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271 白昼の悪夢


 暁の戦果として、公的に残されている記録は十人以下だ。

 『月』の騎士の一人として戦争に出陣した時も、目覚ましい戦果は挙げていない。


 しかし、彼自身が手に掛けた命は戦果を遥かに超える。


 暁は、他人の命を軽んじる程度には邪悪であった。

 死にかけた人物が目の前に転がっていても助けない。

 それどころか、自分が必要と感じた都度に無関係の者を殺していた。

 父親も同じだ。寧ろ、父親の方が酷かったかも知れない。

 だから、暁にとって、それは当たり前の光景だった。

 血飛沫に染まる家の壁。

 材料の名前を言い換えただけの、人形や義肢の素材。

 『霊木』という名前を付けられた、若者の骨。

 『聖地の泥』という名前を付けられた、高位聖職者の肉片。

 『エルフの雫』と名前を付けられた、エルフの血液。

 『魔女の英知』と名前を付けられた、魔女と呼ばれた女の脳。

 それらが当たり前に存在していた家に生まれたから、暁の倫理観は有って無いようなものだった。

 暁を産んだ母親さえも、父の人形の材料になっていたのだから。


 暁がまだ幼い頃、戦地に向かう者達の姿を見送った事がある。

 戦列に加わる女の姿に視線を外せなくなった。

 鈍い銀色の髪をひとつに結び、まだ少女と呼べる若さを持つ、混ざりのエルフ。

 エルフというだけでも暁の気を引いた。その種族は滅多にヒューマンの世界と関わりたがらないが、エルフは暁達にとって『材料』だ。そういった意味合いを込めた視線で、その女を見た筈だったのだが。


「――……」


 暁の心は、その女に囚われてしまった。

 泣いたように目を赤くしながらも、唇を引き結んで戦列に並ぶ女は綺麗だった。

 女の表情が強がりであることは遠目からでも分かった。幼い暁が思ったのだから、近くに居た者だってそうだろう。

 でも、綺麗だったのだ。

 暁の邪心を掻き消す程に、彼女に心を奪われた。囚われた。

 だから、本来であればただ人形師である父の後を継ぐために研鑽すればいいだけの話を、騎士になってまで彼女の側に行こうとした。

 彼女の隣が、既に他の男に盗られていると知っても諦めきれなかった。


 だって、彼女は――アルギンは。


 暁が好意を露わにしても、拒絶の言葉ひとつ聞かせなかったから。




「綺麗でしたねぇ。初めてそのお顔を見た時から、本当に好きでした。内面知ったらもう離れられなくなりました。あんなに綺麗で可愛らしい人が、それまで独身って有り得なくないですか。ウチの為に独り身でいてくれたのかって思ったくらいです。誰も手を出さないなら、ウチが奪ってしまいたかった。ウチと結婚しておけば、あんなに苦労はさせなかった。誰よりも愛を囁いたし、好きになって貰えるよう努力した。望むもの全て捧げるつもりでいましたし、他の何も惜しくない程に――惹かれていたんですよ」


 空を見上げながら独白する暁は、その体を黒で纏めていた。

 髪は白だが、上下揃いの黒服は赤の縁取りがされている。

 テラスの入口から背を向けているその腰に、一対の双剣が下がっていた。その片方の持ち手は、スピルリナが着ていた服のものとよく似た布が巻かれている。もう一方の剣に巻かれているのは藍色がかった布の切れ端だ。


「好きな人を好きでいて、何が悪いんです。生きようが死のうがウチにはそんなの関係無かった。好きな人から愛されないのならいっそ、その人が死んでいてくれた方が楽になれた。アルギン様はウチを愛さないけど誰かを愛する事も無い。例えウチ以外と結ばれようが、ウチが愛してるだけで良かった。……でも、思ってしまったんですよ」


 王城に備え付けられた広いテラスで、舞台俳優のように腕を広げる暁。気味が悪いほどに、朗々と言葉を連ねる。

 冬になれば雪が積もる床は今、秋空の下に灰色の石作りの面を晒している。

 

「愛されない期間が長すぎて、ウチを愛するアルギン様が想像できないんですよ。俺を愛するアルギン様は、多分、俺の好きなアルギン様じゃない。ウチを迷惑そうに扱いながら、それでも近くに行っても許してくれる。ウチに愛を囁かない、綺麗なあの人をウチは愛した。……そう、愛しているんです。今でも、ウチはあの人だけを愛している」


 その独白を聞き届けたのは三人。

 アールリト。

 ユイルアルト。

 ディル。

 一番関わりが少なかったユイルアルトでさえ、独白の内容の気持ち悪さに眉を顰めている。

 扉から入った所で、三人は暁と対峙している。その表情は三様に複雑そうだ。


「……変わった趣味だな。我が妻に横恋慕しておきながら、愛されるのを望まぬとは」

「そういう愛もあるでしょう。ウチはずっと、貴方を見ていたアルギン様しか知らない。それでも好きだった。でもあの方を好きになったのはウチが先の筈だ。そこだけは今でも不愉快です」

「順番など関係あるかえ? あれが愛しているのは我だ。何があっても、アルギンの夫の座は誰にも譲らぬ」


 一人の女を巡る二人の男に、自分達の行動目的を見つけあぐねていた女性二人。

 ディルは剣呑な雰囲気を隠さないまま、二人に指示を出す。


「ユイルアルト、殿下。二人は旗を落とせ。手段は問わぬ」

「了解しました、マスター。……ですが」

「待って。ディルはどうするの?」


 女性二人の疑問は尤もだ。でも、敢えて聞かずとも分かりそうなものだ。

 ディルはその場で剣を引き抜いて、暁に切っ先を向ける。


 これまでの、六年間。


 ずっと、奴に苦しめられてきた。


「我は、あの痴れ者を殺す。二度と我が妻の名前も呼べぬよう、息の根を止める」

「うふふふっ。出来ますかねぇ。ウチだって、何の下準備も無くここにいる訳じゃないんですよ」 


 小馬鹿にするように微笑んだ、暁の姿に重なるようにして、日の光を反射する何かが見える。それまで憎しみで暁の姿しか見えていなかったディルに、漸くそれらが目に入る。

 細い線のような何かが、入口周辺を避けたテラス中に張り巡らされていた。普通にしているだけで目視で認められるものもあれば、角度によってやっと見えるものまで様々。

 糸による罠だった。その糸に引っかかってしまえば、何が起きるかも分からない。


「……用意周到なのね、暁。そういう所、卑怯で嫌いだったわ」

「おやぁ、アールリト次期女王陛下。そういう事言って良いんですかぁ?」


 暁は笑顔で、アールリトに顔を向ける。


「ウチ、もう宮廷人形師とかいう仕事にも飽きたんでぇ。ここで貴女に死なれても全然困らないんですよねぇ?」

「――……暁、不敬が過ぎるわよ。誰が死ぬですって?」


 激昂して今にも暁に襲い掛かってもおかしくない程に、アールリトの声が震えている。

 その苛立ちを分かっていて、ディルが彼女の目の前に制止するように腕を出した。


「殿下、急げ。旗を倒さねば、殿下の拒む犠牲が増えるだけだ」

「……ディル、邪魔しないで。私だって言われたままは耐えかねるわ」

「耐えられぬからと大局を見間違えるか。我の知っている国王陛下の御息女は、そのような教育を受けていないと思っていたがな」


 ディルの言葉選びは間違っていなかった。

 アールリトは大きく溜息を吐いて、唇を噛みしめる。父と信じた男の話を持ち出されれば、無理矢理にでも納得せざるを得ない。


「ちゃんと殺してね」

「承知」


 苛立ちを声に乗せたアールリトは、旗のある方角に顔を向ける。直線距離を見ても、途中に糸が引いてあるのが見えた。

 引っかかってしまっては、何が起きるか分からない。アールリトはユイルアルトの手を引いて、なるべく糸の少なく避けられそうな場所を選んで動き始める。最初は壁際に歩を進めた。

 二人が離れたのを見て、ディルが口を開く。


「暁。我は、貴様を殺さなかった事を後悔している。貴様の首を絞めたあの日に、懲罰房へ入れられようと殺しておくべきだった。であれば、アルギンを奪われる失態も犯さなかったろう」

「………。失態、ですか」

「我が妻に横恋慕した上、其の身柄を独占するか。気付けなかったのは我の失態であり、貴様の唾棄すべき思考だ」


 くく、と喉奥で嘲笑するような笑い声を出す暁。やや自棄めいた感情も混じっていたが、ディルは気にも留めない。留める必要が無いと思ってしまったから。


「『気付けなかった』のは、本当にそれだけですかねぇ……?」


 苦笑するように表情を歪めた暁。その瞼が普段よりも僅かに開き、濁った緑が姿を見せた。

 その濁った緑色は、周囲に張り巡らされた線のひとつを選んだ。色素の薄い撚られた糸のようなそれを、右手の指先でなぞる。愛用の道具を撫でるかのように。

 ほんの少しだけを撫でた手はすぐに止まる。止まって、逆の手は暁自身の背後に回った。


「汝の『愛』を、我は認めぬ。我が愛も歪だったと思えども、汝のような腐臭のする愛を認める事は出来ぬ」

「腐臭、ですか? ウチは貴方より若くて新鮮な自信がありますけれども。貴方が憎くて腐ってしまったかも知れないですが、それはウチのせいでも無いですしぃ?」

「自分の難を誰かのせいにするのか?」

「貴方のせいじゃないですか。アルギン様が苦しんだのも悲しんだのも、貴方が馬鹿だからでしょ。……ああ、可哀相なアルギン様。伴侶がもっとまともだったら、『あんな事』にならないで済んだのに」


 後ろに回った暁の左腕は、双剣の片方を握ったまま戻って来る。

 光る切っ先が、今まで撫でていた糸に向かう。


「独りで死ぬのは嫌でしょうから、皆道連れにしてしまいましょうねぇ!!」


 ――ばつん。

 糸が、普通の糸とは思えないような音を立てて断ち切られる。張り詰めていたものを切る音が、その場にいた者達の耳に届いた。

 切られた糸は、断たれた部分を尻にして片方だけが吸い寄せられるように、根元に巻き取られるようにして離れていく。その根元は、今まさにアールリトとユイルアルトが進もうとした壁際だった。


「え、?」


 二人が、目の前に切断面を晒した糸が巻き取られるのを見た。その糸はどこに向かっているのか、そこまで見る時間は許されていなかった。

 しゅるしゅると巻き取られる糸。断面さえもが何処とも知れない根元に姿を消した、その瞬間。


 テラスに響き、空気ごと床を揺らす爆発音。


 黒煙と小さな石の破片を散らした爆風が、ディルに吹きつける。

 爆発箇所は、糸が巻き取られていった根元からだ。暁が仕込んでいた仕掛けに、巻き取られる糸がそれ以上無くなると同時に作動した。

 爆発は一瞬の事で、女性二人の姿が見えなくなる。


「――殿下!! ユイルアルト!!」


 ディルの叫びは、濛々と立ち込める煙の中に空しく吸い込まれていった。


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