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 食事は特に何の問題がある訳でもなく、空腹を満たせばそれで終わる。

 歯を磨いて、寝る支度を済ませた二人は今、部屋のなかに居る。


 スカイは特殊な事情として個室を割り当てられている。万が一暴走しても他の子供に危害を加えないようにだ。

 その個室は狭く、もうひとつ寝台を運び込めば身動きが取りにくいほどの空間しかない。しかし酒場から来ているのは二人だ。もう一人誰かが眠る場所を確保することが出来ず、ミュゼは「女の私が同室になる訳にはいかんだろ」と早々に別室を用意して貰っていた。

 アクエリアはミュゼの逃走に苛立った。頼み込まれて道案内した孤児院で新たな仕事を言い使わされ、その上その仕事を言い出した張本人が別室で眠るという。こっちはやりたくてやってる仕事じゃないんだぞ、と不満を隠し切れない。

 苛立ちのまま寝台に腰掛けたアクエリア。スカイは寝台の壁際に寄り、その一挙一動に怯えを見せていた。


「……取って食う訳では無いですよ」


 そうはいってもアクエリアの行動はスカイを怯えさせるのに充分だ。普段は無理して取り繕っている人畜無害(自称)の仮面を外している。口調もどこか刺々しい。


「積極的に害を成そうとするのは止めます。けれど、貴方が怯えるとこちらだって不愉快になるんですよ。そこまで俺は信用できませんかね」

「ちっ、違います! 違います!! すみません、ごめんなさい!!」


 少しの揺さぶりをかけただけで、スカイは必死になって否定と謝罪を繰り返す。これが悪人の命乞いだったらアクエリアにとって多少の暇潰しになるのだろうが、年相応どころか幼児がするような遊びも知らなかった元奴隷の少年の口から出されているものなら話は違った。

 謝罪さえもが耳障りだと突き放すことも出来るけれど。


「謝罪はいいので早く寝てください。明日に疲れなんて残すんじゃありませんよ」

「はい……」


 最後まで冷たい口調で、その日のやり取りは終了する。寝付けなさそうにしていたスカイも、背中を壁に預けて小さく丸まると暫くして寝息が聞こえ出した。

 アクエリアはまだ寝台に腰掛けたままだ。外の雨の音はまだ続いている。地を潤す恵みの雨、と言いたいところだがアクエリアにとっては憂鬱を招く音だ。護衛という仕事を押し付けられては、この雨の中を酒場に戻る事も躊躇われた。


「……『アイツが聞いても失望する』か」


 静かになった室内で、部屋の中を照らす蝋燭の火を指先の僅かな動きだけで消す。触れた訳では無いが、精霊へ指令を送り微弱な風を起こしたのだ。真っ暗になった室内で、さて横になるかと寝台に足を上げた時。


「アクエリア」


 扉の向こうから、ミュゼの声がした。


「アクエリア、起きてるか」


 声は小さい。しかし、種族のせいか耳がいいアクエリアには聞き取るのに苦労はしない声量だ。


「寝てます」

「そうかい寝てるのに返事してくれるなんて律義な奴だな。……急ぎの用らしくてな。私、今から酒場に戻らなきゃなんなくなった」

「……は?」

「ヴァリン経由で仕事の話だ。いつものアレだから、私が適任って話になったらしい」


 ミュゼの言う『いつものアレ』とは対象の生死問わずの依頼の話だ。気分の良くなる話ではないので、それには触れずに扉を隔て話を続ける。


「俺にこんな所の仕事を押し付けて一人逃げようだなんて虫のいい話じゃ無いですか」

「ごめんって。今度埋め合わせするから。ハンバーグあげる」

「それを止めろと言ってるんですよ」


 いつもとさして変わらない、良く言って自由なミュゼに、不快にはならずとも頭が痛くなってくる。


「早くに戻ってこれるんでしょうね。ずっと俺一人でここに居るなんて嫌ですよ」

「大丈夫大丈夫。すぐ終われるようにするから」


 ちょっと近所に買い物に行こうかというような気楽さで、ミュゼが扉から離れた。可能な限り足音を殺して廊下を進むミュゼの気配が遠ざかる。

 彼女が酒場に身を寄せ、ギルドの一員となり、その手が血に染まるのをアクエリアは遠くから見ていた。彼女はアクエリアに弱音を吐く事は無かったが、時折見せる悲痛な顔は記憶に新しい。

 何の為に、ミュゼはギルドで働くのか。

 『彼女』の生死に、何故あれほど固執するのか。

 ミュゼ自身から聞かされていない謎の答えを探る思考を中断させたアクエリアは、寝台に横になって目を閉じた。




 アクエリアは夢を見た。

 夢の中で、自分が経験した過去を見た。


 親元を離れて各地を転々としていた昔の話。

 倫理観も貞操観念も生活も、底辺の生活をしているゴロツキとさして変わらなかった頃の話だ。

 同種以外は価値が低いと思っていた。長く生きられもしないのに栄華を誇る国家や酒色に耽溺する権力者。体ばかり頑強で頭が足りない獣人、気位ばかり高くて閉鎖的なエルフ、何をするにも不器用で群れなければ生きて行けないヒューマン。国に属するのも、アクエリアは拒んだ。もとよりダークエルフだ、雇い入れようとする国家など滅多にない。

 ダークエルフは種として個を尊重し孤を好む。大抵の環境であれば適応できる生存能力と、一人でも生きていける力を有しているからだ。ダークエルフが他国で迫害対象になっているのは、食料の調達もままならない程昔に、ダークエルフがあらゆるものを『食べた』からだとされている。それは高い知能を持つどんな生き物でも。

 狡猾で傲慢で残忍で悪食。アクエリアもその自覚はある。それでいいと思いながら生きていた。

 たったひとりに心を奪われるまでは。


 夜を過ごす相手は、後腐れがない美人だったら誰でも良かったし、その次の日をも望むことは一切しなかった。

 たったひとりに出逢ってからは、振り向いてもらえるならそれで良かったし、煙たがられても体が勝手に追いかけていた。そんな相手と初めて過ごす夜は、実年齢に似つかわしくない純情さで労わりながら触れた。

 どうせ長い生なのだから暇つぶしをしながら生きて行こうという自堕落な考えは消えた。

 相手はエルフや長命種の類ではない。定命のヒューマンであるなら、共に過ごせる時間は限られている。アクエリアが今まで無為に過ごして来た時間ほど、愛しい相手は生きられない。今まで誰にも心が動かなかったのは、この女に巡り逢う為なのだと本気で思った。

 この女の為に生きて、例え死に別れても永遠に想い続ける。アクエリアにはその自信があって、だからこそ『それ以外』の可能性を考えて来なかった。


 愛する人が、自分の傍から離れていくまでは。


 仕事を終わらせて帰宅したアクエリアは、前日にあった彼女からの伝言が気になって仕事が手につかなくなっていた。

 最近は結婚を控えて資金を溜めようとしていたお互いの仕事が長引く日が多く、会話も少なくなっていた。けれど彼女はいつも机にアクエリアへ手紙という形で伝言を残してくれていた。

 大切な話があるから、明日時間をください。

 そう綴られた彼女の几帳面な字が伝えた言葉は、アクエリアの帰宅を早めるのに効力を発揮した。帰るのは勿論、二人で暮らす借家だ。

 大切な話とは何だろう、と何度も考えた。

 手紙で伝えられない大事な用件なのだろうか、とも。

 嬉しい話だったらいい。別れ話だったら、聞いてやれない。

 期待と不安で入り混じる胸中を、なんとか宥めながら帰宅したアクエリアを出迎える者はいなかった。

 まだ彼女は帰ってきていないのか。なんとなくそう思ったアクエリアは荷物を下ろしながら、ふと食卓へと視線をやる。

 一通の手紙が置かれていた。


 『ごめんなさい』


 最初に視界に入ってきたのは謝罪だ。


 『私を忘れてください』


 次に視界に入ったのはそんな言葉だ。

 いつもの几帳面な字とは違う走り書きの文字が、切羽詰まった彼女の心を表しているかのようだった。

 一も二も無く、アクエリアは外に向かって走り出していた。


 『探さないで』

 『幸せになって』

 『愛してる』


 自分の全てを捧げようと思っていた相手からの手紙を、アクエリアはその場で全て読むことが出来なかった。


 彼女は全財産をアクエリアに託して、それまで暮らしていた地から旅立った。全財産と言えど、若い女性がそこまで大金を持っている訳でも無かったが。

 けれどそれはアクエリアに醜聞を付き纏わせるのに充分な金額だった。

 『金目当てに彼女に近寄り、金が溜まると追い出した詐欺師』

 『甘い言葉で人を騙して破滅させた黒エルフ』

 『用が無くなれば女を捨てる最悪な男』

 『あれだけ働き者な彼女も、男を見る目は無かったか』

 恋人を失って尚もアクエリアを傷付ける者達は、所かまわず噂をばらまいた。

 愛も信頼も一度に失ったアクエリアは、自分の置かれた状況に絶望した。何より。

 『頼むから、あの子を返してくれんか。あの子に何の恨みがあったんじゃ、余りに酷い仕打ちじゃないか』

 彼女が働いていた小さな食堂の経営者である老夫婦から、悪事の犯人にするような口ぶりで咎められた時が一番辛かった。


 愛してるだなんて、離れていく最後の最後に聞きたくなかった。

 愛しているのなら、最期の時まで離れずに側に居て欲しかった。

 彼女は、アクエリアの傍から離れた後のことまで考えていなかっただろう。

 恋しさと悔しさと悲しみで、アクエリアの心が乱されて。なのに文句の一つでも言いたくても、もう彼女はいない。

 彼女を追おうと決めるまで、時間は掛からなかった。


 荷物を殆ど持たない旅だ。

 彼女から貰った金も、残された荷物も、丸ごと知人に託して国を出た。

 知人が金や荷物をどう扱ったか、今では知る事さえ出来ない。もとより、どうされても後悔はなかった。


 アクエリアが国を出て二十年。


 まだ、最愛の人には再会できていない。




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