39
馬車は目的地までの道のりを再び出発した。
ジャスミンとフィヴィエルの二人の手によって、口の覆いは作られていく。ユイルアルトは幌馬車の奥側、ヴァリンの近くにいるしかなくて。
御者席に座って馬を操り、正面だけを見据えるヴァリンの横顔に、馬車の中を気にしている様子は無い。進むべき道の先をしっかり見据えているように見えた。だけど、その隣に並んでいる荷物の箱に時折手を置いて、優しく撫でては離す。
幽霊のソルビットは、ヴァリンの側に居ない。
「……ヴァリンさん」
腰を少しだけ上げて、床の上を滑るように移動する。なるべく近寄らないように、でも声は聞こえる位置まで距離を詰めると、ヴァリンが視線だけユイルアルトに向けてきた。
「……なんだ」
素っ気ない返事だが、ユイルアルトは気にせず続ける。
もとよりそこまで仲良くないのだ、返事も期待していなかった。だから声が返って来ただけ御の字だ。
「マスターの奥さんって、どういう人だったんですか?」
「マスター……。ディルの事か」
ソルビットの事は、実際に見たので何となく分かる。
蓮っ葉で、馴れ馴れしくて、甘え上手で発言が滅茶苦茶な女性。
茶色の髪を持つ、今は無き騎士隊『花』の副隊長。
けれど、その彼女と共に死んだというマスターの妻の事も気になって。
「あいつの事は、………聞いても面白くないぞ」
「そうですか? ……あのマスターの心を射止めた人のことです、知っていて損は無いでしょう。少しは円滑にマスターと交流できるかも知れません」
「ディルはあいつの話をしたがらないからな。……あいつの真似したって、ディルと交流できるとも思えんし」
「あの人の奥様なら、おおらかで穏やかな人という気がしているのですが違うのですか? あの人の態度に大人しく付き従っていそうな」
「はぁ?」
ユイルアルトの想像図に、嘲笑交じりで返すヴァリン。
「おおらか、ってなら広義ではそうかも知れんが。穏やかとか大人しいとか、あいつに一番似合わない性格を持ってきたな」
「え? ……似合わないってどういう事です」
「馬鹿でうるさくて喧しくて騒々しくて喧嘩腰で、女らしさの欠片も無い酒好きで肉付きの悪い貧乳だったよ」
「貧」
「ミュゼを銀髪にして髪解いたらかなり似てると思うぞ」
「ミュゼさんに?」
へぇ、とユイルアルトの口から声が漏れる。最近酒場に来たばかりの新しい仲間とは、ジャスミンより深い交流がある訳では無かったが性質は知っている。寧ろ、先程から並べられた特徴はミュゼそのもののようだった。
意外だ。頭の中でミュゼの隣にマスターが並ぶ所を思い描いてみたが、あの性格をマスターが好んで側に置くとは考えられなかった。騒々しいのを好まない、言い方は悪いが陰気な性質だと知っていたから。
「だが、俺はあいつの話で出来る事は限られてる」
「何故?」
「俺が、あいつの事が大っ嫌いだからだよ」
普通の口調で。
さも当然とでも言うかのように。
ヴァリンの口から出てきたのは、故人に対する憎しみに他ならなかった。
「聞きたかったら本人から聞くんだな、尤もあいつが軽々しく教えるとも思えんが……っと」
その瞬間、馬が嘶いた。ヴァリンが慣れた様子で手綱を引くと、少し興奮した様子の馬は次第に落ち着いていく。馬車の進みはゆっくりであったがその動作で止まり、その衝撃で馬車の中の荷物は動き乗客は体勢を崩した。
「っきゃ!?」
ユイルアルトがよろめいた。しかし体勢が低かったために床に体を叩きつける事は無い。それはジャスミンもフィヴィエルも同じだ。
ヴァリンが地図を出し、その道筋を見る。同時、鼻で数回周囲の匂いを嗅ぐと不愉快そうに顔を顰めた。
「……あー、最悪だ」
ヴァリンの鼻腔に『死』の匂いが届いている。
「……ええ、そうですね」
その匂いに気付いたのか、フィヴィエルが同意する。
何の事だ、と医者二人が思う前に、二人にも嗅ぎ慣れない異臭を感じることが出来た。
「なんか……変な匂い」
ジャスミンが感想を述べる。
ユイルアルトは、その異臭に覚えがあった。
「ヴァリンさん」
ユイルアルトが声を掛ける。
「村、すぐそこなんですね?」
地図を畳んでしまうヴァリンの眉間には皺が寄っていた。異臭に耐えかねた彼は袖口で口許を覆う。
問いに返る言葉は、簡潔に。
「そうだ」
それだけ言うと、ヴァリンは再び馬を進めた。
馬車を下りる前に動いたのはジャスミンだ。進行を再開した馬車の中で、それぞれに口の覆いを渡して回る。同時にユイルアルトは、それぞれに持参していた干した薬草を渡した。
両端の紐部分を耳に掛け口と鼻を覆い隠し、層になっている布の間に薬草を挟む。それだけでだいぶ臭気が軽減された。薬草の齎す香気が、呼吸に清涼感を与えている。
道の先を見る四人の目の前に、村の姿が見えた。村の端に馬車を止め、馬の体に鞍を乗せ、そこに縄で近場の柵に括りつける。草原がある場所だから、暫くの間なら放置しても大丈夫だ。飲み水として、桶一杯に飲料水を注いで馬車の側に置いた。
「……人の気配が無いですね」
目的地であったヨタ村は、農業を主な仕事としていたと聞く。しかし晩春である今、畑に農産物が植えられていてもそれらが害獣に好き勝手荒らされていて、人の手が入っているようには見えなかった。
複数個所に固まっている家々の戸口も窓も全て閉まっている。肌に感じる気温とはまるで違い、寒々しい光景だ。
荷を馬車から下ろし、持てるだけ抱えた四人。フィヴィエルは自分の荷物と同時に、ヴァリンの荷物まで抱えている状態。ジャスミンはフィヴィエルが荷物の運搬をすると申し出たが辞退して、自分でそれを運んでいる。
ちらりとヴァリンに視線をやると、例の箱を持っている様子は無かった。馬車の中に置いてきたようだった。
ユイルアルトだって馬車の中にひとつ荷物を置いてきている。酒場の自分達の部屋から持ち出した、未だ芽を出さぬ鉢だ。
「そうですね……。この臭いの中で生活するのは厳しいでしょう……」
荷物の事も大事だが、これからの事の方がもっと大事だ。ユイルアルトは頭を振って、目の前の事に集中しようとした。
先程から鼻腔に流れ込んで来た異臭は、村に近付くと共に酷くなっていた。そして今、覆い越しでも耐えかねる吐き気を催すような臭いにフィヴィエルが覆いの上から鼻を抑える。
その姿を見たユイルアルトの口から「あ」と声が出た。
「フィ―――」
「フィヴィエルさん、それ触っちゃだめです」
注意しようとしたユイルアルトだが、その言葉はジャスミンに先んじられた。
その声が最初のような棘を持たず、どこか優しさを帯びているのは、ユイルアルトだからこそ分かる事。
「え」
「覆いの外に一番病が付くんですよ。水の濾過器のように考えてくれたら分かるでしょう、ゴミは一番外側に溜まる、と。後で手を洗ってくださいね」
「………えええ……先に言ってくださいよ……」
それを聞いたヴァリンも、鼻を抑えたそうにしていたがバツが悪そうに両手を上に掲げる。俺はまだ何も触ってませんよ、とでも言うかのようだ。
気を取り直して四人が村の中へと進んでいく。今は人の気配どころか獣の気配も無い。
『それ』に一番最初に気付いたのはヴァリンだった。
「あそこか」
「そのようですね」
騎士二人は、何をと言わずともそれだけで通じ合っていた様だった。
何やら村の端っこに、大量の盛り土がされている。穴を掘った様子のそこに、四人が近付いていった。
「っ………!」
ジャスミンの呻きが、小さく聞こえた。
穴の中には生成り色をしていた筈の広い布が、何かに巻き付けられて大量に投げ込まれている。その布は所々臙脂色や茶色に変色しており、蠅が大量に飛んでいる。顔の周りを飛び回る羽虫を、ジャスミンが必死で振り払っていた。
フィヴィエルもヴァリンも、そしてユイルアルトも、その光景から目を逸らさない。三人が三人とも、この光景を頭のどこかで予想していた。
「病が流行するわけです。『こんなもの』を許しているようでは、この村の衛生状態なんて知れたこと」
あまりの臭気に、四人全員が覆いを手で抑える。
四人ともが産まれてから今までの生活水準が比較的高いからか、こんな光景は噂や物語の中だけに聞くばかりだったが―――実際を見る前に、既にその予想が出来ていた。
酷い臭いは『こんなもの』からだ。それが腐乱臭であるということは、全員が理解している。
「死体塚ですね」
中に投げ込まれているシーツに巻き付けられたそれらは、全て死体。
「お前、取り乱さないんだな」
平然と言ってのけたユイルアルトに、感心した様子のヴァリンの声が掛かる。
「何がです?」
「こんだけの数の腐った死体見て、お前平気そうだなと思ってな」
「別に。布でくるんであるのです、そこまで悍ましい景色でもありません」
そこでユイルアルトはジャスミンを見た。少しばかり取り乱した様子はあるが、フィヴィエルが側についている事で動揺を抑えられているらしい。「大丈夫ですか」「大丈夫」そんなやり取りが聞こえてきた。
死体は山盛り、生存者の姿は見えず。さて、と四人が同時に溜息を吐いた。取り敢えず死体塚からは離れたくて、ユイルアルトが歩き出す。
「死体は腐り、更なる別の病を産み出します。……ですが先に生き残りを探しましょう。現状把握と宮廷医師の身柄確保が先です」
「仕事熱心で嬉しいよユイルアルト」
ユイルアルトの背に、迷わず歩を進めたのはヴァリンだった。
それから少しだけ間を置いて、フィヴィエルとジャスミンが歩き出す。
「とは言っても……、『居られそう』な場所は限られてると思いますが」
その言葉はフィヴィエルの口から出てきた。そんな彼に肩越しに振り返って視線を送る。同時に意地悪く問い掛けてみた。
「流石に、死体の近場で過ごしてる訳ではないでしょうが……フィヴィエルさん、もしあなたがこんな状況になったら、何処に向かいます?」
「僕ですか? ……そうですねぇ」
畑、穴、民家はこの場から見え、集落から離れた場所に森がある。
その場から周囲を見渡して、ジャスミンとユイルアルト、そしてアールヴァリンは既に気付いている。敢えてそれを口に出さず、全員がフィヴィエルを見た。
試されてる気がする。フィヴィエルが三人の視線を受けて冷や汗をかく。
「……何でしょう、違和感は覚えますが、『何処』をと絞ると……解りませんね」
「二流騎士」
「初歩の事だと思いますが、まさか思いつかないとは……」
「お前それで本当に騎士か? 今まで何の仕事してきたんだよ、騎士の位剥奪するぞ。下級士官からやり直せ」
「申し訳ありません!! 考えます!! どうかお待ちくださ―――」
三人から扱き下ろされて、フィヴィエルの顔から血の気が引く。特に王子騎士であるヴァリンの言葉は深く胸に刺さったようだった。
「そんな悠長に待つ訳無いでしょう。井戸ですよ井戸。見当たらないでしょ」
ユイルアルトが呆れを隠しもしない顔でそれだけ告げて、再び歩き出す。
ヴァリンもそれに続いて、ジャスミンさえフィヴィエルを置いて歩を進めた。
「井戸……? って、ちょっと! 置いてかないでください!!」
フィヴィエルがもう一度周囲を見渡す。
確かに井戸は見当たらず、視線を戻したその時にはもう他の面子と距離が離れていた。慌てて三人を追ったフィヴィエルは小走りだ。
三人が見据えた先は森だ。やっと追いついてきた二流騎士に振り返りもせず、ユイルアルトが補足を口にする。
「生活していく上で水は必須でしょう。なのに、この村には井戸がない。なら、村のごく近くに水源がある。これまで来た道の途中にあった川は遠かったです。となるとこの先……森に湧き水がある可能性がある。そこに生き残りがいるかも知れませんね」
「森……? ですが、どこからか水を汲んで来て、まだ村で生き延びている可能性だって」
「あなたは、死体塚が側にあるこんな悪臭に満ちた場所で暮らしたいんですか? 変わった趣味をお持ちですね」
ユイルアルトが厳しく言い切った言葉に、フィヴィエルが言葉を詰まらせた。
だが確実に生き残りが森にいると分かった訳でもないのに、三人の足取りは真っすぐで迷いが無い。まるでユイルアルトの言葉が全て正解だと信じているかのように。
「さて」
小さな村で起きた悪夢が、四人の眼前に晒されて。
ユイルアルトは、ほんの少しだけ期待で胸を高鳴らせていた。
「……こんなに死者を出した病を抑え込んだ宮廷医師様のお顔、漸く拝見できるんですね?」
胸にある期待は、同じような職についていながら自分よりも知識を持っているであろう人物に会えること。
覆いの下で唇を綻ばせるユイルアルトとは対照的に、フィヴィエルの顔は暗く沈んで行っていた。




