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 掃き溜めに鶴。

 その言葉をユイルアルトが最初に知ったのは母が持っていた書物の中だったろうか。

 本好きだった母は、アルセンの物から他国の本まで何でも持っていた。アルセンの言語では読めない文字の本もあったが、それさえ母は好んで読んでいた。

 喪って久しいひとの持ち物を無意識に思い出すくらい、掘っ立て小屋の中のヴァリンは『異様』だった。立ち居振る舞いもその顔立ちも、この場所には似合わないくらい凛々しくて美しい。


「臭い。狭い。お前らよくもこんな場所で我慢出来てるよな、信じられなくて逆に感心する」


 その『鶴』とやらは外貌に似合わぬ粗雑な物言いで、見ている側の心象を悪くしているのだが。


 掘っ立て小屋の中は、粗末ではあるものの清潔にはしてある。掃除が端まで行き届いて埃も無い。まだ症状が安定していない病人が奥に寝かされているが、その病人も来客の方に顔を向ける事くらいは出来ている。

 その誰の口元にも覆いの代わりの布が巻かれている。人相が分からないが、この非常事態にそれを取れとも言えない。

 ユイルアルト、ジャスミンとフィヴィエルが短いながら名前を告げる。簡単に所属もだ。医者二人の事は「お伺いしています」とリエラの口から言われ、それ以上の事を言わなかった。

 『j'a dore』の事は機密事項らしく、おいそれと村人の前で言ったり出来ないからその配慮は有難かった。


「生き残りはこれだけか?」


 決して住民が多かった訳では無いだろう村で、この掘っ立て小屋に残っているのは八人だ。男性が五人、女性が三人。うち二人は小さな子供。

 リエラと呼ばれた宮廷医師は、俯きながら答えた。


「……はい。処置が遅れて、この方達しか……」

「デナスの死体は何処行った。あの穴の中に捨てたか」


 状況確認をヴァリンとフィヴィエルに任せて、ジャスミンとユイルアルトが荷物を解き始める。といっても荷物は多い訳ではない。治療自体は終わっていると聞いて調合器具は持って来てないし、あるのは僅かな調合済みの薬と、道の途中で用意した口の覆いと、渡された王室管理の毒草の本だけ。

 その間も二人の視線は合わない。ジャスミンは人数分の覆いを手にすると、それを村の人間に配って回る。最初は着け方に難儀していたが、一人ひとりに教えていく。


「あの穴をご覧になったのですか」

「見るな、って方が無理だろう。あんな悪臭と害虫の温床、確認しない方が不安になる」

「デナス様は……その」

「まぁ今更あいつの顔なんざ見たくないが。一応宮廷医師だったんだからその後くらいは聞いておかないとな」

「……川の下流にもうひとつ、同じような小屋があります。その中に」

「………まさかとは思うが、放置か」


 リエラは更に顔を下に向けた。それを聞いて、ヴァリンを始めとした四人の表情が歪む。

 宮廷医師が死んだと聞いたのは依頼を受けた時だ。それから一日経って昼に出発し、ここに到着したのは二日半後。それまでに城に連絡を飛ばした日数もあるだろう。その時間経過は、死体を腐敗させるには充分だ。


「腐った死体とはいえ、デナスはデナスだしな……」

「殿下、もしや連れて帰るおつもりでは」

「だからその呼び方は止めろ鳥頭」


 再びヴァリンからの怒声を喰らってフィヴィエルが縮こまる。既に王子殿下と知られているのだから今更良いじゃないか、というのが全員の心中なのだが。

 ヴァリンは悩んでいるようだ。基本的に死体は連れ帰れるなら連れ帰るのがアルセン国の考えだ。勿論戦争などともなれば連れ帰れる遺体の数に限度はあるのだが、今回死んだのは宮廷医師という高い地位に就いている者の上、死者は一人だけ。

 しかし腐っているだろう上に病に侵された死体だ。どうするか迷ったヴァリンは、誰に相談するでもなく独断で決める。


「焼いて持って帰るか。一応あいつにも身内はいただろう」


 それはこの場に居る者の中で一番立場が上だから、決断するのは自分だと思っていたからかも知れない。

 しかしその決定に声を挟む者がいた。


「賛同いたしかねます」


 その声はユイルアルトのもの。

 掘っ立て小屋の中にいた全員が、その冷静な発言に視線を向けた。


「この村は亡き人をお送りする時、火葬なのでしょうか土葬なのでしょうか」


 問いかけは生き残った村の人間に向けられる。彼らはそれぞれ顔を見合わせて顔を顰めた。


「……この辺りじゃ、土葬が多いです。火葬する施設も死体分の薪を用意する手段もありませんもんで」

「聞きました? 薪が無いんですって。それはそうですよね、大量に必要になるんですもの。今から木を切り倒して用意したって、生木を燃やす訳に行かないから干す時間も必要ですものね。そんな時間かけてられませんよ」

「……。つまり? お前は『放置したままでいい』って言うのか、ユイルアルト」


 ヴァリンの声が、冷たくその場に聞こえた。小屋の壁は彼の声を響かせず、吸収し、消していく。

 ユイルアルトはもう、この声に対する免疫が出来てしまった。実際にレイピアを突き付けられていないのであれば死にはしない。そう高を括って。


「そのデナスって方、誰が回収に行かれるんですか」

「回収、って言ったら俺かフィヴィエルだろうな? お前達じゃ奴の顔は分からんだろうし」

「危険です。それでなくとも『死体』というだけで病はそこから湧き出ている可能性があるんです。その上で、その方は流行病によって亡くなったというではないですか。燃やせば病は消えるかも知れませんが、其処に至るまでの危険を考えると賛成できません」

「……ん? ああ、お前もしかして死体のデナスを回収してどっか広い所で燃やそうとか考えてるって思ってる訳か」


 小馬鹿にしたような、鼻で笑う声がする。


「んな訳あるか、誰が好き好んで死体に触るか」

「……と、言うと? どう燃やすと」

「んなの簡単だろ」


 ヴァリンが機嫌よく、懐に手を突っ込んで何かを探っている。服の隙間から見えた中は、晩春だというのに黒の肌着らしいものが見えている。

 暫くすると、何かを人差し指と中指の間に挟んだヴァリンがそれを全員に見えるように翳して見せた。


「その小屋ごと、焼き払う。これでな」


 指の間に挟まっているのは、燃えるような赤色をした親指大の宝石だ。男であるヴァリンの親指ほどの大きさなので、ユイルアルトにしてみれば掌で収めなければいけないくらいのものだ。

 ユイルアルトが顔を顰める。その宝石だけでどのくらいの価値になるか分からないが、用途はよく知っていた。


「……魔宝石、ですか」


 魔宝石。魔力石。呼び方はそれぞれだが使用法はひとつだ。

 魔法を使用することが出来る種族は限られている。エルフやその血の流れを汲むものだ。詠唱や思念などを通し、精霊への呼びかけに応えて貰って初めて成立する。しかし、例外はここにある。

 宝石の中に魔法を得意とする者が魔力を溜め込み、魔法が使えない種族でも魔法使用が可能になる道具。

 魔力は宝石との相性があるので、どの宝石にどんな魔力を注ぐかというのは大抵決まっていた。

 赤色のこれは、恐らく炎系の魔法だ。

 そして限られた魔法行使の手段のひとつとして、こういった魔力譲渡には、譲渡する側から法外な値が付けられる。


「財力に物を言わせて手にしたんですか」

「人聞きの悪い事を言うな。財力だろうが腕力だろうが、俺は使えるものは何でも使う。……それで、反対意見は他にあるか?」


 ユイルアルトの反対が出た事で、ヴァリンが周囲に視線を送る。小屋を燃やす、と宣言したにも関わらず、それ以上の反対意見は出なかった。


「丁度ムシャクシャしてた所だ、派手に行こう」

「派手にしすぎて森ごと燃やし尽くさないでくださいね」

「保証はしかねる」


 ヴァリンとユイルアルトの軽口が始まっても、村人達の不安そうな顔は消えない。それもそうだ、これまでこの村ではずっと土葬だったのだ。だから遺体を燃やして骨と灰に、という行為が簡単に受け入れられないのは分かる。

 しかし、それだけではない何かをユイルアルトは感じ取っていた。リエラさえ、不安そうな顔を俯かせている。その違和感は、理由を考えてみても取れない。


「……あと気になっていることがあるのですが。あの死体塚の中の彼らはあのまま埋めるのでしょうか。それとも穴の中で焼きますか。そちらの方が虫も殺せて獣も寄り付かなくなるかも知れません」


 話を死体塚に切り替えると、村人達は再びユイルアルトの方に視線を向ける。何かを言いたそうにしている者もいるが、一様に暗い顔で頷いた。


「……だよな、そう、だよな。燃やしちまった方が、いいよな。あんなひどい所で、あんな風にしてるよりは……あいつらも、そっちの方が、きっと」


 その言葉は中年男性の一人の口から出てきた。自分に言い聞かせるような声色が、ユイルアルト達の耳にこびりつく。

 穴の中に居るのはこの村の住人だ。ならばその中に、知己や親類がいてもおかしくはないのだ。

 ユイルアルトが一瞬息を飲む。想像しただけの悲しみに飲まれそうになった自分を知覚してしまった。けれど、その表情をなるべく変えないようにして再び口を開いた。


「死した後に、あちらからの言葉は届きません。……普通は」


 その言葉を並べている最中、ユイルアルトの頭の中にあったのはソルビットの事だった。


「ですが、もしあちらから声が届いたとして。……それでどうされたいか聞いてやれても、叶える道理はないのです。生きていくのは私達なのですから、死者にはもう生者の世界に口を挟ませない」


 ヴァリンは、ユイルアルトの言葉をどこか遠い目をしながら聞いている。

 彼は、もし彼女の声が届いたなら彼女の願いを聞いてやっただろうか。

 自分を忘れて、それでも生きて行けと言われて、納得して遺灰を捨てただろうか。


「出来るのは、笑顔で見送ってやる事だけです」


 泣き喚きたいくらいに別れが辛くても、此岸と彼岸では決定的な差があるのだから。

 ヴァリンは、この言葉をどう受け止めたのだろう。それまで上機嫌だった目元からは笑いが消え、無言で服の上から胸元を擦っている。彼だって、永遠に彼女の影だけを追って生きていける訳がないだろうに。

 笑顔で見送る、の言葉に、男は何度だって頷いた。そしてそのまま下げた顔から、雫が幾筋も床に落ちていく。


「それでも……俺はよ、……一緒に居て、せがれが大きくなるのを……これからも見ていたかった」


 男の悲哀の言葉に、村人からの啜り泣きが聞こえる。身内を亡くした悲しみはユイルアルトも知っているのに、今はその感情を邪魔だとさえ思ってしまう。


 実を結ばず終わった愛も。

 先に残せなかった想いも。

 言わないまま散った恋も。


 無ければ悲しみなんて生まれなかった。そして今、他人のそんな感情が揺るがされるのが我慢ならなかった。



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