73
雨雲の向こうで日が沈んだ頃、フュンフが孤児院に戻ってきた。それまでの執務で疲れているだろうにも関わらず、スカイの話だと言えばすぐに施設の一室を開けてくれた。
中には長机と椅子が用意されていて、十人そこいらでの会議を想定されているようなこの部屋だが、四人しか座らない状況では少しばかり広いように感じた。
それぞれが均等に幅を取って、向かい合って座る。入って右側の列にフュンフ、左側にアクエリアが座った。スカイはそれを見て躊躇っていたが、少しだけ考えた後にアクエリアの方に座る。
となるとミュゼはフュンフの側に座るしかない。案の定フュンフは冷たい隻眼の視線で迎えるだけだが、今ミュゼがすべきことはその視線に応戦する事では無かった。
「ウバライ・ゴーン。自警団でも手配書が回っている奴隷商。昨日までの大捕り物でやっと顔が割れたってくらいには用心深い男だよ。年齢は五十そこそこ、髪が白と茶色のまばら、顔は傷が目立っていかつかったな。これが新しい手配書になる」
ミュゼが懐から出したのは、人相画付きの手配書だった。一枚しかないそれを、全員が見られるように机の中心に置く。
そこにあった顔は確かにミュゼが言った通りの顔だ。日の光を浴びて暮らしていけるような顔をしていない。人を外見で判断してはいけないと言うが、そんな注釈が無ければ『判断される』側の顔をしていたから。
「自警団が拠点突き止めて、押し入って捕り物になったまでは良かった。でもそれで逃げ出したのが七人いるってんで私が駆り出された。結果として、私が『どうこう出来た』のは五人が限界だったな。……ヴァリンもヴァリンだ、私に仕事持って来るのはいいけれど、捕縛対応人数の融通も利かせて欲しかったところだけどな?」
「ヴァリン、……そう簡単に君は呼ぶが、言っておこう。あの方は」
ミュゼが気安く名を呼んだ姿にフュンフが顔を顰める。薄桃色の唇からぽんぽんと出てきた名前は、騎士であるフュンフにとって意味のある名前だったから。
ただその前置きから続く言葉も、ある程度予想できているのでミュゼが遮った。口調はわざとらしい丁寧さを帯びている。
「存じていますよ、立場くらい。立場もあるから一存で隊を動かせないとかって大変ですねぇーって話までしております」
「………知っているのなら、あまりその名の持ち主を軽んじないで欲しいものだが」
ヴァリン、とギルドの面々に呼ばせている副マスターはこのアルセン国の第一王子だ。
王子とはいえ汚れ仕事に手を出し、且つ素行不良なのでミュゼにもアクエリアにも、王子として敬う感情は一切ない。向こうも向こうで素性を黙っているので、普通にしていればただの仕事仲間の一人だ。
フュンフとミュゼがやり取りしている間に、アクエリアがスカイへと視線を向けた。スカイの表情は強張っていて、居心地悪そうに身じろいでいる。話し合いに参加すると言ったまではいいが、今話されている内容は彼の手に余るもので。
「自警団は今各街を巡回してる。だが……二番街。あそこは駄目だな、協力的とは正反対の状況だ。もし奴らが新手を引き入れて悪さ考えてるってんなら、多分二番街を新しい拠点にしてると思う。あそこで積極的に治安乱してたような奴らも、今あんまり姿見せないそうだ。どこかで集まってる可能性がある」
「そうだろうな。しかし、今更奴らが戦力を削がれてまでスカイを奪還しようなどとは思わないと考えるが。君達も知っている通り、この辺りで騒ぎを起こせば直ぐに騎士が駆け付ける。そう簡単に奪還できると思う者はいまいて」
「まぁ、これまでの私でしたらそう思ったかもしれませんね。勿論、不躾で良い気分のしない見張りとか騎士とかの姿は私も見てますから、それに関しては異論はありませんが」
フュンフの余裕は十番街の治安を知っていての言葉。騎士や士官が警備を勤め、道を通る者は皆その視線が絡みつく。フュンフも騎士隊長として身を捧げて来たからこそ、そう思うのが普通で。
ミュゼはその余裕を分かっていて、首を捻りながら言葉を紡ぎあげる。その余裕を見せている首に目掛け、締め上げるように。
「……以前、貴族子女誘拐事件とやらがあったのって、十番街でしたよね?」
その言葉一つで、それまで義務として話し合いに参加していたフュンフの表情が強張った。
「細かくは聞いていませんが、士官学校に通ってた貴族の坊ちゃんの所に行こうとしてた妹さんが取っ捕まったんだとか」
「……未遂だ」
「ですが危ない所だったんでしょう? 未遂だろうが既遂だろうがなんだろうが、そのお嬢さんの心には傷として残ってるでしょうね。危機感のないお嬢さんだったという話で片付けられたそうですが―――それ、件のウバライが起こした事件だったそうで」
下調べしてきたミュゼの調査結果に齟齬は無いらしい。フュンフの沈黙を以て、それが正解だと全員に伝わる。
フュンフは極端に言葉が少なくなった。
「国王陛下の膝元で起こった事件は、城下に触れ回られることもなく緘口令が敷かれたと。あぁら不思議。緘口令を敷きながらの子女奪還とは、さぞ手こずりあそばしたでしょうね? ……騎士が表立って動けない不利は、犯人側の有利になる。さて、そんな弱点を知った犯人たちが再びを考えないとは限らないと思いませんか」
「……君は、何を何処まで知っている?」
「誘拐事件に関わった事もありますもので、ほんの多少。なに、私が所属している組織は王家管轄だそうなので少し尋ねれば教えて下さりましたよ」
「……、口の軽い事だ」
ミュゼは情報に関しては用意周到だった。スカイの為に、彼を守れる材料になるなら施設長だって利用する。それで少しでもスカイへの防衛体制を整えて貰えるならそれでいい。
確かに施設が位置する十番街の警備は万全だろう。しかし、万が一敵に入り込まれた時が命取りだ。
この施設は孤児院だ。人質として利用しやすい子供達が大勢いるのだから。
「スカイ君が早く王家の保護下に入っていたなら、こんな悩みなんて要らなかったんでしょうけど」
それまで黙っていたアクエリアが、腕と足を組んで吐き捨てる。手続きを通すとは聞いていたが、ここまで日数を要するなどとは思っていなかったという顔だ。
その表情に、スカイが縮こまる。不安を前面に押し出した顔で、話の成り行きを聞いているだけ。
「仕方ないだろう、王妃殿下も、……国王陛下も、政務で忙しい。どの部門にも、どうしても皺寄せが来てしまう。それでスカイの件だけ早めろと言うのは、些か叶わぬ駄々という訳だ」
「城下があまり芳しくない状態になっているというのに、王家の方々はよく平気ですね。本来ならば奴隷商を相手取る仕事というのは、あのギルドの管轄ではなく騎士が出動すべき問題なのでは?」
「それが叶わぬからそちらに振られた仕事だよ。少しは頭を働かせてはどうかね」
男二人は睨み合いながら、実の無い話に入ってしまった。ミュゼは面倒臭いと思っている顔を隠そうともせず、椅子の背凭れに背中を預けて頭を掻く。
「男ども、ここにはそのスカイ君がいるんだけど。きったねぇ言い争いするなら後にしてくんない?」
頭に血が上りつつある二人の会話に水を差せるのも、今はミュゼだけ。きったねぇ、とばっさり切り捨てられた男二人が言葉を詰まらせる。
話の内容が自分の事だと分かっているから、口を挟む勇気の無いスカイは肩を窄めて俯いたままだ。
「私は別に、スカイの身の安全が保障されるなら何だっていいよ。ここでキレるべきは互いにとかじゃなくて逃げた奴隷商にだろ? そういう所で余計な体力使わないで欲しいなぁ」
「そうは言いますが、今釘を刺しておかなければ事態は好転しませんよ。この男は仮にも騎士隊長なのです、部下を使わせてでも警備を厚くしなければ」
「あれー? 不思議だなぁ。騎士様の力を借りなきゃこの施設を守り切れないってのかいアクエリアさんってば。ウバライが捕まるかスカイの保護が決定するかのどっちか叶うまでの短い期間だってのに」
わざとらしく身振りまで付けて、ミュゼがアクエリアを煽った。驚いたように大きく目を見開いたその顔も、演技派というには程遠いものだが馬鹿にする意思さえ伝わればそれでいい。
「騎士に余力があるってんなら私だって出して欲しいよ。でも、無理って言われてるじゃん。それが嘘にしろ本当にしろ、立場のある人間の言葉は簡単にひっくり返ったりはしないって知ってるだろ。無駄に時間を使うくらいなら、アクエリアはスカイの勉強でも見てやんなよ」
そのミュゼの言葉で、方針が決定したようなものだ。
騎士の協力は望めない。何かあればミュゼとアクエリアが応戦するしかない。
期間はウバライが捕縛、或いはそれ以上の事をされるまで。もしくはスカイが王家の庇護下に入るまで。
アクエリアは尚も不満を隠し切れない表情でミュゼを見たが、黙ったまま席を立つ。スカイに起立を促して、先に彼を部屋の外に出させた。
部屋を去り際のアクエリアは、言葉をひとつ残していった。
「……俺を顎で使ったら高くつきますよ。後から請求しますから」
「おーよ、しろしろ。ご期待に添えるかは全くもって不明だけどな」
ミュゼにとっては、その言葉は投げやりに返しただけのものだった。他意はない、ただの軽口。
しかしアクエリアとフュンフが同時に押し黙る。ほんの僅かな間が出来て、言った側のミュゼが不気味な沈黙に動揺する。
「……え、な、なに。何だよこの間はよ」
「……」
ミュゼが聞いて、やっとアクエリアが動いた。部屋を出るために開いた扉の向こうに姿を消して、それから扉は小さな音を立てて閉まる。
フュンフも、アクエリアが居なくなってから席を立った。
「今の言葉、本当に『あの方』の身内なのだなと思い知らされるよ」
「……もしかして、そんなに似てました?」
「似ていた。勿論声は違うが……『花』隊長の姿を一瞬幻視したほどに」
ミュゼを通して、二人ともかつての『花』隊長の姿を見た。二人の動揺は自分の言葉のせいだったかと知ると、ミュゼは自分の唇を指で撫でる。
似通っているとされる容姿は、彼女を知る人物との交渉に役立ってくれた。けれど、交渉が終われば厄介なものでもある。彼らの瞳に映る女が自分ではない気がしてしまうのだ。
「そんだけアイツが、誰かにとって意味のある存在っていうのを知れるのは嬉しいんですがね」
「君自身は不快か?」
「そうですね。アクエリアもフュンフも、まるでアイツに恋をしているみたい」
時間が経っても色褪せない、一人の女性の記憶。
僅かな嫉妬が胸をちり、と焦がす。アクエリアの視界に映っているのは自分の筈が、自分を通して誰かを見ているという現状。
胸を苛む痛みにミュゼが耐えていると、フュンフはやや大袈裟に溜息を吐いた。
「あのような乱暴で粗放で教養の無い者には恋などしない」
「それ言うと、ディル様が乱暴で粗放で教養の無い女を妻にしたって事になりますね。それで私がそんな女に似てるって結構な侮辱じゃないですか?」
「あの方には違うように見えていたのだろう。……侮辱する心算で言ったのではない、誤解するな」
わざと言った嫌味にフュンフが律義に答えると、ミュゼはミュゼで「あら謝って欲しかった訳ではありませんわおほほほ」と返す。
ミュゼが席から立ち上がり、廊下に出ると部屋の施錠をするのはフュンフの仕事だ。それから二人は何も言葉を交わさずに、それぞれ別方向に歩いて行った。