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 ユイルアルトが日の出前に幌馬車の中で目覚めた時、隣に居たのはソルビットだった。

 本人は気にしているらしいが、今の素顔をそのまま隠さないでいる。抉れた肉も何もかも。

 ユイルアルトは人の傷を見る事も、治療の為に触れる事にも抵抗はないが、死人の霊が死体そのままの姿で現れた光景に飛び起きて後ずさってしまった。


「……流石に、それは傷つくなぁ……」

「暫く姿を見せないのですもの、驚いて当然では無いでしょうか?」


 冷静を装ったものの、心臓は早鐘のような音を立てている。今の状況を確認するように、馬車の中を見渡したユイルアルトが口を噤む。

 外には夜の番をしていたヴァリンがいる筈だ。昨日ここに戻る際、千鳥足になって何度も何度も転びそうになった酒に弱い男。一人でいる筈の馬車内で誰かと話すような声を出してしまったユイルアルトの不安に答えるように、ソルビットが口を開く。


「ヴァリンなら、少し離れてたよ。向こうの茂みで唸ってた」

「唸っ……」

「馬鹿だよねー。飲めないのは体質のせいなのに、あんな強いの飲むんだもん」


 ユイルアルトが調香に使った酒は、彼女自身よく理解していないのだが果実を使用した蒸留酒だ。香りも色も濃く出るが、同時に酒気が強い。

 自棄酒も同然の飲み方をして、酒に弱いヴァリンが一口目で倒れなかったのが奇跡なだけで。

 ソルビットは再びユイルアルトに近付いて、隣に陣取った。座っているユイルアルトと同じ位置に視線が来るように位置付いて。


「……あたし、ヴァリンがあんな事考えてただなんて知らなくてさ」

「あんな事?」

「昨日言ってたじゃん。……あたしを、この地で眠らせるって」


 昨夜のヴァリンの失態と同時に思い出される、彼の呟き。

 愛する人の遺灰を、自分の手の届かない綺麗な場所で眠らせてやりたい。

 皮肉屋で人を見下す性質の彼が見せた純粋な一面を、ユイルアルトは一晩寝ただけでは忘れられなかった。


「あたし、この先ヴァリンが誰かと結婚したとしたら、夜の営みにもあたしの遺灰を側に置いてるのかなーって考えててさ」

「下世話」

「普通考えるでしょ。それで、あたしはずっとヴァリンに縛られてるのか、って。それが嫌なんじゃなくて、あいつがいつまでもあたしの事にばかり引きずられてんのが嫌だなって」


 崩れた肉片の顔では、笑顔かどうかなんて分からなかった。

 けれどユイルアルトには、今のソルビットは笑顔でいるような気がして。


「ヴァリンの事は、この世界で三番目に大事だったよ。……あたしが気付かないだけで、あいつも大人になってるんだね」

「それが、ヴァリンさんに良い事なのかは分かりませんが」

「良い事だよ。あたしも過保護すぎたかな。大事な人にはどうしても世話焼いちゃう」


 ソルビットの『大事な人』の中にヴァリンがいる。

 彼にその想いは伝わる事はきっと無い。けれど、ユイルアルトだけは知ることが出来た。


「『これ』が、ヴァリンの側から離れて、それであいつが幸せな道を選べるならそれで良かったけど」


 そう言いながらソルビットが手を伸ばしたのは、ヴァリンが昨夜抱えていた荷物。

 中に入っているのは、灰になったソルビット。

 執着の向ける先を、彼は自分で手放そうとしていて。それを邪魔する気はユイルアルトには無くて。

 自身の遺灰が入っている箱に触れる寸前で手を引っ込めて、ソルビットが俯いた。


「……ほんの少しだけ、寂しいな」


 望んでいた筈の事が最善の形で叶うというのに、ソルビットの声には悲しみが滲んでいた。

 互いに離れたくて離れた訳ではない。酒場で聞いた「戦争が悪い」の言葉が、今なら分かるような気がしている。


「その寂しさは何処から来るのでしょうね?」


 けれど、一番寂しいと思っているのはヴァリンの筈で。


「貴女を愛して、貴女が愛した男の決意をどうぞ最後まで見守っていてくださいな」

「……なんか、その言い方含みを感じるなぁ?」

「? 何のです」


 ユイルアルトの言葉に複雑そうな声を出すソルビット。

 彼女からの言葉に心当たりがないユイルアルトは、何の疑いも持たずに問い返す。


「……その言い方ってさ、『今のヴァリンの一番は私ですー』みたいな余裕を醸し出してない?」

「っ……!!?」

「まぁ良いけどさぁ? あいつが誰かとどうこうなるってんならあたしは祝うよ。ってか祝うしか無いしねぇ? もしイルとそうなった暁にはあいつの弱いところを端から端まで教えてあげる」

「余計な世話です!!!」


 咄嗟に大きく出てしまった声に、自分で自分の口を塞ぐ。やがて外から何かしらの音が聞こえた後、まるで地の底から聞こえるような低い声が届いた。


「……ユイルアルト……どうした………何か出たか………」


 ヴァリンの声だ。絶賛体調不良を言外に示している低い声色は耳障りな程枯れている。


「何でもありません。小煩い虫が出ただけです」

「虫……虫か、そうか……」

「二日酔いですか? 頭痛薬だけでも出しましょうか、後から料金請求しますが」

「………頼む」


 幌馬車を確認せずに聞いてきたところを見ると、やはり相当体調が悪いらしい。

 ユイルアルトは荷物の中から既に調合済みの薬を出す。粉にしてあるので飲みづらいだろうが、無理して酒を飲んだのは彼自身なのでそこは妥協してほしい。

 馬車から顔を出すと、既に消した焚き火の側で座り込んでぐったりしているヴァリンの姿がある。この様子ではずっと苦しんでいたのではないか。


「……ソルビットさんの事、どうします。もう一泊して明日にしますか」


 例の禁忌植物生育地に彼女を眠らせる、という話だ。

 その行為はヴァリンの手で叶えるしかないだろう。しかし今のヴァリンには、流石のユイルアルトも不安しか感じない。

 這いずるようにヴァリンがユイルアルトの側に近寄ると、水も無いのに薬を受け取って口に流し込む。渋い顔をしながら飲んだその包みを、掌の中でくしゃくしゃに丸めて。


「……いや、もう、今日は帰らんとな。俺もフィヴィエルも暇じゃない、お前達だってそうだろう」

「それは、まぁ」

「俺の体調で時間を無駄にする事は無い。……俺はこの村に居る誰よりも優先されるべき立場だが、その俺が優先するのは各々の時間だ。俺がやるって言ったらやるんだよ」


 言いながらヴァリンは一度「うっぷ」と肩を引き攣らせた。先程飲んだばかりの薬の効きはそんなに早くない。

 ふらつく体で、ヴァリンは立ち上がると足取りもままならないうちから幌馬車の中のソルビットの遺灰が入った箱を取り出す。ユイルアルトも、こうなってしまえば何を言っても無駄だとばかりに遺灰運びを手伝った。

 まだ日が昇り切る前の時間、他の村人が行動しだす前に彼女を連れて行きたいと思っていたから。




 昨日の禁忌植物生育地までの道は、ヴァリンは難無く向かえた。踏みしだいて道を作っていた草が、まだ倒れていたのだ。

 進みにくい道は変わらないが、道が分かるだけでも有難い。ヴァリンを先頭に、二人は道なりに進んでいった。

 一回目辿り着いた時にはそこそこの時間が経った気がしたが、二回目は案外早くに到着した。二人が森を歩くのに慣れただけかも知れないが。

 禁忌植物の生育地は、昨日と変わらず色とりどりの花が鮮やかに咲いている。


「どうします、此処に置いて行くのですか?」

「いや、埋める」

「埋め……」

「道具なら持って来てる。時間は少し掛かるが」


 ヴァリンは言いながら円匙(スコップ)を出した。ユイルアルトが酒場の部屋に置いているものより大振りのようなそれを、ヴァリンは酔いが残る体で地面に突き刺す。

 土が脇に盛られていく。変わらない速度で、一先ず箱がすっぽりと入る程度の範囲を浅く掘った。

 次はその範囲を深く掘っていく。土は柔らかく、ヴァリンが身を伏せて掘り進める。

 箱の半分くらいの深さにまで掘られただろうか、休憩の為に身を起こしたヴァリンが、溜息と共に額の汗を拭う。


「……代わりましょうか」

「いい。これは、俺の仕事だ」

「二人で進めれば、早く終わるでしょう?」


 ユイルアルトの申し出を断れるほど本調子ではないヴァリン。少しだけだ、と円匙を渡すと、王子は素手で溢れた砂利を掻き始めた。

 未だに想いを向ける女の為なら、どこまでも直向きになれる男。

 ヴァリンの想いが、誰かに向かう事はこの先無いのかも知れない。それでも、この男が背負い込む想いを少しでも理解できるのは自分だけかも知れないと思ってしまったのはユイルアルトの自惚れで。


「この地で、少しでもソルビットさんが穏やかでいられればいいですね」

「………」


 返事はなかった。

 恐らく、近くで聞いているであろうソルビットからも。


 彼女の遺灰を埋め終わって、小屋に向かう頃には太陽は既に山の向こうから顔を出して空へ昇っていた。



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