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267 最初で最後の反抗期


 死した人物がこれまで営んでいた生活の痕跡が途切れる。

 死を悼んで、数多くの人が悲しむ。

 二度と会えない。

 どれだけの死と直面しても、昔は何とも思わなかった他人の死が、ディルの心に影を落としたのは妻の死が最初だ。


 ヴァリンの訃報が、ディルの心に重く圧し掛かる。




 階段を下りて三階に向かう。先程ディルが来た食堂通路には行かずに、テラスから謁見の間、そして暁の部屋を目指す。

 暁は一度見失ったが、この城内の何処かには必ず居るのだ。階段を下りる三人は、それぞれが複雑な表情を浮かべていた。


 ディルは、状況が違えば友と呼べたはずの人物の死を聞いて。

 アールリトは、兄と慕った男の死と、これから先の未来を憂いて。

 ユイルアルトは。


「……ユイルアルト」


 ディルからの質問に、どう答えるか悩んで。


「汝はどうやって、今此の国に戻って来た? 城門は閉鎖されていた筈だが」

「……気になるんですか」

「成らぬ、と言えば嘘になる。何が我等の利益不利益になるか分からぬのでな」

「あんまり広めるなと言われていますが……。いえ、ヴァリンさんの居ない今、貴方になら伝えた方が良いんでしょうね」


 濁したような言い方のユイルアルトが、観念したように首を振る。

 ヴァリンの死で予定が狂ってしまった。ユイルアルトとヴァリンの間にある契約も事情も知らないけれど、ディルは耳を傾ける気でいる。


「……私は、……これまで、リシューさんとパルフェリアに居たんです」

「知っている。ヴァリンが手紙を送ったと聞いた」

「ええ。サジナイルさんが返事を出したと、後から聞いています」

「……? 其処で何故サジナイルの名が出て来る」

「サジナイルさん、パルフェリアの女王様の王配ですよ? ……ヴァリンさんから聞いてないんですか」

「……」


 聞いている訳が無い。『風』の者は皆秘匿主義者だ。

 かつて『風』隊長を務めていたあの赤毛の男からは、少しだけ妻に関する話を聞いていたが、まさかそれが異種族、それも他国の女王とは思うまい。

 まさか、と思う心が、ユイルアルトが今の状況で嘘を吐く訳が無いという結論に圧倒される。


「それで、……手紙が来た話を聞いて、私も戻らなきゃって思って。ヴァリンさんとの約束に間に合わないかも、って思っていたら実際間に合いませんでした。でも私が戻るのに、女王様も手伝ってくれて。でも交換条件として、パルフェリアの名前は出さないようにとの事でした。……でも、貴方になら伝えていいって言われています」

「……我に?」


 同じ場にアールリトもいるが、彼女は度外視なのだろうか。そう思っていると。


「エルフの国、パルフェリア。その初代女王にして今代陛下パルフェリア様。彼女には今の王配殿下以前に四人の夫が居ました。……その中でも、四人目の夫との間にも一人、娘さんを生んでいるんです」


 階段を下りるディルの耳に、自分とはなんら関係の無さそうな言葉が入って来る。

 その時までは、ディルも話に興味が無かった。


「その娘さんはヒューマンの男性と駆け落ち同然で国を出たそうです。それからパルフェリアは自国民以外を排斥するような政策を取っているそうなんですけれど……」

「ふん。我には無関係な話のようだが?」

「女王様の娘さんのお名前はカルラ。四番目の夫のリットー姓を名乗っていた筈だと」

「……。……カルラ? カルラ・リットー……?」


 ディルはその名前に足を止める。

 その名前には心当りがあった。心当たりも何も、一度見ただけですら忘れる事が出来ない名前だ。

 それは結婚の下準備の時。

 妻の戸籍をソルビットが取り寄せた、その書類に書いてあった名前だ。


「……女王様は、貴方の奥様……アルギン・S=エステルさんの、祖母に当たります」


 今まで、知らずとも生きていけた話。

 妻が生まれたその血筋を、今になって知る。それを齎したのは、自分と無関係の相手の筈だった。

 妻と接点の無い女が、どうやってその情報に触れることになったのか。


「……何故、汝がそれを知っている?」

「話したって、どうせ信じて貰えないと思うんですけれど……」


 ユイルアルトも階段で足を止めた。

 出し惜しみというよりは念押しの為の間が、ディルにとっては長く感じる。


「ソルビットさんが、教えてくれました。この話は、既にソルビットさんがアールリトさんに伝えてしまいました」

「――ソルビット?」

「信じてくれませんよね。でも、確かに居たんです。サジナイルさんとも、パルフェリア様とも話をしてましたよ。……とっても話し易くて、とっても明るくて、……もう声も聞こえませんが、私の側に居てくれた」


 今、その名を聞くなんて思わなかった。

 アールリトにも視線を向ければ、静かに頷いている。彼女にも、死者の声が聞こえていた。


「私達をパルフェリアに入国させるために、ソルビットさんが色々と話を付けてくれたんです。それで、カルラさんの名前を出したら旗色が変わったと……。まさか、それが女王様の娘さんのお名前だとは思わなかったみたいですけど」

「……そうか」

「この国に戻ってくるまで、女王様が手を回してくれました。凄いですね、エルフは。転移魔法が使えるんですから」

「……」


 エルフは転移魔法を使える者がごろごろいるような種族ではない。エルフの始祖とも言える女王だから使えるのだろう。

 そう女王を褒められると、そんな祖母を持ちながらまともに精霊を使役出来なかった妻の立場が無い。

 ……そう、まともに使役出来なかった筈なのだ。


「……妻は、転移魔法は使えぬ。アクエリアが操るような魔法も使えぬ。我は、妻の使役していた精霊を知らぬ」

「そうなんですか?」

「……其の筈だ」


 ――では。

 あの日、妻がディルの元を離れた日。

 ファルミアの街を覆った血の霧は一体何だったのか。


「本当に……共に過ごした時間が、一年では足りなかったな」


 夫婦だったというのに、互いに知らない話が多すぎた。その結果がこれなのだから、夫婦として不完全。

 彼女が戻って来たら、今度こそ、互いの知らない話が無くなるようにしたい。話をして、側に居て、どちらかが死ぬまで離れない。

 だから、今ここでこれ以上止まっている訳には行かない。歩みを再開したディルの後ろに、同じ様に二人が付いて歩いた。


「……」


 今のディルの姿は、ユイルアルトが酒場に居た頃のものと掛け離れている。背中に疑念の視線を送るユイルアルトは、短い髪の毛先に触れて考える。

 何があれば、日中あんなに自堕落に過ごしていた男がここまで変わるのか。

 妻の話に食いつくところは変わらない。その割に、悲愴感はどこかへ飛んで行ってしまったようだった。


「マスター、変わりましたね。私が酒場に居た時の様子が嘘みたい」


 以前の彼だったら、きっとこの言葉も一蹴しただろう。


「そう見えるか?」


 質問を返して来る程には、一人で完結する会話方式ではなくなった。

 これまでに何があったのか、ユイルアルトに興味が無い訳では無かった。


「……マスター、私が居ない間に何が」


 何が、あったのか。

 ユイルアルトは確かにその時聞こうとした。


 即座に反応したのはディルだった。ほぼ同時に、アールリトが弾かれたように顔をディルと同じ、階段段差の一部分へと向ける。

 ユイルアルトは異変を察知したのは、アールリトの背中に庇われた後だ。瞬間、轟音と共に石造りの階段が大きく割れる。

 アールリトから後方へ突き飛ばされたユイルアルトは段差に大きく尻もちをつきながら、階下に大きく跳躍するディルの背中を見た。


「痛っ……!! な、何!?」

「動かないで!」


 着地したディルは止まらない。そのまま剣を手にして、ユイルアルトからは見えない方角へと走っていく。

 途端に鳴り響く剣戟が、何が起こっているかを見ずとも伝えて来る。


「……仕込まれていたのかしら、嫌だわ」

「仕込まれ、って、何が」

「魔宝石よ。……迂闊に踏まなくて良かった」


 仕込まれていた魔宝石が階段を割る程に衝撃を加えたと言うのなら、踏んでいたら無事では済まなかったろう。

 二人は割れた段を避けるようにして階段を下りきる。階下でディルの姿を探したが、既に無い。


「あっちに行ったのね。……急がないと」


 見失えば、合流した意味が無い。

 長いシスター服の裾を持ち上げて走ろうとするアールリト。それに続こうとしたユイルアルト。

 しかしまたも二人の足は止まる。道の先に、黒髪の男の姿が見えた。


「……貴方は、私達担当……っていう訳?」


 裾を手にしたまま、憮然とした表情で男に問うアールリト。

 男の髪は長く、体も筋肉質というより華奢だ。頭に巻いた帯布と、頬にある刺青のような緑色の菊の花は一度見たら忘れられない。

 プロフェス・ヒュムネの一人、ロベリア。


「アールリト様、こちらにいらっしゃったのですね。……髪をお切りになられていたから、一瞬分かりませんでした。紫廉が待っています、どうぞ謁見の間までお越しください」

「そう。分からないままいてくれて良かったのよ。私はもう、王位継承者の地位に戻るつもりは無いわ。貴方と連れ立ってなんて絶対行かない」

「困ります。王妃殿下亡き今、アルセン国を継げるのは貴女だけですので」


 素っ気なく扱う相手の口から出て来た言葉を、アールリトは聞き逃さなかった。


「……亡き、今? お母様がどうかしたの!?」

「亡くなりました。正しくは、弑逆されました。反逆者ディルの手に因って」

「ディル、の」


 ロベリアの口から伝えられたのは肉親の、生みの親の死。

 ああ、と嘆息がアールリトの口から漏れた。

 自分と顔を合わせてからも平然としていた彼は、既にアールリトの母を殺していたのだ。


「……反逆者ディルは、貴女にとって王妃殿下の仇となります。奴と行動を共にして、母君に申し訳が立たないと思わないのですか」

「………」

「王妃殿下の行動と思考は、全て貴女の為にありました。そのお気持ちを汲むこともして差し上げないのですか」

「…………」


 アールリトを責める、ロベリアの口調。

 その言葉はアールリトにとって重くて、彼に向けている顔を俯かせる。

 けれどその重さは、気まずさや後ろめたさから来るものではなく。


「――はぁ?」


 次に顔を上げた時、アールリトは怒りをその一言に籠めた。


「汲むって何をかしら。私が望んでも無い事を押し付けられたって言うのに喜べって言うの? 私の希望はどうでも良かったのかしら? 私の為に、って何が? 玉座なんていう私にとって価値の無い椅子を用意するために、私は尖塔に何日も幽閉されていたのかしらね? ……ふざけるんじゃないわよ」


 母が殺されるのは覚悟していた。アールリトを助けるという手段の中には、それさえ入ってるのが分かっていたからだ。

 これまで堪えていた憤りが口から出る。誰に言っても仕方の無かった苛立ちは、立場を別った相手になら容易にぶつけられる。

 裾から手を離したアールリトが、背後にいるユイルアルトの様子を窺った。彼女は状況に理解が追い付いていないが、言わなくてもロベリアが敵だということくらいは分かっている。

 それだけ分かっていれば充分だ。


「ロベリア。……私達の為に道を開けなさい。でなければ今の私は、勢い余って貴方まで殺してしまうわ」

「僕を殺す……? 出来る訳が無いでしょう。今まで戦った事の無い貴女が、人を殺めるなんて」

「出来ないって思ってる? 私を誰だと思っているの」


 戦争経験者と対峙するのは、戦争の最中に身を置いた事の無い女が二人。

 けれど胸にある怒りや誓いは、時にその差をも凌駕する。


「私は誇り高い国王ガレイスの娘にして、『風』副隊長を務めた王家嫡男アールヴァリンの妹よ。そこら辺の腑抜けと一緒にしないでくれますか? ……下郎が。ぶち殺すわよ」


 兄と慕った男の言葉選びを真似て、精一杯の虚勢を張った。

 

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