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 ヨタ村から帰ってきた面々が『その場所』に到着して、目の前に聳える大振りの扉が開く。


「今から謁見だ。気を抜くな、尋ねられた以上の言葉を喋るな」


 ヴァリンが四人に掛けた言葉に、ユイルアルトとジャスミンが気圧された。

 『そうするとどうなるんです』。分かりきった事は聞けなかった。

 今から謁見する相手はこの国の権力者なのだろう。粗相をすればヴァリンさえ庇いきる事の出来ない程の人物。

 先程、ヴァリンはその人物の事を『王妃殿下』と言った。


 現王妃、ミリアルテア。


 国王陛下の後妻であり、末の王女を一人産んでいる。若くして亡くなった前王妃と現王の間に生まれた四人の王子・王女にとって一番下の妹。

 王妃自身、品格も備わっており王宮内の活動にも精力的だと言われている。しかし公の場に出る時の王妃はいつも、藍色のヴェールで顔を隠していた。その素顔を知る者は、国内でも僅かにしかいないらしい。

 緊張で震える指先を、ユイルアルトが握りこむ。

 今すぐ帰りたい。それが叶わないなら、早く終わらせてしまいたい。

 願うユイルアルトの希望を察したかのように、重い音をさせて扉が開いた。




 開かれた扉の向こうは、色々な意味で別世界だった。

 赤い絨毯が引かれた広間、絨毯の両側を騎士が二列に並んで向かい合っている。話にしか聞いたことのない近衛兵だ。全身を銀色の鎧で覆っており、兜で顔も見えない。

 深夜だというのに煌々とした灯りが部屋を満たしている。天井を見上げれば、宝石らしい何かが部屋を光で照らしていた。


 通路のように敷かれた絨毯の向こう側には室内というのに階段があり、その先に豪奢な椅子が二つ並んでいる。

 向かって左側は空席、右側は女性が座っていた。


 今までのユイルアルトの語彙力では表現できない空間だ。

 煌びやかであり、同時にどこか薄ら寒い光景。虚飾、という言葉が脳裏に過った。無駄に飾り付けている訳ではない。権力者が下々の者と接する最低限の装飾はあるものの、それら全てがユイルアルトを拒絶しているかのような感覚。お高くとまった、とでも言えばいいのか。

 城に入った時から続く不気味な違和感にユイルアルトが眉を顰める。此処は国の象徴の筈だ。そこが民を拒んでいるなど、あっていい訳がない話で。


 先頭をヴァリン、その後ろをリエラとフィヴィエル。更にその後ろをユイルアルトとジャスミンが歩いた。暫く歩いたのちに、先導する三人が片膝を付く。それを真似して、後方の二人が膝を付いた。


 ユイルアルトは膝を付いて、頭を垂れたまま顔を上げられない。

 顔を上げれば視界に入ってしまう。階段の上、席に付いた女性の姿を。

 肘から先が震え始めた。両手を重ねて耐える事も出来ない。今不自然な真似をして、その人物の視線を受けたくなかった。


 なんだ、あれは。


「―――大儀であった」


 顔を上げると視線が向くであろう先は玉座の筈だ。

 空席なのは話に聞いた国王陛下の座所だろう。ならばもう一つの席に座っているのは王妃殿下以外に有り得ない。

 話には聞いていた。粗相をすればヴァリンさえ庇いきれない相手だ。

 それは王妃という立場がそうさせていたのだろうと思っていたが。


 何故―――()()()()()()()()()()()()()


「先ずは先んじて任務に就いていた者から労おう。リエラ、此度は多大な苦労があったろう。一応の任を全うして戻ってこられたことを、私は嬉しく思う」

「……勿体無いお言葉、身に余る光栄にございます」


 返礼したリエラの声はいつも通りだ。ならば、リエラにとっては知っている事なのか。

 腕の肘から先、袖が無く露出した腕の肌から所狭しと花が咲いている。作り物かと目を疑う光景だ。そのような悪趣味な作り物を、王妃がして得があるのかというのは疑問だが。

 ユイルアルトは勝手に想像していた。王子であるヴァリンは見た目だけで言えば普通のヒューマンだ。ならば後妻といえどもその王妃も、権力を持つ『ヒューマンの女』であるだろうと無意識に考えが向いてしまっていた。


 ヒューマンでは、ない。


「それから……フィヴィエル、アールヴァリン。唐突な護衛任務にも関わらず、無事に職務を全うしたようだな。以後も同様に励め」

「承知致しました」

「御意に」


 フィヴィエルの声も変わらない。ヴァリンに関しては義理と言えど親子であるので知っててもおかしくはないが。


「……して、ユイルアルト。ジャスミン」


 名を呼ばれた二人が、同時に肩を震わせた。ジャスミンもユイルアルトと概ね同じことを考えているようで、こちらはユイルアルトの比ではない程に体が震えている。


「どうした、寒いか?」


 どこか気だるげな王妃の声。それに否定を返そうとしたが、喉が潰れてしまったかのように声が出ない。

 ひゅ、と息を吸う音だけが辺りに届いた。


「恐れながら、王妃殿下」


 それに言葉を返したのはヴァリンだった。


「『その姿』を民に見せるのは、些か刺激が強すぎるのではないでしょうか?」

「姿? ……ああ、ふむ」


 それで理解した様子の王妃は、溜息のような呼吸音をその場にいた全員に聞かせた。

 恐る恐る僅かに顔を上げたユイルアルトの視界の中で、王妃の腕にあった花が全て肌の中に吸い込まれていくのを見た。後に残るは、王妃の白い肌だけ。


「私も睡眠を取っていたのでな。気にするでない、睡魔の名残よ」

「お忙しい中、休息の時間に帰還の謁見を申請して申し訳ありません」

「構わぬよ。我が身より執務の方が重要であろう? ……改めて、ユイルアルト。ジャスミン。其の方らも唐突な勅命からの帰還、私は有難く思っている。あの酒場に戻った後は、ゆるりと休んで貰いたいものだ」


 ―――勅命。

 その言葉に再び体が冷える思いをした。確かに、宮廷医師が関わった仕事だ。ならば王家からの下命でしかないだろうという事は分かっていたけれど。

 それでも、仕事を言い渡した時にその場にいたのは暁だったじゃないか。こんな風に、王妃殿下が出て来るなんて聞いていない。


「……こ、光栄で……ございます」

「あ、あり……ありがとう、ございます」


 見た目だけは普通のヒューマン体に戻った王妃だが、二人からは恐怖が消えない。

 震える体を抑えながら、合わぬ歯の根で答えるのが精いっぱいだ。


「―――さて」


 たった二言だ。その声が聞こえた瞬間、二人に再びの恐怖が訪れる。

 声が低い。張りのある女性権力者の声が、ある一方に向けて放たれた。


「次の話だ。リエラ。改めて私に報告すべきことがあるだろう?」


 途端、リエラが震え出した。ヒューマンではない者の声で、視線で、その罪を自ら語れと脅迫されている。

 恐怖しかないであろうリエラが、その場に手を付いて自らの体を支えた。そして、体も、声さえも震えながら自分があの村でした事を口にする。


 任務をもう一人の宮廷医師に邪魔されていた事。

 その医師が村人と同じ病に罹患した事。

 その間にも何人もの村人が死した事。

 手遅れな程に血を吐いた医師を、元は重篤患者であった死体しかないもうひとつの小屋に押し込んだこと。

 医師をそのまま放置して死なせた事。

 そして―――禁忌植物で、薬を作った。そしてそれで村人の命を救った事。


 その報告を聞き逃さないよう、誰もが無言だった。そしてそのあまりの内容に、ジャスミンが顔を背ける。

 最後の一言まで聞き届けた王妃は、座ったまま「ふむ」と納得したような声を出す。


「……して、『これ』があのデナス、という訳だ」


 王妃が指の動きだけで何事かを合図する。

 すると五人が入ってきたのとは違う扉から、これもまた騎士らしき人物が三人ほど現れる。

 一人は抱える程の大きさの箱を。

 一人は布に包まれた平たい何かを。

 一人は裸のままの書物を片手に、それからもうひとつ、これもまた布に包まれた顔程の大きさの何かを持っていた。

 三人が階段の下に、それを並べて退室していった。

 王妃はそれから立ち上がり、階段を悠然と下りていく。


「この者は親が宮廷医師だったでな、親から譲り受けた地位という訳だが……あの者の噂を聞くに、とんと医術に疎いという話であった。それがよもや、自分の命を奪う原因になったとは死しても思っておるまいて」


 王妃が最初に位置付いたのは死んだ宮廷医師の遺骨が入っている箱の前だ。


「無能には用は無い。朝になれば、誰ぞにこれと幾ばくかの金を渡して、家まで持って行かせて終わりだ。身内にはこれと同じような馬鹿げた思考にはなるなとでも伝えるか」


 それきり王妃は興味を失ったように、隣の荷物に移動した。

 布に包まれた平たい何かだ。それをわざわざ、王妃自ら包みを解いていく。


「……ヴァリン、これですべてか?」


 中から現れたのはユイルアルトとジャスミンが検分した、リエラが薬を作る際に使用した禁忌植物だ。最初に見た時よりも、更に水分が失われている。完全に乾燥しきったものもあり、器の中でかさかさと音を立てて葉が転がった。


「リエラの言が正しいのであれば、それですべての筈です」

「ふむ? この数で治療が可能とはな……。いや、医学の世界は奥深い。全く、これでこの国の禁忌植物とされているのだから浅学は罪だと言えような」


 その器をわざとらしく、遺骨の入っている箱の上に置いた。まるで無能な医師を咎めているかのような乱雑な置き方だ。

 次に王妃が手を伸ばしたのは、もうひとつ布に包まれた何か。それを優しく抱きかかえ、胸の中で包みを解く。


 解かれたそれに目を剥いたのはユイルアルトだった。


「……さて」


 王妃の視線が、ユイルアルトに向く。


「『これ』は、どういうことであろうなぁ?」


 それはユイルアルトが酒場を出る時に持ち出した鉢だった。

 僅かな芽が出たそれは、ここ数日間も成長を続けている。

 ジャスミンの瞳が揺れた。ユイルアルトは、額からこめかみを伝って流れる汗を止められない。

 二人が答えあぐねている間に、王妃は片手で書物を開いた。

 禁忌植物が載っている、王家所有の本だ。


「私もこの本には目を通した事があってな、この葉の形は特徴があるので覚えていたのだが……どういうことだ? これは今回の薬に使用されていない。しかし禁忌植物に該当しているではないか。何故荷の中にこれがある?」


 王妃の指は、躊躇いなく頁を捲る。

 ぱら、ぱら、と聞こえる捲る音が止まった時、王妃はそれを全員の視界に入るよう広げて見せた。

 『レイアンガ』。鉢の中の植物だ。


「……ぁ、っ」


 漏れた声が、一拍遅れで自分のものだと気づいた時にはもう遅くて。

 ユイルアルトは、自分の口を抑える事も出来ずに王妃の視線を直に受けていた。


「答えよ。この鉢の所有者は誰だ」


 王妃の高圧的な問い掛けに、即座に答えられるような胆力はユイルアルトには無く。

 返答如何では、自分にどんな処罰が下るかを想像すると声が出なくなった。

 




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