――そして繰り返す
「フェヌグリークちゃん」
遠い過去で起こる、ひとつの交わり。
それは孤児院側の河原で起きた事件だった。少女はぬいぐるみを抱き締めて、地べたに膝を立てて座っている。
「……おじさん、だれ?」
「おじ、……。うん」
おじさんと言われた男は、顔を上げた少女からの一言にいたく傷ついた。
まだ見た目だけなら若いつもりだ。少女の言葉に深い意味は無いと頭では分かっていても心が辛い。
「ごめんね、フェヌグリークちゃん」
「どうしておじさんが謝るの?」
「少し寂しい思いをさせてしまうから。でも、いつかお兄ちゃんと一緒に暮らせるようになるからね」
「……」
少女は、苦笑を浮かべる男の長い髪の毛が揺れるのを見ていた。
くすんだ金髪だ。その間から覗く耳は長い。
「……いい、もん。アリィお兄ちゃん、なりたいおしごと、あるって言ってた」
「……」
「寂しいけど、おにいちゃんを、よろしくお願いします」
少女は立ち上がり、男に向かって頭を下げて兄の事を頼んだ。
年の離れた、本当に血が繋がっているかも分からない兄妹。
その兄を引き取った男は、いじらしい妹の姿に微笑む。――可愛いな、という気持ちと、可哀相だな、と思う罪悪感の板挟み。
「うん。大丈夫。アルカネットの事は責任持つよ。……それでね、フェヌグリークちゃん」
「はい」
「アルカネットに聞いたけど、君はお守り持ってるんだっけ。ずっと持ってるっていう奴」
「はい」
男が問うと、何の疑問も抱かずに少女はぬいぐるみを抱いたままの手の中を見せる。
小さな藍色のお守りだった。布で出来たそれは端がほつれているが、中身は無事らしく僅かに膨らんでいる。
お守り、とは言うが形はプロフェス・ヒュムネ達が暮らしていた国のものだ。数年前に滅んだ、ファルビィティスの。
「そうか。うん。そうか」
「……? おじさん、どうしたの?」
「手に取って、見ても良い?」
「どうぞ」
手の中のお守りを掬い取った男は、逆の手で少女の頭を撫でる。
わしゃわしゃ、と切り揃えられた黒髪が撫でられて乱れる。
「ねぇ、フェヌグリークちゃん」
撫でながら、男が問いかける。
「君はこの中に何が入っているか知っていた?」
「え? 知らない……」
「そうか。うん、そうだね。そっちの方がいいんだ」
少女の頭を撫でる手が、止まった。でも、そのまま手は退かない。
「おじさん……?」
「知らないならいい。私の事を忘れるだけでいいだろう。いいかい、フェヌグリークちゃん。『此処で君と私は出逢わなかった』」
手の中から僅かな光が漏れだした。放心したような表情になる少女を前にして、男はお守りのほつれた部分から、中の綿にくるまれていた小さな粒を出す。
お守りの外側と同じ色をした、小さな半球状の種。その粒を、そっと少女の口許に押し当てる。
「ん、っ」
「忘れて、それで、君は『もう』無関係でも良いよ。……君の持っている種に辿り着くまでに、私は大分時間を使ってしまった」
少女は小さなそれを飲み下す。半ば無意識の嚥下で、藍色の種が摂取された。
――その途端、少女の体全体から淡い光が放たれ出した。その光は体の末端から心臓付近に収束し、眩い一塊となった後に足を伝って地面へと落ちる。
光が落ちた地面には、何も痕跡が無い。
「……?」
「まだぼーっとするかい? うん、それでいい。さぁ、君は君のおうちにお帰り。皆が心配するといけないから、気を付けて帰るんだ」
「………」
少女――フェヌグリークは、その男が誰か認識できていないようだった。お守りを受け取った後は、ぽてぽて、と年齢にしては覚束ない足取りで家路を辿る。孤児院に戻る頃には、意識も覚醒するだろう。あのお守りもそのうち朽ちる。中身の無くなったお守りに、男にとっては価値なんて無い。
男はその場に座り込んで、地面を撫で上げた。光が落ちた場所に、何の変化も無い。
「……これでいい。これで、必要なものは揃った筈。取りこぼしは無い筈。これで、この時代は、『閉じて』いい」
熱に浮かされたように口にした、男の言葉。
閉じる、と言った男の手は懐を探り、そこから小さな手鏡が出て来た。
男が「閉じろ」と口にして周囲を鏡に映す。儀式のようなそれを終わらせてから、彼は立ち上がる。
「本当に馬鹿だね、私もあいつも。それから――あの子も」
男の微笑む口許から、特定の名前が紡がれる事は無かった。
けれどどこか清々しい笑顔を浮かべた男は、満足そうにその場を後にする。
――それは、男にとって、『四回目』の世界の話だった。