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276 終わりの鐘


 廊下を進む四人は、違和感に気付いていながらも無言を貫いている。

 確かにこれまでも城内には、外から入り込んだらしい蔦が見えていた。雑草のようなものまで生えているのは、この場所がプロフェス・ヒュムネの領域だからかと思っていた。

 しかしテラスから戻って来て、廊下を進む四人の目に飛び込んできたのは、廊下の床や壁、天井さえも埋め尽くそうとしている量の蔦。

 踏むのを躊躇う四人の足許で、今も尚伸びているのか葉が動いた。


「……旗は、落とした。王妃は既に居らぬ。暁は奈落に堕ち、二度と戻らぬであろう。カリオンとて、戦線に復帰など出来ぬ傷を与えた心算だ」


 名を挙げた三人は、ディルにとって目下強敵と踏んでいた面々だ。倒す難度に違いはあれど、この三人を処理しなければ先に進めないと思っていた。

 後は妻を奪還するだけ――だと、思っていたディルだが、この城内の緑の茂り様には違和感を覚える。

 考えたくも無かった話だ。

 まだ、倒さなければならない敵が居る。


「城内で此れ程の蔦の侵食が可能なのは、誰が居ようか」

「……蔦、ってなると微妙ね。種の能力に関係するものだし、……お母様は、確か蔦の発現は出来たって聞いたけど」


 王女が言葉尻を窄めるのは、ディルに遠慮したから。

 母を殺されたという話に、悲しみはあれど恨んではいなかった。復讐に囚われた母を止めることが出来たのも、死だけだと感じていたから。

 俯きながら後ろを付いてくる王女に、ディルは視線を少しだけ向けていた。


「……殿下」

「な、なに?」

「殿下は種を摂取して暫く経った。其の後、他に変化は無いのかえ」

「……変化、って言ってもね」


 自らの掌を見ても、何かが変わった気がしない。

 しないのに、新たな能力は確かに宿っていた。


「……」


 試しに、念じながら手を誰も居ない壁際に向けてみる。市井のような労働を知らない細い指でその場でくるりと円を描くと、白い光が指先の軌跡のようにその場に留まった。


「……」


 再び念じるだけで、光は急速に収縮していく。眩い光を放つ小さな光は、壁に細く水を噴き出した。威力を持つそれは掘削工具のように壁に穴を開ける。


「……植物、扱えないけれど。こういうのだけは、出来るようになったみたい」

「そうか」

「………」

「……」

「……………」


 ディルも、アールリトも、アクエリアも。

 誰とも視線を合わせようとせず、言いたい事があるのに押し黙る。

 自分が口を開くことで、気まずい話に触れてしまうのではないかと思っている。

 アールリトはアクエリアに遠慮し、アクエリアはアールリトに遠慮し、ディルは珍しく二人に対して気を使っていた。

 混ざりのプロフェス・ヒュムネとはいえ、明らかに他と違う能力を持っているのが不思議なのだ。

 まるで、こんな――エルフ達が使うような、無詠唱魔法のような能力なんて。


「お母様が知らないままで、良かったのかも知れないわ。プロフェス・ヒュムネの王族の娘が、植物さえ扱えないだなんて笑い話にもならないから」

「……」


 アールリトが呟く自虐に、気の毒そうな視線を投げているのはアクエリアだった。

 けれど、今更何かを言うつもりは無い。彼女は、過去に愛した女が産んだ子供で、ちゃんと他に父親と呼べる男が居る。

 アクエリアは黙したままを選んだ。アールリトに向かって何を語ろうと、いい結果を呼びこまないと思ったからだ。


「ですが、これも本当にプロフェス・ヒュムネの能力なんですか? 私、近くで見たことないから」


 ――不思議ですね。

 ユイルアルトは続けてそう言おうとした。言いながら、近くにあった蔦に手を伸ばす。

 その蔦の葉が大きく開いて、伸ばされた手に齧りつこうとしたところをユイルアルトとアールリトだけが見た。


「え」


 そんな不注意をユイルアルトがするとは思わず、一拍遅れて視線を向けたアクエリアが目を瞠る。

 アールリトも同じ考えで、植物がユイルアルトに牙を剥いた所を何も出来ずに見ていた。 

 ディルが声の方角に振り向いた時、全ては終わっていた。


「……あ」


 ユイルアルトの手を狙って食いつこうとした葉は、その柔肌に傷をつける事も出来ずに凍り付く。

 刺さる筈だった毛茸(もうじ)の棘は肌の上でぼろぼろと崩れ、葉すらも小さな欠片となって床に落ちる。

 狙われたユイルアルトは目を瞬かせるだけ。凍った葉が落ちて来た手の甲を撫でて温めながら、今起きた事を脳内で整理しようとしている。


「ユイルアルトさん!! 大丈夫ですか!?」

「……え、ええ。大丈夫、です。大丈夫……」

「これは、……一体。ユイルアルトさん、貴女はヒューマンでしたよね?」


 一番に声を掛けたのはアクエリアで、駆け寄って手を見たのはアールリト。

 誰の目から見ても傷の一切無い掌には、アールリトが触れた所で葉のように凍り付きはしない。


「……パルフェリアさんから、貰った魔法です。五回だけ使える氷の魔法は、私の身に危機が訪れる時は、勝手に発動する、と」

「発動? パルフェリアって……もしかして、エルフの女王様ですか。魔法の残り回数は」

「……あと、二回です」


 驚きから落ち着いて来た面々は、ユイルアルトの無事に安堵した。

 残念そうな顔をしているのはユイルアルトだけで、彼女は魔法を無駄に使ってしまったと悔いている。

 安堵と後悔に揺れる三人を余所に、ディルだけはユイルアルトを襲おうとしていた植物を見ていた。

 氷の侵食はまだ止まっていない。葉から先の蔦までもが徐々に凍り付いていた。

 植物達も氷漬けにされる時を何もせず過ごす訳では無い。それまで無害そうに装っていた廊下全面の蔦が、一斉に廊下の向こうに向かって逃げ始めた。


「……」


 床や壁を削るような音が鳴る。それだけで殺傷力を持つ、緑色をした化け物の一部が逃げていく。

 統率も取れているか分からない植物の異形だが、本能的な危機感はあるのかも知れない。

 ヒューマンであれば、逃げるとしたら何処へ逃げる。これまで、戦争で対峙した者達は何処へ逃げた。


「――此の先に親玉が居るか」


 自分達の司令塔が居る場所では無いのか。


 ディルの思考がそれに辿り着いた時に、劈くような鐘の音が響いた。

 がらん、ごろん、がらん、ごろん、と、鼓膜に響いて破りそうになる重低音。四人が四人とも、耳を塞いで身を屈めた。


「「っな、急に何ですかこれ!?」」


 同時に同じ事を吼えたのはアクエリアとユイルアルトだ。脳天まで揺さぶられる感覚に、口から出るのは悲鳴より怒号だ。二人は声が重なったのに気付いて、目を丸くした同じ表情で見つめ合う。

 ディルさえも、鐘の音に掻き消されて二人の声がよく聞こえない。


「っ……こんな音が鳴る鐘なんて、城には、ひとつしか無いのよっ……!!」


 鳴らすべき者の手に因らない、いい加減な鐘の音色。耳障りな音にアールリトが歯噛みした。

 国王が見送られた時の、葬送の鐘の音だ。こんな風に、幼子が叩いて遊ぶ打楽器のようないい加減な音色を出して欲しくなかった。


「……喧しいのは好かん」


 葬送の鐘が鳴る。

 王妃を含み、城で何人も死んだのだ。弔いにしては乱雑な音だが、趣旨としては間違っていない。

 では、この不愉快な音は、誰が鳴らしているのか。


「鳴らす悪趣味を、我は一人しか思い浮かべる事が出来ぬ」

「……もしかしたら、私も同じ人を思い浮かべてるかも知れないわ」


 ディルの言葉に続くようにアールリトが呟く。鐘の音の間に王女の声が聞こえて、ディルが目を細める。

 自分が口を開いた時には、煩い程の音が鳴っていたのに。それが、彼女には聞こえていた。


「……其の一人を倒さねば、『良くない事』が起きかねぬな」


 先程まで蔓延っていた蔦といい。

 下手糞に鐘を鳴らす悪趣味といい。

 人を嘲笑う事が好きな、黒髪の女の姿がちらついてしまう。


「――マゼンタ」


 この人物の相手が、最後の戦闘になればいい。

 これ以上の戦闘は、ディルの体も限界を迎えそうだった。

 アクエリアの魔力も気力も尽きかけている。けれど道の先を見る限り、そうも言っていられないらしかった。

 先程蔦が逃げて行った廊下の先から、倍以上の新手が伸びて来る。

 数も太さも段違いのそれらが、床や壁を這うおぞましい音を立てて近付いて来ていた。


「あの女は、王妃死して尚も未練を断ち切れぬのか。――アクエリア、処理を」

「……結局俺ですか」

「此の数は骨が折れる」


 対処できるのは、アクエリアだけだ。

 都合よく押し付けられたアクエリアは舌打ちひとつと文句を残す。


「貴方が剣をあのクズにくれてやったから戦えないだけでしょうが! 本当貴方は後先考えないんだから!!」

「アルギンの短剣は残っている」

「そんな短小が何の役に立つんです!?」


 それでもディルの前に出るアクエリアは、本気で怒っている訳では無い。

 自分だって、早く終わるならそれがいい。早くミュゼの許へ帰りたいと思っている。

 まだ、彼女の息があるうちに。


「……後からちゃんと御礼して貰いますからね」

「無事に終わればな」

「ったく、この男は」


 アールリトとユイルアルトは、自分達の前に立つ二人の後方で身構えている。自分達の身に危険は無いと信じているが、万が一の恐怖を僅かにも感じていた。

 男性二人は、そんな彼女たちに振り返る事もしない。


「後から忘れた振りしたって、許しませんからね」


 アクエリアが斜め下へと手を振ると同時、腕の動きを追って火炎が尾を引いた。

 ダークエルフの魔力はディルを焼くことはしないけれど、彼が敵と見做した相手はその限りでは無い。


「しっかり燃えて貰いましょう。灰が道標となって、親玉さんの居る場所に案内してくれるでしょうしね?」


 アクエリアの腕を巻く火炎は、彼が腕を前に出すと業火となり、その方向へと放射された。床に壁に、と渦を巻くように吹き荒れて奥へと進む。

 炎は蔦を呑み込み、燃やし、四人が歩む為の道を拓く。アクエリアの魔力の限界が来るより先に、四人は蔦の出現場所まで辿り着いてしまった。


 ――アルセン王城、謁見の間。

 ディルが最初に行動を起こした場所だった。


 その扉は、蔦達が出て行く為に開いたそのままだった。

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