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269 惨状


 拾った剣を鞘に仕舞いながら、元来た道を戻る。

 胸元が破れて顔を覗かせた妻の指輪をそっと撫で、足早に歩を進めた。


 ディルの胸中にも、複雑なものが溢れている。カリオンと、こんな形で決着がつくとは思わなかった。

 それでなくともカリオンは、自分と同等に強かった筈だ。あんな無様な姿になっても、『そう』なるまでは。

 結局、彼は自分の良心に心が潰されてしまった。自分以外に、憤りをぶつける相手を見つけられなかったのだ。


「……」


 もし、ディルにとってのヴァリンやアクエリアのように。

 ヴァリンにとってのディルやフュンフのように。

 カリオンにも、誰か弱音や苦痛を吐き出させる相手が居れば良かったのだ。誰一人、平騎士から団長にまで上り詰めた彼に寄り添おうとはしなかった。

 ディル以上に孤高の男だった。その孤高さは、彼を滅ぼして終わる。


「………」


 カリオンとの戦闘で、ディルの損害は軽微だった。けれど体より、精神の負担が大きい。

 誰がどうなるか分からないと覚悟はしていても、再び『奪われる側』に回るのが辛い。妻を失った時を思い出して、気分が悪くなる。

 自然に眉が寄る。ともすれば吐き気さえ催しそうな気分を変えるために、それまで俯きがちだった視線を正面に向ける。 


「――……?」


 暫く行くと来た時に使った階段が見えた。しかし、ユイルアルトとアールリトの姿が無い。

 崩れかけた階段の欠片は散らばっていて、段上に二人が居る気配も無い。

 勝手な行動を取る王女でない事はよく知っている。


「――って、――!! 止め――!!」


 視線だけで二人の痕跡を探るディルの耳に、遠くで甲高く叫ぶ女の声が聞こえた。


「――やめてください!!」


 それはユイルアルトの声だ。

 ぞくりとするほどに寒気を感じる。ディルであっても、この嫌な予感は覆しようがない。

 また自分の手の届かない所で、死なせてはいけない者が死ぬ。そんな予感が消えない。

 声の方角に向けるディルの足が、徐々に加速をつけて廊下を疾走する。振り乱した髪は、短い金髪の女の姿を見つけて漸く乱れが落ち着いて来た。


 ユイルアルトとアールリトが、危険な目に遭っているのだと思っていた。


「――……殿下、……」


 その人物を呼んだ。

 腰をユイルアルトに抱き着かえれ、必死で押しとどめられている濃紺色をした短い髪の持ち主。

 ゆっくり振り返る彼女の瞳は、深淵を覗いているようだった。


「………」


 ディルを見るアールリトは、返事もしない。

 乱れの少ないシスター服に包んだ体は、ディルが側を離れた時と何も変わらない。

 なのに、彼女の周囲が明らかに違う。

 周囲に、魔宝石のものではないらしい小さな光が五個ほど浮かんでいるのだ。

 ディルの知るアールリトは、こんな能力を持っていなかった。だからこれは、『種』を摂取して得た能力。


「やめてください、アールリトさん!! マスターも、どうか止めて!! こんなの間違ってる、わざわざ殺す必要ないじゃない!!」


 空気中に浮かぶ光は、小川を思わせる澄んだ水色をしていた。淡い色を宿したそれらが、アールリトの周囲を守るかのように浮遊する。

 先程までアールリトが体を向けていた方角を見れば、黒い服を着た影が転がっていた。這いずる事も出来ずに、血に濡れた指が床を掻いている。

 ディルだって知っている男だ。黒髪で、頬には菊を思わせる葉緑斑がある。ロベリア、と言っただろうか。

 体のあちこちを、細い何かで貫かれたように出血している。腹も足も腕も、ひとつひとつでは致死に至らぬ箇所を狙っているようだ。

 アールリトの腰には、その傷を作れるだろう細剣が下がっている。しかし、それは腰の鞘に仕舞われたままだった。


「……ディル」


 呆然と、朧気に、アールリトが名前を呼んだ。

 時折瞬く瞳はディルを見ているようで見ていない。


「ディルが、お母様を、殺したの? お母様は、もう、いないの?」

「……」

「責めてる訳じゃないのよ。でも、答えて。……お母様がいないなら、どうして城で殺し合いが終わらないの?」


 まるで子供がするような、二心無い疑問だけで出来た質問。

 今でも城の中で聞こえる争う声と音が止まない状況に、徒労感が押し寄せている。

 今更、何を争う意味があるのか分からない。争いの首謀者は居ないのに。


「本当はお母様が、昔のように戻ってくれたらいいな……って思ってたの。でも、昔からアルセンがこんな風に崩れていく手段を考えていたのだから、そんな考えは無駄だったのね。だって、お母様がいなくなっても戦いが終わらないくらい、根深い話なのだもの」


 王女として暮らしていたアールリトにとって、国の崩壊は世界滅亡と似たような意味を持つ。自分を形作っていた全てが消えていく。

 勿論それで命が終わる訳では無いけれど、いっそ終わってしまった方が楽になれるかも知れない程に環境が変わる。変わった環境に耐えられるかどうかは、アールリトの素質に関わって来る。

 そんな素質なんて、本当は不要な筈なのに。


「……ディルがね。居なくなって、すぐにロベリアが来たの」


 ユイルアルトは、まだアールリトの腰から離れない。

 ユイルアルトが何を阻もうとしているのか、ディルには分からなかった。

 彼女はただ、アールリトの振る舞いが恐ろしかっただけだ。ともすれば人を殺しそうになる彼女を、医者として見過ごせないのだ。


「……笑っちゃうわ。お母様の気持ちを汲めだなんて。私の気持ちを汲んだ事がないお母様の意思を継げって。プロフェス・ヒュムネの皆の為に、今度は私が動かなきゃいけないんですって」


 今のアールリトの声は穏やかだ。その穏やかさを以てしても、ユイルアルトの弱すぎる拘束は離れない。


「……お母様がいなくなって、お兄様も死んで。どうして私が継承者なのかしら。血筋が正しくなくとも指導者に相応しい者は幾らでもいるでしょう? 血筋を頼りに私に押し付けるものじゃないわ。だから、お仕置きしたの。……こんな風に」


 アールリトが空中に向かい、一本だけで指差した。

 途端、彼女の周囲に漂っていた光が指先の動きに従うように等間隔に並んで円を作った。

 光の動きに音は無い。けれど、その動きは大きく忙しない。

 微かに振れる、その指の動きに合わせて明滅する光。

 ――やがてアールリトは、その手を突き出して開く。

 瞬間、今まで明滅していた五個の光から何かが細い線のような軌跡を描きながら放出された。それらは全て、ロベリアの左足へ突き刺さる。


「っぐあ、あああっ!!」

「駄目えええっ!!」


 それはロベリアの足を貫通する水の噴射だった。足を過ぎて床まで削る勢いを受けて、彼の足が分断されそうになっている。

 ユイルアルトは叫んで、体全体でその凶行を止めさせようとしている。なのに、アールリトは指を動かすだけで行動出来る。わざわざ死ねない場所ばかりを選ぶのは、悪趣味以外の何でもない。


「駄目、じゃないのよユイルアルトさん。王族が自ら『殺す』と言った以上、覆しちゃいけないの。ロベリアが私に歯向かったのは死ぬ覚悟があるからでしょう。その時は簡単に死ねるなんて思ったら駄目なのよ」


 これは種を摂取し、プロフェス・ヒュムネとして覚醒した後付けの冷酷さなのか。

 或いは、元から持ち得る残虐さか。

 口端は弧を描き、ロベリアを見下す目元が歪んでいた。

 ――本当の父親の種族が備えている残虐性そのままに。


「私の手を引こうだなんて不敬が過ぎるわ。叔母様の影に隠れてしか何も出来なかったのに、私が付いていく訳ないじゃない」


 ディルは、目を逸らす。ロベリアの末路は決まっていて、今のアールリトが抱いている怒りに異論は無かったから。

 アールリトに縋って震えているユイルアルトは、戦場よりも醜い一方的な攻撃を見ていられないだけ。医者として、故意に誰かを傷付ける姿を見ていられないのだ。


「止めろ、ユイルアルト」


 そんな彼女の震えは、ディルの声でより大きくなる。

 けれどユイルアルトの中にある矜持が、瞳を吊り上げてディルに向けさせる。怒りが滲んだ視線を受けても、ディルの言葉は落ち着いていた。


「汝は覚悟して、城に乗り込んだのであろう。此の場で起きる生も死も、本来であれば汝に介入できぬ案件の筈。……何より、ロベリアは其の傷ではもう長くない」

「――あ」


 言われて、ユイルアルトがロベリアの惨状に目を向ける。

 ひとつひとつこそは致命傷にならないものだが、如何せん数が多すぎる。もがれそうな程に穴の開いた足も、血が止まらない肩も。

 医者であるユイルアルトには、その傷が齎す結果を分かっている。それこそディル以上に。

 力が抜けるような気がして、その場にへたり込んだユイルアルト。腰を床に付けたまま呆然と、目の前の光景を見ている。


「心構えが足りずに此の場に居るのでは、汝を連れて行くに些か不安が勝る」


 ユイルアルトに向けたディルの感情は不安。それ以上に心配があった。

 ユイルアルトに何かが起きてしまえば、ジャスミンに申し訳が立たない。不満もあっただろうに酒場に残って尽力してくれた彼女は、察しも良くて気も回る。口にしないが、彼女には様々な面で助けられた。

 勿論、酒場に居た時のユイルアルトにもだ。だから、ディルは彼女が危険な目に遭う事は望まない。でも不器用なディルが、考えの全てを口にすることは無い。


「……ユイルアルト。汝は、我等と行動を共にするに値するか判断しかねる」

「っ……!?」

「此の先に在る景色に、汝を巻き込む心算は無い。我等の罪が重なった惨状は、城下の外で生まれた汝に背負わせるべきものではない」


 言いながらディルは、アールリトに近寄った。未だ淀んだ瞳をしている彼女の右肩を掴み、強く引く。

 体が揺らいだアールリトは、辛うじて倒れずにいられた。ディルを見上げる瞳には、映っている人物がその人だと理解していないような瞳。


「王女殿下、正気に戻れ。自分よりも弱い者を無為に甚振る為に戻って来た訳ではあるまい」

「――……」


 ヴァリンと似た色を宿す藍色の瞳が、ディルを映して瞬いた。

 

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