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雷雨続く十番街で、黒の外套を纏った男達が蠢いていた。
裏門付近では何やら寄り合ってこそこそと話している。背格好はそれぞれ違うが、その集団が何かしらの意図の元に集まった者だというのは一目で判別できた。
男達は荷台を引いていた。子供なら一人二人転がしていても余裕がありそうな大きさの木枠に底を取り付けたような簡素なもので、中には藁が敷いてある。上に被せる目隠し用の布も用意してあり、それが荷台の半分を覆っていた。
「準備は出来たか」
「へえ」
頭まで被っている外套の隙間から見える男達の人相は、一般的に見ても『悪い』部類だ。
男達が最終確認をしあっている時に、音を立てて裏門が開く。
勢いよく振り返った男達は、施設内から出てきた姿に警戒を強める。
「……あら?」
現れたのは、雨具の上からでも分かる程に華奢な体の女だった。男達の姿を認めて、ふと口許に笑みを浮かべる。
「どうされました? なにか御用事でしょうか」
雨のせいで声が聞きとりにくいと思っているのか、女は声を張っている。
どう見ても堅気の者では無い男達の集まりに、その女は無防備とも思える笑顔で雨具の頭部分を外した。
見せた顔は美人だ。薄い金の長い髪を一つに結わえた、翠色の瞳を持つその女の華やかさを例えるなら白薔薇のよう。濃い化粧をしている訳でもないのに目を引く美しさに、男達が下卑た笑みを浮かべた。幸いにも、裏門は開いたままだ。この女さえ丸め込んでしまえば、施設内への侵入は容易だ。
「ああ、まるで神の助けだ! この悪天候で立ち往生してしまいまして。すみませんが雨宿りさせていただけないかと思っていた所です」
そんな考えを抱いて気持ち悪い愛想笑いを浮かべた男に、女は笑顔で返す。
「雨宿り、ですか。そうですね、この雨では何処へも行けませんものね。……この十番街には、どのような御用事でいらっしゃったのですか?」
「この先にある、士官学校への納品です。急ぎで必要になったものがあるという話だったので」
「そうなんですね! あちらの学校とのお取引があるというと、もしかして『J'A DORE』の方ですか?」
女は笑顔で店名らしき名前を出す。男達に下された指示は『士官学校に用品の使いで行って帰れなくなった店員の振りをしろ』だったので、男達は返答に困った。
しかし、その男達の中の一人が女の美貌に興奮した様子でそれを肯定する。その女の口から出た店名が、どんな意味を持つかも知らず。
「うちの店をご存じなんですか!? 光栄だなぁ!!」
「それはもう。私も利用させていただいていますから。あの裏通りにある『J'A DORE』ですよね?」
「そうです! いやあ、こんな美人さんが来店されるって知ってたら是非お近づきになってたところですよ」
下心丸出しの接近だった。男は女に握手をせがむように手を出す。
勿論、男としてはそれで終わろうという気は無かった。油断したこの女をそのまま引きずり倒してしまおうという魂胆だ。幸い今は雷雨、助けを呼んでも誰も来るまい。
女―――ミュゼは、その手の意図に恥じらうように更に唇に弧を描かせる。そして、まるで握手を了承したかのようにそっと腕を伸ばした。
「そうですか? 私は絶対嫌ですけれど」
差し伸ばされた手がミュゼの手を掴むよりも早く、逆に手首を掴んで捻り上げ地に引き倒したのはミュゼの方だ。地に降り注いだ雨が、男が倒れ込んだ衝撃で跳ね返る。華奢な腕に見合わぬ力と関節技で引き倒された男は、何が起きているか分からずに目を白黒させながら痛みに呻いた。
「『J'A DORE』は十番街と商売上縁も所縁も無ぇ五番街の酒場だ。機会があったらどうぞ御贔屓に」
引き倒した男の喉仏を爪先で蹴り飛ばし、「まずは一人目」と呟いたミュゼ。衝撃と痛みで動かなくなった男をそのままに、残る男達に視線を向けた。
男達はたじろいでいる。王城がすぐ側にあるこの孤児院で、女の戦闘員がいるなんて思っていなかった顔だ。それも、ミュゼほどの美貌を持ち合わせた女が。
「これでお前ら全員学校の方とも無縁だってのが分かったな。まぁ、こんな雨の日にココの裏門陣取ってる時点で知ってたが。ノータリン達に、この孤児院の子供達がどうこうされるってのも気に入らんなぁ」
油断を誘うための淑女の振りを止めたミュゼは、美貌も相俟って凄みを持たせた顔になる。全員を睨みつけながら、邪魔な雨具を脱ぎ去った。
脱いだ先にあるのは聖職服だ。しかしそれは普通のシスターのそれとは違っている。重苦しい暗色の色は同じだが、裾を膝丈まで不揃いに切り捨てていた。
「おいで。遊んでやるよ」
軽く出した手の指で、わざと挑発的に誘う動きをしてみせる。
「このアマ……! 後悔すんなよ!!」
ミュゼの読み通り、頭に血が上った男達の脳は雨くらいでは冷えないらしい。地に薄く広がる水溜まりを跳ねさせながら、男達が苛立ちのままに走り寄ってきた。
「ああ、そうそう。相手すんのは私じゃねぇから」
その言葉も、男達に届いているかは分からない。空から落ちる雷光がミュゼを照らしたかと思うと、次の瞬間には二人の男がミュゼの前に躍り出ていた。
「な――!!?」
二人の男――アクエリアとジナード――は、それぞれ違った目標に狙いを定めた。事前に打ち合わせでもしたかのように、二手に分かれて一人ずつ片付けていく。
ジナードが手にしていたのはメイスと呼ばれる殴打武器だ。下から斜めに振り上げ腹に命中させた時、雷雨の中でも分かる程に骨が砕ける音が聞こえる。命中した男の体が軽く浮き上がり、地に倒れた時には身動きも出来なくなって地を舐めている。
アクエリアが手にしているのは護身用として施設に備えてあった長棒だ。メイスより打撃力は無いが、軽くて扱いやすい。槍を思わせる動きで、一番最初に狙った男の腹部を突きで仕留めた。よろめいたその体に、上から斜めに振り下ろす。
二人は、一人ずつ仕留めただけでは止まらない。先に倒した男達が地に崩れる前に、次の標的を決めていた。害意に返すのは害意とばかりに、更にもう一人ずつ地に下す。今この場に立っている敵性勢力は、あと一人。
「やるね」
「貴方こそ」
ジナードとアクエリアは、短い言葉で互いの戦績を褒めたようだった。互いに得物を振って、残り一人を倒すために気合を入れ直す。残った男は、ひ、と小さな悲鳴を漏らすが雨音に消し去られて表門にいるであろう他の仲間には届かない。
捕らえて他の者の情報を聞き出すか、それとももう倒してしまおうか。ジナードの判断はすぐだったが、男の行動の方が早かった。自分の服の中に、急ぐ様子で手を入れたのだ。
反応はジナードの方が先だった。アクエリアが身構えた時には彼は既に駆け出している。横薙ぎに振り抜いたメイスが男を捉えた時、男の手に握られていた何かが宙に飛び出した。
「『契約行使』!」
男の口から出たのは、痛みを訴える叫びではなく。
その単語が口から飛び出した瞬間に、その何かが雷光とは違う赤色の輝きを放った。その光は目を潰すかと思う程の光で、雷光にも負けていない。
咄嗟に目を閉じた全員。その間に、男が地面に倒れる音がした。
「……今のは」
アクエリアが問う。幸いにも直ぐに視界は元通りになるが、先程の光に何の意味があったかが分からない。光を発していたと思われるものが地面に転がっている。光と同じ色をした小さな宝石のようだった。
それを見たミュゼは即座に、嫌な予感が体を駆け抜けたのを感じた。似たような状況に覚えがあったからだ。
「伝達だ!」
雨音に掻き消えないよう、ミュゼが叫んだ。
あの光は表門からも見えた筈だ。ヴァリンが以前、ミュゼとアルカネットに使ったものと同じ。現在状況を知らせる為の光だ。これは撤退の合図か、それとも――。
「伝達……。まずい、裏門の状況が知られてしまった」
ジナードの呟きと同時、少し離れた場所から爆発音が聞こえた。地面が揺れたかと思う程の音が三人の耳に届く。
「先に行く」
音を聞けば言うが早いかジナードは施設敷地内に駆けて行った。それを追うようにミュゼが走る。
場所は考えなくても、表門の方だと分かる。急がないと、カンザネス一人では悪漢達の人数に押し負けてしまう。
二人が走って駆け付けようとしているのに、アクエリアはその場から動かない。
「……ゴロツキ如きが」
低い声は、雨音に掻き消されて誰にも聞こえない。
この場で息のある招かれざる客は、苦痛を口から漏らしながら地を這っていた。
「小賢しい真似をしてくれましたね。……俺は不愉快です。気に入らない。貴様等のような、劣等種族の中でも下等な者に手こずらされるなんて、俺の趣味じゃない。視界から消えて欲しい……と言っても、もう動けもしないんでしょう?」
虫のように這いずるしか出来ないなら、強者に踏み潰されたって仕方ない。
アクエリアは口元に笑みを浮かべた。自身が強者であると確信している嗜虐の笑みだ。
「俺はね、俺の仲間内で一番話が通じる性格である自信があるんですよ。荒事が得意な彼らは二言目にはやれ『殺す』『死んでもらう』。全く、野蛮だと思いませんか? 思いますよね? そんな中で交渉担当なのは俺なんです、そりゃあ性格も捻じ曲がるってものですよ。ねぇ?」
誰も悠長に聞いている余裕などないというのに、一人で語るアクエリアの姿は異常だった。
弧を描いた唇が、言葉の形に開かれては閉じる。笑みは剥がれない。
「だから、俺は折角ですし貴方がたの気持ちを代弁して差し上げましょう。ねぇ、今苦しいでしょう? 苦しいですよね? そうでしょうね、俺達がそうなるようにしたんですから。楽になりたいでしょう。痛みから解放されたいでしょう? だから――『楽』にして差し上げます」
空から雷は落ちていない。なのに、アクエリアの周囲を稲妻が走る。弾けるように、爆ぜるように、散り乱れる光の線が幾筋も辺りに漂っていた。
凄絶な笑みを浮かべたアクエリアは、男達が畏怖するような視線を投げかけているのに態度を変えなかった。勿論、何かを言われても聞く耳など持っていない。
「さようなら、ごきげんよう。生まれ変わってももう来ないでくださいね」
それが、男達が聞いた最期の声だった。