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 ユイルアルトとジャスミンの本来の仕事である、使用された禁忌植物の検分は一先ず後回しにされた。

 村自体の状態把握を提案したフィヴィエルの意見が採用された形だ。ジャスミンだけは最初の掘っ立て小屋に残ると言って、残る三人とリエラはもうひとつの小屋に向かう事になった。

 ジャスミンはフィヴィエル以外のものと行動したくないということもあるだろうが、顔に見える疲労の色が濃かった。小屋を出る前にヴァリンが村人に振り返り、笑顔でこう言い捨てる。


「その女、俺達の一員だからそいつに何か無作法があったら王国への反逆と取るぞ」


 と。

 いつもは傍若無人で人を人とも思わない無礼千万な男だが、権力の使いどころには感心した。他人に臆さず、自分がどう思われるかも考えず、事実に悪意を練り込んで押し付けていくような言葉だった。

 丁重に扱え、などとは言っていない。しかし、そうせざるを得ないだろう。もしジャスミンが村の事を少しでも悪しざまに言ったら、不遜な王子であるヴァリンは何を以て村を裁くか分からないのだ。

 ユイルアルトは、その言葉に不安を半分は取り除かれた。これで一人になったジャスミンが悪い待遇を受ける事はなくなるだろう。

 けれどその肝心のジャスミンが、ユイルアルトを見る事は一度も無かった。




 リエラの先導で、川沿いに下流へと進む。川側の道は整備とまではいかないが、草を刈りこまれていて歩くに不便はしない。

 四人の耳に届くのは土を踏む音と川の水が流れる音。その中に話し声は無い。

 時折ユイルアルトが視線でフィヴィエルの横顔を見るが、彼はリエラを凝視したまま黙っている。

 どのくらい歩いただろうか。まだ小屋を出てから五分も経っていない。沈黙に耐えかねてか、先導するリエラが口を開いた。


「……殿下がお見えになるとは、思いませんでした」


 声は震えている。宮廷医師とはいえ、城以外で王家の者の姿が来るとは考えていなかったようだ。

 当たり前だ、ユイルアルトもそんな事露にも思わなかった。そもそもこんな男が王子であるという考え自体無かったが。

 リエラの言葉には、特に不愉快にも思っていないような口調でヴァリンが答える。


「別に。俺が来たのはただの気まぐれだからな。遠出するって聞いて、久し振りに城を離れるのもいいなって思っただけだ」

「……よく、ガレイス様が承知なさいましたね」

「陛下は問題起こさないなら俺なんかに興味はないさ。俺なんざ、あの方の願い通りに出来た息子じゃないからな」


 ユイルアルトが頭痛を覚えた。

 会話の内容から察するに、新しく出てきた名前はこの国の国王陛下だ。ユイルアルトとしても聞き覚えがあるその名前は、国の最高権力者。いと尊いとされる存在の名前がこんな風に語られる程度には、権力の中枢に近い場所に居るこの面子の地位を改めて感じて頭の前方が鈍い痛みを伴っている。

 アルセンを統治する王族は、国の創設者とされる神アルセンの血を引いていると言われている。神のいなくなったこの世界では、神の姿は信仰にしか無い。それでもこの国を治める者はそんな神の血を身に宿し、国の秩序を保っている。

 それで保たれる秩序は、あの酒場がもたらす血生臭い側面もあるけれど。


「それでも、殿下は殿下です。嫡男としてお生まれになり、その身に流れるアルセンの血は何ものにも代えがたいものです」

「替えを利かせる為に子供産むんだろ。陛下の子供は四……五人もいるんだ。俺一人どうなったところでアルセンに何の問題が生じる訳でなし、一番先に産まれた俺より国王の素質のある奴はいる。もとより、俺はこんな国もうどうでもいい」


 卑屈にも取れる、投げやりな口調のヴァリン。リエラは困ったように俯いてしまった。

 酒場での姿ばかり見ていたユイルアルトにとって、今のヴァリンが一番『よく知るヴァリン』の姿だった。どこか自暴自棄で、不遜で、自分の身も含めて何もかもがどうでもいいと言いたいような。

 それに、と付け足した王子の口は暫く沈黙を守っていたが。


「陛下は、もう」

「……そうですね」


 ユイルアルト以外がヴァリンの口から呟かれた言葉に、三様に悲痛な表情を浮かべた。

 『もう』の言葉にユイルアルトは思い至る事情が無い。蚊帳の外であるような気分を味わっている最中に、ヴァリンがその心情に気付いたのか少し迷って再び口を開く。


「陛下は以前よりお身体を崩されているんだよ。戦争が終わってから加減が宜しくない」

「え……?」

「殿下、それを外部の者に伝えるのは」


 リエラからの口止めが入った。ヴァリンは首を振って、否と意思を見せる。


「外部だとしても構うか、こいつはもう色々と知りすぎた。中途半端に知られて何処まで話せばいいか悩むより、いっそ全部知られた方が気持ち悪さがなくて良いと思うがな」

「しかし、それではあまりにこの方の抱える事になるものが多すぎませんか。市井に身を置きながら、誰に話してもいけないものを抱え込むなど」

「大丈夫だろ、何かあったらディルが処分するさ」

「ディル様―――」


 全員の脳裏に、その名を持つ銀髪の男の姿が浮かぶ。

 他人に殆どと言って良いほど興味を持たない、近寄りがたい雰囲気を持つ美貌の剣士。

 リエラも彼の事を知っているらしい。元騎士というなら当たり前なのだが、リエラの表情は少し違っていた。知己の事を思う顔というより、恐ろしい何かを思い出す顔。


「……そう、ですね。あの方は……慈悲がありませんし」


 リエラの認識でもそうなのだ。ユイルアルトが自分に新しく課せられた枷を思って身を震わせる。

 死ぬだの殺すだの処分するだの、日常会話のようにその言葉が出て来る酒場とその面々だが、自分が害される対象になるというのはいつまで経っても慣れそうにない。

 それきり再び沈黙が訪れた四人の視界に、段々と目的の場所が見えてきた。

 森の清浄な空気の中でも分かる程の、異臭を感じると共に。


「うっ……」


 最初に嘔気を催したのはユイルアルトだった。覆い越しでも伝わる鼻を刺すような強い腐臭に、堪らず口を抑える。


「最高に最悪だな」

「ええ……。何日放置されていたんでしょうか」

「……」


 リエラは気まずそうに黙ったままだ。

 四人はその小屋の出入り口付近まで足を運んだ。その周囲を飛び回る虫の量に、四人の顔が青ざめる。あのヴァリンさえ、余裕の無さそうな表情をしていた。


「デナス、本当にこの中にいるのか」

「……はい」

「中に何人いたか覚えているか」

「五名ほどは」


 冗談や軽口を抜きにして『ヤバイ』という単語が浮かんでくる悪臭だ。外側に群がる虫の数から考えても、中の惨状は如何なるものか。「最悪」と再びヴァリンが吐き捨てて、躊躇いがちに扉へ歩を進めるヴァリン。

 え、と、ユイルアルトが驚いた。まさかヴァリンが向かうとは思っていなかったからだ。嫌悪感を覚える面倒な仕事はフィヴィエルに押し付けるのだろうと考えていた。


「殿下、僕が開きます!!」


 忠誠心厚いフィヴィエルが、歩き出すヴァリンに進言する。しかし。


「……馬鹿言え、俺が行く。離れてろ、虫が飛び出してきても庇いきれない」

「ですが、それを仰るなら殿下こそ」

「お前にはこれから村の生き残り共の相手をして貰わんとならん、そんな男が死臭を纏っていていい訳無いだろう。……ま、もう」


 歩みを止めず、フィヴィエルにそう語りかけながら。

 ヴァリンが扉に手を掛けた。


「この臭いじゃ手遅れかも知れんがな!!」


 そして、半ば自棄のように叫びながら扉を開く。


 ―――瞬間。


 黒色の霧かと思われるほどの無数の何かが、扉から勢いよく飛び出した。同時に腐臭が更に強くなる。

 ヴァリンは躊躇わずに小屋の中に一歩踏み入れた。そして即座に扉を閉めて撤退する。

 彼が一目散に向かったのは、川だった。躊躇いもせずにその中に飛び込んで、マスクを外して全身を川に沈めた。立てば彼の腿までしかない川だが、彼は沈んだまま浮かんでこない。


「ヴァリンさん!」

「ヴァリン様!?」


 ユイルアルトとフィヴィエルが同時に叫ぶが、自分達の周囲にも虫が増えてその嫌悪感にどうしようも無くなっている。羽音が耳を掠めると、ユイルアルトが小さな悲鳴を上げて両耳を覆い座り込んだ。

 フィヴィエルがヴァリンの身を案じて自分も川に向かおうと足を踏み出した。その瞬間、川から立ち上がるヴァリン。


「………デナスの死体は分かった。燃やすぞ」


 震えた声は、川の水の冷たさによるものか。それとも小屋の中の悍ましさによるものか。

 振り返ったヴァリンの髪は濡れて乱れ、撫でつけられていた髪が頬に垂れ下がっていた。水浸しの彼はいつもの覇気がない姿で、自分の服の中に手を入れる。


「俺が見てきたものの中で、二番目に世界の終わりを感じた。凄かったぞ、見たいかユイルアルト」

「御冗談!!」

「冗談だと思うならそれでいい。見ないならこのまま燃やす」


 川から上がったヴァリンは、足元に水溜まりを作りながら小屋に近付く。金属で出来た装備は水を溜めて重いだろうに、彼は移動をものともしない。

 彼の手に収まった赤く輝く宝石は、軽く掲げられて。そして。


「―――『炎の精霊』」


 その言葉と同時、どこからか破裂音が一瞬した。ヴァリンが詠唱を続けると、彼の目の前に火球が姿を現し始める。それはどんどん大きくなり、ユイルアルト程度の背丈のものが出来上がる。

 火球の熱が周囲に伝わる。


「『契約行使。骨を残して燃え盛れ』」


火球はヴァリンの魔法行使から三秒ほどで、小屋に向かって放たれた。まるで爆発するかのような轟音が一瞬響いて、小屋が炎に包まれる。


「わ、……」


 ユイルアルトから漏れた声は感嘆と畏怖の混ざった音だ。目の前の光景は、ユイルアルトにとっては人生で初めて見る規模の魔法行使の瞬間。

 みるみるうちに小屋の周囲を飛んでいた虫の影が消えていく。逃げたか、それとも焼き尽されているのか。

 日中の火災に、ユイルアルトとフィヴィエルの目が釘付けになっている。今は火以上に気をつけなければいけないものがないからではあるが。


 そんな二人の目を盗んで、ヴァリンがリエラに近付いた。


「俺はお前が憎くはない。が、見たとおりに報告するぞ」

「………勿論、で、ございます」

「全く、よくやってくれたよ。デナスはいけ好かない男だったが、末路がこうだとはな」


 ヴァリンが見た小屋の中は、たった一瞬でも分かる程に絶望的な空間だった。

 転がる死体らしき黒い影は五つ、そこまでは良かった。


 ―――まるで室内を這いずるかのように扉の近くまで来ていた、黒ずんだ白衣を纏った死体を見るまでは。


 だから小屋の中の確認は一瞬で終わった。

 吐き気を催す悪臭と見るも無残な小屋内部と、デナスの死に様に覚えた嘔気を堪えるために川に飛び込んだ。服に染み付いてしまった死臭はきっと、この先取れる事は無いだろう。


「デナスは死んだからここに放置されたんじゃないんだな」

「…………」

「放置したから死んだのか。それとも、もう手遅れだから死んだことにして連絡取って、そのまま放置したのか。……胸糞悪い話には変わりないが、起きてしまった事にどうこう言うつもりはない」


 死体は最期の最期息絶える瞬間まで、扉の外の世界を求めていた。

 親の代から宮廷医師だったデナスは、腕の悪い医者だった。医者を名乗るだけの荷物でもあったが、それを今まで誰も咎めた事は無く。

 村人達を治療しに来たはずが村人と仲良く血を吐いたデナスから、実害を大いに被ったであろうリエラを責める気もヴァリンには無かった。


「……殿下、私は……どう裁かれるでしょう」

「知るか」


 濡れ髪をかき上げながら、ヴァリンがリエラに冷たい視線を向ける。

 村人の治療をするのにデナスの存在が邪魔だったのは容易に想像が出来る。あの男は何かにつけてリエラの足を引っ張ろうとする男だった。有能な女であるリエラの存在が煩わしかったのだ。

 そんなリエラに見放され、死んだデナス。

 ヴァリンだって、リエラと同じ立場にいたなら鼻歌を歌いながらでも見殺しにしただろう。

 起こってしまった事はもう取り返せない。

 なのに、それを罪だと感じて裁きを待つリエラに、ヴァリンはもう興味が無い。


「胸を張れ。デナスの結末がこう締めくくられても、お前の人生はまだ続く。もっと図太くなれ、死んだ命より救った命を数えろ」


 気の弱い宮廷医師にヴァリンが言えるのは、それくらいだ。

 リエラが助けた命があるのも真実。それだけは決して忘れてはいけない事。

 ヴァリンはもう話す気がないと言いたそうに、まだ火を見つめ続ける二人に声を掛け、来た道を戻る。

 リエラは三人の姿が見えなくなって漸く、もうひとつの小屋に戻る為歩を進めた。



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