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 エデン。

 オード。


 二人は五年ほど前に、孤児院の門の側に置き去られていた新生児だった。

 まだ臍の緒さえついたままの双子は、白く柔らかいおくるみと、二人が入っていた籠だけしか持っていなかったという。

 その時は、『混じり』である事を憂いた親が身勝手に捨てたのだろうと判断されて入院が決まった。

 孤児として姓を持たず、一度も孤児院の外に出たことが無い。その名前さえ、孤児院でつけられた名前だという。


「嘘だろ」


 ミュゼの言葉が、繕う間もなく思考回路を飛ばして脳から口まで直送される。

 フュンフの言った事が信じられない訳ではない。けれどミュゼにとっては、『情報の不一致』というものは歓迎すべきではないものだった。


 名前が違う。

 その違いは、本当に名前だけなのか?

 そしてその違いが、『この先』にどんな影響を齎す?


 眩暈を感じて体をふらつかせたミュゼに、フュンフは指の動きだけでソファを示す。

 なんとかソファに腰を下ろした唇からは、絞り出した声しか出てこない。


「……他に知りませんか、混じりの双子。街中でもいい、城下外の話でもいい。銀の髪を持つ姉妹の話を」

「混じり、双子、銀髪、姉妹というと……私の知っているのはその二人だけだ。分かるだろう、双子というのは生まれる可能性が低い」


 獣人なら個々によって違うが、ヒューマンもエルフも、一度に産む人数は一人が大多数だ。

 その妊娠も、出産も、母体に負担が掛かり過ぎる。

 妊娠の数自体少ない上に、出産中の死亡事故もよくある話で。


「……マジで冗談じゃねえぞエクリィの野郎、これでアイツボケてて名前間違えて私に伝えてたってんならぶん殴ってやるからな……!!」


 ソファの上で蹲ったミュゼの呟きに、フュンフが顔を顰めた。これでもう何度目か分からない。

 ひとしきり唸った後に、唐突に顔を上げた彼女は重苦しい溜息を吐いてフュンフに向き直る。


「………多分、私の探してる二人で間違いありません」

「だが、その双子があの方に何の関係があるというのだ? それに、あの子達が私に関わりがあるというのも気になる話だが。それに、何故貴様があの子達を知っている」

「それは」


 ミュゼがちらりと扉に視線を向けた。

 外では間違いなく、あの化けダークエルフが聞いてるのだろう。話の邪魔をされたくなくて彼を追いやったが、盗み聞きくらいは当然の権利だと言いながらしている筈だ。

 しかし、この先の話を易々聞かせてやるつもりはない。


「双子に会わせて貰えるならお話しします」

「交換条件のつもりか」

「ウィス……エデンとオードの両名が生きて此処に身を寄せているかも知れないという、私にとっては必要な情報を聞けましたので。これ以上の情報をお望みならば、私も更なる要求をしてもいいのでは? ……別に、金銭や物品が必要と言ってる訳ではないのです」


 簡単に話してしまえば、『未来が変わる』。

 なんとしてでもそれだけは避けなければいけないミュゼは、何を話して何を話してはいけないかをこれまでも、今でさえも必死に考えていた。


「……この施設の中に限った事を言えば、私の方が優位だという事が分かっていないらしいな」


 ミュゼの思考を知ってか知らずか、フュンフは平然とした表情で嫌味を垂れ流す。


「貴様の言葉が妄言でないと誰が言い切れる。そのような疑うべき言葉を、ディル様が受けたというのも俄かには信じがたい話だ。ディル様が私をお許しになられないのを良い事に、外のあの男と共謀している可能性もある」

「テメェみたいな覇気のない変態ゴミジジイ騙して何の得があるってんだよ」


 この期に及んでも未だ話を信じない様子のフュンフにキレたミュゼ。程度の低い罵りを聞いて、フュンフは怒るでもなく憤慨するでもなく、ただ、複雑そうな表情を向けるだけ。

 踵が乱暴に床を踏み、立ち上がる。長い金糸の一つ結びが荒く揺れた。


「分かりました、もう良いです。私とてこのような場所で潰す暇などありませんので。どうぞフュンフ様はそこで一生ディル様に対して鬱々とした気持ちを抱えて生きてくださいな」


 交渉は決裂だ。ここまで話してまだ納得していない男に、これ以上連ねる言葉なんて無い。

 苛立ちのままに仰々しく淑女の礼をもう一度。振り返れば、もう二度と関わるつもりはない決心もした。

 けれど。


「―――ふん」


 フュンフは、執務机の引き出しから革袋を出した。硬貨ばかりが詰まっていそうなそれを、大きな音をさせて机の上に置く。

 顔を上げたミュゼは、その質量にざっと中身の計算を始める。最初にギルドで受けた仕事の支払いの三倍、或いはそれ以上。しかしその袋を見ても、ミュゼの心は不愉快に傾くだけ。


「手切れ金のつもりですか?」

「戯け」


 出てきた嫌味に憮然とするフュンフ。


「手紙の中を見たのだろう」

「ああ……、あの謝罪文ばかりのあれですね? はい、ちらりとも見ようとしないディル様の代わりに拝見しました」

「ならば最後に認めた、依頼文も目に入ってる筈だ」

「そうですね」


 預かったプロフェス・ヒュムネの子供が、暴走した。

 手紙には確かにそう書いてあった。


「暴走したの、スカイという名前の子でしょう」

「……何故分かる。手紙には名前まで書いていなかった筈だが」

「救出したの私達ですから。それに、あの子の側に『種』があった」

「成程な。貴様はこの国の非人道的な部分も見ているということか」


 アルカネットと一緒に『廓』を襲撃した時の話だ。

 筆舌に尽くしがたい目に遭っていた子供達の中に、スカイと書類に書きつけられていた者がいた。

 プロフェス・ヒュムネの奴隷用蔑称『エスプラス』、体に種を取り込んでいない状態である『種付き』。

 ミュゼにとってはその言葉に馴染みは浅いものの、意味は知っていた。アルカネットは知らなかったらしく、説明も省いた。聞いて心地の良い情報では無いからだ。


「大方管理不行き届きで、あの子の手に種が渡ってしまったのでしょう。取り込むまではヒューマンと変わらないプロフェス・ヒュムネでも、一度種を取り込んでしまえば生き物に対する甚大な殺傷力を得る。……許しを乞う相手に、そんな種族と相対しろなんて依頼を送るあたり貴方の程度が知れますね」

「一言も二言も、余分な言葉が多いものだ」


 この程度の嘲りでは、フュンフの動揺は誘えない。


「赤の他人があの子達との面会を希望するなら、相応の仕事をして貰わねばな。あの依頼の追加報酬、という事でどうだろうか」

「……そんな言い方、好きではありませんね。報酬にされる側にも意志はあるでしょう」

「あの子達は、私の決めた事に否を言わんよ」


 フュンフの片方しか見えない睫毛が、顔に影を落とす。

 俯いた彼の顔は、少し落ち込んでいるように見えた。


「私を父のように慕う、哀れな子供達だ」


 もし彼が、最初の時のように不遜な表情をしていたのなら、ミュゼは怒鳴り散らしていただろう。

 親がいないだけで哀れだとか言われたくなかった。用意された世界で生きて行かねばならないのは当人なのだから、哀れだと決めつけられたくない。子が自分を惨めに思わないようにする為の施設ではないのかとミュゼは声を荒げた筈だ。

 しかし今フュンフがしている表情は、子供達の事を考えてのものだけには見えなかった。

 まるで、自分を責めているような。


「……スカイの所に、案内しよう。君達が無事に戻る事が出来れば、あの二人への面会を認める」


 『貴様』から、『君』へ。

 口調が軟化したのを、聞き逃さなかった。

 フュンフが立ち上がり、ミュゼの横を通り過ぎて外へ繋がる扉へ向かう。

 予想通り扉の外で待ち構えていたアクエリアは、ミュゼを恨みがましい目で見て来た。




「何で黙っていたんです」


 施設の廊下を歩いている最中、ミュゼの耳にアクエリアの小さな声が届いた。

 僅か半歩ほど後ろを歩くアクエリアは、案の定先程の部屋の話を盗み聞きしていたらしい。


「何の話だ」


 分かりきっている癖に、そう言ってはぐらかそうとするミュゼに再び苛立つアクエリア。

 眉間に刻んだ皺を隠そうともせずに、それでも小声で続ける。金の髪の混じりのエルフは振り返らない。


「あの子が、まだ生きているってどういう事ですか」

「なんだ、そんな事か」

「そんな事って!」


 突然の大声に、ミュゼよりもフュンフが反応した。とはいっても迷惑そうな顔で少し振り返っただけだが。

 『マスター以外には言いたくない』と言った話の内容が、彼女の生存の話か。それよりももっと重要な話を、ミュゼが知っているというのか。アクエリアにとって、彼女が生存している話よりも大事な情報をミュゼが持っているとは思わないけれど。


「言っただろ。……八十年経ってから出直してこいって」


 ミュゼは怒声を物ともせず、ただそれだけを口にした。

 今頓着するべきはアクエリアの事ではない。アクエリアもミュゼの知る事情に深く関わる事になるとしても、今はまだ何も伝えるべきことが無かった。


「八十年したら、貴女生きてないでしょう」

「ふふっ」

「……何を笑っているんです」


 ―――人が何を考えているか分かっていない癖して。


「そうだね、『いない』かも知れない」


 ミュゼの全てを見透かした男がひとりだけいた。

 その男とまるで同じ瞳をしている男に、不適当な事ばかり言われている違和感が気持ち悪くて。

 不真面目に返事したミュゼに、もうアクエリアはそれ以上を追求することを止めた。




 目的地は施設の中でも奥にあった。別館になっているのだろうか、通った渡り廊下には子供でもわかりやすく赤文字で書かれた『入っちゃダメだよ』の看板があった。

 それさえ無視して進むのはフュンフだから、ミュゼもアクエリアもその後ろを付いて歩く。

 日中というのに暗いのは窓が少ないからか。外気温は最近上がって来ているというのに、肌寒ささえ感じる。

 これまで見て来た施設内部と様変わりしたようなその場所で、アクエリアが眉を顰めた。

 辿り着いたその場所が、鉄扉の部屋だったからだ。


「聞こえるか、アクエリア」


 それまで沈黙を守っていたミュゼが、小声で問い掛ける。

 何を、と聞き返さなくても分かる。何かが内部で振るわれて、壁や扉を打ち付けている。軽く鋭い殴打音が、外に居る者の耳にまで届いていた。


「聞こえない訳ないでしょう」

「良かった」


 つっけんどんな言い方も、ミュゼには通用しない。平然と『良かった』なんて言えるくらいには胆が据わった女だ。けれどそれは、アクエリアの態度に対してのみなのだが。

 鉄扉は重そうだ。フュンフが使用している施設長室の扉とは比べ物にならない重量。それに手を掛けたのは、アクエリアで。

 最終確認の為に、一度振り返る。


「ミュゼ、武器は持って来ていますか」

「一応な」


 言うなり、ミュゼは服の裾を太腿が露わになるまでたくし上げた。細くしなやかな脚が晒された所を、不可抗力ではあるがフュンフはしっかりと視界に収めてしまう。勢いよく顔を逸らすが、時既に遅い。まるで性経験の浅い思春期男子のような反応だ。

 え、とアクエリアが反応を信じられずに声を漏らす。

 ミュゼはその場で噴き出して笑ってしまった。


「っはは、ははははは!!! 話には聞いてたが実物見ると面白いモンだなぁ!!」


 太腿に括り着けられていた三つ折りの槍を手に取ると、それを一本の長槍になるように伸ばす。

 顔を真っ赤にしたフュンフは、大袈裟に咳払いをすると目を吊り上げて叱咤の声を浴びせてきた。


「笑っていないで始めて貰おうか。私も暇では無いと何度も言っている筈だ」

「はいはいよ」


 扉を開けば戦闘は免れないだろう。相手を殺さず終えられたら御の字、どんな種族でも子供には死んでほしくない。……と、言うのがミュゼの意見だ。

 でも、アクエリアは。


「……マスターから、殺しても許可すると言われています」


 今ここでマスター・ディルからの言葉を口に出すくらいには、手加減をしないという事だ。

 フュンフが言葉を詰まらせる。彼にとっての弱点であるその名の持ち主の怒りを感じ取ってしまって、これ以上を強く言えない。


 沈黙を破ったのは、鉄扉が開く音。




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