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 着替えとその他諸々を取りに戻ったミュゼは、荷物を入れた鞄を引っ掴んで急いで酒場を出た。入り口で本を抱えたマスターと擦れ違ったので、八つ当たりのように鍵を放り投げてそのまま走り去る。

 小走りから息を整えながらの全力疾走になるのに時間は掛からない。重い荷物の事も、スカイの事を思えば走り続けることが出来た。五番街から走り続けて、八番街や九番街を抜けても走っていたから通行人からはそれまで以上の奇異な目で見られた。

 五番街に戻っていたのはそこまで長い時間ではない。けれど今、スカイの側を離れるのが不安で仕方無かった。

 あれだけ傲慢で、スカイの身の上を慮らない発言をしたのはアクエリアだ。いつ彼が、再びスカイを害するかと思うと気持ちは逸るばかり。

 ミュゼは痛いのは嫌だ。怖いのも嫌だ。苦しいのも嫌だ。寂しいのも嫌だ。寒いのも暑いのも嫌だ。空腹も嫌で、娯楽が無いなんて最悪だ。

 なのにスカイは、それを一度に、同時に受け続けても生きていた。

 これ以上、苦しい思いをして欲しくなかった。誰にも歓迎されない生なんて、ミュゼは考えただけで胸が締め付けられる思いだ。


 そして何よりも。

 アクエリアに、これ以上罪のない者への害意を剥き出しにして欲しくなくて。




「おかえりなさい、遅かったですね」


 孤児院に戻ったミュゼを見るなり、その焦りも知らず肩で息をする姿に平然と言ってのけたアクエリア。


「お、……おかえり、なさい」


 そしてスカイは手を砂で汚して―――小山を作って遊んでいた。


「……ぁ……。は……?」


 ミュゼは孤児院に戻るなり、持ってきた荷物を割り振られた客室の寝台に放り投げて二人の姿を探していた。医務室には既にアクエリアとスカイはおらず、廊下を通りかかった職員に二人の居場所を聞くと「外に出たのを見かけました」と。

 ついさっきまで意識を失って医務室で寝かされていた子供を何故今外に出すのか、と。まさか体が思うように動かない筈のスカイをわざわざ外に出して、自分から怪我をするように仕向ける―――なんて手間がかかるような事をあの男がするなんて思えないが、しないとも言い切れない。

 何を考えているか分からないが、怪我人を外に連れ出す時点で良からぬ事であるのは間違いなさそうで。もし本当に故意にスカイを傷付けようというのなら、ミュゼはアクエリアを張り倒すことも視野に入れていた。

 しかし、だ。


「あー、おねえちゃんもどってきたー!」

「あそんでー!」


 砂場に座って手を汚しながらも遊んでいるスカイは調子が悪くなさそうだった。

 ミュゼの姿を見るなり新たな遊び相手認定して群がって来る子供達もいる。

 そんな子供達から少し離れて見守っているアクエリアはまるで保護者。

 考えていたよりも平和な光景に、呼吸もままならないミュゼは群がる子供達をそのままに思考が回らなくなっていた。


「はいはい皆さん。そのおばさんは戻って来たばかりで疲れているんですからそっとしておきましょうね」


 手を叩いて場を収めようとするアクエリアの言葉に、号令がかかったように子供達は散り散りになった。こういう所まで教育が行き届いているのは、流石王立の施設と言うべきか。

 子供達の視線が離れたのを良い事に、ミュゼが笑顔でアクエリアに近寄った。そして、その胸倉を掴んで引き寄せる。


「誰がおばさんだこのハゲ」

「誰がハゲですか不良シスター」


 二人のやり取りは小声だが、突如始まった程度の低い言い争いに顔色を変えた者がいた。

 スカイだ。これまで受けてきた仕打ちから肌で感じたのか、悪い空気を敏感に感じ取ってしまっている。

 睨み合う二人は、ミュゼが離れた場所に行くよう合図をしてその場から遠ざかる。




「今のスカイ君に必要なのは、優しく労わって真綿で包むことでは無いんですよ。……俺が言ったって説得力はないかもしれませんがね」


 少し離れた長椅子に座り、子供達の姿を眺める。最初は砂場に集まっていた子供達も、飽きれば他の遊具を目指して突進していく。そのうち砂場に残ったのはスカイと他数名のみになった。

 スカイはそれでも飽きずに砂を掘ったり積んだりで遊び続けている。崩すのも楽しくなったらしく、同じ小山を作っては壊して作ってを繰り返す。


「いつまでも塞いでいては、嫌な記憶に囚われ続けてしまう。新しい楽しい記憶で上塗りする必要があるんです。スカイ君はこれまで楽しい記憶なんてものは無かった。なら、上書きするのは簡単だろうと外に連れ出したんですよ」

「倒れたばかりの怪我人を外に連れ出す奴がいるかクソバカ」

「骨に異常はなかったですからね。スカイ君に聞いても、外に行きたいとの事でしたので。散歩だけにしようかと思ったら、子供達が彼を誘って行ってしまいました」

「それでホイホイ遊ばせてどうすんだよドアホ」


 ミュゼは長椅子に腰掛け足を組み、ついには服の中に手を入れた。煙草を取り出し口に咥え、火を点ける。

 その光景にアクエリアは目を見開いた。聖職者らしからぬやさぐれた姿を、この王立孤児院の内部でするとは思っていなかった顔だ。

 煙を吐き出すミュゼにアクエリアが渋い顔をしてみせる。


「……その格好で煙草なんて、フュンフさんが良い顔をしませんよ」

「私は神の与え賜うた世界の全てを愛しています。それが煙草だろうと酒だろうと、神が生み出した奇跡の全てをありがたく頂戴します」

「都合のいいことばかり言って」


 言いながら、アクエリアも服の中に手を入れる。


「人の事ばかりは言えねぇんじゃねえの、アクエリア?」

「知りませんね」


 その手にあったものも、煙草だ。


「火、いる?」

「ん」


 唇に煙草を挟んだアクエリアが、ミュゼの申し出に首を振る。と、思いきやミュゼの胸倉を引っ張った。まるで先ほどの行為のやり返しのように。

 驚いたミュゼだが、動揺するだけで何も行動を起こせない。気が付けば、アクエリアの顔がすぐ側にあった。ミュゼの火のついた煙草の先と、アクエリアの煙草の先が重なる。……ほんの数秒の後に離れていくアクエリアの煙草の先に火が移っていた。


「こっちの方が早い」

「……んな訳ねぇだろボケカスが」


 罵倒したミュゼの顔は真っ赤だ。好意を持たれていると知っているから、アクエリアの態度も余裕綽綽。

 煙草が重なった際に灰がミュゼの服の上に落ちてしまった。それを乱雑に払えば服に跡がついてしまう。でも今立ち上がったら喫煙していることに気付かれるだろう。

 そして動けないのに目の前には想い人がいる。どうしようも無くなってミュゼが赤い顔のままで唸った。


「乙女心で遊ぶとそのうち取り返しのつかない事が起きるぞ」

「乙女? 何処に居ます」

「テメェ本当ぶん殴るぞ」


 アクエリアを睨みつけている間にも、咥えている煙草は灰になる。気を取り直して服の中から灰皿代わりにしている小さな革袋を出した。その中に煙草の先の灰を捨てる。

 アクエリアも横から灰を捨てに腕を伸ばした。二人分の灰が袋に入って行く。

 こうしていると普段のアクエリアだ。着ている服はさて置いて、ミュゼが良く知る酒場に居る彼の姿そのもの。


「……アクエリアが、さ。先に私を帰らせたのって、スカイ君をどうこうしようって考えてるからかもって思ってた」

「俺が?」

「だから、急いで帰らないとって思った。もしアクエリアがスカイ君を手に掛けようってんなら、私はそれを止めるつもりだったし、本当にそうなったらアクエリアに槍突き付けてでも止めてた、と思う」

「俺に貴女が勝てると思っているんですか」

「思わないよ。でも、私は、そんなアクエリアを見たくなかったから」


 煙草を指に挟んで、横顔でアクエリアに微笑むミュゼ。

 アクエリアは今までは、昔に亡くした人を重ねていた。自分より短い時間しか生きていない、銀髪の跳ねっ返りだ。彼女が居なくなって、何人もが打ちひしがれた。未だに絶望の淵から立ち上がれない者さえいる。最初は、そんな彼女に似ているから親しみを覚えているのだと思っていた。


「やっぱ、さ。アクエリアはそんなダルそうな顔して煙草吸ってる方が似合ってるね」


 一方的に知られているのは居心地が悪い。昔は顔を顰められるような事をしていた時もある。だから、そんな昔を知られている気になって気持ちが悪かった。

 けれどミュゼは初めて会った時と変わらず笑顔を向けてくる。好意も。

 何をしても、ミュゼは文句を言いながら側に居るのではないかと思ってしまう。

 ささくれた心に、ミュゼの微笑みが染み渡る。行方を眩ましたまま未だ見つからない恋人を追う事にも疲れ、妻を亡くした男に寄り添い、酒場に留まった年月は五年を超えた。

 ヒューマンではないアクエリアはこれからも長く生きる。他の酒場の面々を看取る方が先だろう。裏稼業さえやっているあの酒場が簡単に潰れる事はないだろうが、それでも、いつか別れの時は来る。


 その時初めて、ミュゼを『彼女』を通さずにミュゼとして見て、手離したくないと一瞬思った。


「……アクエリア? どうしたの?」


 その心境の変化をなにかしらの形で感じ取ったらしいミュゼが、アクエリアの顔を覗き込んでくる。ミュゼは灰を革袋に落としたが、アクエリアの煙草は口に咥えられて灰が今にも自重で落ちそうだ。


「……なんでもありません」


 一拍遅れでアクエリアが否定し、灰を革袋に落とす。ギリギリのところで間に合って、服は汚れずに済んだ。

 ミュゼは「変なの」とだけ漏らすと、視線を子供達に向ける。幼い命たちはミュゼ達の方など見向きもしないで、思い思いに遊んでいた。


「………今言うのは、逃げですよね」

「ん? 何の話?」

「何でもありません」


 まだ、居なくなった恋人への想いにも決着がついていない。

 マスター・ディルの妻にして義姪が生きているかも知れないという話もまだ宙に浮いたままだ。

 そんな状態で、一時の気の迷いのような自分からの淡雪よりもあやふやな好意を伝えても意味が無い。

 一先ず考える事は後回しにしたアクエリアは、胸に過ったミュゼへの感情を煙と共に空へと飛ばした。



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