288 八十年、或いは永遠の孤独
次の授業の小休止に、双子は再び砂場に出ていた。
合作のように二人で協力しながら作るのは、砂で出来た四角形。
固めて、乗せて、ぺたぺたと作る不格好な形を遠目から見ながら、アクエリアは二人に近付いた。
フュンフは建物の中から遠巻きに、その三人の姿を眺めている。
「……何を、作ってるんです?」
それまで夢中で作業していた二人が、声に反応した。
手や、手に持っている砂遊び道具を泥で汚しながらも視線を向ける事は無い。集中力が高いと言えばいいのか、周りを気にしなさ過ぎると言えばいいのか。
「おうち!」
「おうち?」
さっきも同じような事を言っていた。男の子のような恰好をしているオードは、先程はケーキを作っていたが。
縦に長い不格好な四角形が家と言うには少し滑稽で、アクエリアは笑いたくもないのに笑みを取り繕った。
「おうちですか。貴女達が住むんですか?」
「うん! わたしと、おーどと、ぱぱとまま!!」
「……」
「きょうねぇ、ぱぱとままがゆめにきてくれたの。おーどもなんだって! だからきっと、もうすぐあえるんだよ」
「おかお、みえなかったけど、あたまなでてくれたんだ!」
嬉しそうに語るエデンとオードの表情に胸が締め付けられて、アクエリアが言葉を無くした。
二人にとっては夢に見る程恋しい両親。
「これね、これね。ぱぱとままと、わたしたちがすむおうちなんだぁ」
「おっきくてね、かいだんあってね、おへやもいっぱいなんだ!」
どっちも、もう居ないのに。
「わたしとおーどが、にだんべっどでねるの」
「もうおねえさんになったから、ぱぱとままとべつでねてもへいきなんだよ!」
二度と一緒に眠る事すら出来なくなった。
それどころか。
「はやくいっしょのおうちにすみたいなぁ」
二人は、双子が今生きている事すら絶望視していたのに。
「……エデンさん、オードさん」
未だ見ぬ親が、どんな人物だったかすら知らない筈の子供達。
なのに父母の事を楽し気に、無邪気に語る姿は見ているだけで辛い。
「――貴女がたの御両親は、死にました」
そこまで来てやっと、二人の視線がアクエリアへ向いた。
それまで握りしめたままだった道具も砂の上に置き、丸くて大きな瞳がアクエリアを映した。
「貴女がたのお母さんも、お父さんも、もう、いません」
「――うそだ」
「……なんで? どうして?」
動揺こそすれど、二人はアクエリアの言葉を否定する。首を振って理由を聞こうとする。
「ミュゼおねえちゃんが、いってたもん。つれてくるって」
「……」
ここでもミュゼの名前が出る。
彼女は、二人の事を知っていたのだから無理はない。ミュゼだって双子にアルギンを逢わせたいと願った気持ちに嘘は無い筈だ。
「ミュゼも死にました」
アクエリアは震える声で、涙を堪えた。
正確には、死んだとは言いたくない。アクエリアは死体を見ていない。けれど、あれは致命傷でもおかしくなかった。
でも、涙を流す訳には行かなかった。
「殺されました。皆」
今泣いていいのは、双子だけだ。
「……ころ……?」
「もう二度と会えないんですよ」
「……うそよ。おねえちゃん、やくそく、こんどこそまもるっていった……」
「すみませんが」
ミュゼが語ったエクリィが、何故鬼畜と呼ばれていたのか分かった気がした。
冷徹に努めなければ、心が持っていかれる。
心を開きかけた相手の悲しみで、自分の弱い所が刻まれる。
そんなの、冗談じゃない。
「死んだ相手との約束なんて、叶うことはないんですよ」
ずっと一緒にいようと言っても。
何十年先も愛していると誓っても。
どんな約束を交わしたとしても、相手がいなければそれで終わり。
遺して逝った方は、遺された方の悲しみなんて知った事ではない。
「うそだ」
「嘘じゃないです」
「うそだよ」
「……本当です」
「うそだぁああっ!!」
オードの叫びは、授業開始の鐘と同時に響いた。
次の授業は午前最後だが、ふたりは鐘の音を気にも留めない。
叫んだオードはそのまま走ってアクエリアの所まで来た。絶望的な身長差があるのに、小さな拳で足元を殴っている。
「うそだっ! ぱぱと、ままがっ、しんだなんてうそだぁっ!!」
「……」
「きてくれるもん、あうんだもん!! みゅぜおねえちゃんがやくそくしたんだっ!!」
幼さゆえの純粋さが、アクエリアの唇を引き結ばせる。
色んな思惑が絡み合って、それでオードは涙を流す羽目になった。ディルによく似た瞳が、大粒の涙を溢している。
――でも、エデンは。
「……そっか」
どこか冷めた顔で、それだけ呟いた。
「わかってたもん。……おねえちゃん、やくそく、またやぶるっておもった」
まだ小さな、幼児としか呼べない年齢の子供。なのにその口振りは大人びていて、生意気で。
「もういいもん。ぱぱもままも、いないもん。わたしたちのぱぱは、ふゅんふせんせいだもん」
強がるように言いながらも、その瞳には涙が溜まっている。幼いなりに必死に耐えている顔つきに、アルギンが一瞬重なった。
流石親子、と言わずにいられない。これで血が繋がっていないと言われる方が驚く。
「……」
このまま、この施設で、心穏やかに暮らせるならそれでいい。何があってもフュンフが守ってくれるだろう。子供達の事を第一に考える彼は、きっとそうする。
でも。
「貴女がたの父親は、俺が殺した」
ミュゼが語っていたという、未来の双子は決して弱い存在ではなかった筈だ。
苛烈な環境で生きた、アクエリアの養い子ならば。
「……え……?」
途端、諦観に染まっていたエデンの表情が変わる。
オードも再び瞳を大きく開いて、アクエリアを殴り続けた。
「うそだっ! ぱぱが、おまえなんかにまけるわけないっ!!」
「……」
怒りを露わにするオードは、分かりやすくてまだいい。
アクエリアと目を合わせたエデンは。
「……なんで」
アクエリアさえ一瞬身震いするような殺気を漂わせた。
無意識のものだろう。けれど、その殺気はディルと同種のものだ。子供と侮っていては殺される、まだまともに武器も使えないほどに幼くて助かったと思わせる程の。
なんで、と聞かれてアクエリアは言葉を詰まらせた。正直に伝えて理解するものだろうか。
「……知りたいですか?」
頷くエデン。尚も殴り続けるオード。
それじゃあ、と付け足したアクエリアは、その場でオードの手首を掴んだ。
関節が外れたり折れたりしない程度に捻り、地面に軽く引き倒す。
「っきゃあ!」
「おーど!!」
悲鳴を上げる妹に、心配する声を掛ける姉。
双子が互いを思い合う心さえ利用する。
「俺と一緒に、この国を出ましょう」
「……」
「貴女がたが、いつか俺を殺せるほど強くなるように育てます。もし殺せなくても、ずっと貴女がたの面倒を俺が見ます。父親の仇を取る為に、俺に育てられなさい」
それが、ディルに殺せと言われて殺すしか出来なかったアクエリアの贖罪。
いつか本当の事を話して理解して、それでも自暴自棄にならなくて済むように、アクエリアという憎む先を作ってやった。
決めるのは双子の意思だ。幼い二人には過酷な選択だが、アクエリアは撤回しない。
「貴女がたが本当にディルさんとアルギンさんの娘であるなら、どうすればいいか分かる筈です」
両親の名前を初めて聞いたであろう双子は、同時に唇を結んだ。
二人にはまだ難しいだろう。でも、これから先そんな甘えた事も言ってられなくなる。
表情を冷たく保つのに、アクエリアも疲れた頃。
「……わたし、いく」
先に口を開いたのは、エデンの方だった。
「おねえちゃん……、でも、こんなやつ」
「みゅぜおねえちゃん、ひとつだけやくそくかなえてくれたから」
アルギンに似た灰茶の瞳が、アクエリアを見据える。
「ぱぱとままのこと、しってるひと、つれてくるって、いってたもん。かたき、なんて、むずかしいからわからないけど、ままとぱぱのおはなし、きけるなら、いく」
その灰茶の瞳から、今度こそ涙が溢れる。一粒だけでは終わらない。
「……ぱぱとっ、ままとっ、あえるって、なでてもらえるって、おもってた………。いっしょにくらせるって、おもってたの……」
正面切って死を伝えたのがいい事だとは、アクエリアも思わない。
けれど二人は、スカイの件を通して理解出来るようになっていると信じた。信じて、実際伝わった。
代償が悲しませることだとしても、子供だと侮って真実を伝えないよりいい。
オードを倒していた手を離して、立たせてやる。声こそあげなかったが、彼女も泣いていた。
「……あの二人も、撫でたかったでしょう。一緒に暮らしたかったでしょう。互いに愛し合っていた二人です、貴女がたをも愛していたに決まっています」
「……ままぁ……ぱぱぁ………っ、ふ、え、えええええんっ……!」
その場で大きな声をあげて泣き出した二人に、フュンフが近寄っていく。
双子を両の腕で抱き締めて、落ち着かせてやる。
「……この国は、先導者を失って混乱するでしょうね。その前に俺達は国を出ます」
「……」
「明日の朝日が昇る前に、発ちます。これから酒場に戻るので、二人の荷物を纏めておいてください」
それだけ言って、フュンフと双子の側から離れる。
親代わりとなっていたフュンフとの別れの時間は邪魔したくないと思った。同時に、ミュゼとの思い出を探しに歩く。
ふらふらと歩いていったのは、中庭から外れた喫煙所。臭いに敏感だったり、気管支の弱い子供達に配慮するために遠ざけられた喫煙者専用の場所だ。
誰も居ないそこに行って、アクエリアが自分の煙草を出す。自分のと一緒に、ミュゼが吸う葉を巻いたものまでまだ残っていた。
「……」
口に咥えて、火を点ける。
ここでミュゼと一緒に煙草を吸った事もある。もう、彼女も居ない。
「……ミュゼ」
――これから私はお前にとって、忘れられない女になる予定だから。
彼女との記憶が蘇る。
明るくて、優しくて、気の利く料理上手な良い女だった。
気丈で、綺麗で、過去を必要以上に明かさないどこか神秘的な女だった。
「何でですか」
アクエリアの記憶に突き刺さって抜けない、最高の女だった。
「一緒に最低になって、って。貴女が言ったんでしょ」
自分の予定だけを完遂した彼女はもう居ない。
「自分だけ最高な女になって、どうして居なくなるんです。俺だけ最低じゃないか。俺を置いて行かないでくださいよ、ミュゼ、ねえ」
アクエリアの心に、二度と抜けない棘となって記憶だけが残っている。
「……返事、してくださいよ……」
最低だと自らを貶めるアクエリアに、ミュゼのいない、逢えるかも分からない八十年が訪れる。