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279 絶望へ招く声


 なん で。


 ど う して。


 氷の刀身を身に埋めたマゼンタは、その足元がよろめいた。巨大な幹と根が、支えの土を喪った樹木のようにぐらりと傾ぐ。

 引き抜こうとするマゼンタの手を模した蔦が、体に刺さった氷を掴んだ。しかしそれは握った所で滑ってしまうし、それ自体は簡単に折れたりしない硬度だ。

 ディルは、氷の刀身が離れた短剣を持ち変えて、その刃をもう一度、今度はマゼンタの首筋へと埋めた。


「っ……!! ぐあ、あ、……あ、っ」


 プロフェス・ヒュムネでも傷付ければ死に至る臓器が何処にあるかは知らなくて、ディルは冷静な殺意を以て、常人であれば急所になる場所を刺す。

 二・三度刺した所で、ディルが身を翻した。マゼンタの側から離れるために、その幹や根を足蹴にした。


「……っひ、ぐぅう……っ、ぅあ、いた、……い」


 その声は、年齢相応の女性の苦悶の声だった。


「いっ……ぅあ、……いたい、……いたい、よぉ、……ロベリアぁ……」


 苦痛に呻いて愛しい人の名を呼ぶ。しかし、答える声は何もない。

 抜けるより先に、徐々に氷が解けて来た。表面が解けて雫として垂れ始める時に、マゼンタの苦悶の声が更に重みを増す。


「っあ……!? う、あ、……あ、あああっ……!? い、た、い、い、痛い痛い痛いいいいっ…!!」


 ディルが刺したのは確かに氷の筈だった。なのに今、マゼンタの傷口からは、しゅうう、と肉の焼けるような音がする。白い煙も出ていて、尋常ならざる景色にディルさえもが後退った。


「……『魔女の呪い』の御味は如何ですか。アルセンとパルフェリアの薬師達が仕上げた合作ですよ」 

「の、ろ、い……っ?」

「肌なら灼ける劇薬と、劇薬の中を尚も生き続ける貴方がたの為の病原体。……通常では見る事も出来ない小さな小さな命が、貴女の切り開かれて灼かれる体を侵食する。貴女の体から出る蔦、草、それら全てを培養地として増え、この地に残るプロフェス・ヒュムネを滅ぼします」


 パルフェリアの薬師、と言うとエルフだろう。森に住まい自然と生きる彼等でさえ、プロフェス・ヒュムネを滅ぼす為の薬の開発に協力した。

 それが何を表すか、マゼンタでも分からない筈が無い。

 他国に関与しないと明言しているパルフェリアさえ、プロフェス・ヒュムネを害悪だと判断していたのだ。


「貴女がロベリアという名の人物に向けた感情は、多少なりとも理解できます。でしたら私も同じことを申し上げましょう」


 ユイルアルトが息を吸う。自分の心を落ち着けるために。

 医者として誰かを救うのでなく、魔女として誰かを殺す。


「返してください。今この時点に至るまで、貴女達が軽んじて失われた命を。貴女が先程まで養分にしようとしていた、死体の全員を生き返らせてください。彼等は、思想は違う人がいたとしても私達の同胞です」


 マゼンタを、殺す。

 この場に居る四人の総意だった。


「貴女は同胞にしか目を向けなかった――そうですね? でしたら。私も、私達も、そうします」

「……そん、なぁ。……どうして、どうして私達だけ、こんな目に」


 こぷり、こぷり。

 マゼンタは呼吸の合間に僅かに咳き込んで、その度に口から水を吐く。彼女達純血のプロフェス・ヒュムネにとって、体中を循環する血のようなものだ。

 どう抗おうと避けられない死。マゼンタは既に動くほどの気力も体力も残っていない。

 誰かの為に戦う、というその『誰か』が、もう居ない。


「ディル! ユイルアルトさん! ……、アクエリア、さん! 危ない!!」


 アールリトの絶叫は、その決定的な瞬間が来る前に発せられた。

 天井が既に(たわ)んでいる。柱を落とすだけ落とした謁見の間は、自重に耐えられない構造になっていた。

 危険を察知して廊下へ出るユイルアルトとアクエリア。アールリトも続いて、ディルは一番最後までその場にいた。


「……いたい、痛いよぉ。……なんで、ロベリア」


 巨大となった自らの根の上で、伏せるように上体を横たえるマゼンタ。その背には、溶け切らない氷の刀身が突き出ていた。


「どうして、……来て、くれないの……ロベリアぁ……さみしいよぉ……」


 マゼンタにはもう、ディルが見えていない。

 一人の女として呟く悲しみを耳にした後は、ディルも背を向ける。

 ディルが謁見の間を出て、その場から離れた三人と合流した時。


 謁見の間から、天井が崩落した轟音が聞こえた。

 離れた場所から聞こえていた鐘の音よりも遥かな爆音だったが、誰ひとり耳を塞がずに目を伏せて耐える。


「……」


 開いたままの扉から、音と土埃が濛々と出て来た。

 天井崩落ぐらいで、彼女が死ねたかは分からない。けれど死が訪れるのは時間の問題だろう。

 介錯してやる気も無かった。振り返って様子を見る気も。でも、アールリトはそうではなく。


「……叔母様の、最期を、見てきます」


 血縁である彼女だけが、様子を見たいと言った。


「アールリトさん、それは危険では……」

「大丈夫。……私なら、大丈夫。例え生きていて私に何かしようとしても、もうあの体じゃ無理だから」


 事実だが、驕りとも取れるアールリトの言葉。手負いの獣だからこそ、何をしてくるか分からないのに。

 行こうとする彼女の背をユイルアルトだけが追った。


「待って、私も行きます!! ……マスター、アクエリアさん! 待っててください!」

「――いや」


 待て、との言葉だが、もうディルは待てない。


「用事がある。後から合流する事にしよう」


 それだけ残すと、謁見の間に背を向ける。

 え、と呆気に取られるユイルアルトは足を止めた。何事か分かっていない彼女に、アクエリアが注釈を加える。


「……ディルさんはですね。今から起きる事が、彼の悲願だったので。……今までの事態は全部、その為の下準備だったんです」

「下準備? ……下準備!? この惨状が!?」

「それは副産物と言いますか……。もし平和的な手段で願いが叶うなら、それが良かったんでしょうけど。……叶わなかった。こんな争いが起きるなんて事も、普通思わないでしょう」

「……副産物って何なんです。何の為の下準備なんですか」

「彼にとって、命や矜持と引き換えにしても惜しくない程の願いだったから。……そっちの準備している間に、時の王妃が大層な企てをしてしまっていたんですよ」


 別に、こうなる所を願っていた訳では無い――と暗に言うと、ユイルアルトも納得したようだった。


「……じゃあ、マスターの悲願って何なんです? あの人があんな風に、走って何処かへ行くところなんて初めて見ましたよ」

「ああ、貴女は暫くの間居ませんでしたからね。……そうですね。俺だってあんな風に走る彼を見るのは、今日が初めてな気がします」


 駆け出して小さくなる、ディルの背中をアクエリアが横目で見る。


「ディルさんの悲願を見届けなくては。俺もあっちへ行きますよ」


 白銀に置いて行かれないうちに、アクエリアも走り出した。疲労は頂点だが、今から起きる出来事を考えれば休む気も無い。

 ――やっと、アルギンが帰って来るんだ。


「え……、アクエリアさん、質問に答えて貰ってませんよ!?」


 ユイルアルトの言葉さえ無視した。正直に答えた言葉をアールリトに聞かれてしまったら、彼女さえこっちに来るかも知れない。

 これ以上人物が増えるのは御免被りたかった。あの二人の再会の現場を見るのは、自分さえ邪魔かも知れないのに。

 全て終われば、――やっと。アクエリアも、ミュゼの許へと戻れるのだ。




 六年。

 ディルはその間、ずっと妻と離れていた。

 半年と少し前まで、死んでいるとさえ思っていた。

 生きているなんて思わなかった。彼女の死を信じたほどに、ファルミアの町を覆った血煙は絶望的なものだった。


 ディルの歩みが速くなる。


 最後まで、愛していると言えなかった。

 曖昧に言葉を強請られた時も言ってやれなかった。

 ずっと彼女は言ってくれていたのに、何も返せなかった。


 ディルの歩みが走りになる。


 ずっと彼女を見ていた。

 思い出せば今更なもので、自覚していなかっただけ性質が悪い。

 『好き』なんて言葉の頃はあっという間に過ぎ去った。

 無いと思っていたディルの心は、ずっと彼女を愛していた。


 ディルの走りに速度が乗る。


 次に逢えるのは死んだ時だと思っていた。

 その時にこそ、ディルは。


 目を見て、アルギンに、愛していると伝えられると思っていた。

 それが生きている間に叶うとは思わなかった。


「……、は、……。………っ」


 城内を夢中で走って、記憶にある暁の工房の側へと辿り着いた時には息が切れていた。

 扉を開く前に上体を屈めて息を整える。

 やっと扉が見える所まで来たディルは、幾何学模様をしたその側に男の姿があるのを見た。


「……って、……も、全部、おわりだ」


 扉の表面に爪を立てながら、何事かを呟いているのは濃紺の髪の男だ。かりかり、かりかり、と扉を引っ掻く姿は遠目から見ても異様。

 濃紺の髪の男――アールブロウは、まだディルに気付いていない。息を整えたディルは、異様な様子のアールブロウに近付いた。


「――殿下」

「っは、……!?」


 呼ばれて驚いたアールブロウは、息を呑んで振り返った。

 焦燥しきった顔は青く、謁見の間で見た時からの短時間で窶れてしまった気がする。


「ディル……、ふ、ふふふ。そうか、お前もアルギンの所に来たんだな」

「……無論。あれは、我が妻だ」

「そんな事知ってるよ! ……でも、お前は、今のアルギンの姿を見ても同じ事が言えるのかな?」


 アールブロウも裏切りを受けた。それでも、暁の工房まで来たのには理由がある。

 中にいる人物を殺す為だ。愛していない暁の寵愛を受けて生きながらえた、可哀相な女。

 彼女が生きていると知っていて、アールブロウも口を閉ざした。彼女の生存と、その状況に。


「可哀相なあいつは僕が殺してあげるよ!! どうせもう暁はいないんだ、それならいっそ!!」

「――!!」

「僕を裏切った暁にいっそ、あの世で思い知らせてやるんだああああっ!!」


 扉には、アールブロウの方が近い。ディルが彼を止めるよりも、彼が扉を開く方が早かった。


 ――扉を開いた瞬間、光る細い何かが中から飛び出す。


「え、……?」


 アールブロウは疑問を抱くよりも早く。

 中を見るよりも先に。

 体が、横五つに分断される。


 扉を開けると同時に、仕掛けられていた鋼鉄製の糸が、不用意な体を切り裂いた。

 ヴァリンと血を分けた肉体が、床に散らばるように落ちていく。


「な……」


 扉を先に開けていれば、分断されていたのはディルだったかも知れない。

 戦慄するディルを追いかけてやっと追いついたアクエリアが、分断されて散らばるアールブロウを視認する。


「――何ですか、これ」


 ぴくぴくと動いていた肉片もやがて動きが止まる。血溜まりが扉前を覆い尽くし、二人は立ちすくんだ。

 ふと我に返ったアクエリアが、手に持っていたものをディルに渡す。先に行ってしまったディルを探す途中で寄った部屋で、見つけて引っ張って来たものだ。


「貴方、あのクソ人形師に毒吹っ掛けられて服脱いだでしょ。……嫁との再会に上半身裸じゃ締まらないじゃないですか」

「……ふん」


 渡された衣服は生成り色の上衣だった。釦付きのそれに袖を通し、再び扉の方を見る。

 あの先に妻が居ることは確定している。けれど、似たような罠が無いとは言い切れない。あの性格の悪い暁が、罠をひとつしか用意していないなんて考えられないのだ。

 どうするか互いに目を合わせる。先に進みかねる二人の耳に、足音が聞こえた。


「――お入りください」


 後に聞こえたそれは、ディルが一度だけ聞いた事のある声。姿は見えない。


「お入りください」

「……ふん。暁が罠を仕掛けているとも知れぬ場所に、誘われたからと簡単に入るものか」

「否定。罠は、もうありません」

「罠が無いと言うのなら、此処までアルギンを連れて来い」

「……連れて来れません」


 声は、暁の人形の一体であるラドンナのものだった。


「何故連れて来られない? 其れこそが我等を謀ろうとする証拠ではないかえ」

「…………」


 ラドンナは、それきり無言で再び足音を響かせた。中に戻ってしまったらしい。

 どうするか二人が再び視線を合わせる。苦い表情をしたのはアクエリアだ。


「……信じる、しか、無いですか。罠が無い。でも、あの子を連れて来られない。その理由は何でしょう?」

「……さてな」

「俺が先を歩きましょうか。それとも、貴方が先に入ります?」

「決まっているであろう」


 ディルが先に歩を進めた。その後ろをアクエリアが付いて歩く。


「妻の姿を見るのは、我が先だ」

「……本当に、貴方って人は」


 足元のアールブロウの血溜まりを踏みつけて、二人が扉の中に入った。

 中にあるものが希望だと疑っていない二人は、中に入って周囲を見渡す。

 最初に入った部屋は石造りの壁と、埃ひとつ無い工房。木工細工に適しているような設備もあり、部屋の隅には名も分からない巨大な宝石の原石が幾つも並べられている。大量の薬品が並んだ棚の中には見覚えのあるものが幾つもあった。


「……アクエリア」

「はいはい?」

「あれは、ユイルアルトやジャスミンが使用している瓶ではないかえ」


 指で示された先を見たアクエリアは、棚に並んでいるものがあの医者二人が使用している薬瓶だとすぐに気付いた。確かに、奴は私用の薬を二人に頼んでいた事もある話は聞いている。

 その中身は、殆ど空だった。


「……これだけの薬、自分で使ったんですかね?」

「………」


 考えたくない話だが、この薬が使用された先はアルギンだという可能性だってある。何の為の薬かは、ここに居る二人では分からない。

 良くない薬、なのだろうか。良くないのは彼女の体の方なのだろうか。判断がつかなくて、ディルは他の場所に視線を移す。

 木屑のひとつでも落ちていそうな場所なのに、掃除が行き届いていた。この工房には中二階もあるようで、少し背伸びすれば見える階段の上には暁の寝台と思わしき場所があった。近くに暁が着ているのと同じ色と形の上着が掛けてあったから、まず間違いはない。

 下階と比べて少し乱雑な空間の扱い方だ。床には本が散らばっているし寝台も少し乱れている。違和感を覚えたのはディルだけではない。


「……変ですね」

「変?」

「ここだけ散らかっている。ここだけが『汚すのを許された空間』みたいです」


 部屋の中には、簡単な流し台ならあった。水桶と、汚れ物を隔離する入れ物が隣に置かれている。その流し台さえ、汚れは疎か水垢さえない。

 酒場の厨房よりも綺麗だ。……しかし、その綺麗な空間を作り出す人物を、ディルとアクエリアは知っていた。


「……ユイルアルトやジャスミンが、薬を扱う時に厨房を使った後のようだな」

「俺も、同じことを思いました」


 あの二人は医者という職業から、汚れを嫌う。薬に使う水も道具も清潔を好み、空間の清浄を優先する。それで貸した厨房は、貸す前よりも綺麗になっていることが大半だ。

 その時の厨房を思い出す清潔さを、この工房の水場は備えている。


「……」


 嫌な予感がする。

 あと見ていないのは奥の部屋だ。窓もない閉鎖された空間の先に何があるか、ディルは知らない。

 医者が好む空間と同じ清潔さを保っているこの場所は、一体何の為の場所なのか。

 奥に進むディルの目の前に、扉が立ち塞がる。


「お入りください」


 ラドンナの声がする。


「罠は、ありません」


 同じ事ばかりを繰り返している。


「罠は、ありません」


 その言葉を信じるとしても、ディルの嫌な予感が止まない。気付けば冷や汗が背中を流れていた。

 見なければいけない。

 でも、見てはいけない気がする。

 相反する感情に挟まれながらも、ディルが扉に手を掛けた。


 ――その中は。


 窓ひとつ無い、狭い空間。換気口はあるのに重苦しい空気。

 鼻を擽る臭いは、病院で嗅いだような消毒液のそれだった。

 灯りらしい灯りは無く、壁掛けの蝋燭は火を点さないままその場に在った。

 壁際に、扉へ背を向けている椅子がある。それに誰か座っているようだが、毛布を頭から掛けていて顔が分からない。

 その隣に、ラドンナが佇んでいる。暗い部屋は、開いた扉から差し込む光だけで中が見えている状態だ。


「……暁?」


 ディルにとって、死ぬ程焦がれ続けた声。顔は向かない。


「どうしたの、暁。いつも煩い癖に、今日だけは静かだね。いつもその調子だったらいいのに」

「――……」

「暁、悪いけど、今日はちょっと頭痛いな。いつもの薬欲しい。……あと、アレ、もう駄目になって来てるよ。いい加減にああいうの止めろよ、気分悪い」


 部屋に入って来たディルとアクエリアを、暁だと誤認しているその人物は、無言を貫く二人に違和感を覚えているようだがまだ振り返らない。


「……? 暁? ……暁、だよね? ……もしかして、アールブロウ殿下?」

「……」

「ラドンナ。ねぇ、ラドンナ、いるんでしょ。誰。誰が入って来たの」

「………」

「ラドンナ!?」


 焦る彼女は腕を伸ばした。――けれど、その腕の先にある筈の指は大半が短い。まるで、途中で切り落とされてしまったかのように。

 短くなった指の先でラドンナに触れる。握る事も出来ない指は、ラドンナの服を摘まむので精一杯だ。


「……はい、私は此処に居ります」

「ラドンナ、居るなら、……居るならもっと早くに返事してよぉ……。ねぇ、誰なのあれ。ラドンナ、なんでなの、暁じゃないなら誰なの」


 すぐ側に居るラドンナが見えていないかのような口ぶりだった。腕を伸ばすだけの彼女は、やはり振り返らない。

 焦れたディルが、一歩ずつ踏み出す。足音が聞こえる度に、毛布が揺れた。


「……誰。誰なんだよ……、畜生、暁だったら、趣味、悪いよっ……」

「………。アルギン」

「――」


 あと一歩。

 あと一歩近付けば、手が届く。

 その距離で、ディルは足を止めた。

 椅子の隣にある大きな何かの設備に目が行ったからだ。

 こぽりと音を立てるそれは、いくつもの管を備えていて、それら全てが毛布を被る人影に伸びている。管の先は赤色の液体だったり、黄色の液体だったり、無色透明だったり、様々だ。

 奇妙で巨大な設備と、姿を見せない彼女に何か繋がりがあるのかと考えた時、彼女の声が聞こえた。


「………でぃ、る……?」


 震える声だ。でも、この六年間、気が狂いそうになる程に聞きたかった声。


「――っ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!? なんでぇ!? どうしてぇっ!!」


 愛しい声が、拒絶を叫ぶ。


「アルギン……?」

「なんでぇっ!! ディル、なんでここにいるのっ!? やだ、やだやだやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 絶叫の割には、毛布はさして動かない。虫のようにうねるだけの動きを繰り返している。

 ラドンナは、その絶叫に俯いた。そして、彼女の座る椅子に手を掛けた。


「やだっ!! 見ないで、見ないでぇええええっ!! やだよぉ、ディル、やだぁああああああああああああああ!!」


 椅子が、座面を回転させる。

 同時に、ディルもアクエリアも言葉を失った。


「――ア」


 そこに座っていたのは、銀色の髪を持てど二人の覚えている顔では無かったからだ。

 肌は肉が裂かれたような傷痕を晒し、顔を覆う包帯には浸出液の跡が見える。唇は縦に裂けた傷の名残があり、足は太腿半ばから両方とも失われている。

 唯一美しい輝きを放っている瞳は、宝石により作られた義眼だった。


「アル、ギン……?」


 生きているのが不思議な程の酷い傷跡。

 半狂乱で泣き叫ぶ彼女の姿は、記憶にあるものとは掛け離れていた。



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