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 分からない。


 なんと答えれば正解なのか。


 分からない。

 分からない。


 ジャスミンの視線が、一瞬だけユイルアルトを見ても。


 分からない。


 直接命を奪われそうになったことだってあるのに、それとは違う種類のこんな恐怖を今まで感じたことが無い。

 どう返答をすればいい。それにはどう言葉を選べばいい。どう答えれば、王妃殿下は納得してくれるのか。

 納得してもらうだけでは駄目だ。その機嫌を損ねないようにしなくては。けれど舌先三寸の嘘で、この王妃の眼光をすり抜けられるものか。

 分からない。

 分からなくて。


 怖い。


 まるで体が自分のものでなくなったかのような錯覚。

 幾通りもの言葉が頭を掠めていって、それが口に出していいのか分からずに泡沫のように消える感覚。

 この場において味方はいない。いや、寧ろ。


 誰も巻き込んではいけない。


「私です」


 決心して口を開きかけたユイルアルトの耳に、自分のものではない声が届く。


「私が、村から持ち出しました」


 それはリエラの声だった。


「……ほう? リエラ、其方は禁忌植物を扱ったのみならず、それを持ち出そうとまでしたのか?」

「然様に御座います。殿下ならば御存知では無いでしょうか。あの地の薬草は、私の母の形見であると」

「知っている。其方の故郷だろう? ……リエラよ。私は其方の腕を買っている。働きぶりにも文句の付けよう無し、態度も多少慎重で物事を気にしすぎる面あれど、それすらも其方の美徳であると私は思っている。……だからな。そのような其方が、私達に背いて毒草を持ち出したなどとは思えぬのだがなぁ?」


 王妃は言いながら、ユイルアルトを横目で見た。それだけで、またユイルアルトの呼吸が一瞬止まる。

 けれどリエラは淀みなく答える。これが自分の非であると。


「いいえ、殿下。全ては私の責にございます。短絡的な私の行為で、殿下を不快にさせてしまったこと、猛省いたします」

「……そうか」


 座の肘掛けで頬杖を付いた王妃は、五人の顔を順番に見渡していく。


「今、な。陛下はおやすみになっている。幾らか私に裁量を任されていてな。この場で処分を申し渡そう」


 少しだけ気怠げで、けれど穏やかで。

 そんな王妃の声が語るのは。


「リエラ・ヨタ。今この時を以て、其方から宮廷医師としての地位を剥奪する。同時に此の地からの追放も命じよう。私が生きている間の日の出から先、この城下の地を踏むことを許さぬ」


 それまでと一切変わらない声色で、重すぎるとさえ思える処罰を下した。

 明らかに様子が変わるフィヴィエルとは対照的に、リエラは落ち着いていた。まるで『それで済んだ』とでも思っていそうな冷静さだ。


「猛省、の言葉を信じて処刑は免じてやろう。私が何処とも知れぬ果てで、永劫恙無く暮らせ」

「……はっ」


 リエラはそれだけ言うと、顔を伏せたまま動かなかった。


「ヴァリン、フィヴィエル。見抜けなかった其方等にも多少の罰をやろう。ヴァリン、明日から私室にて謹慎一週間だ」

「明日から一週間……とは、また微妙な日数ですね。失礼、承知致しました。殿下の言葉通りに」

「フィヴィエル、其方への罰だが」


 若き騎士へ視線を向けた、その瞳がとても冷たい。

 フィヴィエルはその圧だけで、ユイルアルトやジャスミンにも分かる程に狼狽えた。

 王妃の指が、自らの唇を辿る。


「『会うな』『伝えるな』『そうだと感知させるな』。……誰に、など、言わずとも其方が一番分かっているだろう?」

「………っ」

「ああ、それからリエラ」


 王妃はこれを最後にするつもりで口を開いた。


「其方の息子フィリートには、其方の事を伝えておこう。なに、あの者は壮健だ。これから先、其方の事で彼奴には罰を下すつもりもない」

「……お慈悲を、ありがとうございます」

「慈悲などと。そんな事本気で思っているのか? ……まぁいい、ヴァリン。其方以外は皆外へ。荷造りするのに時間が必要だろう?」


 まるで追い立てられるように、王妃の一言で控えていた騎士達が五人の側に寄る。

 ヴァリンはその場に残っていたが、フィヴィエルをはじめ女性三人は先導のままに謁見の間を出て行った。

 四人がいなくなったのを確認して、ヴァリンが体を捻りながら立ち上がった。


「……下段で謁見するというのも、久し振りなので勝手が分かりませんね」


 いつも酒場やその面々といる時は浮かべている軽薄な笑みが無い。その場に居るのは『王子』のアールヴァリンだ。

 そんな義理の息子の姿を見て、王妃が笑う。


「其方が下段に居るのは何かの夢かとも思うな。して、どうだった小旅行は」

「この姿を見て、楽しそうだったと思われますか? でしたらどうですか、義伯母様達をお誘いになって行ってみては」

「ふふ、あの子達は旅行になど興味はないだろうよ。何処かの誰かが遺した、何処かの誰かが碌に商売をしない酒場を抱えていてはな」

「……………、そう、ですね」


 義理とはいえ親子の会話だ。二人の口調はそれまで見せていたものよりも柔らかい。ヴァリンは苦笑を浮かべつつ、世間話には興味ないとばかりに王妃に背を向けた。


「ヴァリン」


 その背を呼び止めるのも、王妃だけだ。


「『ソルビット』の姿が見えないと報告を受けたが……、其方、あれをどうした?」


 その質問が来ると分かっていて、肩越しに振り返ったヴァリンは笑みを浮かべていた。


「眠って貰っています。今度こそ、安らかに」

「……、そうか」


 その笑みに、なにかしら吹っ切れたようなものを感じた王妃はそれ以上何も言わない。

 ヴァリンも、そのまま謁見の間を後にする。




 謁見の間から先に出ていたユイルアルトとジャスミンは、扉が閉まったと同時に膝から床に崩れ落ちた。

 ジャスミンは寒さに耐えきれないといった程に体を震わせていて、両腕を自分で抱いて蹲っている。ユイルアルトも、ジャスミン程ではないものの震えが止まらない様子を見せた。


「大丈夫ですか!?」


 フィヴィエルは二人へ声を掛けた。最初に寄り添ったのは様子が酷いジャスミンへだ。

 ユイルアルトにはリエラが寄り添い、その背を優しく撫でる。


「……王妃殿下、って、ヒューマンでは、ないのですか」

「殿下は、……プロフェス・ヒュムネと呼ばれる種族です」


 プロフェス・ヒュムネ。

 二十年ほど前に、他国の侵略を受けて滅亡した国『ファルビィティス』に住んでいた種族。

 総じて美しい黒髪を持ち、種族に伝わる特殊な種を使い、その種には出来ないことは瞬間移動と死せるものの復活だけだと言われている。

 見た目だけを完璧なヒューマンに擬態することは出来る。しかし、眠さが勝った王妃はつい素の姿を見せた―――そうであって欲しかった。


「殿下は、配下に圧を掛ける時にあの姿をお見せになる事もあります。……私のした事を重く見ての事かも知れません」


 その外見さえも(まつりごと)の道具。

 リエラは無表情だった。先程下された処分を予想こそしていれど、実際命じられると心が付いて行かないようで。

 リエラの背を撫でる手付きに落ち着いたユイルアルトが、唇を噛みしめた。


「……私よりも、リエラさんの方が」

「私、ですか?」


 リエラは力なく首を振る。


「私の事は、良いのです。……もとより、もう私には守るものも……なにも残っていない」

「貴女は!! それでいいんですか!? お子さんの事だって!」

「いい、と」


 悲しみが滲む、そんな声だ。


「……諦めなければ、次に処罰が下るのは……息子……フィリートでしょう」

「それで、納得、するんですか。出来るんですか」

「昔も今も、未来でさえ。望むのは『子の幸せ』です。ですが、私は選択に後悔はないのです。変ですかね?」

「でも、あの鉢だって、本当は私の」


 ユイルアルトがどうしても口を開けなかった罪を代わりに背負ってくれた人。

 リエラは言葉を切りながらの訴えに、再び首を振る。


「今更罪をひとつ多く背負った所で変わりはしませんよ。……貴女はいい医者になります。そんな貴女に何か罰が下ったら、私はきっと、悲しい」


 リエラは立ち上がった。それから、挨拶も無しに歩き出す。向かうのは恐らく自分の私室で、今から荷造りするのだろう。

 その背を見送るしかない三人。それまで蹲っていたジャスミンが、震える声で言葉を紡いだ。


「いいん、ですかフィヴィエルさん」

「……」

「貴方のっ、お母様がっ、こんな仕打ちを受けて! 何も声を掛けないんですか!?」


 ジャスミンは、泣いていた。

 それでユイルアルトは悟る。ジャスミンも聞かされていたのだろう、恐らくは、フィヴィエルの口から。


「……殿下からの命令ですので」

「でも! あの人は貴方の!!」

「僕が声を掛ければ、僕も。母も。更なる処罰を受ける。僕は処罰なんて今更怖くないけれど、母へのこれ以上の処罰が下るなら……あとは処刑しかないんです」


 城における懲罰の制度は、騎士であるフィヴィエルが一番分かっている。

 だからこそ、声を掛けられない。今までどれだけ求めたか分からない母に、自分が息子だと声を掛ける事を許されない。

 城に仕えているからと、その理不尽さえも受け入れる二人の姿は、ユイルアルトの目にもジャスミンの目にも異常に映っている。


「……いつか、僕が功績を上げて何か一つでも、褒美を許されるのであれば。……母の事を、願おうと思っています」


 気の長い話だ。いつになるか分からない。

 そんな望みしか抱けない程に、フィヴィエルは『教育』されてしまっている。

 この国に。

 騎士として。


「……そうですか」


 そのひたむきな想いに面と向かって、見損なった、とは言わなかった。

 ユイルアルトがそれだけ言って立ち上がる。その時、また再び扉が開いてヴァリンが姿を現す。


「……なんだ、お前ら。まだこんな所にいたのか」


 ヴァリンは目に見える疲労感を除けばいつも通りだ。怠そうな表情で三人の姿を眺めると、凝り固まった首をほぐすように回して口を開く。


「フィヴィエル、お前ももう戻れ。明日から休暇に入るんだろう、疲れを取れ」

「……はっ」

「ユイルアルト、ジャスミン。お前達も俺が送る。酒場にも帰還の連絡入れてあるから、すぐに風呂にも入れるだろう」


 ヴァリンが気遣いを見せてくれたのが嬉しかった。なんだかんだ言って、女性の事になると気が多少は回せる男なのが小憎らしい。

 ジャスミンもユイルアルトも、軽く頷いて城を後にする。


 その頃には、もうユイルアルトは自分がどうしたいかを心の中で決めていた。



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