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 ―――なぁ、ミョゾティス


 王立孤児院の廊下をフュンフの後ろを付いて行くように歩くミュゼの耳に、懐かしい声が蘇る。

 ここ一年は聞いていない声だ。ミュゼが幼い時に両親が戦争に巻き込まれて死んで、それからずっと一人で育ててくれた男の声だ。

 彼はミュゼの高祖母の代から縁があった男だ。手放しで優しいとは言えない振る舞い、粗暴で苛烈な性格。何処でも煙草が手放せなくて、酒も愛する独身男。

 滅茶苦茶なその男にミュゼは育てられ、色々な事を教え込まれた。知り合いが誰もいないこのアルセン城下で、孤児院で働いて暮らしていけたのも彼が教えてくれた料理を始めとした家事の腕と子守の能力があったからだ。

 そんな彼が漏らした言葉は、殆ど記憶に残っている。


 ―――お前は、あいつらみたいに死ぬんじゃねぇぞ


 あいつら、とは誰の事を指すのかはミュゼは知っていた。

 彼の側に居ながら、命を落としていった彼の友人、仲間、そして育てた養い子達。

 唯一彼の側に残ったミュゼは彼の悪癖を全て知りつつ、離れる事が出来なかった。


 彼の苦悶は、ミュゼがいなくなった世界で晴れる事があるのだろうか。


「あちらだ」


 歩きながら物思いに耽っていたミュゼの耳に、今度は実際に今放たれた声が届いた。

 フュンフの低い声で視線を動かすと、建物の外、敷地内でも離れた場所にある砂場に子供の後ろ姿があるのが見えた。

 銀の髪を持つ姉妹のようだ。他の場所にいる子供達と同じように、灰色の揃いの服を着ている。


「っ、あ」


 ミュゼの声が漏れた。

 小さな砂遊び道具を手に、砂場で山を作るその姉妹とは面識がない。けれど、背中だけしか見えない二人に、強く意識を引っ張られてしまう。


「……連れて来るかね?」


 フュンフの提案に、ミュゼは俯いて首を振った。

 まるで生き別れた自分の子供を見たような反応を見せるミュゼ。その口が開くのも、少し経ってからだ。


「私から、行く。何処から、外に出られる」


 途切れ途切れに口を開くミュゼに、フュンフは再び道の先を行く。

 突き当たりの扉から外に出た二人は、躊躇わずそのまま砂場を目指した。


「エデン。オード」


 二人の名を呼ぶフュンフの声に、姉妹が気付いて視線を向ける。


「せんせい」

「せんせ」


 振り向いた二人の髪は、背中まで伸ばした鈍い銀色と肩で切り揃えた白銀で微妙に差異がある。

 瞳の色も、よく見れば灰茶と灰色で違っている。

 ミュゼは、その二人の顔を見た途端に走り出していた。


「ミュゼ!?」


 驚き、声を上げたのはフュンフだ。

 ミュゼは走り、砂場に足を踏み入れ、それからその姉妹に手を伸ばした。


「っ、んな、ところにっ」


 伸ばした手は、二人を捕まえた。

 相手は子供だというのに、力の加減さえも出来ない。

 掻き抱くように、片腕ずつで姉妹を胸に抱き締める。

 何をされているか理解が遅れた姉妹は、きょとんとした顔を見せるだけ。


「……畜生、畜生、畜生、畜生!!!」

「……おねえさん、だれ?」

「くるしい」

「分からないよな。そうだよな、分からなくて当然だよな!」


 ミュゼは、泣いていた。

 頬を伝って流れる大粒の雫が、姉妹の服を濡らしていく。二人が今此処に存在しているという感覚を確かめるように、頭や肩を撫でて。

 『すべて』知っているのはミュゼだけだ。だから、この場に居る者たちは戸惑うしか出来ない。


「何でだよ!! 二人がいるのに、なんでアイツ居ないんだよ!! おかしいだろ、名前まで違ってるなんて!!!」

「―――どういう、ことだ」

「それはこっちも聞きてえよ!」


 悔しさと、悲しみと、感情が交じり合って涙に変わる。苛立ちを早く消し去りたくて、ミュゼがフュンフを振り返る。

 それまで抱いていた不確定要素への不安が全てどこかへ行ってしまった。双子を実際に見てしまえば、疑いようがない。


「お前、知ってたんじゃねえのか」

「……何の事だ」

「この子達の事だよ!! こんなに外見似てて、おかしいって思わなかったのか!?」


 今の状況を理解出来ない姉妹が、戸惑った表情をフュンフに向ける。

 三人の視線を受けた彼が、いたたまれなくなって視線を逸らした。

 双子の流れる髪の隙間から、ちらりと半端な長さの耳が覗く。


 ああ、この場にアクエリアが居なくて良かった。


「この子達は、アイツの―――」

「言うな」


 ミュゼがそれ以上声を荒げる前に、フュンフからの制止が入った。最後まで言わせないこの男が卑劣に思えて、更に怒りが増しそうになったが。


「二人が聞いてしまったら混乱させてしまう」


 姉妹の事を考えての制止だと分かれば、ミュゼだって大人しく口を噤む。

 見知らぬ女に抱きしめられている状況が不安で、ミュゼの腕から逃げ出した双子は遊び道具さえ放り出してフュンフの元へ走って行った。片足ずつに抱き着き、フュンフの背後からミュゼを見遣る。


「……せんせぇ、あのおねえさんどなたですか?」

「おきゃくさんですか?」


 幼子の二人の瞳に、怯えの色が見て取れた。そんな表情をさせてしまった事に、若干の罪悪感を覚えてしまう。

 胸中の感情が渦を巻いていた。子供にこんな表情をさせたい訳じゃない、けれど『アイツ』の生存が未だ分からない。それでも、この二人は生きて此処に居てくれている。この二人が本当に、ミュゼの探している双子かどうかは確定していないけれど。


「エデン、オード。ご挨拶しなさい。君たちの事を知っている女性だ」

「……わたしたちのこと?」

「しってるって、なにを?」

「色々、だ」


 高い少女の声が、耳障りではない程度の音量で囁かれる。

 フュンフが促した挨拶を、おずおずといった調子で二人とも見せた。


「……えでんです。ごきげんよう」

「おーど、です。よろしくおねがいします」


 髪が長く、色素が濃い方がエデン。

 切り揃え、白銀色の髪をしている方がオード。

 よく見れば二人の服も違う。色は一緒だが、エデンの服は脛あたりまでの一続きの服だ。オードは腹部で分かれていて、下は動きやすそうな緩いズボン。ミュゼは二人が姉妹だと知っていたからよく考えなかったが、何も知らない者がオードを見たら男の子かと思うかも知れない。


「……ミュゼ、君の言いたい事は少しは分かる。だが質疑応答は一度場所を移してからにして貰おうか」

「ちゃんと答えてくれるのでしょうね」

「私でも把握していないことがある。それ以外で良ければ、幾らかは話せるだろう」


 落ち着きを取り戻したミュゼが立ち上がる。フュンフは、両手で双子姉妹の頭を撫でた。二人の小さな唇が、嬉しそうに弧を描く。

 子供の割に、控えめな笑顔だ。


「応接室が空いている筈だ、案内しよう。……エデン、オード、自由時間の邪魔をしてすまなかったな」

「せんせいならうれしいです!」

「あとであそんでくださいね!」


 笑顔の姉妹は再び砂場に戻る。横を通り過ぎる時、一瞬だけミュゼを振り返った。

 その瞬間、子供な筈のオードの瞳が、つい最近知り合った男のそれとよく似ていて息が詰まる。


「では、ミュゼ。情報交換と行こうか。私も知っている事を話す。だから君の知っている事も、包み隠さず話したまえ」

「………」


 フュンフは催促と共に、先に室内に向かって歩き出す。

 その催促に、ミュゼは応と返すことが出来なかった。

 聞かれて都合が悪い話が山ほどある。信じて貰えないだろう事実も、同じくらいある。


 フュンフの背を見ながら、ミュゼは知っている話をどう辻褄合わせしようか考えていた。




 ミュゼと『彼女』は血の繋がった身内であること。

 自分が育てられたのは、とあるエルフの男の所だという事。

 自分は震災孤児であり、それは『彼女』も同じなのでその辺りは隠さいない。

 親の名を聞かれて一瞬言葉が詰まった。馬鹿正直に伝えるのは得策では無いと思って、育ての親の名だけを伝えた。

 応接室で向かいのソファに座ったフュンフからはそれだけ聞かれた。次はミュゼが聞く手番だとばかりに、顎で示される。


「……気付いたのは、いつ?」


 ミュゼは冷静さを繕った静かな声で、出された紅茶のカップに指を掛けた。

 何を、と聞かないのは、彼にわざわざ用意してやった逃げ道だ。彼が話を逸らして逃げた所で彼に得は無いし、ミュゼも話を打ち切るつもりでいたが。


「あの二人が、一歳になる前後か」


 ミュゼの逃げ道は必要なかったようだ。フュンフは記憶を辿るように、目を閉じてゆっくりと口を開いた。

 正確な誕生日も分からないという双子でも、推定年齢は分かる。しかし、暇ではないと言っておきながら自分の管理する施設の子供に目を配っているあたり、悪い人間では無いのかも知れない。


「それまでは、単なる偶然だと思っていた。二人が、色合いの違う髪の色を持つのも。瞳の色が似通っているのも。施設に受け入れた最初は双子ではないのではないかと言われていた程に、二人の持つ色は差異があった」

「そうですね。……でも、貴方は双子だと信じた?」


 ミュゼが口に含んだ紅茶は、生活水準が並程度だった五番街の孤児院でさえ飲んだことが無いほど、馥郁とした香りを感じさせられる。紅茶の味と共に感じられる花の香りは、建物と同じで財力に物を言わせたような印象だ。高級であるのは間違いないが、その複雑な味が厭味ったらしい。

 まるで、フュンフへの第一印象のように。


「……日を追うごとに、『似てきた』」


 そんな印象最悪の男が見せる表情は、この紅茶のように多面性を持っている。

 気位の高い施設長の顔。

 施設の子の事を考える父親のような顔。

 過去に犯した失態を未だに悔やんでいる苦悶の表情。

 それのどれもが、フュンフという人物なのだ。口頭で存在だけを聞いていても、実物を見るとまた印象が変わる。


「似てきた、なんて。分かっていながら彼に黙っていたのですか」

「無論伝えようとした。しかし、あの方は私に剣を向けて追い払ったのだ」

「ああ、酒場まで来たって奴ですね」

「手紙も送った。これまで何通も書き記した。送って、待って、待って、待ったが、あの方はこの孤児院に来なかった。日が沈んで、月が変わって、季節が変わって、年が明けた。それでも、あの方は来なかった」

「……読んでなかったのでしょうね」


 でなければ、あの人物が手紙を見て『来ない』なんて選択をする訳がない。手紙の内容に触れていれば、きっと彼は走ってでも孤児院まで来たはずだ。

 あの人物も、選択を誤った。


「オードは、マスターに似ている。……似すぎてる」


 髪と瞳に宿す色も、表情も、一瞬だけミュゼに寄越した冷たささえ感じさせる視線も。

 ミュゼは知っていたから、その事実に驚かない。

 知っているのだ。あの双子の親が誰であるか。そして、本来あの二人が付けられる筈だった名前すら。


「それだけではない。……エデンとて、『あの方』によく似ている」

「………」


 フュンフの言葉に、ミュゼが無言で紅茶を飲み下した。


「何故、君は知っていたのかね。一番エデンとオードの側にいた私より、多くの情報を手に入れている?」


 核心に触れようとしているフュンフの言葉に、カップの中の紅茶を見た。底面に薄く残るだけの水面に、ミュゼの顔が揺らめいて映る。


 黙っているのは、フュンフを焦らすためではない。

 自身の生存、否、出生に『影響があるかも知れない』から話したくない。

 話せる相手も、内容も、限られていると分かっているから口が動かない。


「………フュンフ様は、占術とか未来予知とか信じますか」


 どこまで話す。

 どこまで信じる。

 どこまで受け入れてくれる?


「占術? そのようなもの、私は信じていない。記号や絵が描かれた紙切れや星の巡りに、私の運命を決められてたまるものか」

「そうですよね。私もまぁ、信じてはいませんが。でもですね、そういうこれまで当たり前に考えられてる『世の理を覆すなにか』ってものは、あると思うんですよ」

「では、何かね? 君はその占術でこの事を知ったと? ……もしそうだと宣うなら、残念だが失望したと言わざるを得ないな」

「占術じゃないけれど。……私が実際見て来たものでもないから、詳しく説明するのは無理なのですが」


 自分の発言を、どうか信じてほしい。

 けど、願うだけでは変わらない。

 ミュゼが真実を伝えたら荒唐無稽な与太話だと、フュンフは切って捨てるだろう。


「エデンとオードがマスター・ディルの子供である事は、恐らく間違いありません」


 改めて口に出した事によって、フュンフの表情がより固いものになる、

 固いだけで驚いてはいない。だって、彼だって気付いていた。


「教えてください、フュンフ様。マスターの口からは貴方のせいだと聞きました。けれど私は貴方からの話も聞きたい」


 自分が慕った男と、自分が死なせた女との間に生まれた双子の事に。


「『アイツ』を、どうして見殺す事になったのですか」



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