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 十番街は小高い丘の上にある。

 国としてのアルセンの象徴である白亜の城、それを広範囲に囲む外壁。

 ミュゼはそれを間近で見るのは初めてだったが、アクエリアはそんなものに興味を示すことなく道を進んだ。

 十番街には商店も無ければ屋敷も無い。あるのは城と、それに関わる施設だけ。

 高等学校、士官学校、三神教アルセン本部。それから様々な公的施設があって、孤児院は隅に位置していた。


 孤児院と聞いて浮かんでいた、ミュゼの居た素朴な施設。

 その思考を圧倒的に上塗りするような、物々しい煉瓦造りの外壁がミュゼの前に立ち塞がっている。


「……アクエリア」

「はい」

「一応念の為に聞くけどさ。ここ、何?」

「王立孤児院です」

「おうりつ」


 ミュゼが働いていた孤児院は、昔貴族が慈善事業の一環として取り組んでいたものだ。教会併設だったが、戦争の皺寄せを喰らって貴族はもう運営から手を引いている。

 だからこそアルカネットの寄付が有難かった、と聞いていた。今はミュゼも少額ながら寄付する側に回って、それで健全な運営が出来ているらしい。

 しかしこの王立孤児院とやらは、アルカネットやミュゼが寄付する金額では運営資金の足元にも及ばないだろう。王立というだけあって財をどれほど導入しているか分からない。


「……え、ここ? ここなの、フュンフが居るの」

「だと思いますよ。場所を孤児院に指定しといて当の本人がいないってんなら、残った目玉は俺が抉り出します」

「頼むから止めて。……ん? 残った目玉?」

「………」


 どうしてこうも喧嘩腰なのか。ミュゼは懇願すると同時、違和感を覚える単語を聞き返す。


「まぁ、本人に会ったら分かりますよ」


 軽くはぐらかしたアクエリアは、不審者の来訪と孤児の脱走を阻む為の重量を感じさせる門に向けて歩き出した。




 孤児院に入る為の証拠として提示したのは、フュンフ・ツェーンから送られてきた手紙。封筒の印を見ただけで、門はあっさりと開く。

 中に二人が入ると、重い音をさせながら門が再び閉まった。

 道案内に現れたのは、まだ年若いであろうシスター。こちらに、と短いながら気品を感じさせる落ち着いた声に誘導されて、建物内部に入った。


 建物の中から見える孤児院の庭は広く、遊具も多く設置してある。孤児院ひとつにそれだけの数の遊具がある事を俄かに信じられなくて、ミュゼが感嘆の声を漏らした。

 一番最初に案内されたのは、何故か更衣室だった。男女で隣り合っているが別になっていて、何故ここに連れて来られたか分からずに二人が目を丸くする。


「子供達が外からのお客様に気付くと、必要以上に興奮してしまうので。来院されて応接室以外まで足をお運びいただく初めての方には着替えをお願いしています」


 その言葉には二人とも納得した。閉鎖的な環境にいる子供だと、少しの刺激が伝播して興奮が連鎖していく。

 ミュゼはかつて働いた孤児院で、滅多に出ないケーキがテーブルに並んだ時の子供の興奮ぶりを思い出してげんなりしている。喜びに飛ぶわ跳ねるわで大変だった。

 記憶を辿るのもそこそこに、二人は更衣室に入る。中に用意されていた服に着替えて、出てきたアクエリアを見たミュゼの反応は、口許を両手で覆って笑いを堪えていた。


「……似合わないって言いたいんでしょう。我慢せず笑ったらどうですか」


 中に用意されていたのは男女別の黒の聖職服だ。ミュゼはこれまで別の型だが似たような物を着ていたので違和感もない。しかし、きっちりと一番上の(ボタン)まで閉じたアクエリアの姿はまさに『胡散臭い』の言葉が似合う。

 笑いを堪えて俯いたミュゼの一つ結びの髪が後頭部で揺れた。


「さ、お二人とも。こちらへどうぞ」


 そんな二人を微笑ましく見ていたシスターだが、彼女には彼女の仕事がある。

 この二人を、フュンフ・ツェーンの待つ部屋まで案内する事だ。




 ミュゼの探している人物の一人と、漸く会える。

 相手がどういう人物だったかは、育ての親から聞いていた。

 『趣味の悪い頑固者』『厭味ったらしい言葉選びの皮肉屋』『誰がなんと言おうとアイツはゴミ以下』『しつこいぞ思い出させるなあんなクソの事なんて永劫忘れておきたいんだよ馬鹿』。

 年齢は今だと四十代だろう。フュンフ・ツェーンという男の事で、知っているのはほんの少しだ。


「ミュゼ?」


 アクエリアが、道の途中で名を呼んだ。それに釣られて顔を上げる。


「そんなに笑って、楽しそうでいいですね」

「笑ってる? 私、笑ってるの?」

「笑ってますよ。いい笑顔ですね、俺の沈んだ気分とその楽しそうな気分を交換してください」


 笑顔を指摘されて、ミュゼが自分の顔を触ってみた。

 楽しいかと聞かれたら、分からないと答える。

 でもフュンフに会えるのは嬉しいと答えられる。

 その名を忘れた事は無かった。理由は誰にも語っていないものであるが、彼の存在がミュゼである『ミョゾティス』の一部分を作っている。

 フュンフとの関係性を聞いたら、誰もが驚くだろう。驚いて、耳を疑って。

 そしてきっと、ミュゼを精神病院まで連れて行く。


「こちらです」


 シスターの道案内が終わった。


「えぇー……」


 ミュゼの声が漏れる。

 目の前にあるのは権力を感じさせるような大きさの濃茶色の扉。

 部屋の種類を示す上部の標識には『施設長室』と書いてあって、マジかよ、とミュゼが囁いた。

 扉は、シスターの手によって叩かれる。入室の合図は三回。間を置いて、中から男の声が聞こえた。


「―――入れ」


 ミュゼの心臓が大きく跳ねる。

 この声が、探していた人物。

 私の、―――。

 声にならない言葉が、吐息となって口から漏れ出た。


「遠慮なく」


 言って扉を開いたのはアクエリアだった。

 目の前が霞むような錯覚を覚えながら、中に入るアクエリアをミュゼが追う。


 中にいた人物は一人。黒に近い茶の執務机の向こうで、背を向けて立っている。

 視線の先は窓だ。花が咲き誇る敷地内を、後手を組んで眺めていた。

 背格好はアクエリアと似通っている。癖の強い質の髪は茶色を宿し、背中で三つ編みにして纏めている。


「お久し振りですねぇ?」


 アクエリアの言葉に、男は振り返らない。

 けれど、顔を見せることなく俯いた。


「……。やはり隊長は……ディル様は、未だ御赦しにはならぬか」


 声が沈んでいた。

 彼の呟きに舌打ちし、吐き捨てるようにアクエリアが言葉を繋げる。


「許さないでしょうね。俺だって頼まれなきゃ来たくもなかった。そんな辛気臭い妄言を聞かせるって言うのなら、今度は舌でも切り取ってやりましょうか」

「アクエリア!」


 どうも、今日のアクエリアは様子がおかしい。不必要に喧嘩を買って、売ろうとして、冷静な筈の彼が冷静でない。

 縋るようにミュゼが腕を掴んだ。これ以上危うい事を言わないで欲しくて、本気で止める。

 そこで漸く、来客は二人いたのだと気づいた様子の彼が部屋内部を振り返った。


「………っ!!?」


 彼も。

 ミュゼも。

 同時に息を呑んだ。


 彼――ーフュンフは、黒の眼帯をしていた。その眼帯からはみ出た切り傷痕は生々しく、右の目を中心に縦に走っている。

 肉さえ抉れているその傷から察するに、そちら側の目は何も見えないのだろう。

 フュンフは。


「……『花』……隊長」


 ミュゼを見て愕然とし、ただ一言呟いた。


「あの子では無いですよ。貴方が見殺したあの子は、もうとっくに死んだじゃないですか」

「……あの方では、ない……?」

「片方しか残ってない目も腐り始めたようですね。使い物にならない目なら潰してやりましょうか」


 そこまで言われる程、似ているのだろうか。ミュゼは自分の外見がそんなに彼らにとって亡くなったと思っている女と似ていると言われることに不愉快さを覚える。

 自分はミョゾティスだ。ミュゼと周囲に呼ばせている個人だ。誰かと重ねて見られる事がこれだけ続くと苛立ちに耐えられない。


「お初にお目にかかります、フュンフ様」


 それでも、ミュゼは大人だった。そんな不愉快さを押し隠し、服を摘まんで淑女の礼をする。

 金糸の髪に、翠の瞳。指先の動きまでしおらしいシスターを演じるミュゼに面食らったのはフュンフだ。仕草が記憶の中の『彼女』とやらと一致しないのだろう。


「私、ミョゾティスと申します。理由があって姓を名乗ることが出来ませんが、今はマスター・ディル様の元で酒場で暮らしております」

「……ディル様の? ということは、貴様もギルドの一員か」


 他人の空似と分かった瞬間『貴様』呼ばわり。

 ミュゼもアクエリアのように舌打ちして毒づきたくなったが、もう少しだけ我慢することにする。


「末席に置かせていただいております。新参ではありますが、お見知り置きいただけると嬉しいです」

「……ふん。関わり無ければ一月で忘れよう。生憎こちらも暇ではないのでな」


 流石にミュゼの表情が引き攣った。

 成程、この男は確かに『最悪』と評されるだけのことはある。許されるなら淑女の振りなどかなぐり捨ててぶん殴ってやりたい。

 苛立ちを抑え込んで、ミュゼがアクエリアに顔を向ける。その顔が余程怒りで歪んでいたのか、彼は少し戸惑った顔をしていた。


「悪いがアクエリア、少し席を外してもらっていいかい」

「は? ……何でです」

「話があんだよ。こんな毒舌気取った小難しい嫌味垂れ流す男に、私なりに相談があんだ」

「聞こえているぞ、ミョゾティスとやら」


 聞こえるように言ったのだ。あらそうですかおほほ、と軽く笑って誤魔化して、アクエリアを部屋の外へと追いやる。

 来た時と同じように扉が閉まった時、もう部屋の中にはアクエリアはいない。


「……それで?」

「先にひとつ。私の事はミュゼとお呼びください」


 フュンフは既に落ち着いている。自分の執務机に座り、肘をついて指を組む。値踏みするようにミュゼを見る顔は、心底面倒臭そうな顔だ。


「お聞きになりましたでしょう。ご相談があるのです」

「つまらぬ話であれば退去願おうか」

「そういう所、ディル様に似ていらっしゃいますね。尤も、あの方は『斬り捨てる』と仰いましたが」


 様子を窺う為に出した名前に、フュンフは目に見えて反応した。

 神経質そうな目が瞬く。今でも許しを乞う程に、フュンフは彼の事を気にしているらしい所を利用した。

 案の定、その嫌味な口が閉じられる。


「そのディル様にもお話しました。あの方は少々お悩みでしたが、条件付きで私の相談を受けてくださいましたよ」

「条件、と?」

「私が、一員となる事です」


 何の、とは言わなかった。けれどそれで概ね理解されたらしい。

 マスター・ディルとミュゼは利害関係にある。不要となれば斬り捨てられるだけのミュゼでも、マスターを縦に頷かせられるだけの何かを持っている、或いは知っている。

 けれど、彼が相談を受けたとして、フュンフが同じように頷くとは限らない。どんな話だ、と余裕を持って耳を傾けていたが。


「元『花』隊長は、死んでいない」


 言われたその一言が理解出来なくて、フュンフの目が見開かれた。


「彼女と私は血縁で、彼女に死なれたら困る理由が私にあります。でも彼女の所在が分からない今、彼女が生きていると裏付ける事が出来る人物を探しているのです」

「……生き……? 馬鹿な、あの方はどれだけ探しても現れなかった。死体もだ。左腕だけを残して」

「聞きました。生きているとは考えにくい量の血痕もあったのでしたっけ。でも、死体は未だに見つかっていない」

「……それは」

「死んでいない。けれど生きていないかもしれない。それは死体を確認するまで、永遠に謎のままの筈です。……どなたですか、彼女が死んだと決めつけたのは」

「それは―――」


 フュンフが何かを言いかけて、はっとしたように口を噤む。

 これは『知っている』顔だ。けれどフュンフが続きを言う事は無くて、代わりに別の話題を振ってきた。


「……生きていると裏付けられる人物がいる、との事だが。一体誰だ」

「貴方に関わりがある筈の人物なのですけれど」

「私にか? ……心当たりがまるで無い」

「双子」


 ミュゼは核心に近い所まで、来た。


「私のような『混じり』の双子をご存じありませんか。姉妹です。私が知っているのは名前と髪の色が銀というだけ、顔までは知りません」

「銀髪………双子……? 混じ、……り……」


 フュンフの喉が上下に動く。唾を飲んだような動きで、ミュゼは確信した。

 『いる』。

 フュンフの声を初めて聞いた時のように、心臓が大きく鼓動する。口から、吐息が震えて出て来る。


「名を、ウィスタリアとコバルト」


 その名を告げるだけで精一杯だ。

 フュンフは躊躇いながらも、唇を引き結んで。


 でも、ミュゼが望んだ答えとは違っていた。


「名は違う」


 簡潔にそれだけを述べたフュンフの口が再び開くのは、青ざめたミュゼの唇の震えが収まるのを待ってからだった。



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