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 フュンフとの話はそれからまだ暫く続いた。

 ミュゼの話を完全には信じられない様子のフュンフだったが、頭ごなしに否定したり、病院へ行けなどという言葉は無かった。


 彼は、『花』隊長が死地に向かう直前の事も話してくれた。

 その表情は、口から言葉が漏れるに比例して暗くなる。今でも耐えきれない喪失を、自身の責任と感じているからだ。


「……君が。……君が、話した全てを真実だと信じるから話すのだ。私がかつて犯した過ちを。私の命で償えるならそうしたい程の、愚かな行為を」


 膝の上に肘を置き、彼の大きな手が自分の頭を包む。苦悩に蹲る姿を取って、彼は続けた。


「あの日、私は確かに『花』隊長から言われたのだ。彼女は、ディル様がいないと生きていけないと。だから、自分が死地に残って、あの方が生きていた方がこの世界には何倍も価値があると。私もそう思った。あの方がディル様に、隊長に寄せていた想いは知っていたからだ」


 その苦悩がどれだけ彼を苛んで来たのか、ミュゼには分からない。一つしかない彼の眼球が、今にも零れ落ちそうな程に見開かれた。


「今思えば私の単純計算で推し量るものではなかった。『花』の隊長も副隊長も、この国にとって決して失ってはいけない人物だったのだ。けれどそこまで考えが至らなかったのは、私とてディル様に生きていて欲しいと願っていたに他ならぬ。あの方が死地に残り、そしてディル様が狼狽えるまで私は知らなかった。そして、知らぬ事は罪であると思い知らされた」

「知らぬ? 何をですか。貴方ほどの人が知らなかった事とは」


 『月』副隊長、現『月』隊長にして王立孤児院の施設長。マスター・ディルより先に生を受けた、この人物が今まで生きてきて知らなかった事。


「―――ディル様が、『花』隊長を、愛していた事を」


 ひとの、こころ。


「……え? だ、だって……二人は結婚してたでしょう? 一番近い所で見てた貴方が知らなかった!?」

「それまであの方は、『愛』が分からないと言っていた。けれどあの『花』の愛を受け入れた。分からなくていいと、それでも構わぬから共に居たいと言ったのは『花』だったのだ。とある事件が起きたのちに、二人は結ばれた。それ以前からも、結婚したその後も、あの方は妻に愛を囁くことは無かった。ならば、と」


 フュンフの顔が、掌で覆われる。


「愛を知らぬディル様が、いつかまた誰かから愛されればいいと。そしてその時に、その誰かをディル様が愛する事が出来ればいいと。だから生きていて欲しいという『花』の懇願を、私は受け入れてしまったのだ」


 告解室では、聖職者が迷える者の話を聞いて神の許しを下すという。所作は真似事程度しか出来ないミュゼが、本来聞く側であるはずのフュンフの話を聞く状況はちぐはぐなものだ。

 掌で隠れた表情は分からない。けれど、声は悲愴だ。


「ディル様の慟哭に、絶望に、直接触れるまで私は分からなかった。あの方が誰かを愛するなど、有り得ないとさえ思っていた。『花』をどれだけ愛していたか、私は知ろうともしていなかった。あの日から今日まで、悔やまなかった日は無い」


 彼は、未だに許されない。

 彼が自ら選択して、その先に在った地獄で、未だに業火に灼かれ続けている。


「私の罪だ」


 心の弱い者ならば、後悔し続ける事に耐えられず自死を選んでいたかもしれない。

 顔を上げられないフュンフの姿に、ミュゼが視線を逸らす。

 彼は充分すぎる程に悔いている。生死を分かつその場にいなかったミュゼに、責める権利はない。


 『彼女』がフュンフから見殺された、という情報が裏付けられた。

 けれどそれは『彼女』が願った事だというのは、初めて聞いた。


「……そろそろ、スカイが起きたかも知れませんね」


 医務室を出てからどのくらい時間が経っただろう。気まずい空気から逃げたくなって、ミュゼが口を開いた。

 フュンフの顔はまだ上がらない。


「先に様子を見に戻ります。……フュンフ様はお忙しいでしょうし、何か異変があればご報告します」


 彼が一緒に来るとは思わなかった。

 ミュゼがソファから立ち上がっても、彼の顔は俯いたままだ。

 扉まで歩み寄っても。扉が開いても。廊下にミュゼが出ても。


 そして扉が閉まっても、フュンフは動かなかった。




「遅かったですね」


 医務室に戻った時、アクエリアは窓の側に椅子を動かして外を眺めていた。

 スカイはまだ起きないらしい。それだけの負傷を受けたようで、けれど規則的に上下する胸部に安心する。


「少し、込み入った話をしてたから」

「………そうですか」


 『込み入った話』にアクエリアの義姪の話も含まれていると気付いていながら、それ以上を追求しようとしない。先程素気無くあしらわれた事を根に持っている。

 アクエリアの返答に拗ねたようなものを感じたミュゼが苦笑を浮かべた。


「それで、例の彼は戻ってこないのですか」

「私が持ち込んだ話に考え事してるみたいだね。少しそっとしといてやって」

「全く、忙しいと言っておきながら無為に使う時間はあるようで何よりです」


 会話に棘を隠しきれていない似非エルフは、視線を寝台の上に移した。

 眠り続けるプロフェス・ヒュムネの少年が、どんな仕打ちを受けていたのか詳細は知らない。

 でも、寝台に横たえる前に着替えさせた服の中はアクエリアが視線を逸らすような有様だった。

 傷と傷痕と、痣。その上でアクエリアのせいで新しい稲妻型の傷が肌を走っていて、彼はこの先もきっと人前で肌を晒せない。


「別にいいじゃん、アクエリアだって暇だろ」

「時間に余裕があるだけです。……ここ最近はアルカネットさんからの事前調査の依頼も少なくなりましたからね」

「私が有能だからだな!! 収入減って悔しいんだろ」

「悔しくは無いですよ。……少し静かにしませんか、まだ彼は寝ている」


 話を逸らすような口振りに、唇を尖らせた。

 ミュゼは寝台に身を乗り出し、スカイと名前が付いている少年の寝顔を覗き込んだ。


「……この子。起きたこっちの世界と、寝てる夢の世界と、どっちが幸せなんだろうね」


 今の今まで辛い目に遭ってきただろうに、孤児院に匿われてからもこの状況。

 そんな彼が見る夢は、辛い現実を忘れさせてくれるものだろうか。少なくとも、苦しい過去を繰り返すような夢でなければそれでいい。

 顔を近づけても起きない少年に、ミュゼは寝台に腰を下ろしてアクエリアに顔を向ける。質問の体を成した言葉への返答は、体勢を変えた後も聞こえる事は無かった。


「フュンフ様が、どうして『アイツ』を見殺すことになったか、聞いてきたよ」

「………」

「成程ね、って思った。私も、育ての親からアホほど『アイツ』が言ってたっていう惚気話を聞かされて来た。ずっと『アイツ』はディル様の事が好きで、好きで、大好きで。……だから、自分が死んだとしても守りたいって思ってたんだね」

「だからと」


 その時ミュゼに向けられたアクエリアの瞳は、とても冷たいもの。


「それは見殺していい理由にはならない。戦場で騎士としてではなく、個人としての感情を優先させた騎士隊長を何故止めなかった? あの子が、愛した人が居なくなって、ディルが……マスターがどれだけ苦しむことになるか分からなかったのでしょう。……居なくなっても構わない女性に、男は求婚なんてしないっていうのに」

「それは実際体験したから言える事だねぇ。未練たらたらな男は考える事も一味違うって訳だ」


 その瞳の冷たさを鼻で笑うように、ミュゼが言い切る。


「でもね。多分、マスターが同じ状況に置かれた時、マスターだってあのトンチキと同じことしたと思うよ」

「は? 有り得ないでしょう。あの男がそんな短絡的な行動取るなんて絶対無い」

「………………はっ」


 今度はわざとらしく馬鹿にするように、ミュゼが鼻で笑った。流石に頭に来たのかアクエリアの表情が一気に険しくなる。


 実際知っている。育ての親から聞かされている。

 そもそも、ミュゼはマスター・ディルが自分から『彼女』を戦場から逃がす為に死地に残った世界の話しか知らないのだ。

 聞かされた過去の話と齟齬がある現状に、一番混乱しているのはミュゼ。未来に影響がないように、少しでも情報をかき集めたいが誰も彼も協力的とは言い難い。一人は自分の過去の話をして自分で打ちひしがれている始末。

 そんな彼は今、生きながら地獄に居るような罰を受けている状態だ。フュンフの後悔を見て見ぬ振りで好き勝手言う今のアクエリアが、ミュゼには許せない。


「大事な人に生きて欲しい、って思う気持ちは男も女も関係ないんだよ。そこ履き違えんな、いずれ後悔する事になるぞ」

「……チッ」


 アクエリアは舌打ち一回、目を逸らした。

 彼はそれ以上もう会話するつもりが無いらしい。ミュゼとしても今は嫌味が耳障りだったので助かる話で。

 二人が口を噤んだ直後、寝台が一度だけ軋んだ。

 動いたつもりのないミュゼが目を丸くする。軋んだ音は確実に、体重移動するときに出る音だ。


「……スカイ君?」


 座った状態で、ミュゼが肩越しに振り返った。


「―――」


 空を思わせる青色をした、澄んだ瞳が開かれている。僅かに開いた乾いた唇が、何かを話すように動いて。


「スカイ君!」


 ミュゼが再び体勢を変える。寝台から飛び降り、その横たわる顔に顔を近づける。


「っあ、あ」


 掠れた声は僅かに呻きを漏らすと、途端に咳を始める。乾いた咳は、彼が咄嗟に毛布で覆ってくぐもった音に変化した。


「スカイ君、起きましたか? 大丈夫? 痛いとこ無い?」

「……っ、ひゅ、……っは、あ、あああああ」


 意味を成さない声は、それが怯えや恐怖から来るものだと分かっている。毛布を掴んで大きく震えだすスカイは、逃げるように寝台の上を這いずった。逃げ場がそれ以上ないと分かると、痛むであろう体を無理矢理起こして背を壁に付け、腹を庇うように膝を曲げた。


「め、て。やめ、て。も、もう、いたいの、いやです」

「スカイ君、大丈夫だから!!」

「ごめん、なさい、いたい、いたいいたいいたいいたい」


 記憶が混濁しているのかも知れない。プロフェス・ヒュムネとして覚醒した直後だ、それに加えてまだ体は痛む筈。これまでの記憶が混ぜっ返されて苦痛となって現れてもおかしくない。

 それ以上逃げられないのに、壁に必死に背中を擦りつけるスカイ。その瞳には涙が浮かんで。

 ミュゼが両肩を掴む。それさえ恐ろしいかのように、スカイが頭を振った。


「こんなの、いやです、いや、いや、おねがい」

「スカイ君! ここにはもう、貴方を奴隷として扱う人はいません!」

「もういや、ぼく、ぼくは、こんな、いたくて、くるしい」


 声変わり途中の少年の声。

 掠れた声は(こいねが)う。


「しにたい」


 自身の死を。



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