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286 残った欠片


 悪夢のような時間だった。

 何も得られるものはなく、逆に失ってばかり。


 業火に身を焦がした城は一部分が焼けただけで、蔦にまで延焼したがその身を空から傾けるだけで終わった。

 何十人ものプロフェス・ヒュムネの執念は、ダークエルフの炎でも簡単に沈まない。無様な姿を晒す城は、生き残った城下の民の怒りを受ける。

 それは、国を、民を守り切れなかった騎士も例外ではなく。


 傾いた城から生き残りが搬出される間にも、アクエリアは酒場の室内にいた。

 無力感に押しつぶされそうになるアクエリアが、絶望の淵に叩き落とされずに済んだのはフュンフのお陰だった。

 三日間を休息と失意に使いきった彼が最初にしたのは、身支度だった。身綺麗にして食事を摂り部屋の掃除をする。

 城下の戦闘に巻き込まれずに済んだジャスミンは、アクエリアが起きて自分の為の食事を用意していたのを見て驚いていた。

 毎日自警団員として後始末に回っているアルカネットも、その時偶然に帰宅した。彼も、ずっと姿を見せなかったアクエリアが起きている事に驚いていた。

 驚きも、安堵も、次の瞬間には物悲しさに取って変わられる。


 アクエリアの隣に、ミュゼが居ない。




 ――近い内に、私が長を務める施設まで来られるか。


 皆を失ったその日の夜。

 フュンフは寝台に蹲るアクエリアに、そう言った。


「……?」

「逢わせなければならない人物がいる」


 フュンフだって城内の戦闘と、心を切り裂くような出来事の数々に疲労も頂点だろうに、休むと言って食事もとらず引き籠ったアクエリアの部屋に来た。鍵を閉めていないと気付いたのはその時だ。

 何を言われても返事しないつもりだったが、フュンフはお構いなしにと一方的に話を続ける。

 『逢わせなければならない』なんて、大仰しい言葉を使われるとは思わなかったアクエリアは、狸寝入りをしていたせいで返答も出来ない。

 フュンフがそうまでして逢わせたい人物。心当たりが無い。


 その時のアクエリアは、心当りなんてある筈が無かった。




「………」


 そうして、行くべきか行かざるべきかと自己問答を重ねて三日が経った。

 誰かに相談する、という選択肢も無かった。ジャスミンは未だ起きないユイルアルトや内乱で出た負傷者にかかりっきりで、アルカネットも自警団の仕事に夜遅くまで帰れない日が多い。アールリトはこれまでの事に塞ぎ込んでいる。全てが終わった後に救出できたフェヌグリークは、これまでどんな仕打ちを受けていたのか口を噤んだままだった。

 これまでだったら、優先的にミュゼに相談して、それが叶わなかったらディルに相談していただろうアクエリア。

 もう、どちらも居ない。


「……」


 居ないから――アクエリアは、自己問答の結論を『行く』に決めた。

 施設に世話になったのが、だいぶ昔の話のように思える。施設を文字通り皆で飛び出して、まだ三日程度しか経っていない。

 施設の門を潜り、施設長室へ向かう道筋を誰も邪魔しない。

 それどころか皆、アクエリアに対して何か可哀相なものを見る目をしていた。


「来たか」


 通された施設長室は――普段と少し、違う。

 いつもは整理整頓されている執務机の上に、何かしらの書類が何枚も広げて置いてある。

 その机の隣に立っているフュンフの顔に、眼帯が無かった。


「傷が痛んでな。……今日は外している。別に、君には見慣れたありふれた傷だろう?」


 閉じたままの瞼やその周辺に、今なお残る傷。ディルが怒りのあまりつけたという、彼にとっての『汚点』。

 アクエリアが眼帯の下の実物を見るのは初めてだ。


「……見慣れたからと言って、傷は傷ですよ。見たいものじゃない」

「違いない」

「それで? ……俺に来るよう言ったのは、その傷見せる為でしたっけ」


 嫌味を交えて聞くと、フュンフは鼻を鳴らす。


「……君に話していない事がある」

「……」

「女史が伝えようとしなかったのも、何か意味がある事なのだろう」


 アクエリアは、まだぴんと来ない顔をしている。


「……何ですか……。今更、何話してないってんです。話して貰ってないことだらけじゃないですか」


 言われてフュンフが目を閉じたのは、胸の苦痛が少しは耐えられるから。


「ミュゼも貴方も、……あのクソ暁でさえ、話さない事ばかりだ。全員が全員、ちゃんと話していたら、こんな事にならなかったでしょうねぇ?」

「……ああ、そうだな」


 絶望。

 絶望。

 絶望。

 この国に住まう者達に降りかかったその言葉が安く聞こえるほどに、沈黙が齎した結果は暗闇の中を歩いているようだった。良くない事ばかりが続いて、誰も彼も疲れ切っている。

 けれど、アクエリアの苦痛が少しでも癒えるのならば。


 ――フュンフは、アクエリアに今度こそ命を奪われても悔いはない。


 だから、施設へ呼んだ。

 だってそれが、自分の終焉に相応しいと思っているから。


「話をする前に、逢って欲しい人物が居るのだ」


 ソルビットも、アールヴァリンも、ミュゼも、アルギンも、ディルも。

 フュンフは、皆失った。

 これから得る物があるのだろうか。あったとして、これまでの喪失感を拭い去るものだろうか。

 彼等と一緒に、逝ったほうが楽だったのではないか。

 ……それは違う、と思い直す。フュンフにとってたったひとつ、否、ふたつの希望が残っている。


「……逢って、どうなります」

「恐らく君は、私を殺したい程に憎む」

「じゃあその前に、貴方を殺していいですか?」

「それは困る」

「逢って欲しい人を、俺が殺したい程憎む可能性は?」

「無い。……これは断言できる」


 小馬鹿にするように問い掛けて来るアクエリアに、フュンフが付け足した。


「改めて言っておくが、黙っていたのは私だけではない。あのミュゼでさえ、君に黙っていた事だ」


 フュンフはアクエリアをソファに座らせる前に、廊下向こうへ誘導する。

 それから向かったのは、今は休憩中の子供達が走り回る施設内。

 更にそこを抜けて、砂場が見える渡り廊下。

 何のことか分かっていないアクエリアは、ただその光景を眺めるだけ。


「……あそこの砂場に、いつもいる」


 言われて視線を向けたアクエリア。

 園庭には子供達が多くいれど、その時砂場に居るのは二人だけだった。

 片方が背中まである鈍い銀髪、もう片方が肩口で切り揃えた白銀の髪を持つ同じ年くらいの幼児だ。今居る位置では背中しか見えない。


「……ふぅん?」

「付いて来い」


 フュンフは、掌で傷がある方の目を隠して先に園庭に出る。その後を渋々と追うアクエリア。

 二人が、フュンフに気付いた。先に振り返ったのは、髪が短い方だ。


「……? あっ、せんせい!!」


 その瞬間、アクエリアの足が止まった。


「せんせぇ!?」


 もう一人も振り向いた。

 アクエリアの呼吸も一瞬止まった。


 二人が宿した瞳の色が、よく知る二人に似ていたからだ。


 フュンフは二人の側に近寄ると、身を屈めて目線を近付けてから話しかけた。 


「小休止の最中にすまないな、エデン。オード。砂遊びは順調かね?」

「いまね、けーきつくってるよ!!」

「おすなでおうちつくってるの!!」

「そうかそうか。……良く出来ているな。とても上手だ」


 二人の前にある砂細工はお世辞にも綺麗なものとは言えないけれど、フュンフは二人を褒めた。

 褒められて嬉しそうにしている二人は笑顔だ。髪が短い方は切れ長のやや吊り気味の瞳で男の子に見えて、髪が長い方は子供にしてはおっとりとした柔和な笑顔を浮かべている。

 二人とも、自然に笑えるほどに今の環境に馴染んでいた。


「せんせいにみてほしかったから」

「そうか、ありがとう。……ありがとう」

「……? せん、せい?」

「っ……」


 その二人から慕われているフュンフが――二人の目の前で、泣いた。

 突然の事に、幼児二人が動揺している。おろおろとフュンフの周囲をうろつく耳に、始業予告の鐘が届いた。


「ぅええ、おねーちゃん、どうしよう。かねなっちゃった」

「う、うん。でも、どうしよう、どうしよう」


 他の子供達は我先にと自分達の教室へ走っていく。アクエリアも見慣れた風景だ。

 双子だけが、フュンフの側を離れない。

 見かねたアクエリアが助け舟を出した。


「大丈夫ですよ、二人とも。フュンフ先生は俺がお部屋に連れて行きますから」

「ほんと? せんせい、どこかわるいの?」

「せんせい、ごびょうきまだなおってないの?」

「心配しないで。大丈夫ですから、二人とも教室に戻りましょう。でないと、他の人達が心配しますよ」


 名残惜しそうだった二人も、アクエリアが後押しする事で教室に向かって行った。

 何度も、何度も、教室に入るまで二人は振り返る。

 他に視線が無くなった所で、アクエリアも子供に向けた貼り付けたような笑顔を消した。


「――さて」


 途端に、表情を歪めてフュンフの胸倉を掴む。屈めていた体を立たせ、噛みつくような顔で。


「説明して貰いましょうか」

「……」

「逢わせたいって言ったの、あの子達でしょう。どういう事ですか、何であの二人は」


 見えない方のフュンフの目許からも、涙が出ている。涙腺は死んでいないようだった。


「あの二人は――どうしてあんなに、ディルさんとアルギンさんに似てるんです」


 男の子に見えた方も、女の子っぽい方も。

 あの二人が生を絶望視して死んだ、二人の間に生まれた双子のように思えて。


「……説明するには、此処では出来ない」

「場所変えたら言う事も変わるってのか?」

「そうでは無い。……ただ、書類を交えて話した方がいいだろう」


 今に至るまで、フュンフがどれだけの涙を流しながら生きて来たのか。

 この場で張り倒したくなる程の怒りを感じていたアクエリアでも、男の涙を見てしまえば振り上げかけた拳を仕舞うしかなくて。

 本当は、殴りたい。蹴り上げたい。胸倉を掴む手で、このまま地面に投げ捨てたい。


「場所を変えて、話そう。……女史が君に伝えるように言った、彼女の最期の言葉も」


 ミュゼの話を出されては、アクエリアもそれ以上手荒な真似は出来なかった。

 乱雑にフュンフの胸倉から手を離す。彼は、不満も言わずに施設長室までの道程を再び先導し始めた。

 

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