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 翌日のアクエリアの行動は、ミュゼの不在により自然とスカイと行動を共にすることに決まる。

 風呂には入れても着替えが無い。それは施設の職員が融通を利かせてくれ、昨日とは違う替えの新品の聖職服と寝間着を用意してくれた。肌馴染みが悪い聖職服だが、孤児院に居る子供達は職員の一人だと早々に認識してくれた為施設内での行動がしやすくなった。

 アクエリアは子供が嫌いではない。だが今まで関わる事がなかった生き物だ、自分に子供がいれば或いは、と思ったが生憎その経験も予定も無い。周囲で子を持った仲間はいないし、大変だと聞く子育てを担ったことが無い。

 だから、孤児院での日中の流れを体験して日が沈むころにはげっそりとやつれたアクエリアがいた。


「……なんですかここは。罪人に対する強制労働所ですか………」


 孤児院の朝は日の出の時間程で鐘が鳴る。それを合図にスカイも起きたが、普段早起きをするような生活をしていないアクエリアは寝台の魔力に取りつかれて動くのに時間を要した。

 顔を洗って着替えて、それからは食事の時間。もたもたしていたら席が埋まってしまう。孤児用の低い机はもとより、数少ない職員用の机さえも埋まっていたのでアクエリアは立ったまま朝食を摂った。

 それから休憩を僅かに挟み、子供達は座学の時間へと移る。振り分けられた教室で、体の大きさに見合わない机に座って文字を書く練習をしているスカイを見守るのがアクエリアの仕事だ。

 推定年齢十四歳というのに、文字は書けない読めない。簡単な算数程度しか出来ない彼がこの先生きて行くのは大変な事で。最低限の生活に必要な知識を教えてくれる孤児院の教育が、アクエリアは有難く思えた。自分では教えられそうにないし、教える気もなかったから。


 けれどそれだけじゃない。

 合間合間の休憩時間に入るや否や、群がる子供・子供・子供。

 特にスカイが割り振られた教室は、まだ文字を書けない程度の幼子達と同じ所だったのが災いした。たった数分しかない休憩時間だというのに、子供達は我先にとアクエリアに群がって廊下へ押し出した。

 雨が続いているので外には出られない。だが室内だというのに走る、跳ねる、はしゃぐ。なし崩しに遊び相手にされたアクエリアはもみくちゃにされ、授業開始の鐘が鳴るまで遊具のひとつのように扱われる。アクエリアの仕事は『交渉』『潜入』『情報提供』を主とするので、幼児ごときに根を上げて堪るかと意地を張ったのが運の尽き。

 遠目で教員役のシスター数人が「あらあらまぁまぁ」とアクエリアの奮闘を見守り、見てないで助けろと視線を送るがそれも叶わず。

 

 やっとスカイと部屋に戻った頃には、普段使わない筋肉が悲鳴をあげていた。

 風呂に入る体力も惜しんで寝台へとうつ伏せに倒れたアクエリアは、外から届く雨音を聞きながら目を閉じた。

 眠い訳ではない。しかし体は疲労を訴えている。まだ一日は終わった訳では無いというのに、動きたくない気持ちで頭が一杯だ。


「……スカイ君。貴方は先に風呂に入ってなさい」


 ひとまずスカイに指示を出す。大人として格好悪い所を見られているが、そんなこともう気にしていられないくらい疲れている。

 スカイは躊躇ったようにその場で足踏みしていたが、やがてなるべく音を立てないよう、部屋を出て行く。

 一人きりになって、やっと自由時間を得られたアクエリア。体勢を変えて、天井を見るように反転した。口から出るのは、疲労感を逃がすための溜息ばかり。


「……疲れた……」


 最後に残った矜持として、スカイの前ではその一言を漏らせずにいた。自分の呻きを漏らす為だけにスカイを風呂に追い払ったのは流石に大人げなかったな、と今更後悔する。

 このまま寝られるのならそうしたいが、アクエリアの視線は未だ天井に向かったままだ。

 日中、ミュゼは帰って来なかった。アクエリアの頼みの綱だというのに、何処で油を売っているというのか。自然脳裏にあの似非シスターの姿が浮かんで消える。助けを求めたくなるくらいには、彼女の仕事の腕を信頼していた。

 今頃どんな非情な仕事に巻き込まれているのやら。

 アクエリアの視線は変わらず天井に向かっていたが、やがて瞼が静かに落ち始める。

 窓の外の景色は、曇天ではあるがまだ明るかった。




 気づかぬうちに眠っていた、と思った。

 起きたアクエリアは、室内が夜の暗さが蔓延り灯りも付いていない状況に違和感を覚える。

 体の調子は寝る前より少しは楽だ。思考は霞がかっているが、強く目を閉じる事で違和感の正体を突き止めようとする。

 ここは孤児院。

 授業が全部終わってから、部屋に戻ってきて。それから―――。


「スカイ君?」


 同室の者を呼んだ。

 彼はアクエリアの指示で風呂に向かった筈だが、まだ部屋に帰ってきてはいないらしい。廊下側から聞こえる声も殆ど無く、近くにあったカンテラに火を点して立ち上がる。

 扉の向こうの廊下に出ると、壁掛けの蝋燭は殆どが消えていた。就寝の合図だと気づいたアクエリアの顔から血の気が引く。

 こんな時間になっても戻ってこないのは異常だった。この孤児院への襲撃があったなら騒ぎで気付いただろうが、そうではない何かが起こっている気がして足が自然と廊下を進む。他の子供達の部屋の前を通っても、中でまだ起きているような声も音も聞こえない。

 雨音はまだ途切れない。


「スカイ君」


 小声で名を呼んでも、返事が返る訳も無い。


「スカイ君」


 足は勝手に、浴場へと向かっていた。

 浴場は脱衣所に間仕切りがあって、その脱衣所も床も下足を脱ぐ段差までは廊下と扉も無しに続いている。脱衣所の灯りも消えていたが、念のためと思いその中に入った。

 手に持つ灯りを翳し、脱衣所の衣服入れをひとつずつ見て行った。細かく区切られた衣服入れのひとつ、注意深く見ないと分からない程奥に押し込めるように置かれた灰色の服を見て、アクエリアがカンテラを置いて浴室に駆け出す。


「スカイ君!!」


 浴室は静かで、湯が張られた浴槽がある筈のその中は冷え切っていた。朧げに光るのは、水際だから蝋燭が使えない為置かれている魔力を込めた半貴石。

 湯気さえ立っていない浴槽の中で、縁に体を預けてぐったりとしていたのはスカイだった。


「スカイ!!」


 アクエリアが名を呼んだ。僅かな灯りが浮かび上がらせる浴槽の中の色は、薄い赤。

 スカイの傷口が開いている。ここ数日のものではない、少し時間が経った傷だ。未だにスカイの肌からじわりと滲み出続けている赤が、水になってしまった湯の中に広がる。

 アクエリアは腕を捲る事さえしないまま、急いでスカイを抱き上げた。水温と同じほどに冷え切った体だが、スカイは呻きながらもアクエリアを見る。


「……っ、あ」


 虚ろな瞳は、その僅かな声の直後瞼によって閉じられた。




「……君のせいではない」


 夜番の職員の力を借りて、スカイは再び医務室で治療を受ける事になった。アクエリアは中に用意された椅子に座り、頭を抱えている。

 治療が終わった後も医務室から出ずにいたら、報告を受けたらしいフュンフが入室の合図も無しに中に入ってきた。顔色の悪いスカイを見て、それからアクエリアに慰めにもならない声を掛ける。

 フュンフに残された左目からの視線が、頼りなく背を曲げた偽エルフの頭部に注がれて。


「スカイは、これまで奴隷だった。入浴なんてものは滅多にさせられなかったと聞いている。だから、スカイが入浴する際はこれまで職員が同伴していた。入浴法もろくに分からない、いつ湯船から出ればいいのか知らないのだと我々は知っていたから」

「そんなの、俺、聞いてませんよ」

「伝えるのをこちらも失念していた。しかし、これまでは一人で入ろうともしなかったのだ。私は何かあの子の心境を変える何かが起きたように感じたがね」


 言われてアクエリアが押し黙る。

 スカイは、アクエリアが風呂に入れと言った言葉をどう受け取ったろう。彼は今まで奴隷としての生き方しかしらなかったのだ、もしかするとあの言葉も命令と受け取られたのではないだろうか。


「……心境、ですか。そんなものよりも、もっとスカイ君の心を抉るようなものかも知れません」

「ほう。と、いうと?」

「先に風呂に入れ、と。……疲れていたから、言ってしまいました。俺はそのまま眠ってしまって、気付いて探しに行ったら、この状態に」

「ふん、力み過ぎだ。子の相手に全力で挑むからそうなる」

「俺は、スカイ君に命令したんでしょうか。風呂に入れと言ったから、入り続けたんでしょうか。風呂から出ろと言わないと、スカイ君は出られないんですか。自分でどうすればいいか考えられないんですか。付きっきりで見てやらなければ、死んでしまうような脆弱な生き物なんですか」


 アクエリアの心を占めたのは、屈辱にも似た後悔だった。

 偉そうに振舞っておきながら依頼で任された子供一人の世話さえ出来ない男だと、スカイの状況が語っている。浴室で見たスカイの血は、アクエリアが油断していた時間の分だけ流れていた。

 他種族、それもプロフェス・ヒュムネの子の命がどうなろうと知った事ではない。それは、最初からアクエリアの脳裏にあった言葉だ。でも。


「冗談じゃない。そんな弱い生き物の扱いなんて、俺は知りませんよ。目を離せば死んでしまうなど、悪い冗談にも程があるでしょう」


 スカイの死の原因が、アクエリアの意思の外で起きた事故なら話が変わる。

 守るべきものを守れなかった者として、アクエリアの信頼に消えない瑕を残すのだ。

 信頼だけではない。自分が出した指示と、気の緩みから起きた悲劇で失われた命がある事に、アクエリアの心にも、僅かなものだとしても傷が残る。

 そんな事を一切予想していなかったと言いたそうなアクエリアに眉を顰めたフュンフが、鼻で笑うように語り掛ける。


「自惚れないで欲しいものだ」


 アクエリアはフュンフを嫌っていた。その逆も然りだ。


「貴様は長命種かも知れん。だが、貴様ほどに『成長が見られない者』は知らん。弱い生き物であるだろうスカイは時を経る事に成長し、いつか貴様を追い抜くぞ」

「成長……? それが何だと言うのです。混じりの彼が、成長したら俺を殺せるとでも?」

「生きるか死ぬかでしか物事を考えられぬ不浄の貴様に弱者扱いされるのも、スカイが不憫ではあるな。スカイだけではない、この施設で暮らす者は皆そうだ」

「……どういう意味ですか」


 不浄、との言葉を聞いてアクエリアの眉が吊り上がる。

 何を以てアクエリアを不浄と言うのか、その考えが読めなかった。フュンフに見せているアクエリアの姿は、いつもエルフとしての姿だったから。

 ダークエルフとしての正体がバレているとは思っていない。けれど相手は騎士隊『月』隊長にして城仕えの神官全ての上に立つ男だった。何処かで勘付いていてもおかしくはない。

 けれどフュンフはアクエリアの言葉を無視するかのように、嘲笑を以て言葉を送る。


「殺すことでしか勝てない貴様には縁遠い話だよ」


 それを言うなり、フュンフは悠然と医務室を出て行った。

 眠り続けるスカイを置いて行く訳に行かないから、アクエリアはその横っ面に拳を叩きこむことを諦める。

 初めて会った時から、フュンフの事は嫌いだ。今でも、物知り顔で偉そうに振舞うのなんて気に食わない。一番嫌いな理由は、他にあるけれど。


 その一番の理由である『彼女』の死が、ミュゼの言った言葉により不確定な事象となって。

 もし、本当に『彼女』が生きて自分を見たら―――どう思うだろう。

 過去に居なくなった恋人も、今の自分を見たら。

 最早自堕落に生きているだけのアクエリアに、顔向けできる自分であるのか。


 僅かに痛んだ頭を振り、未だ目を覚まさないスカイを見守る事に決めた。



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