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274 死んでもお前は許さない


 糸を張り巡らされたテラスは、暁優勢で事が進んでいた。

 二人が動こうとする度に、暁は全て見透かして仕込んでいたかのように次々と糸を切る。

 爆発物が仕掛けられているだけかと思えたそれらは、様々な仕掛けを伴っていた。


 切る角度によって方向を変え、破壊力を持った糸先が飛んでいくもの。

 切った根元から凶器が飛んで来るもの。

 魔宝石が括りつけられており、切ったものに魔法が発動するもの。

 仕掛け弓が装着されたのもあり、アクエリアとディルは全てを避けなければならない状態。

 ディルが暁に向かって振り抜いた筈の切っ先が、糸のひとつを切った時に向かって来た糸先で、ディルの服が破けた。


「っ、!!」


 幸い、腹が貫かれる事まではなかった。しかし肌を掠めて床に血の花が咲く。ぱたたっ、と血が散って、思わずディルが足を止めて身構えた。

 足の具合も、先程から悪い。いつもと違う魔力が貯蔵されたせいか、動きに癖がある。捻くれ者の魔力保有者そのままの、曲げ伸ばしに苦労する抵抗を感じる。こればかりは、義足使用者でないと分からない感覚だ。アクエリアに文句をつけた所でお門違いだろう。


「ディルさん、大丈夫ですかっ!!」


 アクエリアもアクエリアで、空から攻めようとしたところで糸の束に妨害される。

 アクエリアが触った時にはすぐに切れたような糸でも、暁の指先は近場のそれを一束に纏めて盾の代わりにする。

 それ自体に防御力など無いが、少しでも魔力が掠めてしまったら、途端に凶事の嵐となる。

 にぃ、と唇を歪めて濁った緑を覗かせた暁が、剣を握っているままの指先だけで一本の糸を切って見せた。ふつり、と綿を断ち切るような指の動きなのに、断ち切られた糸は勢いよく根元に巻き取られる。


「っ、な」


 回避は不可能な距離だった。

 避けるよりも体を庇う。無詠唱で風の精霊に防御陣を張らせた。衝撃はあるが、受ける傷は殆ど無いもの。アールリトとユイルアルトの二人に張って、なんとか無傷で済ませられたのもこの魔法のお陰。

 全身を不可侵の防御陣で包んで、切られた糸から齎される狂気に身構える。

 間もなく飛んできたのは、魔宝石でもなく、凶器でもなく、確かに『狂気』だった。


「……え?」


 ひゅん、と音をさせながら飛んできたのは、小瓶というには少々大きい瓶だった。根元の両方から一本ずつが飛んできて、それがアクエリアのすぐ側でぶつかり合い、割れる。透明な液体が勢いよく周囲に散った。

 暁がただの水を仕掛けている訳が無い。嫌な予感が襲うが、今のアクエリアには回避という選択肢はその時には無かった。

 風の防御陣はその場で空気を撹拌するように、アクエリアの所までは害ある物体を寄せ付けない。

 しかし、それはアクエリアに限った話だった。 

 弾かれた液体の一部が、ディルに向かって飛んでいく。飛沫までは避け切れないディルが、ほんの一部を浴びてしまう。


「っ……!?」


 服にだけ掛かったそれらの違和感に気付いたディルが、すぐさま着ていた服を剥ぎ取る。上半身だけ脱ぎ去った服が焼けるような音を立て、飛沫の掛かった場所だけ穴が開いている。

 ばさり、とその場に捨てた服に、それまで隠されていたディルの体。あれだけ自堕落に過ごしていた割に、未だはっきりと身に付いている筋肉もそうだが、これまでの戦場で付いた傷も露わになる。時が流れて白く変わった傷痕が、盛り上がった肉として現れる。

 液体の侵食はまだ終わらなかった。床に捨てた服が暫くの間煙を立てていたが、それも少し待てば完全に止む。


「っはは、ディル様。素敵な体ですねぇ。そんな恵まれた体躯、全部を見る事が出来たのはアルギン様だけじゃないでしょうか?」


 揶揄する暁の言葉選びに、嫌悪感しか覚えないディル。

 気色の悪い、舐め回すような視線を体に受けては戦闘中でも顔を顰めてしまう。 


「当たり前ですよねぇ。そんな傷だらけで片足すらない不愛想な男なんて、あのお優しくて心の広いアルギン様しか見てくれなかったでしょう? アルギン様居なくなった時点で、貴方は死んでおくべきだったんですよ。あの方しか価値を見出してくれないんですから、今の貴方は無価値なのに!!」


 他人が一番言われて嫌な事を、暁は熟知していた。ディルに降り注ぐ嘲笑は、彼女のお陰で塞がっていた心の傷を無遠慮にこじ開けようとしている。

 自分の価値なんて、ディル自身に言わせてみれば最下層だ。体も精神も、およそ『一般』とは言い難い。誰かとの協調性なんて無いに等しい。与えられた全てが無ければ何も手に持っていない。

 アルギンがディルを選んで手を差し伸べなければ、独りで生きるつもりでいた。


 手を差し伸べてくれる存在との間に、愛を抱いたのはどちらが先か。


 ディルは彼女の存在無しでは生きられない。思い出に縋ってまで生きようとしたのは彼女がそう願ったから。

 彼女を追い求める自分を押し殺しきれないのは、今まで無いと思っていた感情が発露した途端に全てが彼女に向いているかのようだった。

 五感の全てが、彼女を欲している。

 ずっと。

 今までずっと、彼女を想っていた。


「自意識過剰な自分が選ばれなかった事実に、どれだけ無駄な怒りを抱いているのやら」


 ディルにとって、暁の憤りの全てが不快だった。妻さえも貶められているようで聞くに堪えない。

 こじ開けられかけた心の傷は、暁の全てを拒絶することで耐えた。


「此れ以上は汝の下らぬ話に付き合う気も無い。耳障りな音を出す口を閉じよ、さもなければ舌をも切り落とす」

「……」


 暁は無言で、ディルに冷ややかな視線を返す。

 暫く睨み合った二人だったが、暁が徐に手を口許へと運ぶ。指に隠れた唇は笑んでいた。


「――ああ、本当に」


 心からの嘲笑が、唇から零れる。

 もうディルは耳を傾ける事はないけれど。


「馬鹿、ですねぇ」


 誹謗と同時にディルが走り出す。張り巡らされた糸も少なくなった。仕掛けるなら今からだ。

 ピン、と暁が弾いた糸は弾かれた所から解れ、分かたれると同時に根元へ巻き取られる。同時に吹っ飛んで来るのは、騎士団で使用されていた錆びた剣。

 連戦の疲れもあり、ディルが躱す動きも精彩を欠く。意と反して荒くなる息が、ディルの疲労を告げていた。


「脳味噌まで筋肉で出来てるディル様も、そろそろ限界でしょ? ――心配しないで」


 動きが鈍くなる頃合いを狙って、暁が周囲の糸を纏めた。

 それは防御の為じゃなく、決着をつけるための行為。


「貴方達が死んでも、首から上が無事だったら再利用して差し上げますから!!」


 暁の手が剣を握り込み、纏めた糸の全てを断ち切った。細い糸も太い糸も、一絡げにして刃の餌食にする。

 断たれた糸は、一瞬切断面を揺らした。それから一気に根元まで巻き取られていく――筈、だった。


 洪水、よりも局所的な瀑布。

 秋だというのに体の芯まで凍えそうになる冷気。


「な、」


 暁さえも言葉を置き去りにして驚愕の表情を浮かべる。

 水は跳ね、意思あるが如くに集まり、それが秒を数えるごとに幾つもの氷の塔になっていく。

 氷の塔は、暁の切った糸さえも巻き込んだ。巻き取られようとする先から凍り付かせて動きを止める。

 切った糸だけではない。これから切られる筈の少し離れた糸でさえも、全て巻き込んだ氷の世界が広がる。


「マスターっ!!」


 ユイルアルトの声。


「早く、今のうちにっ!!」


 アールリトの声。

 尖塔を倒すために這い上がった城壁の上で、二人がテラスに手を翳して体を向けていた。


「私達じゃ、旗を落とせなかった!!」

「でも、このくらいなら出来るからっ!!」


 ――このくらい、などと。

 二人が謙遜するべきところは此処ではない。何が待ち構えているか分からない暁の罠に、対抗できる手段は二人だからこそ出来た事だった。

 アクエリアも二人の姿を見て、声を聞いて、状況を理解する。けれど状況を理解しようとする直前まで、二人の姿を見て硬直してしまっていた。

 ユイルアルトが魔法を使えているのは謎だった。彼女はヒューマンの筈で、しかも氷などという高等魔法を使役している状況だけでも思考が追い付かない。

 アールリトは――余計に、分からない。

 プロフェス・ヒュムネの能力は何度か見たことがある。しかし彼等は、今のアールリトがしているような能力は使っていない。

 これは、まるで、自分が使っている無詠唱の魔力のような。


「旗? ……ああ、あれですか」


 暫く自分の思考に頭が一杯になって、数秒の後に冷静になってから彼女たちの言葉に出て来た物体を視線で探す。

 女性二人が落とせなかった旗。――これは、使えるかも知れない。

 ディルに顔を向けたアクエリアは、金の髪を靡かせて指示を出す。


「今から三十秒以上、一分以内に。暁の動きを止めてください」

「承知」


 アクエリアのそれが何を示すのかは、今はまだ分からない。

 けれど。ディルは走る。床は滑るが、捻くれた義足で走るより早かった。

 床と、氷と、冷気。ディルの体には雪山に放り込まれたような寒気が直に肌に伝わるが、今は体の中で燃えている怒りの方が強かった。


 やっと、暁を殺せる。


「今此の時迄の我が怨みを、其の身に刻んで果てよ!!」


 振り上げたディルの刃。暁も構えて、双剣を手にする。

 しかしその足元は氷を踏み締めていて、思うように力が入らない。ともすれば滑りそうになる接地面が、暁に冷や汗を流させる。

 こんな結末は望んでいなかった。

 でも、覚悟は出来ていた。


「っ、刻めるものなら刻んで貰いましょうかねぇ!!」


 疲労が目に見えるディルと、まだ余裕のある暁。

 二人の刃がぶつかり合い、日のある最中に火花が見えた。

 鍔迫り合う二人の足許は動かず、動けず。

 ――そしてアクエリアは、空に居た。


「『雷の精霊』」


 アールリトやユイルアルトをも足下に見る高さまで上がったアクエリアは、小声で詠唱を始める。


「『迸る雷光の一喝 聳える塔も打ち砕く偉効に翳り無き神に申し奉る』」


 恨みも。

 悲しみも。

 アクエリアは今、この声に乗せる。

 以前、ミュゼの前で使おうとした時は止められた。まだ交際もしていなくて、ミュゼ自身に大して興味も抱いていなかった頃。

 それが今ではこんなに身も心も溺れているのだから、人の縁と言うものは不思議なものだ。


「『時の流れに置き去り喝采を忘却した賤陋なる者に今一度制裁を』」


 あの時は、考えもしなかった。

 彼女に妻となって貰いたいなどと。

 互いの時間が許す限り、これからも一緒にいたいなどと。

 もし彼女との子供が出来たら、きっと嬉しいだろうなどと。


 彼女を、永遠に喪うかも知れないなどと。


 アクエリアの手が、旗に向いた。

 彼の周囲でぱち、ぱち、と、高い音が鳴る。

 もうこの空間の中で、アールリトが放った水は凍り付いている筈だった。なのに、アクエリアの頬に熱を持つ液体が流れる。


「――っ、あああああああああぁあああああああああ!!」


 慟哭。

 アクエリアの喉が潰れそうになる程の、声に出る苦痛。びりびりと空気が揺れるのは、周囲の魔力が呼応しているから。

 旗に向いた掌から、まるで空に逆らうかのように雷が迸る。突風のような空気の動きさえ伴って、旗に向かう光の奔流。

 霹靂を受けた先頭は大きく光る。その根元は屋根ごと削られ、旗自体は黒に変色した。先程までたなびいていた国の象徴は見る間に崩れ、あとは支柱だけが残っている。その支柱も、崩れる屋根と共に地上へと落ちようとしていた。


「暁ぃ!!」


 見開かれたアクエリアの瞳。

 涙の雫が絶えず流れる頬。


「テメェだけは、死んでも許さねぇからなぁ!!」


 大音量の怨嗟が空に響き、アクエリアは旗に向けていた掌を握り込む。――途端、崩れかけた支柱が空中で動きを止めた。

 握った拳を、空間を殴りつけるように振る。すると支柱がその動きに合わせて、ぶん、と空中を移動する。

 その場にいた全員が息を飲んだ。支柱は遠目に見るだけでは細くて小さいが、それが近くに来ると驚くほど太くて長い。

 振るう武器よりも巨大な鉄塊が、ディルと暁の頭上にまで槍投げのように飛んできた。


「ディル!!」


 蒼白になる暁と、表情の変わらないディル。


「避けろ!!」


 具体的な指示もそれ以上無く、ただアクエリアは叫んだ。

 支柱はテラスに突き刺さり、大きく罅を入れて、床を大きく崩した。

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