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 リエラもユイルアルトも、馬車で着替えを済ませた後小屋に戻ってきた。

 死臭漂う服は死体塚の穴の中に投げ込み、それを処分の代わりとして。

 戻って来た二人を迎えたのは、戸惑いが隠せない全員の表情。

 その中でヴァリンだけは新品の覆いを顔に付け、平然とした顔で小屋の窓の桟に座っていた。


「お帰り、二人とも」


 出迎えの言葉も、彼の声で聞くと複雑な感情が襲う。

 この男の事を、どこまで信頼していいのか分からない。元々深く信頼していた訳ではないが、これ以上見知った誰かを害される事だけは避けたくて、考えを読まれないためにその言葉に頷くだけで終わらせた。


「早速だが、本題の仕事に入って貰いたい」

「………」


 その催促だって頷きで返す。

 ユイルアルトとジャスミンが、この村まで足を運んだ理由。

 リエラが使った植物が、本当に禁忌植物に該当するのかどうか。


「承知しました」


 ジャスミンは素っ気なく、目を閉じて答えた。

 リエラはもう逃げられないと理解していて、小屋の物入れの中から両手で抱えられる程度の大きさの器を出して来る。その上にあるのは、完全に乾燥している訳ではない萎びた植物ばかり。


「採取してから時間が経っておりますので、生の状態とは見た目が違っています」

「……っは、それもそうだな。参った、俺じゃ違いが分かりそうにない」


 軽く覗き込んだだけでヴァリンが根を上げた。とは言っても、ヴァリンだって自分が検分しようと本気で思っている訳では無いだろう。

 ここからはユイルアルトとジャスミンの出番だ。二人は荷物の中から厚手の手袋を出して、両の手に嵌める。


「手袋?」


 始めに不思議そうに声を出したのはフィヴィエルだった。


「直に触ると肌に影響する植物もありますから、念のためです」


 返したのはジャスミンだ。その声は穏やかで、男性であれば大体の人物に彼女が向けていた刺々しさもない。

 手袋の指の位置を調整する振りをして、ユイルアルトが二人に視線だけを向けた。

 随分距離が縮まった様子の二人に思うのは、出所の分からない焦燥心では無くなっていた。

 自分の知らない場所で、知らない関係を築いている二人に向けるのは、どこか冷めた苛立ち。


「こちらで全てですか」


 ユイルアルトがリエラに問い掛ける。気の弱い宮廷医師は、一度だけ小さく頷いた。

 床に下ろされる器。ジャスミンの手には、暁経由で受け取っていた王家の本があった。

 禁忌植物について書かれているそれを開いたジャスミン。彼女は器に視線を向けなかった。


「では、行きます」


 行くって、どこへ。

 ユイルアルトの口から出た言葉に、茶化し半分でヴァリンが尋ねようとした。しかしそれは真剣な目付きの『魔女』を見て飲み込まれる。

 乾燥しかけて縮れた葉を、細心の注意を払いながら開く。そこから見える葉の形状で一先ず判断する。


「葉。トリエルベショ。葉先が三叉、部分部分で色が斑」

「……確認。相違無し、禁忌植物認定」

「モノオモイ。長方形状の葉と平行葉脈」

「確認、禁忌認定」

「ルチタービ。翼状葉、網状脈」

「……未確認、禁忌相違」

「ニーイックス。三角形、葉脈に棘有」

「確認、禁忌認定」


 まるで暗号のような二人の声に、その場にいたリエラ以外の全員が目を見開く。

 口から出る単語だけで二人には会話が成立している。一人だけ、その単語の意味が分かっているリエラは黙って成り行きを見ていた。


「次、根。……クロベニヨン不確定。細根のみ」

「……クロベニヨン……?」


 ユイルアルトが根の検分に入った所で、それまで続いていたやり取りが止まる。

 不確定と言われた根は、本を傍らに置いたジャスミンの指先によって摘ままれた。茎を僅かに残し切り取られたそれは太い根がまるでなく、全体が細い糸のような形をしている。僅かながらまだ土も突いているようなそれを、ジャスミンは躊躇いなく手袋をしている手で数本引きちぎる。


「あっ」


 リエラの声が漏れる。


「おい、ジャスミン何を」


 その行動に何かしらの意図を感じたらしいヴァリンが口を開いた。

 これは必要があれば王家に提出しなければならない証拠品だ。簡単に損壊されては困る、が。


「フィヴィエルさん、すみません来てください」

「何でしょう?」


 ジャスミンがフィヴィエルを呼んだ。彼は素直に声に従って近くに寄る。

 その素直さを利用して、ジャスミンがフィヴィエルの手を有無を言わさず取った。


「―――……」


 今からジャスミンが何をするのかを分かっているユイルアルトでも、その光景には驚くしかない。

 『あの』ジャスミンが、自ら男性の手を取ったのだ。

 驚いたのはフィヴィエルも同じ。しかし、その驚きは次の瞬間掻き消える。


「すぐ手を洗って来てくださいね」


 そう言いながら素肌のフィヴィエルの手に、引きちぎった根っこから出た汁を擦り付けた。

 何の事か分かっていないらしい彼の表情は、数拍置いて変化する。


「……? ……え、あ、な、……なんですかこれ、あ、かゆ、いたい。痛くて痒い」

「掻痒感と痛みを確認、クロベニヨン確定。禁忌認定」

「ちょっと!?」


 フィヴィエルの事など二の次のように、根を器に戻して本を開くジャスミンに抗議するような声が聞こえた。ヴァリンはその光景から顔を背け、肩を揺らして笑っている。

 見かねたリエラがおどおどといった様子でフィヴィエルに声を掛けた。


「クロベニヨンの根から出る汁は、軽度ですが皮膚に影響を及ぼすのです。洗えば落ちますから、お早く」

「そう、……ですか」


 声を掛けられた一瞬のフィヴィエルの表情の変化を、その場にいた全員が見ていた。

 フィヴィエルは逡巡する様子を見せながらも、黙ったまま小屋を出て行く。

 ジャスミンはもうフィヴィエルの事を気にしていない。ユイルアルトは、出て行った背中を視線で追い続けていた。


 フィヴィエルとリエラが直に会話を交わしたのは、今が初めての筈だ。

 ユイルアルトの邪推の通りに、彼は動揺しているように見えた。


「次を」


 またもや素っ気ないジャスミンの声が、視線を別方向に向けたままだったユイルアルトを急かす。フィヴィエルに掛けていた時ほどの声の優しさは無い。

 あくまで事務的に接しようとしているのはジャスミンの方だ。ならばユイルアルトにだって意地はある。


「ジージー。紡錘形塊根、半分切除」

「未確認、禁忌相違」

「次、実」


 そのやり取りはもう少し続いた。

 結果として村人への薬に使用された八つの植物のうち、五つが禁忌植物だった。それらは帰還の際にヴァリンが押収する事になる、という話までした所でジャスミンとユイルアルトの仕事が終わった。

 村人たちは医者二人の確認作業で、禁忌植物判定が出た事に納得がいっていないようだった。しかしもう、今更植物達を隠しても手遅れであることは分かっている。


「これだけの禁忌植物、どちらから調達したんです?」


 一仕事終えたユイルアルトは、リエラに声を掛ける。それは世間話のような心持ちでの発言だったが、リエラにとっては事情聴取のように感じたようで表情が暗くなっていく。


「……この村には、とても豊かな恵みがあったんです」

「毒草を『恵み』と言うのか? フィヴィエルが受けたみたいな、あんな悪影響がある毒草ばかり生えても困るぞ」

「それでも、恵みです」


 毒を持っていても。持たなくても。

 病気や怪我に有用な植物は、医者にとって価値のある物だ。

 その価値が分からないのならば、王子と言えど一般市民と変わらない。


「殿下、貴方様が仰ったのです、『死んだ命より救った命を数えろ』と。でしたら私は、私に力を貸してくれた植物達の事も大切に思いたい」

「………そうか」


 その言葉にヴァリンは納得したのだろう、それ以上軽薄な口が喋る事は無かった。

 やがて外からフィヴィエルが洗った手をさすりながら戻ってきたが、その顔は少々怒っている。


「ジャスミンさん、何をするのか先に言ってくれないと困ります。僕驚いたんですからね」

「先入観があっては正確な症状を訴えられないでしょう? だからフィヴィエルさんが適任だったんです。村の人はクロベニヨンのお世話になってるし、私もイルもリエラさんも効果を知ってるから」


 ユイルアルトが、ジャスミンから久々に呼ばれた気がするその愛称に喜びが胸の内から湧き上がる。


「だからって……うぅ、酷いです」


 クロベニヨンの事を理解していない人物を消去法で考えると、残るはフィヴィエルかヴァリンだけなのだ。

 その二択では、王子殿下であるヴァリンに毒草による不快感など与えられようもなく。

 ジャスミンの判断を分かっていながら尚も不満を零すフィヴィエル。ヴァリンは再び笑いを堪えていた。


「まぁ、今は医者が三人もいるんだ。何かあったってここなら簡単に死ぬ事もない。だろう、フィヴィエル?」

「実験台で死亡事故なんて、僕は幾らなんでも嫌ですよ!」

「ぶはっ」


 必死の形相の訴えに、笑いが堪え切れなくなったヴァリンが噴き出した。けらけら笑う王子殿下の振る舞いに、フィヴィエルは悲しみを湛えた瞳でうなだれる。

 少しだけ空気が明るくなった。ユイルアルトはその空気につられ、微笑を浮かべてジャスミンが居た方に視線を向けたが。


「……ジャス」


 彼女はもう、その場から立ち上がって小屋を出ていく所だった。


 先程『イル』と愛称で呼んでくれた。

 まだ、仲の良かった頃に戻れそうな気がしていた。


 その感情は、一方的なものだったのだろうか。

 無意識に、ユイルアルトは服の布を両手で力一杯掴んでいた。



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