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 二人が小屋に向かうと、土で汚れた二人の姿を誰もが訝しんだ。

 服も手も汚れ、泥遊びでもして来たのかと疑われるほどの姿。早いとは言えない時間にやっと小屋に到着して、今まで何をしていたのだと全員の視線が物語っていた。


「今動ける奴は付いて来い」


 そんな視線をものともせずに、ヴァリンが小屋に居る者たちへ声を掛ける。


「死者の葬送の儀を、簡略的にだが執り行う」


 汚れた格好の王子殿下はまだ体調だって本調子では無いだろうに、そんな様子をおくびにも出さずに言い切った。

 生き残りの村人達は動揺している。死した者達を安らかに眠れるよう送りたいとは思っていても、こんな急に言われるとは思っていなかったからだ。

 それも、こんな地位があれど見も知らぬ他所から来た青年から。

 動揺を知ってから知らずか、ヴァリンは言葉を繋げた。


「この地方ではどういう葬儀をする?」

「……各々の家で、花を持ち寄って、祈りと言葉を捧げます」

「祈りって三神教で良いのか? そこはあまり城下と差異は無いな。……因みに土葬か、火葬か?」

「土葬です。向こうの山に代々の墓があって……」

「燃やす」


 言葉を遮るように、ヴァリンが短く吐き捨てる。

 途中まで話していた男は、その短い言葉を聞いて驚きに目を見開いていた。それに反応したのは村の女だった。


「お、お待ちください。あの穴には私達の身内がいるんです。それを、燃やすだなんて……」

「そのまま土を掛けただけでは村の汚染は防ぎきれないぞ。燃やした所で、ってのもあるが、埋めただけじゃあの土地はどうにもならない。どのみちあんな事になってるんじゃ、代々の墓とやらに連れていくことも出来んだろ?」

「ですが」


 蠅と獣の集る、腐臭溢れた村。

 それをそのまま土を掛けて土葬の体を保つのはきっと無理。それを全員分かっている筈だ。でも遺体になった者達への情が、その理解を阻害する。

 食い下がろうとする女を、最初に話していた男が止めた。


「もう止めろ。……言われた通りだ。あの土地は、遺体は、燃やさないと俺達が生きていけない」

「でも……だって、あそこには、子供がいるのよ……」


 振り絞るような声の女の言葉に、その場にいた異邦の五人の思考が一瞬止まる。


「この病で、あれだけ苦しんで死んだのに、その体さえ燃やしてしまうなんて……。また苦しい思いをさせるみたいで、私は……辛いわ……」


 子を失っても生き続けなければいけない親の心の傷は、直ぐに癒える訳ではない。

 一生消えない痕になる。

 その痛みを少しだけでも知っているヴァリンは、それ以上継ぐべき言葉を見失ってしまった。


「……お子さんがあのまま、蠅と蛆の中で過ごしていたいと思っているとお考えですか?」


 そのヴァリンの躊躇いに、言葉を足したのはユイルアルトの唇だ。

 母親だった女は、その声色に弾かれたように顔を向けた。


「死体塚がある所に、人は住めません。私だったら絶対嫌ですね、もう原形を留めていなくても、燃やすことを惜しまれて親を苦しめ続けるなんて」


 それは言い方こそ突き放すようなものだったが、声にはそれなりの付き合いがあるジャスミンやヴァリンなら感じ取ることが出来るような僅かな悲哀の色があった。

 彼女は彼女なりに、悲しみに寄り添おうとしているのだ。けれど子を喪った母にそれが伝わるかは分からない。


 ユイルアルトが失ったことがあるのは、子供ではない。

 どうしたって分からない感覚は、誰にだってあるのだ。


「……出来るのは、お子さんの安らかな眠りを祈るだけです。私は、それなら出来るし、したいと思っています」


 最初に小屋を出たのはヴァリン。

 その背中を追うように、ユイルアルトが出て行く。

 次に出たのはジャスミンで、その後がフィヴィエル。

 リエラは、村人の様子を見るために残っていた。


「……リエラ様、私は……どうすればいいのでしょう」


 瞳に涙をにじませた女が、救いを求めるようにリエラに問い掛ける。

 リエラも、問われた言葉に答えが出せずにいた。けれどやがて力なく首を振る。


「私にも、分かりません。お子さんの気持ちはお子さんにしか分からないですし」


 これは個人の心の繊細な所に触れる事柄だ。リエラは、それ以上子の気持ちを口にすることは出来なくて。

   

「けれど、そうですね。もし私が同じ立場に立たされたとしたら。……私も……願うでしょうね。どうか、元気で、と」


 その時のリエラの瞼の裏には、遠い過去に手放した子の姿が浮かんでいた。

 まだ立てもしない程に幼く、小さな我が子。

 もう、彼が何をしているかも分からないけれど、その願いを絶やした日は無く。


 リエラの言葉に、母親だった女が顔を覆って泣いた。

 その背をそっと撫でてやる事しか、リエラには出来なかった。




 先頭を歩くヴァリンの後に付いてきたのは、今この村に居る全員だった。それぞれが小花ではあるが野の花を摘んできている。

 村人たちはまだ困惑を隠しきれていない顔をしている者もいるが、先程動揺していた筈の女の顔は憂いが晴れたような、どこか吹っ切れたような表情をしている。

 未だ小虫乱れ飛ぶ穴の側で振り返り、ヴァリンがその場にいる者達の顔を見渡す。姿は汚れていても、背筋を伸ばした凛々しい騎士王子。その髪と同じような、深い青を湛えた瞳がフィヴィエルの方に向いた。


「……では、これより葬儀を執り行う」


 ヴァリンのよく通る声が、空の下に響いて溶ける。

 騎士二人は同時に抜剣した。それを胸の前で縦に構え、体を穴のある方角へ向け。

 そして同時に、剣を更に高く掲げる。フィヴィエルの剣も、ヴァリンのレイピアも、日光を反射して光り輝いた。


「我が祈りは神の御許に。此の世を生きた我が同胞が、偉大なる貴方の御許へと参じましょう」


 短いながらも祈りの言葉さえ朗々と諳んじるヴァリン。その場にいた全員が、黙して顔を俯かせている。

 粗雑で下品な物言いをする人物と同じ口が放っているとは思えないほど、言葉は慈悲に満ちた優しいものだった。


「安寧を祈り奉る。神の子が生きるアルセンと、旅立つ我らが同胞よ。全ては神の加護に於いて守られる。実り多きその旅立ちに手向けを受け取り給え」


 フィヴィエルだけが剣を鞘にしまうと、村人達を手招いた。順番に一人ずつ、穴の中に花を投げ入れる。

 黄色。

 赤色。

 白色。

 色がそれだけしかない花を投げ入れるのは、ユイルアルト達も一緒だ。

 最後の一輪が投げ込んだその穴を見ながら、ヴァリンが目を伏せた。

 投げ込む前の位置に戻って来た者達は、それに倣って黙祷を捧げる。


「……っ、う……」


 村人から、嗚咽が漏れた。

 殺しきれなかった啜り泣きが伝播して、誰の瞳にも涙が浮かぶ。地に垂れた雫は、花よりも貴重な餞かも知れない。

 充分な黙祷の時間が過ぎて、ヴァリンが顔を上げレイピアを鞘に戻した。そして服の中から赤色の宝石を出した。

 一歩だけ足を引く。それから視線を向けるのは、酷い光景の穴の中だけ。


「……『炎の精霊』」


 呟かれる言葉を、その場にいた全員が聞き届ける。


「『契約行使。骨を残して燃え盛れ』」


 それはもう一つの小屋を燃やした時にも呟かれた文言だ。

 ヴァリンの前に現れた火球はその大きさを次第に増していき、まるで重みに耐えきれなくなったかのように落ちていった。

 噴き上がる熱風。

 穴の上で焼け落ちる羽虫。

 肌が焦げそうになるような温度の風が、その場にいた全員を襲った。

 平然と立っていられているのは、フィヴィエルとヴァリンだけだ。


「……さて」


 ヴァリンは手の中の宝石を見ながら、溜息に似た声を出す。

 宝石は輝きを曇らせてはいるが、姿を損なうことなくそこにあった。欠けても無い、完全な形で。

 二度に及ぶ魔力行使で、中に込められている魔力は空っぽだ。この宝石を再度輝かせるためには、フィヴィエルの三か月分の俸給以上の金額が必要になる。


「デナスの所も火葬は終わっているだろうな。骨を回収したら帰るぞ」


 ヴァリン以外の四人は、その言葉に頷いた。

 火が消えても、その熱が冷めるまで暫く時間は掛かるだろう。

 今炎を点したそれが灰と骨のみになるのを待たずに、この地を発つ。


「……はい」


 リエラは己の胸元で、両手を固く握りしめた。

 どんな裁定が下されるか分からない状態では、その言葉さえも処刑宣告に等しく聞こえる。


「回収は、僕が」


 言い出したのはフィヴィエルだ。しかしその言葉は、ヴァリンが首を横に振って視覚から否定される。


「お前、デナスが何処で死んでたか知らんだろ。いいからお前は少し休んでろ、日中の御者がお前の仕事だよ」


 再びもう一つの小屋があった場所にまで向かう、と言うヴァリンの表情は、決して明るくなくて。

 そんな彼に付いたのは、やはりユイルアルトだった。


「骨を回収するなら容れ物が必要でしょう? 頂いてきた方がいいですか」

「頼めるのか。……お前にか?」

「失礼な」


 他の面々に見せたやり取りはそれだけだったが、短いやり取りの筈のそれが二人の仲が悪くないものであると知らしめるようなものになってしまった。

 いつも冷淡な無表情を浮かべているユイルアルトが、彼の前では僅かながら笑っている。少なくとも、村人にはそう感じ取れる。

 ユイルアルトが村人にそれなりの大きさの容れ物を譲って貰えないか話している間にも、二人の仲を穿ったような視線を向ける者が絶えない。


 そんな風に穿たれるような仲の良さを見せた二人を、ジャスミンだけは冷たい目で見ていた。



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