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289 勿忘草に繋がる未来





「……アクエリア、その子供達は?」


 夕暮れ時にしては静かな空気の五番街に、アクエリアは酒場へと戻って来た。

 道行く人の影も少なく、あちこちが破壊された道を歩くのも嫌で、アクエリアは双子と荷物を抱えて空を飛んだ。上を見上げる余力のある者も居らず、その点は助かった。


 戻って来ると、一階の元客席には酒場の生き残りがほぼ全員集まっていた。隠れるように身を置いている人物も含めるが、ユイルアルトはまだ目を覚まさないらしい。

 最初に気付いたアルカネットが、不思議そうに新顔に小さな視線を向けた。

 頭に大きな帽子を被って、髪も耳も顔も見えないようにした双子の事を皆が気になっているようだ。勿論、全部が全部好意的な理由ではないだろうが。


「……俺の帰還の御挨拶よりも、子供達が気になるとはね」

「当たり前だろ。……俺達がこれからどうなるか、忘れた訳じゃないんだろう?」

「縁があって引き取って来たんですよ。……ミュゼの縁者でしてね」

「……」


 ミュゼの名を出すと、誰も彼も口を閉ざす。気を使って貰っているのは分かるが、こうもあからさまだと逆に辛い。


 ――国が、崩れた。


 国王が崩御したばかりの国を、王妃が良い様に扱った。騎士は二分され、国民の生活さえ脅かした。

 そのせいで騎士の信頼さえ揺らいだが、民の味方をした者はまだいい。

 王妃の意の儘になり、守るべき者を違えた騎士の罪は重い。その槍玉として挙げられているのが――騎士団長だった。

 八番街以上の街は、騎士が多く住んでいるのもあり怒号と悲鳴と怨嗟の声が絶える事が無い。文字通り傾いた城を空に掲げたこの国は最早、政治機関が停止している。

 それでなくとも、地震の時すら国が充分な支援をしなかったのだ。もう、混乱する民を抑えられる者が居ない。


「……貴方達は、出るんでしたっけ」

「ああ。今夜にでもな」


 そう語るアルカネットの側には、外套を深く被って姿を隠しているフェヌグリークが居た。

 近くの客用食卓には、必要な荷物を全て集めたような鞄が置いてある。二人分の荷物にしては小さいが、それだけでも用意できたのが有難い話で。

 あれから城門は開いた。……とはいえ、王妃の死を旗の撃墜で知ったプロフェス・ヒュムネが、我先にと城下外へと逃げ出すために外へと通じる門を破壊したのが実情だった。民では簡単に壊せなかった門を、軽々と。

 瓦礫となった門を越え出す民も居るが、外から入って来る人物も多かった。城下は輪を掛けて混沌としたが、食糧事情は日が経つにつれて解決に向かっているようだ。


「マゼンタの死体から、プロフェス・ヒュムネが死ぬ病原菌が作られる……なんて話を聞いた時には、俺には理解できなかったが……それでフェヌが危険な目に遭うなら、俺は兄貴としてやれることをやっておきたい」

「本調子じゃないでしょうに、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなくても、やらなきゃな。……ただでさえ、今のこいつは……」

「……」


 以前警邏中に負った傷に加えて、城下に出たプロフェス・ヒュムネ達を相手取った時の傷が増えている。今回受けたものは骨に酷い影響がある傷ではないから、城下を出て何処かへ逃げるだけなら出来る。

 妹だけ国外へ逃がすつもりも無かった。


「……そうですね」


 アルカネットの口振りに納得した様な声を出すのはアクエリア。

 フェヌグリークはずっと黙ったままだが、彼女だって言いたい事が無い訳では無い。

 声が出ないのだ。

 それは城から救助されてから、ずっと。

 体ではなく、心に傷を負ったらしい。マゼンタからどんな仕打ちをされてきたのか、聞きたくても聞けなかった。


「……私も御一緒して、本当に……良いのかしら」


 浮かない声を出したのは、フェヌグリークと同じように外套で姿を隠しているアールリト。

 彼女もまた、国内には居られない。どうにか国外へと脱出しなければ、国民はアールリトの死をも望むだろう。全ての元凶の王妃の娘なのだから。


「良いんだよ。……ヴァリンだって、死んでもあんたのこと心配してるだろうからな。俺も妹いるからよく分かる」

「……」

「ほら、フェヌもこう言ってる。……いや、言ってはないけど」


 アルカネットの言葉に同調するように、フェヌグリークが何度も頷いて見せた。笑顔は無いが、硬い表情でも無い。

 フェヌグリークにとって、一番心落ち着ける場所は兄の側。アルカネットにとってもそれは同じで、だからこそ女性二人の旅に護衛役を買って出た。本当はプロフェス・ヒュムネの血を引く二人だけが他国へ逃れる筈だったのだ。


「最後だって思って、今ジャスミンにその話してたんだ。そしたら、弁当作ってくれるって言うから」

「旅立ちですもの、食料はあるに越したことはないですし。……最後かも、知れませんから」


 自分で言っておきながら、その発言が縁起でもないものだと思ったらしく、ジャスミンは乾いた笑い声を発しながら厨房へと入って行った。

 帰って来てすぐの厨房も、あの日再び起きた地震で酷い有様になっていたことを思い出す。それでも、外の店はどこも営業している訳が無いから片付けないと食事を摂れなかった。


「ジャスミンさんは、残るんでしょうか」


 つい口をついて出た、アクエリアの疑問。


「らしいぜ。ユイルアルトもまだ目が覚めないみたいだし……。それに、自警団でも医術の面で、これからも助けてくれるって言ってくれたしな」

「……自警団、ですか。貴方はもう居なくなるのに?」

「それでも、団長は生きてるから。……自警団は半数死んだってのに、俺も団長も生き延びて……でも俺は自警団を抜けて。本当、この国どうなるんだろうな」


 多数の死傷者を出したこの内乱も、気付かれていない部分での犠牲も多い。

 碌に死者を悼むことも出来ないけれど、死人にばかり目を向けている事も出来ない。


「俺は、……いつかこの国に戻って来るつもりだ。そう遠くない未来、……いつになるか分からないけど。俺が育って、育てて貰ったのはこの国だから」

「……そう、ですか」

「でも、……きっと、お前とはもう会わない方がいいんだろうな」


 アルカネットの言葉に、アクエリアが言葉を詰まらせる。

 アルギンの死に目に遭い、ディルを殺したのは自分だ。アルカネットの家族を奪った事を、責められるなら責めて欲しかった。

 二人の最期の姿を伝えて、それで死を望まれたと言えば、「じゃあ、いい」なんて、そんな言葉で終わらせられた。良くないだろう、と、言いたくても言えなかったのは、自分が手を下したからで。

 今のアクエリアにとって、その言葉は重かった。


「……なんて顔してんだよ」


 アクエリアの心を見透かしたように、アルカネットが軽く笑う。本人も、口にしてから言葉の重さに気付いたのかも知れない。


「別に俺は、お前を憎んでる訳じゃない。……逆に感謝してるよ。俺だったら、何を言われても……義兄さんを、楽になんて、させてやれなかったから」

「……」

「俺は駄目だな。生きてればいい事ある、なんて言葉を鵜吞みにした頃もある。地獄で生き永らえたって何の意味も無いのにな」


 妻を失ったディルが過ごした五年半の絶望。

 アルギンが生きていると告げられたそれからの半年の希望。

 再び、あの絶望に彼を叩き落とす事しか、アルカネットには出来なかったろう。それが、ディルにとって何の意味もない生だと知っていながら。


「お前はきっと、ずっと、俺に負い目を感じるんだろ。明日も明後日も、俺に悪い事したって思って、やっと傷が癒えた頃に俺の顔を見たら、またそれから思い悩むんだろ。俺が死んでもお前は生きて、俺の墓に花供えて、第一声が昔の話の謝罪とか俺の方がキツい」


 良いんだよ、と付け加えてアルカネットが笑った。


「あいつらの家族って、俺とお前くらいなものだから。……もう、あいつらの事でどうこう言うの、やめないか」

「――……。……そうです、か」


 それはアルカネットにとっては、慰めの言葉のつもりだった。

 でも、アクエリアには違う。自分よりも命短い種族の癖に、変に気遣ってくる悲哀に何も言えなくなっている。

 今でさえ他を気遣って、自分の事さえ後回しで。そんなアルカネットが嫌いじゃなかった。


「……じゃあ、今日が最後になるんですね」

「ああ」

「今まで、ありがとうございました」


 不安そうに二人、身を寄せ合っている双子。

 この子達の話は、きっとしない方がいい。

 この命短いヒューマンは、話せばきっと双子の事でまた気を揉んでしまうだろうから。

 自分についている腕は二本しか無いのに、あの二人の忘れ形見である双子さえ守りたいと願うのだろう。


「さようなら、アルカネットさん」

「……ああ。アクエリア」


 ジャスミンが厨房から出てきて、アルカネットに食料を渡す。弁当の形を取った保存食だ。受け取った彼は一度だけ振り返って、手を振って扉を出て行く。

 その後ろを追って酒場を出て行くのは、フェヌグリークと。


「………」

「……」


 アクエリアはアールリトを見た。短い濃紺の髪は、国を出るまで決して誰かに見せてはいけないだろう。

 王妃の娘で、恐らくは、亡き王の子ではない。アクエリアと深い縁を持つ、可哀相な娘。

 彼女は最後の挨拶の為に、アクエリアを見ていた。何かを言いたそうにしているが、肝心の一言が出てこない。


「アールリトさんも、お元気で」

「………。はい」

「体に気を付けてください。……なんて、俺が言うと変ですかね」


 アールリトも、アクエリアも、互いに、自分の胸に秘める事を選んだ。

 伝えたって、いい事など無い。こんな国の内乱に巻き込まれた二人の血の繋がりを、今更詮索したって意味のない事だ。

 これまで一切の関わりが無かった父と娘。これからも、もう関わりを持たない方がいい。


「アクエリアさんも、……どうか、お元気で」


 『もしかしたら、あなたは』なんて言葉も、二人には不要だった。

 互いの沈黙に、彷徨う視線に、同じことを思っているかも――なんて、それは都合のいい妄想だと自分に言い聞かせて。

 そのまま出て行くアールリトが扉を閉めて、後に残るは静寂。

 ジャスミンがその静寂に耐えきれず、子供達へと身を屈めて帽子の下の顔を覗き込もうとする。


「あなたたちも、何か飲みますか? 初めて来る場所でしょう、お茶でもいかがですか」

「………」

「……」


 双子はジャスミンにも警戒を解かない。見かねたアクエリアが、双子に助け舟を出す。


「お茶、貰いましょうか。俺は荷物を取りに上に行きますから、それまでそのお姉さんに相手して貰っていてください。その帽子も、取っていいですよ」


 それだけ残したアクエリアは階段へと向かった。

 残された双子は顔を見合わせて、帽子に手を掛ける、取った瞬間、中に押し込めていた髪の毛がふわりと落ちた。


「――……」


 その一瞬のジャスミンの驚愕は、二人を見た時に。

 髪の短いオードを見て、ジャスミンの顔が強張る。しかし同じくらい、エデンにも驚いていた。


「……あなた、たちは……?」


 双子は、初対面の女性からどうしてそんなに驚かれるのか分からなかった。

 自分達が、両親に似ているという話はアクエリアからも聞かされていた。そのせいなのかと思っていたが、ジャスミンにしてはそれは少し違う。


「……その、……わたしたち、ふゅんふせんせいのところにいたの」

「……あくえりあさんに、つれてかれるの」


 ジャスミンの知っている、ディルの髪の色。

 ジャスミンの知っている、ディルの目付き。

 ジャスミンの知っている、ディルの。


 オードを語るならば彼と似ている所を羅列する。それほどに、少し近くから彼を見ていたジャスミンにとって共通点ばかりが見つかる。

 なのに、その視線はエデンとオードを忙しなく行き来する。


「……ちょ……、っ、と、……待って。待ってね。ええと、……ええと」


 動いても無く、続きの言葉を何も言わない双子に、静止の意味で突き出した掌が狼狽で指が何度も曲がる。


「待ってて、ね。……そう、お茶……お茶を、淹れないと、でも、……あなたたちは」


 自分の行動理由さえ忘れかけるジャスミン。

 二人に茶を淹れようとしていたはずなのに、衝撃で話もうまく出来ない。

 ディルに似ている少女とも呼べない年頃の女の子。――そう、女の子。

 ジャスミンは、男の子のような姿のオードが女の子である事を『知っていた』。


「……待って。お願い……待って」


 理解が追い付かない。勝手に目は潤んで、涙として流れ落ちようとしている。

 首を振って、手を握り込んで、子供達を目の前に俯いて屈んだ膝の上に顔を乗せて両腕で隠す。


「……おねえさん、どうしたの?」

「……」


 エデンとオードの心配そうな視線が痛い。

 痛いのは頭もだ。


「……覚えてないの」


 覚えてない、訳が無い。

 だって知らないのだから、覚えている訳が無い。

 なのに、この二人の事を、頭のどこかで記憶していた。


「ごめんね、覚えてないの。貴女達のこと。でも、覚えてるの。どうしてだろう」


 オードを知っている。

 エデンを知っている。

 名前までは分からなくとも、愛嬌のある二人を知っていた。

 そして、エデンが誰に似ているかも知っていた。鈍い銀の髪を持つ、ミュゼに似た女性。

 朧気でも、記憶に蘇る彼女と、ジャスミンは一度として逢った事も無いのに。


「……ごめんねぇ……っ。私、私っ……」


 泣いているジャスミンは、荷物を纏めて下りて来るアクエリアに仰天した顔を向けられる。

 その後で、双子が孤児院で名乗っていた名前と事情を聞かされるだろう。

 名前を聞いたジャスミンは半笑いで、アクエリアから目を逸らしながら言うのだ。


 ――それ、多分、ですけど。本当の名前じゃないですよね。


 と。


 出所の分からない記憶がある気持ち悪さは、ジャスミンを通じてアクエリアにも感じられた。

 けれど双子と接点の一切無かったジャスミンには、その気持ち悪さを説明する術が無く。

 結局二人は、それから簡単に別れの言葉を交わしてから離れることになる。

 これから、ジャスミンとユイルアルトが、他に誰も居なくなった酒場で生きていくのだろう。




 絶望ばかりを齎した、半年ほどの激動の時間。

 でも、この離別には絶望ばかりが寄り添っている訳では無い。


 城下を出てすぐに、双子は名前を改めた。

 エデンはウィスタリアと。

 オードはコバルトと。

 生まれて最初に贈られるはずだった名前を名乗る二人は、親の仇を目の前にして、とても嬉しそうにしていた。




 時が流れて、血が受け継がれて、産まれて、死んで、死んで、産まれて、死んで、産まれて、産まれて、死んで。

 アクエリアの目の前で、命が産まれて尽きてを繰り返して。自分と血の繋がらぬエステル姓が、途絶えることなく続いていくのを側で見続けた。

 誰かと長く寄り添った事の無いアクエリアが、その一族と運命を共にするのは、過去の友誼と責任からだ。

 精神が擦り切れそうな出来事が何度も起きて、大切な養い子の命が消えて。

 ディルとアルギンの最期の顔すら、思い出せなくなりそうな八十年後。


 一際大きな産声を上げて。

 夜闇に命さえ呑み込まれそうな深夜に、小さな女の赤ん坊が産まれた。


 その赤子は、母親によってミョゾティスと名前が付けられた。

 小さな青色の花の名は、特別な花言葉があるそうだ。

 ミュゼ、と小声で呼んだアクエリア――既にエクリィと名乗っている――の耳に、母親の穏やかな声が聞こえて来た。






「知ってますか、エクリィ? ミョゾティスの花言葉、『私を忘れないで』なんですよ」





 

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