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 村側の森の中は、不思議な静けさと独特の清涼感に満ちていた。

 森に入る直前から、川を流れ落ちる豊かな水の音と、木々の葉擦れの音が四人の耳に届いていた。遠くから聞こえる音から推測すれば、恐らく中には滝があるのだろう。その水さえ病に汚染されていなければ、生存者がそこに居る可能性は跳ね上がる。


 僅かながら通れる程度の獣道に沿って、四人が進んでいく。先頭はフィヴィエル、次にジャスミン、その次がユイルアルト、一番最後がヴァリンだ。獣道ではいつ毒蛇に出くわすかも分からない。後方を歩けば歩くほど襲われる可能性が上がって危険だ。そうフィヴィエルが言ったのだが。


「はぁ? 俺に先頭歩けって言うのか。居るかも分からん毒蛇に怯えるのとよく知りもしない土地の森の中を先頭切って歩くのとどっちが危険だ? お前これ以上俺を失望させるのかよ」


 と、やり込めてフィヴィエルを先頭に置くことに成功したヴァリンは満足そうに目元で笑った。

 ユイルアルトとしても、その言葉選びは出来ないにしろ同じような事を言っただろう。先頭をフィヴィエルが切り開くことで、後の三人が無理なく歩けるのだ。

 なるべく急いだほうがいい。この地域に留まれば留まる程体力は奪われるし、病が残っていたら罹患する可能性が跳ね上がる。そちらの方が、目に見えるものを対処するよりも難しいのだから。

 森の中を一列になり進んで分かるのが、森自体の広さの割に、獣の声がしない事。鳥の羽ばたきさえも聞こえない。悪い事が起きる何かの前触れのように思えた。医者二人はそれぞれ不安な顔を押し隠そうとしているが、騎士二人には筒抜けだ。


「獣くらい出てきてもいいと思うんだがな。仕留めたら村人に処理させれば食えるだろう」


 ヴァリンの軽薄な声が聞こえた。それに苦笑を返すのはフィヴィエルで、ジャスミンは完全に無視している。

 ユイルアルトは反応を返すことが出来なかった。医者二人の様子を窺っての言葉だったのは分かっていたが、今無駄に口を開こうとすると不安が漏れ出てしまいそうだったから。

 そうして滝の音と獣道に従って歩いていくと、やがて三人の前に掘っ立て小屋のような粗末な建物が見えた。


「……皆さん」

「ああ」

「見えましたね」


 四人が同時に茂みに身を隠し、その建物の様子を伺う。人がいる気配までは分からないが、そのすぐ近くに滝も見えて、ユイルアルトが確信する。

 『ここに、誰かいる』。

 それこそがこの面子がこの地に来た理由であり、ユイルアルトとジャスミンの仕事。

 暫くそのまま様子を伺っていると、掘っ立て小屋の扉が開いて無意識に三人とも息を止める。中から出てきたのは、一人の中年男性のようだった。足取りは重いがふらついているという事も無く、口元に布を巻いている。

 布はただのハンカチのようなものなのだろう、四人が装着しているそれよりも心許ないものではあるが、巻かないよりマシだ。

 あ、とユイルアルトとジャスミンが同時に声を漏らす。その声に釣られて互いが互いを見たが、先に目を逸らしたのはジャスミンだ。


「へぇ、宮廷医師様とやらの指示なんでしょうかね、あの覆い?」

「まぁ、生き残った方の宮廷医師の腕は確実だったからな」

「生き残った方? ……ああ、確か二人派遣されて一人亡くなったんでしたっけ?」


 ユイルアルトの問いに、フィヴィエルの唇が引き結ばれる。覆いの下の口許は誰にも見えないが、眉間に寄った皺までは隠せない。

 中年男性が何をしに外へ出たのかと様子を見ていた四人だが、その間に再び掘っ立て小屋から出て来る人影があった。ヴァリン以外の三人の視線は、その陰に釘付けになる。

 少し薄汚れた白衣を着た女性だ。年齢はおよそ四十代、色素の薄い青の髪。小走りになって揺れる髪は一つ結びされて背中の半ばにまで届いている。


 フィヴィエルの息が飲まれる音が聞こえた。


「……農村に不自然な白衣……」

「間違いなさそうですね」

「―――………」


 この地で白衣、というと心当たりがあるのは一つだけ。この女性は宮廷医師である可能性が高い。ユイルアルトとジャスミンが横目で見たフィヴィエルは、僅か震えていた。

 中年男性は白衣の女性の姿を見て驚く。


「リエラ様!? いいですから中に入っていてくだせぇ、水汲み位出来るんで!」

「駄目ですよ、病み上がりなのですから貴方こそ休んでいてください。私に出来る事はこのくらいですし」

「そんな……! 命を救ってくださったリエラ様にこれ以上を望むなんて出来ねぇよ!!」


 命を救った。

 聞こえたその言葉で確定だ。

 リエラと名を呼ばれたその女性は中年男性の言葉に少しだけ照れ臭そうにしながら、それでもめげずに水汲みを手伝おうとする。最終的には男性の方が折れて、一緒に桶に水を汲んでまた掘っ立て小屋に入って行った。


「……フィヴィエル、声を掛けなくて良かったのか」


 もう誰も外に出る気配が無い様子を悟ると、ヴァリンがその場に立ち上がる。

 この期に及んで、まだフィヴィエルばかりに仕事を押し付ける気なのか―――ジャスミンもユイルアルトも同時に同じことを考えた。けれど。


「………宮廷医師、なのです。僕が声を掛けるなんて、畏れ多い」

「まだ向こうは知らんのだろう。別に俺が行っても良かったが、流石に無粋かと思ってな」

「お心遣い、ありがとうございます。……あの小屋までは、僕が先導します」


 フィヴィエルも立ち上がった。その後にジャスミンが。そしてユイルアルトが立ち上がる。

 がさがさと獣道を掻き分け歩く四人は、簡単に掘っ立て小屋の前まで辿り着く。

 粗削りの木の板を繋ぎ合わせて出来た扉を叩いたのは、フィヴィエルだ。一番後ろにヴァリンが位置付く。

 扉を叩いた軽い音では、何の音も誰の声も返ってこない。


「ユイルアルト、ジャスミン」


 今度は強く拳を握りしめ、扉を数度殴った。その間に、ヴァリンが医者二人に声を掛ける。


「下がってろ、危ないからな」


 何の事だ、と思っているとヴァリンが無理矢理二人を掻き分けるようにして前に出た。

 暫くして、再びフィヴィエルがノックをしようと手を握りしめた時。


「―――っあああああああああああああああ!!!」


 聞こえたのは遠吠えのような怒声だった。勢いよく開かれた扉の向こうから、二人の男が躍り出た。手には森での軽作業に使うような小刀を持っている。フィヴィエルが咄嗟に後ろに二歩下がり、ヴァリンが素手のまま男達と距離を詰める。

 振り上げられた小刀、それを持つ男の手首を片手で抑え込んで捻り上げる。もう一人の男は、その場でフィヴィエルが手首を掴んで地面に引き倒した。

 一瞬で制圧した男二人から小刀を奪い、ヴァリンは男の首元にそれを押し当てながら目元に笑みを浮かべた。


「熱烈な歓迎は嬉しいが、これが男ってのが気に食わんな。リエラの差し金か?」


 ヴァリンは笑顔だが声が怒っている。小刀を突き付けられた男は、「ひっ」と息を飲みながら震える声で返事をする。


「……お前らが、リエラ様を連れていくんだろう! リエラ様が言っていた、国の定めに逆らった自分には罰が下ると!! そんなの、命の恩人が罰せられるって聞いてるのに、素直にはいそうですかって連れていかせると思うか!!?」

「ほう? 命の恩人を救うために、命の恩人の目の前で刃傷沙汰か。それで命を救ってやった奴が返り討ちに遭って死体になったらリエラの失望は如何程のものだろうなぁ?」


 ヴァリンは男の肌に小刀を寄せたまま、それを左右に振って動かす。再び男の口から小さく短い悲鳴が上がった。

 動作がまるで二番街のゴロツキだ。振る舞いだけで言えばフィヴィエルの方がよっぽど上品。そんな粗暴な男が、掘っ立て小屋に向かって声を投げる。


「なぁ、聞こえてるだろリエラ? 宮廷医師としてお前がしたいのは、救った輩を見放して死体を量産する事か?」


 掘っ立て小屋の中で、言い争うような声が聞こえてきた。「出ては駄目です」「でも」「行かないでください」。

 必死で引き留めようとする声と、外に出ようとする声の二種類だ。それを茶番でも聞いているかのような顔をするヴァリン。

 やがて掘っ立て小屋の中から、白衣を翻らせて出て来る姿があった。その姿は、ヴァリンを見て硬直する。そんな彼女に、口の覆いを一度だけ外して顔を見せてやる。


「よう、リエラ。相変わらず陰気な顔してるな、元は美人なんだから胸張って正面向け」


 直ぐに口の覆いを戻したヴァリンの相変わらずの軽口に、リエラは言葉を失った。けれど、その場で両膝を付いて、驚愕に満ちる顔を隠さずに。


「……王子、殿下……!?」


 そうリエラが言った事で、ヴァリン達に制圧されていた男達の抵抗も止まった。それまで何とか引き剥がそうと藻掻いていたが、その力が抜けていった。


「……お前といい、フィヴィエルといい、本当どうしてこうも……。カリオンの教育のせいじゃないってのが証明されたか。これは血か。うん」


 ヴァリンは呆れ顔だ。

 『王子殿下』という称号の威光はこんな片田舎でも有効らしい。面倒になったので腕の中の中年男を解放してやると、四つん這いのまま掘っ立て小屋の方へ這いずって行った。そして膝を付くリエラに縋るように近付く。

 フィヴィエルも男を解放した。地面を転がるように掘っ立て小屋の前に逃げ、けれどリエラを背に庇うように位置付いた。 


「で、殿下、お願いです。どうかこの方達に御慈悲を。私の身を案じてくれただけなのです」

「お前の身を案じて他人を害そうと刃物を持ち出すのか? 自分達さえ良ければ他人はどうなってもいいのかって話だよな。これで本当に俺に傷でも出来てたら―――」


 ヴァリンが半笑いで、その場を見渡す。


「……こんなちっぽけな村、制圧どころか殲滅だぞ」


 それはその場にいた全員から血の気が引くような言葉。

 『王子殿下』という身分はそれを可能にするのだ。同時にフィヴィエルもユイルアルトもジャスミンもそしてリエラさえも、ヴァリンがその言葉を現実にする男だと知っている。

 リエラがその場で地面に両手を付いた。そして懇願するようにヴァリンを見上げた。


「お許しください!! 責なら私が負います、この方達には、どうか手出しは!!」

「んー? ……おいおい、お前の進言と俺の血と。どちらが重いのか分かってんだろ?」

「殿下……っ」

「まぁ、こんなもんで傷を負う俺でもないが」


 指先で遊んでいた小刀を握り直すと、それを掘っ立て小屋の方向に向けて投げた。それは壁に突き刺さるが、元々投擲用の武器でもないために浅く刺さったため自らの重さに負けて抜け、地面に落ちた。


「さて、折角俺がこんな場所まで来たんだ。身を寄せるには粗末が過ぎるが、その中に上がらせて貰いたいのだがどうだろうか?」


 ヴァリンは乱れてもいない髪をわざとらしく後ろに撫でつけるようにしながら、問い掛けの体だけ繕った命令を下す。

 村人もリエラも、それを拒むことなど出来ない。三人はそれぞれ顔を見合わせた後、頷きあって出入り口を譲った。



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