278 悪逆の女王
「許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」
興奮状態による途切れ途切れの呼吸の合間に、怨嗟の言葉が繰り返される。
「殺してやる、皆殺してやるっ……!! ロベリアが死んで何で貴方達が生きてるのよぉっ!!」
マゼンタの声は切れる事が無く、何度も、何度も呪いの言葉を紡いだ。
聞き飽きる程の憎悪は彼女の絶望そのものだ。同時に、謁見の間の柱が彼女によって圧し折られる。文字通りの縦横無尽に動き回る彼女の腕のような巨大な木の枝が、振り回されるごとにひとつずつ柱を砕いて折っていく。
足となって移動手段に使われる彼女の根は、這うように床上を移動していた。狙うのは、一番近い場所に居るディル。
「私のロベリアを返してよっ!! なんでロベリアが貴方達に殺されなきゃなんないのっ!!」
ディルには、その怨嗟が痛いほど分かる。愛しい人を喪った時の痛みは、生涯忘れる事が無いだろう。
誰にも代われない、代わって貰えない、半身を引き裂かれる苦痛と絶望だ。
アクエリアも同じだった。マゼンタ自身には恨みは無いが、これ以上他者に害を与えるだけの存在と成り果てるのならば滅さなければならない。自分達と、同じ悲しみを抱く者を減らす為に。
「同じ事言ってやろうか!! お前らの低能な陰謀もどきに、俺の女を巻き込むんじゃねえよ!!」
同じ悲しみを抱いているのに、マゼンタとアクエリアの道は交わらない。怒鳴り返す言葉に、拭い去れない悲しみが混じっていた。
彼の指先に灯る炎は、これまでの魔力消費でごく小さなものしか出せなくなっている。夜を照らす灯りにしかならないその炎をマゼンタの元へ向かわせた所で、凶悪な蔦の一振りで掻き消されてしまう。
「私をこんな燐寸の火ごときで倒せるなんて思わない事ね! 目障りだったのよ、貴方は昔からっ!! 今でも、こんなにっ!!」
反撃の、マゼンタの蔦。
顔面目掛けて横薙ぎに飛んできたそれを、僅かに掠って躱すアクエリア。蔦が掠めた頬は、少し抉れて血が垂れる。
素早さは、マゼンタの方が一枚上手だ。仕掛けられた二撃目を完全に躱しきれずに、胴に受けるアクエリア。
「っが、ぐっ……!?」
横腹に受けた二撃目は、威力こそ下がっているもののアクエリアの体を真横に吹き飛ばす程には強力だ。飛ばされた先の壁で、その手足を拘束するように周囲の蔦が取り囲む。
「っ……このっ……! 俺に、触るなっ!!」
大きく身じろいだアクエリアの四肢から炎が噴き出した。怒りが捻り出す掠れた魔力は蔦の大部分を焼き切った。それでも離れない蔦は無理矢理引き剥がす。
床に着地したアクエリアは、次に雑草の歓待を受ける。体中にわさわさと触る葉の感覚に耐え切れず、その場から走り出す。
「っ……休憩も集中も出来ない、かといって攻勢にも回れない! ちょっとディルさん、何とかなりませんか!!」
魔力の枯渇したアクエリアなど、この中の誰よりも弱いだろう。自身の身を守る術はあれど、武器さえ無くては攻勢に転じる術が無い。
声を掛けられたディルもディルで、短刀ひとつで身を守るのに精一杯だ。妻がこんな心許ない刃物ひとつで敵と対峙した事を思えば、その胆力に感嘆せずにいられない。
「機を見ている。邪魔をするな」
「貴方それでよくデカい態度取れますねぇえ!?」
大声を出したアクエリアだが、叫ばれたディルは知らない振り。握る短刀を振り、首を狩らんとする勢いで自分に向かってくる蔦を切り刻む。
切れ味だけは良い短刀は、何本蔦を切ろうが刃先の鋭さを保ったままだ。
はらはらと落ちる緑色の欠片達の向こうに、ディルの白銀が光った。
「我は、この草を屠る為に来たのだ。妻に逢う最後の障害を取り除く為の。黙って見ていろ」
「――あ、あああ、ああああああああああああああぁあああ本当にもうっ!! 勝手な事を、偉そうにべらべらとっ!!」
「良く吼える草だ」
とはいえ、ディルだって決定打になるような作戦は無い。これは言うとアクエリアがまた煩いので黙っている。
激昂して無駄な動きの多いマゼンタが疲れ果てるのが先か、戦力に乏しいディルが体力を削られるのが先か。
ディルが防戦に努めている間にも、マゼンタは謁見の間にある柱をなぎ倒している。天井がみしりと音を立てた。
「……残り時間は少ないか」
この謁見の間まで崩落してしまえば、ディル達の命が危ない。
手ぐすねを引いている間にも、マゼンタの体は膨らんできているようだった。ヒトとしての体を保てている部分ではなく、植物と化した部分が、だ。よく見れば、根の部分が死体を養分として吸収しているようだった。
その死体の中に、昔に見慣れた黒髪の男がいるような気がした。
「………」
ずる、ずる、と根によって引きずられてはその中に取り込まれる。それが黒髪の男の死体――エンダの番になる前に目を逸らす。
これ以上マゼンタに養分を与えるのも危険だ。
強行突破するしかないかと、ディルが短剣を握り締めた時。
「――ディル!」
後方で待機していた、ユイルアルトとアールリトから声が掛かる。
振り返った時、彼女たちは走って近寄って来ていた所だった。直ぐ側まで来ると、アールリトがディルの腕を掴む。そっちの手に握られているのは、アルギンの短剣。
「……どうした。今は危険だ」
「アクエリアさんっ!! 一分時間稼いで!!」
「はぁ!?」
ユイルアルトの言葉に、驚愕と不満が入り混じったアクエリアの声が帰って来た。
急に行動を起こした女性二人についていけないディルは、二人が短剣に手を翳す所を黙って見ていた。
「――『水の精霊』、お願い、言う事を聞いて」
「――『パルフェリア』」
それぞれが詠唱に似た言葉を口にする。拙い魔法使いの二人が発現させる魔力は、ディルの短剣の刀身を細く、鋭く、長く変えていく。
アールリトは水を刀身の形に保つ。
ユイルアルトは腰に隠して下げていた小瓶から何かを振りかけて、それを凍らせる。
先程までディルが持っていた、彼の剣の大きさに。
「……扱いを安定させるまで、少し手間取っちゃったわ」
「それでもすぐに扱えるようになるなんて、凄いですよアールリトさん」
ディルが剣を掲げる。既に短剣とは言えない長さの、気泡も入っていない氷の刃。
「ヴァリンさんと私の『約束』を、どうか、お願いします」
「お願い、ディル。もう貴方にしか頼めないの」
「……」
ひゅん、と空を切る。ディルが使っていた剣よりも軽い。
あとは耐久性の問題だが、その心配はいらなかったようだ。
「危ないっ!!」
ユイルアルトの叫び。振り返ったディルはそのまま剣を振ると、刃先が襲撃してきた蔦を捉えた。
振り抜いただけで分断される蔦は、三人に攻撃を当てることなく床に落ちる。
「――殿下、ユイルアルト」
鞘に仕舞う事も出来ない剣だが、最後ならばこれでいい。
悪逆の女王崩れを屠る事が出来たら、すべて終わるのだ。
「感謝する」
ディルの感謝は、二人にも述べられた。
笑顔を浮かべたアールリトは、そっと口許だけに笑顔を浮かべる。それから、ずっと所持していた物を手に取った。
死んだヴァリンが持っていた、王家に伝わる細剣だ。
「ディル。援護、出来る範囲でするわ。元はと言えば身内の不始末ですもの」
「……殿下は、剣の心得があったのかえ?」
「私もお兄様の妹よ。誇り高い騎士の妹が弱くちゃ、話になんないわ……よっ!!」
先に走り出したのは、アールリトだった。
駆けながらシスター服の裾を膝丈まで破る。露わになった膝頭が大きく曲がり、マゼンタの左側に跳躍する。
「アクエリアさん! 交代しましょう!!」
それまで青い顔をしたまま、退避と僅かな魔力での攻撃に専念していたアクエリアがアールリトの声に振り返る。
跳躍した彼女の膝下に見える肌の色は、プロフェス・ヒュムネの混ざり子の証である葉緑斑で緑色になっていた。
確実に、プロフェス・ヒュムネであるミリアルテアの子供。そしてその父親は。
「………」
彼女に流れている血の半分は、自分と同じものかも知れない、と。
アクエリアは返事も何もしないまま、そっと後退した。
「アールリトぉおおっ!! 今までの恩も忘れて、貴女はぁっ!!」
「押し付けられていい気分はしないわね!! 叔母様のそういう所、大っ嫌いだったわ!!」
アールリトに襲い掛かる蔦。それを下に向かっての水の噴射で避けた。
飛び上がって猫のようにくるりと身を翻し、再び水の噴射で空中を自在に移動する。
「このっ……! 混ざり風情が純血に勝てると思ってるの!?」
「その優性思想も大嫌いですね!! プロフェス・ヒュムネばっかり昔から考えが凝り固まってて馬鹿みたい!!」
「何ですってぇ!?」
細い蔦の数本であれば、アールリトだって容易に切り捨てられる。王子騎士であるヴァリンが大事に引き継いで来た王家の細剣の切れ味も最高だった。
自分が思っていた魔法より、もっと簡単で扱いやすい空中移動。咄嗟の動きには反応が遅れるが、天性とも言える戦闘の才能はヴァリンにも負けていない。
「――ふん」
アールリトは、誰が父親であろうと確実に、ヴァリンの妹だ。
ディルも、アクエリアも、それだけは深く感じている。
あれだけ意地を張る生真面目な本性の男を、こんな所で失ったのは辛い。辛くて、悲しい。
ここ数年でディルも理解出来たその感情を込めて、鼻を鳴らした。
「アルギン、共に征くぞ」
短刀の柄を握れど、その先に在るのはアールリトとユイルアルトの特製の氷の刀身だ。
妻の刀身は氷の中に閉じ込められている。氷の刀身を支えているように。
「――『移動』」
ディルが呟くと、アクエリアの魔力で満たされた義足の魔宝石が眩く光る。服の上からでも分かるそれが、マゼンタの視界に入った。
「……なに、それ。光ってる、それ、まさかそんな所に魔宝石仕込んでるの?」
一瞬だけ怒りを忘れたような顔。それが、暫くの後に嘲笑に変わる。
「……っくく、……は、あは。あははははははははっ!! 何よそれぇ!! そんなとこに仕込んでるなんて、本当に人形じゃなぁい!! まさかそんな体だったなんてねぇ!? アルギンさん、人形を夫に迎えてたのねぇ!!」
それは、ディルの心を今でも抉る言葉。
自分だけでなく、妻をも嘲る禁句だ。
一瞬だけ理性を失いそうになるディルの心だったが、それは手の中の短刀の柄を握り締める事で耐える。
ディルの足が床を蹴る。
床から足が離れてマゼンタへと近づくごとに、義足の魔力が呼応して速度が増加していく。
「――訂正を要求しよう、マゼンタ」
静かな怒りは、それでもまだディルが冷静な事を示していた。
怒りに身を任せているだけでは、決して守れないものがあると過去に知った。
マゼンタだってディルを黙って見ている訳では無い。迎撃しようとした。しかし、その為の蔦をアールリトに斬られてしまう。
「ディルの邪魔はさせない!」
アールリトが居る逆側の蔦は、アクエリアが火を点けた。燃やし尽くすまでは出来ないが、鬱陶しいダークエルフの炎だ。
「そろそろ、御終いにしましょうよ――マゼンタさん」
アクエリアは少し離れた柱の残骸に背中をつけて、息荒くマゼンタを見ていた。
二方向からの邪魔が入ってディルにまで反応する事が出来なかったマゼンタは。
「あ、……っぐ……!?」
まだ完全に植物にはなっていない胴に、深々と、氷の刀身を受け入れてしまった。
「貴様の死を以て、無礼の訂正としよう」
短剣の柄近くまで刺さる刃が、ぐり、と斜めに捻られる。傷口から噴き出したのは血ではなく、彼女の体の中を流れる水だった。
「っはあ、あ、あああっ……あぐ、が、っ……!!」
憎しみ籠めて傷を広げるディルの手。
何度か捻り続けていると、氷の刀身が短剣から割れて外れた。
「――我は、ヒトである。妻が我を、そう変えたのだ」