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285 もう声さえ聞こえない




 奥に続く部屋の扉が閉まった。

 暁の工房に戻って来たアクエリアは、扉から一歩離れて天井を仰ぐ。


「……」


 この部屋から急いで出なければならない。けれど足が重くて、すぐに動けそうになかった。

 部屋に入るまでは、三人で出られると思っていた。なのに今残っているのはアクエリアしかいない。

 気分が重いを通り越し、底に根でも生えたかのような気分だった。なのにこの工房側では、先程部屋を出て行った筈のラドンナが水回りの清掃をしていた。


「……貴女は、行かないんですか」


 奥の部屋の扉の向こうでは、何が起きているか知っている筈だ。

 なのに片腕が無い彼女――人形だから無性別かも知れない――は、布巾を手に少しも汚れていない流し台を掃除する。


「回答不能。言葉の意味が分かりかねます」

「……もう暁の野郎もいない。アルギンさんだって。なのにココで、何してるんです」

「私は、マスターの人形です。マスターが死すれば、私達も稼働を終了するでしょう。マスターから頂ける動力源が無ければ止まるだけです」

「……その動力源とやらが尽きるまで、掃除してるつもりですか」


 揶揄するような言葉にも、ラドンナは無表情に返すだけだ。


「駄目ですか」

「……」

「私は、夫人のお世話をするために製作された、残り滓です。マスターも夫人も居ない私は、生体組織の手入れすら出来ずに機能を停止するでしょう。それまでの時間を日課に使う以外に無いのですから」

「……残り滓? 生体組織?」

「私達は夫人の命を保つため、『材料』とされた方々の余りを再利用しています。……とはいえ、私たちの生体組織など、この場所しか無いのですが」


 とんとん、と彼女の指先が頭を指す。アクエリアに視線を向ける事も無く。

 その意味を察したアクエリアが嫌悪感を露わにするが、ラドンナは構わずに続ける。


「私達は、マスターに製作された人形に過ぎません。ですが、私達に使われる生体組織には、『記憶』と言われるものを宿しているようです」

「……記憶?」

「『魔女』と呼ばれた女の『記憶』。マスターは、古い因習により魔女という烙印を捺された方々を材料として解体していました。その方々の、まるで実感のない体験が私の中にあるのです。不思議です」

「……。それは、何かがあった時に表に出て来ますか?」

「回答不能。今まで表に出て来た事が無いので分かりかねます」


 スピルリナと対峙した時の事を思い出す。あの人形は、しきりにその場に居ない暁へと普段と違う様子で呼び掛けていた。

 奇妙な行動だと思っていたが、それさえも暁の業。スピルリナの中の何かが壊れて、彼女の中の記憶を呼び起こしたのだ。


「……反吐が出ますね」

「肯定。ですが、もう終わった事です」

「………」


 人形が創造主を悪し様に言うのが意外で、アクエリアが目を丸くした。

 曇りのない水場を拭き終えたラドンナは、そこでやっとアクエリアを見た。


「すべて、終わってしまったのですよ。アクエリア様」

「………」

「私は、夫人のお世話をするために製作された。ですが夫人のお側に居られた事は、材料とされた『私』にとって、唯一と言っていいほどの価値でした」


 心の無い人形にも、そう言わしめたアルギン。

 二人の間に、どんな関係が築かれていたのかは知らない。けれどラドンナの様子から、アルギンはラドンナの事をそれなりに対等に扱っていたんじゃないのか――そう思わせてならない。


「ご機嫌よう、アクエリア様。……最期に、夫人の名前を知られて、感謝しております」

「感っ……」

「どうか、息災で」

「……」


 人形だと嘲っていた相手から出た意外な言葉に、それ以上何も言えなくなったアクエリア。

 やがて唇を引き結んで、工房からも出て行く。


「感謝しております、アクエリア様。『私』の記憶の中にある名前を出して頂けた事にも」


 他に誰も居なくなった部屋には、隣から漏れだした煙が広がり始めていた。

 石造りの工房とはいえ、可燃物があれば火は燃え広がる。人体が燃えるような異臭もしているが、ラドンナは微動だにしない。

 火が扉を呑み込んだ。そこから室内の木材を始めとした可燃物に広がる。

 ラドンナ自身が燃え始めても、決してその場を動かなかった。




 やりきれない思いを抱いて工房を出たアクエリアだが、時間に猶予は無い。

 工房から出た火が何処まで延焼するか分からないのだ。弔いの業火はアクエリアの私怨さえ入って、人の手で消すのは無理だ。

 走って、まずは謁見の間へ。アールリトとユイルアルトが居る筈だ。

 足早にアクエリアがそこへと辿り着いた時、瓦礫の上に座り込む三人の姿が見えた。


「……フュンフ、さん?」


 三人しかいない。

 なのに、増えた茶色の癖毛を持つ男の姿を見間違える訳が無い。

 遠目から見た三人は項垂れているように見えた。その理由に気付くのは、アクエリアがもっと近付いて、すぐ。


 フュンフの腕の中に、見慣れた修道服だけが抱かれていた。

 それを着ていたミュゼの姿は、無い。


「っ――!?」


 思わず駆け出すアクエリアの足を、瓦礫が阻む。何度も転びそうになったのは、足許が悪いだけではないけれど。

 衝動の赴くまま、フュンフの胸倉を掴み上げる。ぐ、と小さく呻く声がしたが構っていられない。


「ミュゼに何した」

「……」

「俺の! ミュゼにっ!! 何したんだって聞いてるんだよ!!」

「………っ」


 フュンフは何も答えない。顔を上げる事も無いが、その頬には涙の跡が幾筋も伝っていた。

 なんで、何が、と呟くアクエリアを押しのけたのはユイルアルト。彼女の瞳も赤くなっている。


「落ち着いてください、アクエリアさん!!」

「……落ち着け? 落ち着けだって? こんなの、落ち着いていられる訳が」

「良く見てください、この服には乱れがありません。この方が何かした訳では無いでしょう」


 言われて視線を下ろした修道服には乱れどころか、釦が開いた部分さえ無い。

 胸を刺された穴は残っているが、あれだけ流していた血の痕跡さえ消失していた。


「……ミュゼ、……刺されたよな。何で血が付いてない。ミュゼの服じゃないのか。ミュゼ、何処に居るんだ」

「……っは、……、……ミュゼは、っ」


 途切れ途切れの呼吸の合間に聞こえる、フュンフの声。


「消えた」


 それが何と言ったか、アクエリアは理解するのに時間を要した。


「……は?」

「私の、腕の中で。神に誓う。私は何もしていない。ただ、彼女の話を聞いていただけだ。彼女の、話を、聞いてくれ、と、言われて」

「……居もしねぇ神に誓って何になるんだ」

「っ――!!」

「消えたって、何だよ」


 けれど、こうなる事を、分かっていたのかも知れない。


「俺のミュゼが、俺に黙って消える訳無ぇだろ」


 追い払うように先に行けと促したのは、彼女の方で。

 彼女が文字通り『消える』姿を目にしていたのに、素直に言葉通りにディルを追ったのは自分で。

 あんな酷い傷を負って、彼女が生きていてくれるなんて、普通は思わない。

 自分で言っていて酷い矛盾だ。彼女の側を離れたのは自分の方なのに。


「わから、ない……。私にも分からない。話を、聞いていたんだ。私の口から、君に伝えろと。余すことなく聞いて、記憶に刻み付けていたのに。その途中で、彼女は、消えた」

「……」

「逆に教えてほしい。私に何が出来たのだ。彼女を消えぬようにするために、私が出来た事は何なのだ。私は」


 フュンフの苦悩が、声になって漏れる。


「私は、彼女の。……彼女の消える様を、見たくは無かったのに。私が、彼女を消したのだと思わせられる。……いいや、それでも私の事など如何でも良い」

「……」

「彼女の身の潔癖を、誓う。私は何も、彼女にしていない。最期まで、彼女は君を想いながら消えた」


 実感が、無い。

 アクエリアは、話を聞くだけ聞いて、靄が掛かったような頭を振った。

 意味が分からなかった。ミュゼがずっと一緒に居る世界しか、自分の未来には用意していない。それ以外なんて考える事も無くて、可能性を示唆されても拒み続けて来た。

 彼女が共に居て、朝も昼も夜もずっと一緒で、これからも流れる季節を、彼女の隣で感じていたかったのに。


「……後で、聞く」


 言いながら、フュンフの胸倉から手を離す。

 本当は聞きたくなかった。

 消えた彼女の最後の言葉を、人伝に聞いてしまう事で、彼女の消失を思い知らされるのは嫌だ。

 でも聞かないと、彼女の願いを無下にする。

 何を伝えたいのかすら、今は分からないけれど。


「……アクエリア、さん。ディルは?」

「………」


 聞いて来たアールリトも、目を腫らしている。ミュゼと少しだけ関わりがあったのだから、涙も無理のない話かも知れない。

 けれどそんな彼女に、今すぐ返せる言葉が見つからない。


「後で、話します」


 ――妻と共に死んだ、なんて。


 追い打ちをかけるような言葉を、今聞かせる訳には行かなかった。

 話すとしたら、安全が確立した後だ。城を出て、城下に戻って、城下の問題さえも落ち着いた後。

 アクエリアだって、頭の整理が追い付いていない。体も、心も、どっちも疲弊しきっている。


「後で、って……今は駄目なんですか、って、ひゃあ!?」


 その時、大きく城が揺れた。

 傾くような感覚が続き、ユイルアルトがバランスを崩す。後ろに倒れそうになった彼女を支えたのはアールリト。


「……これは? 何が起きているというのだ」

「さあね。この城を外から支えてる幹に、延焼でもしたんじゃないですか」

「延焼……?」


 事も無げに言うアクエリアに問い返すフュンフだが、その腕の中にあったミュゼが着ていた衣服を掻っ攫われて終わる。

 本当に、彼女が着ていたそのままが同じ形で残っていた。


 ――八十年のそれまでも、その先も、ずっと俺の傍にいてくれませんか。


 そう求愛した、自分の言葉が蘇る。

 服を握り締めて、顔を寄せた。もう、彼女の香りさえ残っていない。


「……ずっと一緒にって、お願いしたのに……」


 生半可な覚悟で、愛を誓った訳では無い。

 悲痛な声は無意味な呟きとなって、この場にいる他の面々の耳に届いた。

 ミュゼが居なくなった事で感傷的になっているアクエリアの気持ちは、三人だって理解出来る。

 けれど彼の痛みの全容は、理解したつもりのそれより遥かに深い。


 四人は手分けして、城内に残る生き残りを探した。

 完全に焼け落ちる事が無かった城を後にするために、ある者はアクエリアと共に。ある者はアールリトとユイルアルトが作り出した、遠い地面にまで届く氷の滑台で脱出する。




 パルフェリアから譲られた魔力の最後を使い果たしたユイルアルトは、緊張と疲労の反動で数日間目を覚まさなかった。

 事実上悪政の首魁の娘であるアールリトは、命の危険を感じて酒場に身を隠した。

 放心状態のフュンフは、一日だけ酒場に泊まった後は、十番街の孤児院へと帰って行った。


 ――アクエリアは酒場の自室から、三日の間殆ど出てこなかった。



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