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 ユイルアルトとリエラが着替えを済ませてそろそろ小屋に戻るか、となった時、リエラが馬車の中に任務に似つかわしくないものを見つけて足を止める。


「……あら?」


 それを見た時の彼女の声は、どこか不思議なものだった。何か見知った物を見たような、そんな声。今までおどおどとしていたものを感じさせない、普通の音だ。


「この植木鉢」


 そう言いながらリエラは腰を下ろす。身を屈めて覗き込んでいるのはユイルアルトが酒場から持ち出した植木鉢だ。死臭漂う服を纏めて摘まみ上げたユイルアルトもその植木鉢の存在を忘れた訳では無かったが、水を遣る以外は気を払っていなかった。

 ユイルアルトの瞳が、その中を見て揺らぐ。


「―――え」


 いつの間にか、発芽していた。

 鉢の中心、そこに二本の子葉が出ている。先端だけが二つに分かれた葉は、これまでどれだけ苦心しても出なかったものなのに。

 リエラの隣で、ユイルアルトが鉢を手にした。まじまじと見た子葉は、どこかで紛れた雑草が発芽したものではないだろう。


「………っ、と」


 最後の種だった。

 故郷から持ち出せて、これまで芽吹かなかった故郷の薬草。この葉が持つ名前を思い出そうと、鉢を額に付けた。


「……ずっと、発芽しなくて。この子が、最後の種で。故郷から、持ち出せた、種で」

「……体以外にも、残った物があったんじゃないですか」

「はい。ありました。そして今、芽を出した」


 持ち出した薬草の中でも、この子葉の形であるものはそう多くない。

 こんな風に発芽して、漸く種の名前を思い出す。


「レイアンガ」


 その名を呟いた瞬間、リエラの表情が変わった。

 まさかこの鉢の小さな植物が、毒を持つ薬草とは思っていなかった顔だ。


「……禁忌植物の筈です」

「そうですね、使用を禁止されているらしいです」

「それを、ユイルアルトさん……貴方は何故、そうと分かっていて」

「私が生きる意味は、人を助ける事で。……この子だって、使用法を間違えなければ恐れる事は無い」


 同じ穴の狢だ。

 禁止する国に背いて、その有用性を知っているからこそ手にする。リエラは今回、それで人の命を救っているのにも関わらず調査の手が入る事になった。

 ユイルアルトにとって、リエラは知人未満だ。この場で知り合っただけの、国に戻れば絶たれてしまうような関係。

 今から新しい関係を築こうとなんて思わないけれど。


「リエラさん、私は、貴女がしたことを否定したいと思わない。……ううん、違いますね。私は、命令で此処に来ただけ。調査をして、それで国がどんな結論を貴女に出しても」


 同業として。

 自分より長く生きた人生の先達として。


「私は貴女がしたこと、もっと誇っていいと思っています」


 ユイルアルトは本心で、その言葉を口にした。

 言われた側のリエラは目を丸くしていて、そこで少し傲慢な台詞だったかと後悔したけれど。

 リエラは戸惑い、それでも口を開く。


「……私は、城に仕えておりますが……医者ですから。苦しむ人を救いたいと感じるのは、当然のことです」

「その『当然』が出来ない今を、遺憾に思いませんか」

「それは。……そう思うのは、不敬、です。私は、そんな事を思う立場にありません」


 この状況でも『立場』。リエラは忠誠心に溢れた人物のようだ。

 気に障る、とまでは行かないが、ユイルアルトだって面白くない。自分の処罰が穏便に済まされるかも分からないのに、それでも処罰を下そうとしている王家を敬っているだなんて。


「どうしてですか」


 ユイルアルトにしては当然の疑問だ。自分よりも大切なのか、その王家が。

 心中を察したのかは分からないが、リエラは苦笑しながらその質問に返答する。


「……私は、子供を人質に取られているんです」

「人質、……? ……え、なんですか、それ」


 初耳だった。

 確かに年齢からしても、子供が居てもおかしくないだろう。リエラの外見はヒューマンでいう所の四十代か。

 子供は、確かにいてもおかしくはない。配偶者だって。けれど穏便ではないその単語を聞いてしまえば、意識は勝手にそちらへ向いた。


「私は、夫を随分前に亡くしました。まだ小さな子供を抱えて、一人で生きていくには強くなかった。この仕事をしている以上、毎日家へ帰れると決まっている訳でもない。人を雇って家の事を見て貰うにしても、結果として息子に寂しい思いをさせてしまうと思っていました」


 遠い目をするリエラ。

 伏せ目がちに語るその表情に、うっすらと知人の表情に似たものを感じてユイルアルトが目を擦る。


「けれど、私がそうやって普通の生活を送れる訳がなかったんですよ。私は私の立場を違えかけていた。私だって『人質』だったという事を忘れていたんです」

「待ってください、『人質』って何なんですか」


 ユイルアルトの質問攻めに遭いながら、リエラは再び苦笑を浮かべる。


「私の母は、遠い昔に、魔女の烙印を捺されて村を追い出されました」

「……ま、じょ」

「そうして逃げて、逃げて、アルセン城下に辿り着いた。人の多いあの場所は、母を人の世界に紛れ込ませてくれた。……禁忌植物ってですね、昔からずっと変わっていないんです。刷新されることも無く、昔に決まった事だからと、今までずっと続いている悪習なんです」

「リエラさんのお母様が、城下に逃げて、それで、その後は?」

「拾ってくれた方がいたんです。その方に、私と母は助けられ―――けれど、私は母と引き離された」


 遠い昔を思い出すリエラは、視界にユイルアルトがいても彼女を見ていない。

 過去の自分を見ているように、瞳に映っている何にも視線を向けていない。


「私達が拾われた場所は『j'a dore』。……貴女もご存じのはずの、あの酒場です」

「え、っ……?」

「そして生きていくため。安全な場所に私の身を置くため。私は孤児院に預けられ、母は薬を作る為……あの酒場で、裏ギルドの一人として働きました。私は成人してから、母から教わった薬の知識を役立てるように言われ、宮廷医師になったんです。……でも私は知っていた。私の存在は、母にとっての『人質』なのだと」


 ユイルアルトにも馴染み深い酒場の名前が出てきてから、愕然とした表情に暑くも無いのに汗が流れるのを感じた。


「親が国家に背く行為をすれば、罰は親でなく子に行く。……そうやって、身寄りの無い城仕えの者の子供を預かっていくんです。実際、子が育つ環境も良く教育も行き届いていますし、悪い事ばかりではないのですが……それでも」


 リエラの表情は、苦笑の影に隠れた悲しみが滲み出ている。


「王妃殿下からの言葉とはいえ、素直に息子を手放した事を、今でも後悔している私がいるんです」

「お子さんは男の子、だったのですか」

「一度も会えてません。私の時は時折でも母に会えた。だから会えると思っていたんです。……今どこで何をしているかさえ、私は知らない」


 顔を両手で覆ったリエラに、ユイルアルトは書けるべき言葉を見つけられなかった。懺悔のような独白は、尚も続く。

 ユイルアルトは聖職者ではない。過去に魔女の烙印を捺された一人の医者だというのに。


「もう、大切な人を失うのは嫌だった。……自分の手を離れても、生きていて欲しかった。けれど生きているのかも死んでいるのかも分からない、こんな状況なんて望んでいない。母は亡くなり、夫も鬼籍に入り、息子は……フィリートはきっと、私が今ここに居る事を知らない。私はこれから一人で、いつ終わるとも知れない孤独と向き合わなければならないのかと思うと」


 その苦しみを、ユイルアルトは半分程度しか理解出来ない。

 けれど、続く言葉に見えた想いは、理解出来る。


「……たとえ国に背いても。禁忌植物を使ってでも。私が生きた証を。私が存在した事で誰かの為になったという証が、欲しかったのです」


 存在の証明が、欲しかった。

 何の為に生きているか分からなくなって、抜け殻のように生かされる苦痛はユイルアルトだって知っている。だから、あの危険な酒場の裏の顔を知ってまで、今でも薬を作っている。それが誰かの為になる事を信じて。

 それでリエラが行った事は、使える国家への反逆に他ならないのに。


「どんな裁きを下されようと、私は選択を後悔しません。……ただ、叶うなら、息子にもう一度だけでも逢いたかった」

「手がかりは無いのですか。どうにかして、裁定が下りる前に息子さんを探すことは出来るのではないでしょうか。探す人手は多ければ多い方がいい、私も探しますから」


 ユイルアルトも真剣だった。

 王家に使える者としての在り方ではなく、医者としての在り方と、彼女の心に抱える悲しみを知ってしまえば味方にならずにはいられない。

 リエラだって、精神的苦痛の奔流に流されている時に目の前にユイルアルトの手が見えていたら、掴みたくなって当然で。


「名と性別と髪の色しか。私譲りのこの髪と同じ色で、年は……貴女と同じくらい。でも、城下に居るという保証さえないのです」

「フィリートさん、でしたっけ。私と同じくらいの歳で、髪の色は、……………」


 そこでユイルアルトの言葉が止まる。

 同じ色を髪に宿した別の人物と、自分はつい最近知り合ったような気がしている。

 その人物は男性で、同じくらいの年齢で、口が軽くて覚えが悪いと評されて。

 っあ、と、ユイルアルトの口から声が漏れた。それに怪訝な顔を向けるリエラ。


 フィヴィエルが、この任に付けられた意味。

 一番最初にフィヴィエルがリエラの姿を見た時に体を震わせていた事。

 ヴァリンが仕事を押し付けているとしか思わなかった、彼の口から出た「声をかけなくて良かったのか」の言葉。


 まるで形も位置もバラバラだったように思えたそのどれもが、ユイルアルトの脳内で一つの線になっていく。

 察するに、フィヴィエルは恐らく二人の親子関係について知っている、そしてそれはヴァリンも同じ。

 ユイルアルトの背筋を、冷たいものが駆けて行った。


 ヴァリンが何故、付いてきたのだ。

 王子殿下が旅行気分で付いてくるような場所ではない。

 今更になって、それははぐらかすための言葉だったのではないかと思い至った。


 子を人質に取るような国家が、素直に親子の再会をさせてくれる訳がないのだ。


 国を裏切った宮廷医師。

 そしてその生き別れの子供。


 何かあった時に二人を殺める事が出来る騎士は、ヴァリンしかいないから。


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