47
ユイルアルトとジャスミンの依頼された仕事は、これで終わった。
終わってみれば呆気ないもので、ジャスミンのいない小屋の中でユイルアルトが溜息を吐いた。初めから終わりまでを見届けたヴァリンが、無言のまま立ち上がって小屋の中を見渡す。
減ったのは、先程外に出て行ったジャスミンだけだ。彼女が今何処へ行ける訳も無いのは分かっているから、後は追わない。
「お疲れ、……と、言いたいところだがな」
ヴァリンの含みのある言葉に、体を震わせた。
これ以上何かをさせようとしているのが、その言葉だけで分かってしまったからだ。
視線を向けた先にいるヴァリンの表情は、至極面倒臭そうに眉間に眉を浮かべている。覆いで隠れていない顔半分だけでも伝わってくる感情はユイルアルトの心を不安にさせるのに充分だった。
「かったるい面倒な仕事を、今からやって貰う」
「……話が違いません? 私達二人の仕事は、禁忌植物の検分だけの筈ですが」
「そうか、じゃあ教えてやるよ。仕事には柔軟な対応力ってのが求められるんだ、そんなんじゃいつまで経っても一人前になれんぞ」
小馬鹿にするようなヴァリンの言葉に、ユイルアルトは中指を立てないようにするので精一杯だ。
ゴロツキ崩れの王子殿下は、リエラとユイルアルトの顔へと順に視線を向ける。
「リエラは今から、俺とユイルアルトをこの禁忌植物の生育場所に連れていけ」
リエラがその瞬間、全身跳ねるように身を震わせた。
「それからフィヴィエル、お前はここで待機。ジャスミンが戻って来たらもう何処にも行かないよう引き留めておけ」
「承知しました。……ですが殿下、お二人の護衛に殿下お一人で大丈夫ですか」
「見くびっての発言なら、お前本当に位剥奪するぞ?」
再びの剥奪宣言。口の足りない若い騎士は、即座に「誤解です!」と叫ぶが、その訴えすら不愉快であるかのようにヴァリンが肩を竦める。
ユイルアルトには、この場においても拒否権は無い。大人しく従う方が得策だと思って立ち上がると、それに続いてリエラも立った。
「慣れない土地で歩き回るのも辛いな。終わり次第帰りたかったが一泊した方がいいみたいだ」
疲労感を隠さない声でヴァリンが言いながら、小屋の扉に向かって歩き始める。
その後ろをリエラが歩き、それからユイルアルトは。
「……ジャスを、宜しくお願いします」
フィヴィエルに向き直って、それだけを頼んだ。
「承知しています。暫くしても戻られないようでしたら、僕が探しに行きますから」
見える目元だけで笑みを浮かべたフィヴィエルは、力強くそう言った。
その言葉に二心は無いと信じて、ユイルアルトが頷く。それから、先に小屋を出た二人の後を追った。
ジャスミンがもうユイルアルトと関わりたくないと思っていたとしても。
ユイルアルトにとって、彼女は唯一無二の『親友』だから。
「…………なっ、んで」
ヴァリンを先頭に、リエラの道案内で森の中を進む三人。直ぐに出発になった足取りは軽い訳ではない。
それもその筈。
「なんでこんな森の中進ませるんだよ!?」
リエラが道案内として誘導しているのは掘っ立て小屋の側を流れる川の向こう側。森の緑深い離れた場所に進んでいく三人の前に道は無かった。
生え放題の雑草と伸び放題の木々の枝を掻き分けながら先頭を歩くヴァリンは、持ち前のそこそこの長身が災いして緑の洗礼を受けて服がよれている。
後ろを歩いている女性二人はヴァリンが道を作っていることもあるが、元から細身なので狭くとも道があるならなんとか歩けている。
「ヴァリンさんが言ったのではないですかねー。案内しろって言っておきながらその言い草は良くないと思いますよ」
「だからって本当にこの先に生育地があるんだろうな!?」
「実物見ないと分からないでしょう。貴方の言う『柔軟な対応力』というのはこーんな森の植物程度に邪魔されるんですかねぇー?」
「……これだから屁理屈こねる奴はっ……!!」
現時点での立場の優先順位は女性二人だ。分かっているからこそ、ヴァリンは先頭を歩くこと自体に文句は言っていない。
それに付け込むユイルアルトの態度に、ヴァリンが目に見えて苛立っている。
「しかし……こんな獣道も無いような場所、よくリエラは行けたな」
「………」
顔に滲んだ汗を袖で拭いながら呟かれた言葉に、リエラが顔を俯かせた。
「リエラ?」
「殿下は、私の事を何処まで知っておいでですか」
「お前の事? ……ふん、この俺がお前の仕事振り以外の深くを知る訳ないだろう。どうせ俺は半端者の嫡男だったんだから」
「それでも王家の血筋でいらっしゃるのです、ご存知かと思いましたが」
リエラの言葉を聞き流しながら、ヴァリンが足元の雑草を雑に踏みながら進む。少しだけ開けた道は、女性二人の進行を更に楽にしていく。
「私、この村出身なのですよ」
ヴァリンの雑草を踏み締める足の動きが、止まった。
「御存知でしょう。酒場に、裏ギルドに、以前一人の医者がいたこと」
「……リシュー、だったか。話にだけは聞いていた。俺がまだ小さかった頃、暫くして死んだんだったか」
リシュー、と聞いてユイルアルトの歩みさえも止まった。
「私は、そのリシューの娘です。母の知識を受け継いで、宮廷医師に登用いただきました」
「……だから知っていた? この村に、禁忌植物が存在していることを」
「概ね、その通りです。でも少しだけ違う」
立ち止まったヴァリンの前方にリエラが進む。そうして二人よりも先を進みだすリエラの足取りに躊躇いは無い。
ヴァリンも大人しく後ろを歩くことになった。時折ユイルアルトを気にするように振り返るが、それ以外彼に変わった様子は感じられない。
「この村で母は医者としての知識を使っていた。……ですが医者は、手元に薬の材料が無いと薬を作れないんです」
迷いなく進むリエラに、二人は付いて行くだけで精一杯だった。
それからどれだけ歩いただろう。無言のままに進んだ道のりは、ユイルアルト一人では引き返せそうにもない。
やがて背の高い茂みが現れる。
木々も手伝い、緑で作り上げられた壁のようなものの中にリエラが姿を消す。
次にヴァリンが。
それからユイルアルトがその中に入り。
「―――……」
その茂みの中は、広く開けている。
外からは緑の壁で見えず、中はまるで異世界のような色とりどりの植物が生えている。ユイルアルトの瞳には、そのほとんどが花や根、葉や実に毒を持つ薬草だと分かる。王家管理の図書の中に名を連ねる禁忌植物。
ユイルアルトとジャスミンが酒場で借りている部屋の植物を遥か凌駕する植物の数。
それらは赤、青、黄、それから緑と、色の洪水のように晩春の空気の中で茂っていた。
「母のこの秘密の菜園は、人の手を離れても育つことが出来ていたようで。私たちが派遣されてから、ここに帰ってきて……少しだけ手を加えました」
「……この場所の事を知っている村人は?」
「恐らく、居ないでしょう。森は今や、小屋からこちら側は手つかずと聞いています。冬尚も茂る緑に、人の手は加えられていないと」
「そうか」
ユイルアルトだって現物を見た事のない毒草が豊かに育っている。もしヴァリンの目が無かったのなら少しだけでも失敬していたかもしれない。
リエラは近くに生えていた毒草の葉を撫でながら。
「忌み嫌われた植物でも、この場所では何者にも邪魔をされず咲き誇ることが出来る。けれど、私も母もいなくなったこの土地で、今尚手を加えずとも生えているのは奇跡に近い」
そんなリエラの姿を見ながら、何事か思案していた様子のヴァリン。
中を見回し、森の中にも関わらず植物達の咲き誇るあまりに場違いな様に溜息を吐いた。
「……この地方は、雨が多いか?」
「雨、ですか?」
ヴァリンの問いかけに、リエラが首を縦に振る。
「……山間なので、確かに少しは多いかも知れませんが。けれど雨季の時でも、城下とそれほど違いはないように感じていました」
「嵐は来るか」
「あまり。来るとしても森の木々が強い風から幾分守ってくれます。……ですが殿下、何故そのような事をお気になさるのです?」
「いや」
ヴァリンは既に、毒草からは興味を失っている。
咲き誇るその植物達の使用法も分からない男だ、それ自体はいいのだが。
「村の人間がこの場所の存在を知っていたら、焼却処分が妥当かと思っていたが。……今はいい、人知れず咲いているだけなら害にはならない」
まるでヴァリンが下したとは思えない寛大すぎる言葉に、二人が目を丸くした。
害成す者には容赦なく制裁を与える冷徹な判断を下すところばかりを見てきたユイルアルトには、自分の耳に届いた言葉が偽りであるかのように疑うしか出来なくて。
驚愕を湛えた瞳が自分に向いているのに気付き、ヴァリンが目に見えて不機嫌になる。
「……お前達、なんだその目は」
「驚いているだけです。……なるほど、これが貴方の仰る『柔軟な対応力』というものなのですね。私驚きすぎて気絶してしまうかと思いました」
「何処まで俺を馬鹿にするつもりだお前は!」
憤慨したヴァリンの怒声にリエラが体を震わせるが、手を挙げるでもなく舌打ちだけする王子殿下の姿に再び目を丸くする。
王子殿下が誰かとこんな茶目っ気あるやり取りをする姿を見るのはいつ振りだろうか。以前だったら回数こそ多くないものの、城の中で見ることはあったように思う。それは人数こそ多くないが、確実に馬鹿話の相手はいた。
ソルビットを失って心を閉ざしていたヴァリンが、誰かに心を許そうとしている。
リエラにとって、それこそが驚愕の理由だった。
「……さて、一旦戻るぞ。いい加減休憩したいところだ」
「食事もしなければなりませんね。……ここに生えているこちら、少し持って行っても?」
「おいおい、飯に混ぜる気じゃないだろうな」
「これは根にこそ毒がありますが葉や実は美味しいのですよ。心配でしたら一番に毒見をしてみせても構いません」
「お前に対毒性が無いとも言い切れないから安心できるか。フィヴィエルに毒見させるなら構わん」
「………本当可哀相フィヴィエルさん……」
来た道は僅かに人の通った跡に草が開けている。これならヴァリンは問題なく戻れると確信しているから、来た時の最初と同じように先頭を歩いた。
リエラは二人の後ろを付いて歩く。時折二人が交わす話に、肩を震わせて笑いながら。