつスカイを放って、歩幅大きくエデンの元へと歩み寄る。
カンザネスが反射的に止めようと動いた瞬間、オードの首元の短刀が角度を変える。横に引くだけで、細い首は鮮血を噴き出すだろう。
スカイの手が床を這った。固い石造りの床の上を、血の跡を作りながら動いて、すぐに自分の元へと引き寄せる。引き寄せられた手は、何かを摘まんでいるようだった。
「さぁて、お嬢ちゃん。今の内にこの世とお別れを言っとくんだな!!」
その摘ままれていたものが、スカイの口の中に入り込む。
がりりと噛み砕く音が聞こえたのは、スカイ以外誰もいない。
その間にもウバライはエデンの側に向かっていた。
涙を浮かべて震えるエデンの口からは。
「…………ぱぱ、……まま」
一度も見た事がないはずの両親へ、助けを求めるかのような震える声だけが出ていた。
短刀を振り上げられたエデンの視界に映るものは。
まるで熟れ過ぎて地に落ちた果物のように、弾け飛ぶウバライの頭部だった。
「――!!?」
その一瞬を、子供達は目を逸らしていた。職員ですら、エデンの身に降りかかろうとしていた災いを直視できなかった。
短刀を振り上げていた体が傾ぐ。そして床の上に、大きな音をさせて後ろ向きに倒れた。頭があった筈の場所には既に何もなく、血と肉片が降り掛かったエデンやその周囲の子供達が呆然としている。
血溜まりが、広がる。
「っ、あ……」
最初に声を漏らしたのはエデンだった。顔にかかった液体を手で拭うと、べったりと血がついている。
次の瞬間、悲鳴が谺する。
「っ、お、おい!!?」
子供達の恐怖が連鎖して、収拾がつかない事態になって子供達が反省部屋から飛び出した。大人である職員たちでさえも、その一瞬の出来事に恐慌していて子供達を呼び戻せない。我先にと皆が逃げだすその場に残っているのは、ミュゼとカンザネス。それからエデンとオードだけだ。
カンザネスが散り散りになる子供達を確認するように周囲を見渡す。何が起きたか考える前に、部屋の中にまだ残っている異質な姿を確認できた。
「……スカイ、くん」
震える声はミュゼのものだ。
緑色が大部分を占めるその異様な光景から視線が逸らせない。
スカイのこの姿を見るのは二度目だった。――種を摂取した、プロフェス・ヒュムネとしての姿。
襤褸布同然なまでに破れた服の下、背中から蔦が生えている。けれど、それは初めて見た時より凶悪さが増していた。ひとつひとつが細いそれを、幾重にも絡ませて出来る縄。ウバライの頭を吹き飛ばしたと思われる部分が血を滴らせている。
縄となった蔦の数は三本。それが、意思を持つように蠢いていた。
「……ぼく、だって」
スカイの声は弱々しい。しかしはっきりと、その場に残った全員の鼓膜を揺らした。
床に散らばっていたのは、ミュゼとアクエリアがスカイの暴走を止めた時に落ちた彼の種だった。
自分の種を口に放り込めば、プロフェス・ヒュムネという種族は強大な力を得ることが出来る。能力は様々だが、人を簡単に屠るくらいの力を、スカイは有しているのだ。
「ぼくだって、うまれたくてうまれたんじゃない。こんなつらいおもいをしていきるくらいなら、うまれてきたくなんて、なかったのに」
エデンはオードと共に手を繋いで、壁際に寄り添っている。姿を変えた友人の姿に、先程とは違う種類の恐怖心を抱いているようだった。
産まれたくなかった、などと、子供が言う言葉にしては重い台詞。カンザネスは言葉を失った。これまで受けて来た仕打ちからは、この孤児院に身を寄せてからも守り切れなかった自分達の無力さに。
「スカイ、そう言うな。もう、君を苦しめるものは居な――」
「来るな!!」
カンザネスが踏み出した一歩。しかしそれをも拒絶したスカイ。
天井から床まで、一直線に振り下ろされる縄はカンザネスを狙っていた。とっさの判断で横に避けたカンザネスが先程までいた場所に打ち付けられた縄は、石造りの床を割って止まった。
「もう嫌です。もううんざりです。僕は生きていたっていい事もなくて、僕のせいでオードが傷ついてエデンも殺されそうになった。なんで僕なんですか。どうして僕がプロフェス・ヒュムネなんですか。プロフェス・ヒュムネってだけで、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんですか。僕は、こんな目に遭わなきゃいけないくらい悪い事したんですか」
スカイが抱える絶望は、もう手の施しようがない程に深い。
「それなら、僕は悪い子になります。ひとも、ころします。今まで僕がずっと苦しめられていた分、誰かに押し付けます。同じくらい誰かが苦しんでくれないと、不公平じゃないですか。不公平は良くない事だって、ここで教えて貰いました」
蠢く蔦は、まるで苦悩に煩悶しているスカイ自身のようだった。
「ここで勉強するたびに、なんで不公平だろうって、なんで不幸なんだろうって、ずっと思っていました。不公平は嫌いです。そんな不公平を押し付けて来るこの世界も、大嫌いです。生きてるだけで恨まれるなんて、僕くらいしか経験していないんじゃないかってくらい酷いじゃないですか。そんなの、僕、嫌です。だから、これまで僕がどうやって生きて来たか、みんなに同じ目に遭ってほしいって思ってしまうんです」
涙で濡れた顔も、けれど残酷な事を言いながら弧を描く唇も。
そのどれもが今までのスカイの表情と違っていて、ミュゼもカンザネスも言葉を失う。
「あなたが、僕を最初に見つけた時に、お願いしても殺してくれなかったから考えてしまったことですよ。……ミュゼさん」
蠢く蔦が、二人を捕捉した。
「みんな、だいっきらいです」




