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 城下出身ではなく騎士の事を殆ど知らないジャスミンとユイルアルトの為に、フィヴィエルによる騎士団の講座が即席で行われた。


 アルセン国に存在する騎士団は三隊から成る『鳥風月』。かつては『花鳥風月』という四隊で構成されていたらしい。

 『鳥』隊はフィヴィエルの所属する隊。カリオンという名前の騎士隊長は騎士団全体を指揮する騎士団長でもあるらしく、この隊の上級騎士は謁見の間や王家居住区を護衛するという。

 『風』隊はヴァリンが副隊長を務める隊。エンダという名前の隊長を頭に据える隊はその名に違わぬ機動を活かした活動をする、とぼんやりとしたことしか教えて貰えなかった。

 『月』隊は神職を兼任する者が大多数を占める騎士隊。今隊長を務めているのは、かつてマスター・ディルの下で副隊長をしていた神父だそうだ。

 そして今は消失した『花』隊。隊長と副隊長が同時に戦死し、また騎士団全体が戦争による死者が多かった為に解体され、生き残った所属騎士は他の隊に再編成されたらしい。


 戦場には『花』隊長の死体は無かった。ただ、夥しい量の血液と、左腕の肩から先が戦場に残されていた。血の量から、遺体確認の前に死亡と判断された。

 ソルビットの体はあった。まだ、その時は息もあった。けれど、それまでの美しさがまるで打ち捨てられた紙屑のように見るも無残な姿になっていて。


 『花』副隊長の体を抱き上げて、自分が血塗れになろうと、その命を生かそうとしたのは他の誰でもない、ヴァリンだったという。


 『花』隊長の遺された部位を見たディルは。


 それまで、誰も聞いた事の無いような声で、慟哭したそうだ。




 ユイルアルトはその話を聞いた後、眠れそうになかった。眠れないのはコーヒーのせいかもしれない。隣で横になっているジャスミンも、何も言わなかったが目を開けている様子で。


 想像もしていなかった過去が、マスター・ディルにもヴァリンにもあった。


 マスターの過去については、既婚だったという話しか知らない。相手がどんな女性で、どんな別れ方をしたかなんて聞いた事が無いし、聞くつもりも無かった。聞いても彼はきっと、教えてくれなかっただろうから。

 実のところユイルアルトは、あの不愛想で甲斐性のなさそうなマスターの姿から、配偶者から離縁を言い渡されたのではないかと邪推した事さえあった。

 それから小一時間経っただろうか。フィヴィエルは既に仮眠に入ったらしく座ったまま舟を漕いでいた。ジャスミンも目を閉じていて、寝ているのだろうと思ってユイルアルトが音を立てず起き上がる。

 いつもならば少しでも体と頭を休めようと目を閉じているのだが、今日に限ってはそんな気分にはならなかった。


「………」


 ユイルアルトが馬車の前方に視線を向ける。

 幌馬車の中で三人がしていた話は、ヴァリンに聞こえたかどうかは分からない。彼に配慮して小声ではあったし、外を走る木製の車輪の音に掻き消されているかも知れない。そもそも聞こえていたのなら、不愉快に思ったら途中で話を止めさせに口を挟むような男だ。

 ユイルアルトは、馬車を進ませるヴァリンの背中を見た。

 そしてそのヴァリンの隣にある荷物の上に位置付き、彼の肩に頭を寄せるようにして隣に並んでいるルビー、否。ソルビットの後ろ姿を。


 まるでそれは心が通じ想い合う男女のような光景だった。

 例えそれが、ヴァリンの目には見えていないとしても。




 二日目の朝は、馬車停止の揺れで三人ともの目が覚める。

 朝というには早すぎる。まだ空の色が変わったばかりで、朝日の光も拝めない時間だ。

 ぶるる、と前方で馬が顔を振る声が聞こえる。眠気に霞む目で見た御者席に、ヴァリンの姿は無かった。


「……もう朝……?」


 ユイルアルトの隣で、寝惚け眼のジャスミンが目を擦りながら起き上がる。赤い瞳は寝不足を物語っているようだ。ユイルアルトだって殆ど眠れていない。口元に手をやって欠伸を噛み殺す。

 その時馬車後部から目隠しに張ってある布を掻き分け、ヴァリンが姿を現した。


「フィヴィエル、起きろ」

「既に」


 フィヴィエルはもう起きていて、ヴァリンの姿が見えると馬車の中で傅いて指示を待っていた。

 ヴァリンは女性二人に気を使ったのか小声だが、フィヴィエルは早い時間だというのに声に張りがある。寝起きに聞きたい声とは思わない。


「森と草っぱらがある、今のうちに薪に使えそうな枝を拾って来るぞ。川もあるから水の補給、それから馬に休憩。……なんだ、ジャスミンもユイルアルトも起きてるのか」


 ヴァリンは馬車の奥側を見て、女性二人も目を覚ましているのに気付く。それなら話は早い、とばかりにヴァリンは声を小さくするのを止めた。


「淑女の身支度には時間が掛かるんだろう? 俺達は少し森に用事があるから、その間に支度を済ませるといい。覗き見る趣味は俺達には無いから安心していいが、周囲の警戒だけは怠るなよ。魔物の類は女の裸より血肉の方に興味があるだろうからな」

「……あまり聞きたくない冗談ですね」

「冗談で済むと思ってるのなら、その反吐が出るまでの純心さをどうぞ忘れないでいて欲しいものだ。勿論、その純心さが引き起こす事故に関与するつもりは無いぞ」


 軽口も程ほどに、ヴァリンがフィヴィエルに顎の動きだけで指示をする。フィヴィエルは一度頭を下げると、それに忠実に従い幌馬車を下りた。そのまま足音が遠ざかっていく。

 彼があまりに素直に命令を実行しようとするものだから、ジャスミンもユイルアルトも感心してしまった。


「……フィヴィエルさん凄いですね、寝起きだろうにあんなに迷いなく動けて。羨ましいわ」

「そうか? 騎士の位を戴くものなら、あの程度は普通だ。本来なら俺が顔を出すより先に馬車を下りていていい。全く、愚鈍な奴だ」

「愚鈍……。……そう仰いますが、その行動が出来ない人の方が多いと思いますけれど」

「まぁ、騎士がそれ出来なかったら敵兵に襲われて死ぬだけだからな」


 ヴァリンがさも当然のように放った言葉で、女性二人が硬直する。

 誰かの生き死にが身近にある裏ギルドでも、二人にとっては『死』は蚊帳の外だ。もし『死』を与える薬を作っていたとしても、それを飲ませるのは二人の仕事ではない。

 病気や怪我で誰かを看取る事はあっても、それは戦場とは違う世界。

 しかし、ヴァリンやフィヴィエル達のような騎士にとっては、それが常の世界。

 言葉を失ってあからさまに動揺している二人を見て、ヴァリンが意地の悪い笑みを漏らす。


「……そういえばお前たちは、騎士が嫌いとか言ってたか」

「……!!」

「嫌ってもいいが、騎士の矜持は刺激してやるな。国には命を、王家には忠誠を捧げた馬鹿ばかりだ。自分の親を馬鹿にされるよりもヤバいキレ方する奴もいるから下手な事言うんじゃないぞ」


 まるで二人を小馬鹿にするような言い方をしながら顔の前で手をひらひらと振る、その仕草はいつものヴァリンだ。ユイルアルトが昨日見た、儚げな表情は何処にも無い。

 ジャスミンは渋々支度を始める。風呂に入れないので清拭用の布巾と石鹸と、それから着替えと湯を沸かす用の小鍋も持って外に向かう。

 ヴァリンは、ジャスミンが幌馬車を出る所を邪魔しなかった。代わりに、手を差し伸べて支えるなんて事もしない。「足元に気を付けろよ」と優しい声を掛けても、それで終わりだ。

 ユイルアルトがジャスミンの後に続いて下りる時。


「森に行くって言っても」


 擦れ違う時にヴァリンの声が、ユイルアルトの耳にだけ届くように囁かれた。


「すぐ戻るから、……変な気は起こすなよ」


 それは何に関しての警告のつもりだったのだろうか。

 弾かれるように見たヴァリンの顔は逸らされていて、聞き返す前に体を翻して行ってしまった。その足元は砂利だというのに殆ど足音をさせず、姿は森の中に消えていく。

 ジャスミンが少し離れたところで、不思議そうにユイルアルトを見ている。

 ユイルアルトは、その場から暫く動けなかった。

 彼の荷物に対して考えている事を見透かしたようなヴァリンの言葉で、ユイルアルトの足元を地面に縫い付けられたような感覚を受けたから。




 水はあまりにも冷たく、顔を洗うだけで限界だった。二人は着替えてそれまで着ていた服を洗い、それから馬車に戻る。フィヴィエルの手によって竈が作られ火が焚かれていて、その竈の上にジャスミンが湯を沸かすために水を汲んで来たばかりの鍋を置く。薪を集めた騎士二人が戻るのは、その鍋の中の水が沸騰する頃。

 薪を二つの山に分けて縛り、それを馬車の中に放り込む。これでまたフィヴィエルの居場所が減ったわけだが、彼に文句はなさそうだ。

 ジャスミンが今日もまたコーヒーを用意する。四人分淹れたのだが、ヴァリンはそれを辞退した。


「俺はフィヴィエルと交代して今から寝る。……夜走る奴が寝不足じゃやってられないだろ」


 辞退理由は真っ当だ。余った一杯は、これからの時間起きているフィヴィエルが追加で飲むことになる。

 薪を集め、水を汲んだヴァリンは仕事を終えたとばかりにのろのろと馬車の中に入って行く。それまでフィヴィエルが使っていた場所で、同じ様に幌に背を預けてあっという間に寝入ってしまった。

 フィヴィエルは馬の食事の為に、開けた草原へと馬を連れて行ってしまった。朝日が昇ると、薪の節約の為に火を消した。徐々に気温は上がっていって、女性二人だけが時間を持て余すことになる。


 そうなると、気になるのはやはりヴァリンの荷物だった。


「……ねぇ、ジャス」


 荷物は再び移動され、眠るヴァリンの傍らに鎮座している。

 今はもう手を伸ばすことが出来ない荷物だが、その中身をジャスと話し合うことくらいは出来る。


「どうしたの、イル?」

「ヴァリンさん、あの荷物絶対手放しませんよね」

「荷物? ……あの大きい奴?」


 ジャスミンも荷物の事は把握していたらしい。その中身が何かを知ってるかと聞いても、返るのは「知らない」とだけ。

 二人ともまだ幌馬車には入らない。ただ目隠しの布が開け放たれ、幌馬車の後方部で外気に気持ちよさそうに眠っているヴァリンの姿を外から見る事は出来る。寝ている姿は無害そうで、持ち前の美しい顔の造形が際立っていた。顔色に見える疲労さえなければ、手放しで美貌を褒められるだろう。こうして寝ているか黙っていてさえくれれば。

 そんな彼の傍らに置かれた荷物の中身がどうしても気になる。ソルビットに聞いてもヴァリンに聞いてもはぐらかされてばかりで、一介の騎士に過ぎないフィヴィエルがあの中身を知ってるとは思えない。


「大事そうに側に置いてるんですよね……。そんな貴重品なのでしょうか、中身」

「そうねぇ……、でもこんな依頼の護衛に貴金属は持ち歩かないだろうけど。あれ、ヴァリンさんそんなに重そうには持ってなかったよ」

「重くない……って言ったって、ヴァリンさんは騎士ですからね。私達とは段違いの筋力をお持ちでしょうし」

「限度があると思うけど。お金とか宝石とか、そんなのじゃないのは確かよ」

「それは何故?」


 断言したジャスミンに、ユイルアルトが反射的に聞いた。


「……そうだったら重いもの。馬車の馬が一頭だけじゃ牽けないわ」


 答えは簡潔で、その一言にユイルアルトも納得がいった。大人の男女が四人とその荷物が一緒なら、確かにこれ以上重量が増えた場合の馬の負担も考えなければならない。

 でも、あの荷物が軽いとしても、その中身が分かった訳ではない。中身は何だろうね、と二人で顔を合わせて悩んでいると。


「『宝石』だよ」


 声が聞こえて二人で身を竦ませてしまった。

 ヴァリンが片目だけ開けて二人を見ている。深い海を思わせる藍色の瞳の片方だけが二人を見ていた。


「俺だけの『宝石』が、中に居る。……これで満足か」


 ヴァリンの答えは二人の考えをひっくり返すものだった。しかし、話を聞かれていた気まずさに二人とも視線を逸らしてしまう。暫く無言だった三人だが、ジャスミンとユイルアルトの反応がそれ以上無いと分かるとヴァリンは再び寝に入ってしまう。

 まさか徹夜して疲労最大の筈の彼が起きて話を聞いているなんて思わなかった。ヴァリンが眠ると、二人はまた顔を見合わせる。


「……宝石?」

「宝石」


 二人はそれ以上何も言えなくなった。持ち主であるヴァリンがそう言うのなら間違いは無いのだろうが、どことなく不自然なヴァリンの言葉に違和感を覚えるのもまた事実。


 『入っている』じゃなく、『居る』と言ったヴァリン。

 何となく薄ら寒いものを感じ取ったユイルアルトは、視線でソルビットを探した。

 彼女はやはり聞きたい事がある時だけ、姿を現さない。



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