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「こんな所にいらしたんですね、殿下」


 フィヴィエルがヴァリンを見つけたのは、捜索に向かって五分後の事だ。

 暗い林の木の枝の上に座って、灯りによって仄かに明るい周囲を見ていた。先程までフィヴィエルとジャスミンが居た村は、まだ火が焚いてある。ヴァリンの姿を見つけられたのも、そこから届く僅かに光によってだ。


「……お前、またその呼び方……。……まぁいい、今は俺とお前しかいないならな」

「恐れ入ります。……僕には、殿下のお名前をお呼びする事は畏れ多くて」

「俺みたいな半端者に(へつら)っても、良い事なんざ無いぞ」

「お戯れを」


 フィヴィエルがヴァリンの上っている木の下に位置付く。

 彼が木から降りて来るまで動かないつもりだ。


「どうされたのです、ユイルアルトさんと一緒に馬車にいると思っていましたが」

「……別に」

「殿下がご不在ですと、出発も食事の用意も出来ません。野宿するにしても、そろそろ川を目指して向かいませんと」

「お前達だけであの村に世話になればいいだろう、風呂にも入れるし飯だって用意するだろうよ」

「そういう訳には行きません。もう発つと伝えてありますので」

「……チっ」


 フィヴィエルは融通が利かない、何処までも実直な騎士だ。それが信頼できると思う者もいれば、頭の固さを厭う者もいる。ヴァリンは後者だった。

 彼の存在を通して、自分がどれだけ騎士の崩れ者になってしまったのかを思い知らされる。ヴァリンだって、過去には規律を守り国と民の為に身を捧げようとした事もあった。


 愛したたった一人を永遠に喪って、その誇りは投げ捨ててしまったけれど。


「お前の頭固いとこ、本当カリオンそっくりだよな。あの二人の護衛はどうした、離れて任務が務まるのか」

「それは殿下も同じ事でしょう。今戻れば護衛の任務の面目は保たれますよ」

「その言い方本当腹立つ。カリオンに部下の教育しっかりしろって苦情出すからな」


 ヴァリンのお決まりの文句だ。その人物の名前を出すのは、この任務を受けてから何回あっただろう。フィヴィエルにしては五回を数えたところでそれ以上指を折るのを放棄した。

 カリオン・コトフォール。その名の人物が持つ役職は、騎士隊『鳥』の隊長にして騎士団『鳥風月』の騎士すべての上に立つ騎士団長。鴉の濡れ羽色の髪と、人に安心感を与える柔和な笑顔。しかし騎士なら誰でも知っている。……その人物の冷酷さを。


「隊長が僕をしっかり教育したら、命が幾つあっても足りませんよ」

「じゃあ命がひとつで充分なように、少しは俺の機嫌の取り方も学べ。言っとくが媚びろって言ってる訳じゃない、俺の機嫌を損ねてばかりのその口を慎めって言ってんだよ」


 命がひとつでは足りないような指導を団長が始めたのは、ここ数年の事だった。

 ―――それもまた、戦争が齎した弊害だ。


「……これから努力いたします」

「ふん」


 不幸しか訪れなかった戦争に、翻弄されたのは一人や二人では無くて。

 フィヴィエルが黙っていると、ヴァリンが木から下りてきた。枝からそのまま飛び降りるようにして、足元の草が大きな音を立てた。彼は特に衝撃を感じなかったかのように歩き出す。


「戻るぞ、飯はあの二人に食わせないと問題がある」

「承知しています」


 ヴァリンはそのままフィヴィエルに振り返らずに馬車まで向かう。

 それほど遠くない距離、二人の間隔は少し広めに開いている。


「……なぁ、フィヴィエル」


 まさか声が掛かるとは思わず、フィヴィエルはすぐに返事が出来なかった。

 けれどまるで、ヴァリンは返事など期待していないかのようにそのまま言葉を続ける。


「もしあの戦争が無かったら、ソルは俺の傍にいたと思うか?」


 ヴァリンの言葉に、フィヴィエルは答えることが出来ない。


「………忘れろ」


 返る言葉もないまま、一方的に言葉を切ったヴァリンは今までよりも歩く速度を早めた。

 答えが欲しい訳じゃない。この面倒な心境の王子は、言葉にする行為で自分の考えを整理しているのだ。

 ……それがもう、二度と戻ってこない女性の事だとしても、彼にはまだ心の整理がついていないから。


 彼女は死んだ。

 けれど、想いは彼の命と共にまだ生き続けている。




 ヴァリンが馬車に戻ってから、馬車は漸く出発した。

 けれど夜に目的地であるヨタ村に入る事は無いという事で、先程までいた村とヨタ村の中間地点にある川で野宿をすることになった。側には密集しているという訳ではないが森があって、川で身を清める際の目隠しにもなる。

 その川の水も清流で、飲み水の補給も食事の準備も、馬の休憩も充分に出来た。フィヴィエルが村から調達してきた食料品の中に茶葉があり、それで食後のお茶を楽しみながら、明日待ち受ける気の重い仕事への心の準備が出来た。使用された薬物の検分が終わらない事には酒場に戻れもしないのだ。


「アールヴァリン様、お茶のお代わりは如何でしょうか?」


 火を囲んで茶を飲む四人、その中でヴァリンに対して甲斐甲斐しく世話を焼こうとするフィヴィエル。それに対してお伺いを立てられた唇は返事もしなかった。

 ヴァリンにしてみれば、どれだけ雑に扱っても離れていこうとしない顔見知りの騎士が、本気で厭わしい訳でないにしろ鬱陶しいのだ。それに、夕方頃のユイルアルトとの諍いもあってこの場に居る事自体が苦痛だ。


「返事くらいはした方がいいと思いますよ」


 ヴァリンにそう忠告できるのは、この場ではユイルアルトだけだった。

 ユイルアルトはレイピアを突き立てられそうになった後でも、臆することなくヴァリンに物申す。高潔ともいえる彼女の態度に対して、無視を続けるのはヴァリンにとって負けた気になるようでやっと口を開いた。


「……俺の事はほっとけ」


 そんな、気の無い返事が口から漏れるだけ。

 ヴァリンの言葉を聞いたフィヴィエルは、それで漸く引き下がる。一言だけ注意したユイルアルトは、もう何も気にせず自分の紅茶を楽しんでいた。


「………」


 そんなユイルアルトの姿に、違和感を覚えたのはジャスミンで。

 ヴァリンの事を煙たがる訳ではなく、どこか開き直ったように感じている。勿論、味方である筈のユイルアルトがヴァリンに対して更に強気に出てくれるのなら嬉しい話ではあるのだが。

 ただ、ヴァリンに何か言えば返る下品な言葉が無くなっているのは不思議だった。二言目には必ず聞こえていた、耳を覆いたくなるような下の話題が全く出てこない。


「さ、ジャスミン。終わったら川行きましょ」

「え? あ、うん」


 ジャスミンの思考を知らないユイルアルトは、清拭の為にジャスミンを川へと誘う。入浴できるほど焚く薪が無いのもそうだが、悠長に長風呂なんてしていられないから川で済ますしかないのだ。


「危険を感じたら叫んでくださいね」

「そうならないように祈っていてください」


 馬車に戻るユイルアルトは心配するフィヴィエルにそう返事し、松明を持って着替えを引っ提げ少し離れた上流に向かった。ジャスミンもその後ろに付いて行く。

 今日はこれまでと比べて、少し肌寒さを感じる夜だった。 

 



「……フィヴィエルさんって、災難よね」

「何がです?」


 二人以外いない場所で、揃って川の側で体を拭き上げる。脱ぐのは下着以外だ。お互い一緒に入浴した事もある仲だから下着を晒すくらいならそこまで恥ずかしくは無い。

 髪を川に浸して洗うのは流石に勇気が必要だった。だから頭も布巾で拭き上げる。全身をくまなく拭いた後は、持ってきた着替えに袖を通して着替えは終わる。それらの手順が全て済んだ後で湿った髪のまま、着ていた服一式を川の水に浸す。


「ヴァリンさん……殿下の命令って言っても、ああまで上から目線で言われて嫌にならないのかしら。幾ら忠誠を誓ってるって言っても、騎士だって感情がある筈でしょ」

「そう……、でしょうか」

「ユイルアルトはそう思わないの?」


 水分を吸った髪のままだと風邪を引きそうな気温だ。けれど、火の側に戻らない限りすぐに髪が乾く訳ではない。

 二人が並んで服の洗濯している間も、ヴァリンに対するジャスミンの不満は止まらなかった。


「私だったら嫌よ……あんな言われ方。これまでずっとヴァリンさんの事不遜だって思ってたけど、王族なら納得いくわ。皆に傅かれていれば、他人の感情なんて無視できて当たり前なのよ」

「……騎士の方々は、私達とは住む世界が違いますから。己の感情より優先すべきものがあるんじゃないでしょうか」

「騎士って言っても、ヴァリンさんは王子じゃない」

「王子には王子の悩みがあると思いますよ?」


 ユイルアルトとしては、ソルビットの事をヴァリンと繋げて考えてしまう。だから、ジャスミンの言葉を理解出来ても同意は出来ない。王子騎士が隠そうとしていた裏の顔を知ってしまったから。

 ソルビットが語るヴァリンは、それまでの軽薄な彼の薄皮を剥がしていくようなものだった。まるでわざと軽薄を装っていると言いたげな彼女の煽り文句は、ユイルアルトにしか聞こえていないのだが。


「イル……どうして?」


 そしてそのユイルアルトの言葉が、ジャスミンの事も、ヴァリンの気持ちも、殆ど知らないジャスミンに違和感を抱かせるものだと分かっていて、それでも。


「何がですか?」

「イルだって、騎士が嫌いなんでしょう? 私も嫌い。でも、目の前であんな風に当たられているフィヴィエルさんは流石に不憫に思う。……ううん、私が嫌いなのは権力を笠に着て居丈高に振舞う人も、なんだと思う。過去に何かがあったからって、だからって今の行動は許されるものじゃないわ」

「許す許さないを私達が決めるなんて出来ませんよ。彼は王子殿下です」


 ジャスミンの方から咄嗟に出てきそうになった言葉を呑み込むような、息を飲む音が聞こえる。

 呑み込まれた言葉が罵りでも良かった。ユイルアルトは今、自分がどれだけジャスミンの望まない言葉を言ったか分かっていたから。これまでジャスミンのヴァリンに対する文句は、ユイルアルトははいはいと言って頷いて聞いていたのに。

 まるで権力に阿る様な言葉は、ジャスミンが拒んできた姿だ。互いに騎士を嫌って、けれど仕事は仕事だからと嫌々引き受けて、それで陰で文句だけを言っていればきっとジャスミンはそんな顔をしなくて済んだだろう。

 ―――まるでユイルアルトさえ敵であるような視線を向けられることも。


「……イル、ヴァリンさんが王族って知ってから、意見変わっちゃったね」

「………否定はしませんよ」

「なに、それ。もしかしてイルは王妃の座を狙ってるの? 悪い事は言わないわ、それは絶対叶わない」

「知っています。別に私は、王族だから彼を庇おうとしている訳ではありません」

「……ふふっ、本当に何それ。どういう事? イルはあの王子殿下の味方になるつもりなの」

「ジャス」


 これは不公平な言い争いだ。

 ユイルアルトだって、ソルビット達からの入れ知恵がなければ、きっとジャスミンの言葉に同意した。これまでのヴァリンの所業に毒を吐いて、その発言と行動の浅さに嫌な顔をして、それでジャスミンと愚痴を言い合って鬱憤を解消しただろう。


 『昔はとてもお優しい方だった』


 『立場に見合わず青臭い男だった』


 『優しかった。そんで、大馬鹿だった』


 これまで聞いてきた言葉を無視して、軽薄なだけのヴァリンだけを信じて耳を塞いでるだけなんてことは、ユイルアルトには出来なかったのだ。


 『想いを寄せていたのは……』


 フィヴィエルの言葉も。


 『あいつが居なくなったら、俺には何にも残らなかったじゃないか』


 ヴァリンの言葉も。

 全て理解した後のユイルアルトとジャスミンでは、見る世界が違った。


「味方かどうかに拘ってるのは貴女だけです」

「……!!」

「少なくとも私達の今回の目的は『宮廷医師が使用した毒草の調査』ですよ。……騎士達の仲違いなんて、そんなもの私達が気にする事じゃない。医師には医師の、騎士には騎士の領分がある、それを踏み越えようとしているのはジャスの方です」


 突き放す言葉は、ユイルアルトの思考を悟られたくなかったから。

 ジャスミンだって信じてくれないだろう。幽霊であるソルビットが今もヴァリンの側についていて、その幽霊が自分に頼みごとをして来た、なんて与太話。そしてその与太話の渦中にいるからこそ、ユイルアルトも血迷った思考に陥っている。


「出発する前のジャスなら、そんな事言わなかったでしょうね。……今のジャスは、まるで聞き分けの無い子供みたい」


 正解でも不正解でも、決して言ってはならない一言を言い放ってしまう。

 それだけユイルアルトは、この状況に負担を感じていた。慣れない遠征を強要され、幽霊から無理なお願いをされ、ヴァリンの昔話を聞かされて。


「私がジャスでなくヴァリンさんの方を庇うの、そんなに嫌でした?」


 『こんな馬鹿な話、他にあるかってんだよ』


 普段なら全く同意しないであろうヴァリンの言葉が、ここまで自分の心を代弁したようなものになるなんて思わなかった。


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