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 ジャスミンが戻ってきたのは、ユイルアルトが着替えを済ませて寝に入った直後だった。

 フィヴィエルと何かしらこそこそ小声で話していたと思っていたら、今日まで騎士の二人が使っていた幌馬車後ろの空間を少し広げて、そこにジャスミンが横になる。ユイルアルトの側に戻る気はないらしく、暫くしたら寝息が聞こえてきた。

 騎士の二人の声が馬車の外から聞こえる。あまりに小さすぎる声に、話の内容が何なのか分からない。騎士は二人とも外で寝るつもりなのだろうか。

 ユイルアルトは起き上がって、馬車の中をぐるりと見渡した。

 見渡してみれば確かに、男二人が使っていた毛布の類が無くなっている。夜ともなれば外は肌寒いだろうに、

 馬車の床は荷物で二分されている。あまりに露骨なジャスミンの態度に、呆れが溜息になって出て来る。けれどもうユイルアルトにも文句を付ける気力もなく、ましてやそんな気分ではない。再び床に体を横たえると、目を閉じて眠りに入る。


 ヴァリンの荷物の一つである、彼が何よりも大切にしている箱は、まだジャスミンの近くにあった。




 次の日、朝の身支度を済ませて出発する前から、ジャスミンは自分の作業に集中していた。誰も話しかけるな、とでも言いたいような空気を出しながら、昨日ユイルアルトと二人で作っていたものの作業の続きをしている。

 顔を洗ってきたヴァリンは、ずぶ濡れになったままの顔で鬼気迫るジャスミンの横顔を見ていた。荷物の中から拭く物を取りたいのに声さえ掛けられない状態だ。


「……あれ、何作ってるんだ」


 ヴァリンとしては当然の疑問である。なにやら村から持ち返った布のようなものを長方形に切り裂き、重ね、両端を紐で輪を作り結ぶ。

 その質問は馬車の外で周囲の植物の調査から戻って来た戻って来たユイルアルトに投げられたものだった。今日も今日で草むらや森から両腕で持てるだけ植物を持ってきた。その中の数種類はスープとして出たものもあったので、ヴァリンにとっても見覚えのあるものが抱えられている。


「あれ、とは?」


 水も滴るなんとやら。そのままのヴァリンを見ているのも気まずく、ユイルアルトがハンカチを差し出した。受け取るヴァリンは、それを受け取って肌へ押し当てるように拭いていく。


「今ジャスミンが作ってるやつ」

「口の覆いですよ」


 覆い? と言われてヴァリンにピンとくる物が無い。そして、ユイルアルトと共に森から戻って来たフィヴィエルが同じように両腕にわんさと植物を抱えて二人の側まで来た。


「覆い、と言うと……僕たちには砂塵避けくらいしか思いつきませんね」

「はい、砂塵なんてもののような目の大きいものと一緒にしないでください」


 ユイルアルトはジャスミンが作業をしていようが、遠慮なしに馬車の中に植物を突っ込んだ。フィヴィエルがジャスミンの作業中の手がその一瞬で止まったのを見て表情を引き攣らせるが、ユイルアルトはお構いなしに彼の腕のなかにある植物をもぎ取って同じように馬車に入れる。

 馬車の一角が植物まみれになった。収穫したての青臭い匂いが馬車の中から溢れ出して外にまで漂う。


「病は人の体の中で自然発生するものという訳ではないのはご存知ですね?」


 作成しているものについて理解していないような顔の男二人の為に、その場でユイルアルトの即興授業が始まった。


「……そりゃ、自然発生じゃないだろうな。でないと流行病なんてものはまず有り得ないだろ」

「そうですね。では、病は何処から人の体に入ると思いますか?」

「入る……ってったら、口と鼻と、あとは下」

「はいそこそれ以上は黙る!!」


 途中まで優秀な答えをしていたヴァリンだが、良からぬ感覚を覚えてユイルアルトが黙らせる。そのままではまた下ネタ直行だ。

 ヴァリンは「なんだよ人が折角真面目に答えてるのに」と不満そうにしていた。

 ユイルアルトは咳払いを一回。気を取り直し、再び話に入る。


「流行り病というのは、生き物の鼻や口から入ります。……そう考えられるようになったのは比較的最近の事ですけれど」

「鼻と口、ですか」

「勿論、それ以外からの感染経路はあるでしょう。しかし今はその二点を重点的に守る事を考えてください。覆いだって完全に人体を守れる訳ではないんです。それと、手を定期的に洗う必要もあります」

「手? 何故だ」

「口や鼻に触れる可能性があるからです。くしゃみが出そうになったら口元庇うでしょ、食事の時は口に入れる食器に触れるでしょ。何かしらの物を媒介して病が体に入る可能性もあるので、共用のものに触る時はなるべく手を清潔にしてください」

「もう病は終息しつつあると聞いたぞ? そこまで気を払う必要はあるのか?」


 再びヴァリンからの問いが投げられる。それは意地悪く煽る為のものではなく、純粋に疑問に思ったからの問いかけだ。

 ユイルアルトも、その問いが来ることを予想していたのか軽く頷いて見せた。しかし、その問いがヴァリンから来るとは思っていなかった顔だ。


「私の昔話になりますけれど。……少し前に疫病で全滅した村がありました。その村に後から調査に入った騎士達が、全員同じ病気に罹患して帰ったそうです」

「……疫病? 全滅、騎士派遣……ああ、二年前のセイノ村か」


 ヴァリンの口からその名前が出た瞬間、ユイルアルトの体が大きく震えた。無意識に俯いた、その顔が青い。

 フィヴィエルもヴァリンも目の前の変化に気付かない程間抜けな騎士でもない。しかし、その様子の変化に口を挟まずにただ見ていた。フィヴィエルは心配から黙ったままだが、ヴァリンは何かに勘付いた様子で。


「………だ」


 絞り出したようなユイルアルトの声が、震えて上擦っている。

 けれど、ここで止まる女でも無かった。


「……だから、罹患者が治癒、或いは死亡しても……病は、暫く、その場に留まっていると考えることが、でき、ます。……特に、治癒した場合、後遺症として、咳などが認められる場合があり……それに病が付いて体外へ排出されている、可能性が、考えられています」

「成程。確かに熱が引いても咳が残っていたりしますからね」

「そういう理由なら予防の必要さはよく分かった。教えるのは上手いんだなユイルアルト」

「……ありがとう、ございます。ですが」


 ヴァリンが真剣に話を聞いていた様子に、ユイルアルトの動揺が収まっていく。今伝えられるのは自分しかいないからだ。ジャスミンもこの手の話なら得意にしているが、今は作業に集中してくれている。

 けれど一番重要な事を伝え損ねて、ユイルアルトはもう一度声を振り絞った。


「覆いには、一番大事な役割があるんです」

「役割? 移らないようにする以上に大事なことって何なんだ、布切れの寄せ集め如きに大層な事が出来るとも思えんが」

「ええ、それは」


 ちら、と視線を向けたジャスミンは一切三人を見ようとしていない。話の内容は耳に入っている筈だ。一度止めていた手も再び動いていた。

 ジャスミンはこちらに踏み込もうとしない。苦手に思ってるヴァリンがいるからというだけの理由かも知れないが、昨日の事を思い出せばユイルアルトの存在も不愉快なものに思っているのだろう。ユイルアルトには、それが少し悲しかった。


「……『他人に移さないようにする』事です」

「移さない……」


 ユイルアルトが伝えた一番の役割。

 これまでの説明で、二人にも理解が及んだらしい。その顔を見る限りそれ以上の説明は不必要かとも思いつつ、念のために続きを語る。


「体外へと病を排出するという事は、周囲にまき散らしているのと同意義です。それを覆いで防ぐことによって、感染の減少が見込めます。勿論先程申し上げたように、完全に防げる訳ではないので相互で覆いの使用が必須です」

「覆い、手洗い。予防で出来る事はその程度か」

「厳密に言えばまだ予防手段はありますが、それさえ気を付けて頂ければ無防備よりはマシかと」

「分かった、ここはお前の言うとおりにした方が賢明だろうな」

「為になるお話、ありがとうございます」


 騎士二人が理解してくれたようで、ユイルアルトが安堵した。その安堵を分かってか、フィヴィエルは笑顔で馬車に顔を向ける。


「ジャスミンさんも。……作業してくれてありがとうございます」

「……………。別に」


 沈黙があったものの、フィヴィエルの言葉にジャスミンが返事をした。やはり聞こえているだけで何も言わなかったのだ。

 その間もジャスミンの手が止まる事は無い。と思っていたら、フィヴィエルが軽い身のこなしで馬車の中に身を滑り込ませる。

 あまりにいきなり過ぎる動作に、ジャスミンが驚いて手にしていた覆いを落としてしまう。それにも構うことなくフィヴィエルが近寄った。


「っあ、え、なんで」

「お手伝いしますよ。これ、端をこう結べばいいんですか?」

「そ、それそうしたら違っ……あああぁ折角重ねてたのに!」

「あれ、おかしいな。だったらこう……あ、こうですね。分かりました」


 馬車の中からは楽しそうなフィヴィエルの声と、困ったようなジャスミンの声が聞こえて来る。

 ユイルアルトはその風景を、遠い世界の出来事のような目で見つめていた。


 二人の距離が、明らかに縮まっているのだ。


 これまでだったらジャスミンは拒んで近寄らせようとしなかったフィヴィエルと、今は肩を並べて覆いを作っている。

 この距離はいつからだろうか。二人が村に入った時だろうか。それとも、森に入ったジャスミンをフィヴィエルが追いかけた後だろうか。


「そろそろ出発するか。フィヴィエルが作業に回るんなら、俺が御者役しよう」

「…………」


 ジャスミンが誰かと懇意にするのが嫌な訳ではない。

 ジャスミンがユイルアルトを嫌っても、それでごねるような子供であるつもりも無い。

 だから、今の状態は喜ばしい筈なのに。


「………?」


 胸の中に、言い知れぬ棘が刺さったような痛みを覚えた。


 最大の味方であった筈のジャスミンが自分を見放してしまった孤立感と共に、それは胸の奥で痛みとして燻ぶっている。




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