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「おかえりなさい、リエラ様!!」


 拠点になる小屋に戻った時の、リエラへの歓待ぶりは流石といったところだった。

 ほぼ完治している村人は皆外に出てリエラの到着を待っていた。命の恩人が来客に命を害されていないか不安だったのだろう。

 しかしその村人たちは、少しリエラの側に近寄った所で足を止めてしまう。

 強烈な死臭が、燃やした方の小屋に近付いただけで染み付いてしまったのだ。幾ら恩人のリエラだとしても、その臭いに村人は耐えられなかった。


「……ただ今、戻りました。すみません、着替えをしたいのですが」

「へ、へぇ」


 全員から漂う悪臭のせいで、着替えを取りに小屋へ戻る事も躊躇われた。……そこに、ジャスミンが小屋の中から姿を現す。

 ジャスミンの表情は浮かない。しかし手にはリエラとユイルアルトのものと思われる着替えを持っていた。リエラのものは村人から受け取って、ユイルアルトのものはジャスミンが荷物の中から出したものだ。


「………はい」


 それを、死臭をものともせずにジャスミンが二人に手渡しする。

 受け取った二人は微笑んで礼を言うが、ジャスミンは口を開かずまた小屋に戻ってしまった。


「……不愛想なひとですね。俺らが何を話しかけてもニコリともしなかった」


 村人が扱いに困ったように、そう呟いた。

 その呟きに答えたのはフィヴィエルだ。


「慣れない環境で疲れているんです。本当はお優しい方ですよ。料理も上手です」

「……へぇ。そうですか」


 ただ、フィヴィエルがどう言おうが実物のジャスミンがああでは、誰の心にも何の解決を齎さない。

 ジャスミンの事を悪く思ってないらしいフィヴィエルを横目で見ながら、ユイルアルトが溜息を吐いた。疲労が溜まっているのはこちらもだ。それに、染み付いてしまった悪臭を今すぐどうにかしたい。


「着替えられる場所はありますか。流石に私は殿方の前で肌を晒せませんし、この臭いをさせたまま小屋に入れません」

「こういう時処女は面倒だな」

「張っ倒しますよ」


 ヴァリンの煽りを片手間で捨て置き、村人にも視線を送りながら聞いてみる。しかし、彼らは顔を見合わせて黙るばかり。

 他に人目が無い場所となると、森の中か村に戻るかくらいしか選択肢がないのだ。ユイルアルトも困ってしまう。いっそ小屋の裏手で、とも考えたが。


「どうしても気になるってんなら馬車にでも戻ったらどうだ」

「馬車……ああ」


 言われて馬車の存在を思い出す。そこまで戻るのは面倒だが、この場所で肌を晒すよりは気分もましだ。誰かの気配がこんなに近くて多くて、この道中で耐えてこれたのはジャスミンが近くに居たからなのに。

 ジャスミンはもう顔を見せない。


「そう、ですね」


 着替えを持ったままその場に立ち尽くしたが、やがて同じ女であるリエラを連れてその場を後にした。

 リエラは戸惑っていたが、迷いなく歩くユイルアルトと、振り返った先で頷いたヴァリンの姿に促されて馬車へと共に向かった。

 そして外にいる男二人は。


「フィヴィエル、お前が俺の分の着替え取ってこい」

「そうしたいのはやまやまですが、生憎僕にも死臭が……」

「ここで服脱いで行け、お前が恥じらう理由なんて無いだろう」

「………承知致しました」


 横暴なヴァリンの言葉に、その場で防具を外し始めるフィヴィエル。着ていた騎士の隊服の上着はその場に脱ぎ捨てて、しかし下半身だけは意地でも脱がないようだ。

 露わになった上半身は鍛え上げられていて、彫刻のようにくっきりとした筋肉の線が浮き出ている。顔に見合わない体躯は服を脱いでから初めて分かる男性的な力を感じさせる。村人達が中性的な顔に見合わない体付きに一瞬怯んだ。

 彼らも彼らで農作業をする分筋肉は付いている。けれど騎士の体はそれ以上に、実戦向きに鍛えられたもの。

 しかしそうこうしているうちに、その肉体を見てしまった者がいた。


「………!? !!?!?!?!???」


 ジャスミンが小屋から再び姿を見せたのだ。

 その腕にはフィヴィエルのものと思わしき荷物入れを抱えている。あ、とフィヴィエルの口から声が漏れた。

 ジャスミンは半裸になったフィヴィエルの姿を見るや、顔を真っ赤にさせて硬直している。医者として患者の体を見る事もあるが、今は完全に油断していた。病気とは無縁そうな体の持ち主を診察したことも無く、ましてや男性不信の気があったジャスミンは男の肉体を見るのも久々過ぎて。


「ジャスミンさ―――おっと」


 ジャスミンは気が付けば悔しそうな表情で、腕の中にあったフィヴィエルの荷物を投げつけていた。そして、駆け足で再び小屋に籠る。

 その一連の流れを見ながら、ヴァリンは手で口許を覆って笑っている。彼女がここまで男馴れしていない女だとは思っていなかったからだ。


「最初っ、から、ぶふっ。ジャスミ、ふふ、ジャスミンを呼んで、頼めば良かっ、ふふっ、ふふふ」

「……彼女が出てきてくれるとは思いませんでしたから」

「ま、まぁいい。面白いものが見られたし、くっ、ははははっ!!」


 耐えきれなくなったヴァリンは笑いに声を上げ始めた。さっきのやりとりに、ここまで笑う要素があっただろうかとフィヴィエルが苦い顔をする。この笑い声が聞こえたジャスミンは小屋の中で悔しさに床を転がっていないかと、そういった不要な心配まで浮かんで消えた。

 ひとしきり笑い終えたヴァリンは、笑いすぎて浮かんだ涙を拭うような仕草をしながらフィヴィエルに向き直る。


「いや、俺は遊び慣れてない女も嫌いじゃないが扱いが面倒だとは思っていてな。でもこういう反応が見られるのってそういう事に慣れてない奴だけなんだよなぁ。あー笑った笑った」

「……あまりジャスミンさんで遊びすぎたら、彼女の精神面が不安になりますよ」

「ふぅん? ……あいつの精神がおかしくなるのが嫌か? それとも」


 フィヴィエルの言葉に、ヴァリンの瞳が彼の目を見た。


「俺がジャスミンで遊んでるのが気に入らないか?」


 混ざりあう二人の視線だが、フィヴィエルは気まずさに先に逸らしてしまう。それだけでは、是とも非とも取れてしまう。ヴァリンがジャスミンの事を憎からず思っているのを知っているから、どちらの意味の言葉でも正直に言うのは憚られて。


「俺は構わんよ、フィヴィエル。お前がジャスミンを盗ろうがユイルアルトと寝ようが、俺は俺の女じゃない奴の男までどうこうしようなんて思わない。いっそお前があいつらに男を教えてやれとも思う」


 出生を疑われるような下衆めいた言葉がその口から放たれて、フィヴィエルは疎か聞いていた村人さえも言葉を失う。あまりに空気が悪いので、村人たちはその場からそそくさと退散していった。

 残されたフィヴィエルの瞳は逸らされたままだ。そんな彼の視線の先に潜り込もうと、ヴァリンが意地悪く場所を移動する。


「……そんな。僕は、別にあの二人にそんな感情は」

「無いとしても別に良い。ただな、フィヴィエル」


 ヴァリンは、笑みに歪ませた唇で。


「助言だ、ありがたく聞け」


 そして、笑っていない瞳で。


「早く死ぬような女には入れ込むなよ。『俺達』みたいになりたくなかったらな」


 フィヴィエルに通じてしまう、意味のある言葉を投げかける。

 『俺達』という複数形を言われ、フィヴィエルの脳裏に二人の女性の姿が浮かぶ。

 一人はこの王子殿下が愛した女、『花』副隊長ソルビット。そしてもう一人は。


「……ほら、フィヴィエル。早く服着て俺の着替え取ってこい。このままじゃ俺が風邪引いてしまう」

「……承知致しました」


 浮かんだもう一人の顔を、頭を振って掻き消しながらフィヴィエルは着替えに専念した。

 ヴァリンもその間は何も言わない。重苦しい無言の空気の着替えは居心地の悪いものだ。ヴァリンの視線はもうフィヴィエルにない。彼は彼で、距離の離れた先で今も燃え盛っているであろう小屋の方を見ていた。


「自然に鎮火するまでどのくらい掛かるだろうな」

「そうですね……、あれほどの炎でしたので、夕刻までには終わるのではないでしょうか」


 ヴァリンも死臭が染み付いた濡れた服をその場で脱ぎ出す。フィヴィエルの着替えを待っていては本当に風邪を引いてしまいそうだった。ふる、と一度だけ体を震わせたヴァリンが、防具ごとその場に脱ぎ捨てる。

 フィヴィエルも急いで服を着替え、それでも自分から漂っている気がする死臭を手で払うようにして誤魔化しながら小屋の中に入った。


「夕刻、か」


 言いながらヴァリンは空を見上げる。

 森の木々の間から見える空は、葉の縁取りがされた青色だ。これが赤く染まり行く時に、再び先程の小屋があった場所まで行かなければならない。灰は回収できないだろうから、骨だけでも持ち帰れば遺族は納得してくれるだろうか。


 人から好かれる人格をしていなかった男でも。

 その死を悼む者は、もしかしたら居るかも知れない。


 ヴァリンはフィヴィエルが戻るまで、服を脱いで外気に触れる事になった首飾りに触れた。

 ほんの小さな物しか入れられない、小物入れ型のペンダント。

 それにそっと指を這わせたヴァリンが、唇で一人の女の愛称を象った。


 ソル。


 誰かを亡くす痛みは、己の身に降り掛かってから分かる激痛だ。

 足掻いて藻掻いて苦しんで、それでもこの苦痛の取り去り方が分からない。

 貴族の落胤で、その存在を生家から認められなかった彼女の葬儀に親が来る事は無かった。

 けれど役立たずの方の宮廷医師の葬儀には、身内が全員揃うんだろうな―――そんな想像をして、ヴァリンが唇を噛んだ。


 何をしていても、彼女の事が頭に浮かぶ。

 誰と居ても、彼女の仕草や声を思い出す。

 それがもうすぐ六年だ。思い出さない日など無い程に、未だに想うたった一人。


 フィヴィエルがヴァリンの着替えを持って小屋から出てきたが、物思うヴァリンの表情に声を掛けられずにその場から動けなくなった。

 


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