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287 確定している見えない未来



「……君に、育てられたんだそうだ」


 誰も入って来ないように、鍵を掛けた施設長室。

 窓幕さえ閉じた仄暗い部屋の中で、フュンフからミュゼの話を聞いていた。

 ずっと彼女がひた隠しにしていた、彼女の出生について。

 アクエリアが無理に聞き出そうとして本気で怒らせた、なのにフュンフには簡単に口を開いた内容。

 アクエリアは客用のソファに腰掛け、フュンフは窓際に立っていた。椅子に座る事すら、自分には勿体ないとばかりに。


「ミュゼは、……アルギン様と、ディル様の間に生まれた子の曾孫だそうだ。家系図についての詳細は端折られたが……エステル姓を継ぐ理由も相応にある」

「……」

「君が、……アルギン様の死後に、子供達を引き取ったのだそうだ。それからミュゼにまで続く一族の系譜を、君は見守ったと。……エクリィと、名を変えてまで」


 ミュゼが、事ある毎に口にしていた育ての親。

 それがまさか自分の未来の姿だなんて誰が思おうか。

 ミュゼを見守りながらも厳しく、野卑な性格を想像させながらも、彼女に人殺しという最後の一線を越えさせなかった人物。相応に、彼女を大切に思っていただろう事が分かる。

 大切にしていたからこそ。

 ミュゼは、エクリィに特別な感情を抱いていた。

 だから、育ての親を語る彼女の瞳は優しかった。口では汚く罵っても、言葉の端々に宿る親愛は消えない。愛していたのだから。


「ミュゼが生きた未来(せかい)は、……ファルミアで生き残ったのはディル様でなく、アルギン様だったらしい。その時には子を宿していて、この酒場でギルドを運営しながら生きたと。……そして同じように、この国を我が物としようとしたプロフェス・ヒュムネに反旗を翻すが、捕らえられて処刑されてしまったそうだ」

「……」

「君は、プロフェス・ヒュムネを恨んだと。恨んで、恨んで、……彼等の根城となってしまったアルセン国ごと滅ぼす準備を、百年掛けて仕上げたと、言っていた」


 ミュゼの居た世界では、プロフェス・ヒュムネがアルセン国を支配していた。

 それに反旗を翻したのはアクエリア――エクリィだけでは無かったそうだけど。

 エルフも、獣人も、その他の種族さえ巻き込んだ戦争は――ミュゼの記憶の中では、終わっていない。

 決着がつく筈だった戦争の最中、ミュゼはこの過去(せかい)に来た。何があってそうなったのか、どうしても思い出せないらしい。


「……終始、君についての惚気を聞かされた気分だ。けれどそれだけ、君の事も、君の未来(エクリィ)の事も、誇らしかったのだろうな」

「………」

「流石、遠い血筋といえどアルギン様の子孫だ。……あんな風に。……臆面もなく、愛する人の事を褒められるのは……美徳、だな」


 フュンフの声が震える。

 目の前で、腕の中で消えた、未来に生きる筈だった彼女の消失を悼んでいる。

 消失に涙を流した、彼の感情は何なのか――。アクエリアは八つ当たりの苛立ちを込めて、聞いてみる。


「……美徳を褒めても、二度と彼女は戻って来ませんよ」

「ああ……。そうだな」

「戻って来て欲しいんですか? ……更に言うなら、貴方の腕の中に」


 最早こんな鞘当てさえ意味が無いというのに、アクエリアの意地は要らない所でも発揮される。

 言葉の意味が分からず最初は首を捻っていたフュンフだが、雑に隠された意図に気付くとむっとした表情を向ける。


「……ディル様の子孫だぞ。そんな畏れ多い事が私に出来る訳があるまい」

「そうですか。その割には、他の女性よりも入れ込んでませんでしたかねぇ?」

「馬鹿な。……私は生涯独身を誓ったのだ」


 重い空気の中での軽口は、二人が嫌と言うほど思い知った地獄から少しの間だけ逃がしてくれる。……アクエリアはそう思っているが、フュンフはどうだったろう。

 それを軽口だと判断するには、その瞳の憂いが消えない。


「私は誰かに愛される資格は無い。……たった一人、未来を考えそうになった相手との結末は散々なものだったのでな」

「……ふうん?」

「かつて心を乱された相手の葬儀は、……もう二度と、参列も執行も……したくないものだ」


 既に死んだ、心を乱された相手とやらの名前まではアクエリアは知らない。

 暗い心に僅かに沸いた好奇心に身を任せて、思いついた名前を出した。


「それ、アルギンさんですか」

「――は」


 向けられた表情は、先程より苛烈な不本意五割の苛立ち五割。

 それを見ただけで、『違うな』とアクエリアも思った。


「あの粗暴な女にどうやったら私が恋心を抱けると思うのだ」

「抱いた人もいますし……ほら、貴方が敬愛して止まなかった人が」

「………」 


 ディルの死の顛末についても、既に話してある。

 一時間は嘆いた彼だが、後は気を確かに持っていた。その事に疑問を抱けど、今重要なのはそこではない。


「……ああ。そうだな。だからこそ、あの方は……」


 フュンフはフュンフなりに、ディルの心を理解しているようだった。

 理解せずにいられなかったのかも知れない。ディルの想いを侮っていたからこそ、フュンフの目は片方を潰されているのだから。


「……ミュゼだけじゃなく、ディルさんも、アルギンさんも居なくなるなんて思わなかった……」


 二人には絶望しかない結末だった。どう足掻いた所で、アクエリアだけでは変えられなかった結末。


「だからなんですね、ミュゼもディルさんも、互いを特別扱いしていたのは。ミュゼがあの二人の子孫だっていうのなら、……俺はどうすればいいんです。八十年なんて長い時間、俺は生まれるとも知れないミュゼに焦がれろって? 出直してこいだなんて言われて、はいそうですかって言えるほど短くない期間ですよ」


 アクエリアの呟きに、フュンフは目を強く閉じた。


「……アクエリア」


 最後まで言うかを躊躇った言葉は、悩んで、悩んで、フュンフの唇から零れ落ちる。


「気付いていると思うが、……さっきの子供達は……恐らく、ディル様とアルギン様の忘れ形見だ」

「……」

「正直、私も……自信が無い。双子と言うにはあまり似てなく、ディル様達と無関係と言うには、お二人にあまりに似過ぎている。だが、ミュゼが言うには間違いないそうだ」


 言われて、だろうな、と肩を震わせるアクエリア。


「……俺だって思いますよ。女の子の方は、ディルを前にしたアルギンさんみたいだった。男の子の方は、ディルさんにそっくりで」

「両方女児なのだよ、アクエリア」

「は……?」

「男の子だと思ったろう? ……オードが率先してあの格好をしているのだ。気の優しい姉を守る為に、問題が起きた際は率先して姉を守りに行く」


 それは、まるで唯一の家族を失いたくないとばかりに。

 強い絆で結ばれた二人は、言葉よりも視線で語り合う。

 愛らしい盛りの年齢の幼児だが、妙な程に早い発達は施設職員たちの目を瞠るものがあった。


「……ミュゼは、言っていたよ。今はエデンと名付けられているが……、あの子が、ウィスタリア。オードと名付けられた、君さえ男の子に見えたあの子がコバルト。母であるアルギン様により名付けられた名前を、私はまだあの子達に伝えられていない」

「言えば……いいじゃない、ですか。本当の名前があるって知ったら、二人とも……」

「……喜ぶ、とでも思うか? 知りもしない母親から、捨てられたと無意識に思っている筈の孤児に伝えて」

「……」

「私は、子供の情緒を脅かすものを制限なく除外したいと思っている。……ただ単に、私が怯えているだけかも知れぬがな」


 発達の早い子供達は、自分の好き嫌いの意思表示さえしっかりしている。

 しっかりしているから良いなんて、親の目線からは面倒で言えない事だ。親の思い通りにならない時期は、親から言わせれば無いに越したことはない。

 けれどフュンフ達含む、この施設運営に関わる者達はそれを受け入れる。受け入れて推奨し、正常な成長だと賛美する。

 人の親であれば鑑と言われただろうフュンフは、誰かと血を残す事を今の所望んでいないから不思議なものだ。


「ミュゼは……一連の話を、私に、『アクエリアには言わなくていい』と言った」

「何故? ……未来に影響のある話なら、俺が聞いてたほうがいいんじゃないですか」

「だからだ。君が聞いて、もし君の意にそぐわない話が出てきたら、君はきっと未来を変えるだろうとな。そのせいか、未来にエデン……ウィスタリアが結ばれる相手の話もしてくれなかった。微笑みながら、知らなくていいよ、と」


 ミュゼの話をするフュンフの表情は柔らかい。

 それで、恋心のひとつも抱いてないなんて白々しい話だったが、アクエリアは許した。


「……ウィスタリアの恋の相手に口を出すなと言われたが、そんなに酷い相手なのだろうか?」


 不本意そうな顔で呟くのは、彼女達に湧いている父性がそうさせることで。

 アクエリアは鼻で笑って、フュンフの呟きを片付ける。


「遠い未来にミュゼが生まれるんです。その相手がクズであろうと聖人であろうと、俺等に口を出す権利はありませんよ」

「……そうだな」

「子供が産まれたら、まぁ一撃くらいは喰らわせますけどね」


 二人は、知らない。


「その時は私も加勢しよう。あの子を悲しませる相手であれば容赦はしない」

「それはいいですが、貴方生きてます? あの子達が子を産める年って、その時貴方何歳ですか」

「失敬な」


 ミュゼが最初にディルに所在を訊ねた人物は、双子とフュンフだった。

 それはエクリィから聞くに堪えない罵詈雑言と共に聞かされていた話があるから。

 外見から性格、性癖の捏造といった無茶苦茶をエクリィはミュゼに聞かせていた。


「エデン……ウィスタリアは、私の教え子でありディル様の御子だ。娘と言うには畏れ多いが、彼女が産む子がミュゼに繋がると思えば、おめおめ死んでも居られまい」

「……」

「ミュゼはどこか他人のような気がしなかったのだが、ディル様の子孫となればそれも当たり前の話だったな。……ふふ、あの二人は将来どのような淑女になるのだろう。エデンとオードの未来だけが、私に残された唯一の幸福かも知れない」


 他人のような気がしなかった。


 ――それが、自分の血を継いでいるからだとフュンフは知らない。


「あとは、二人の伴侶を選定出来ない事が口惜しい」

「貴方、遠慮なく近付く人達切って捨てそうですからねぇ。選ぶ方の『選定』じゃなく、断ち切る方の『剪定』ですか」

「それで上手い事を言ったつもりか?」


 これから二十年ほど先の未来で。

 アクエリアに半殺しにされる、老体となったフュンフは存在する。

 言い訳ひとつせずに、黙って殴られ蹴られ半死半生の憂き目に遭っても、自分の罪深さを悔いるフュンフは確かにミュゼに繋がる血を遺す。

 知らない二人は、互いを戦友と認める表情で笑うだけ。


「あの子達の幸せになるならば、私は何にも口を出さないと誓う。あの子達が選んだ伴侶だからこそ、未来にミュゼが生まれるのだろうから」

「……その未来を、俺と貴方が一緒に見る事はないんでしょうね」

「………」


 エルフやダークエルフの寿命はヒューマンのそれを軽々と凌駕する。ミュゼが生まれる頃には、フュンフはもう居ないだろう。

 これから二人の子供の成長を見守る二人だが、必ずフュンフはアクエリアを置いてディル達の元へと逝ってしまう。


「……ミュゼが言うには、あの二人を引き取って育てたのは君だそうだ」


 重くなる空気を払拭するかのように、フュンフが唇を開く。


「君の判断に、任せる」

「良いんですか。貴方だって、ディルさんのお子さんを手元に置いておきたいのでは?」

「ミュゼが言った未来の話だ。……勿論、君が難色を示すのなら私が育てる。……君の苦痛は多少なりとも分かっている、無理は言わない」


 エクリィとしての未来の自分を、ミュゼから幾らか聞いていた。

 だからフュンフからその話をされても、別段驚いたりはしない。

 いきなり双子の育ての親になるなんて、そんな覚悟も出来ていないが。


「……。もう一度、あの二人の所に連れて行ってください」


 覚悟も手段も方法も、アクエリアには足りていない。


「次は、俺に話をさせて貰えますか」


 でも、答えは決まっていた。




 

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