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266 理解者、それを人は『友』と呼ぶ


 ――ディルが、足を止めた。


「……」


 執務室がある方向を背中西、廊下を進むディルが違和感に気付く。

 敵陣内である城の中で、誰かが近くに居る。周囲を見渡しても人影は無いのに、気配を隠し切れない誰かがディルを見ていた。

 気が張り詰めているから思い過ごしかも知れない。


「誰だ」


 気配を隠せないなど、騎士ではない。同時に、敵ではないかも知れない。敵であれば、こんな初歩的な失敗を犯しはしない。

 声を掛けるだけ掛けて、その場で待った。向こうが行動を起こさないなら、こちらが起こすつもりで。


「……ディル?」


 少し待ったが、返事はあった。

 聞き覚えのある、控えめに発せられた女性の声。親しくはなくとも、この声の主を忘れるなど有り得ない。

 この声の主もまた、妻を思い出す時の欠片のひとつなのだから。


「……王女殿下?」


 この国には、かつて二人の王女が居た。片方は既に結婚して国を出ている。

 もう一人の王女はその身を幽閉されて、次期国王として生きろと宣告された。

 この声の主は、後者の方だ。


「……驚いたわ。こっちに来てたのね、ディル」


 道の先の、僅かな柱の陰に身を隠していた王女アールリト。

 濃紺の髪を短くしたのまでは知っていたが、今はミュゼが着ていたものと同じシスター服を纏っている。瞬きの多い瞳は、僅かに赤くなっていた。


「殿下とて。此処で何をしている、フュンフの許へとアールヴァリンが送り届けたであろ」

「……。私だって、色々、葛藤したわよ。私は私の意思で、戻って来たわ。あのね、ディル」


 震える王女の声は、事実だけを述べる。


「私の身代わりになったミシェサーが、殺されたわ」

「……。………、そうか」

「兄様も、殺されてたわ」

「…………、そうか」

「兄様はまだ温かかったけれど、手遅れだった」


 ディルは短く、相槌を打った。

 死を聞かされて、理解はする。納得もする。受け入れたいかは別の話で。

 相棒とまでは行かずとも、得難い理解者の一人だった。ディルとは違う形で鬱屈した、王位継承権を放棄した王家嫡男の成れの果て。

 殺す殺されるの覚悟は、彼だってしていただろう。ディルの側を離れる時に、既に。


「……死因は? 斬られたのか殴殺か、其れとも別の方法かえ?」


 訃報を聞いて僅かに頭が痛んだ。思考さえ止まりかけるが、今はそれどころではない。

 死を悼むなら後からでも出来る。今は、ヴァリンを死に追いやった、その方法と人物とを知っておかなければならない。

 問い掛けると、アールリトは狼狽えた。


「え? ……え、えっと。私は……そういうの、あんまり分からなくて。でも、彼女が」

「彼女?」

「そう、彼女。貴方は、知ってるわよね?」


 自分では説明が出来ないからか、アールリトが自分の背に隠していた人物を指した。

 指された側は――怯えていた。肩を大きく震わせたと同時に、華奢な王女の体の向こうに金の髪が揺れるのが見えた。


「……?」


 そしておずおずと姿を表す、『彼女』。

 髪が短くなったユイルアルト。これでもヴァリンから切られてから、少し伸びた。


「……記憶にない」


 そんなユイルアルトの顔を、ディルは覚えていなかった。

 無理もない。あまり深く関わらなかったし、記憶にある彼女は髪が長かった。そして昔着ていたのは黒い服ばかりで、今はパルフェリアで調達した白い一枚衣(ワンピース)を着ているから印象が全然違う。

 しかし、面と向かって言われると思っていなかったユイルアルトは憤慨した。怒る気力が殆ど無いので、短い吐息にありったけの怒気を混ぜ込んで。


「っは……!?」

「……。……? ああ、ユイルアルトか」


 声を聞いて、ヴァリンと並んでいた時に見た怒り顔を見ればなんとか記憶から出て来る。

 どうして今姿を見せた。何しにここへ。……という問いかけはせずに済んだ。自分達から口にしてくれるから。


「……マスターも、ヴァリンさんも、本当に薄情です。私は、ヴァリンさんとの約束を果たしに戻ったというのに、彼は先に逝ってしまった」

「……汝が、看取ったのかえ?」

「看取れもしませんでした。私に出来たのは、微笑んで亡くなった彼の死因を探る事だけ」


 微笑んで死ぬ、なんて、ヴァリンのこれまでの姿を見ていれば想像も出来ないだろう。

 憎まれ口と世界への怨嗟が常だった口が、今際の際に微笑みを象るなんて。最期に彼の胸にあったのはやっとこの世から離れられる喜びか、それとも。


「体の温かさの割には、傷口だけ冷え切っていました。傷を探ったら、恐らく心臓を抉ったであろう氷の欠片と、溶けたらしい水の痕跡がありました。そして、魔宝石らしい小さな塊も」

「……魔宝石にて、殺されたと言う事かえ?」

「恐らくは。でも、ヴァリンさんだって魔宝石の扱いには長けていた筈ですよね? その危険性も分かっていた筈なのに、どうして」

「……」


 ユイルアルトは、騎士の内情を知らない。

 魔宝石を扱うだけでもとんでもない金額が動く。それとあまり縁の無い市井の者なら知らなくて当然だが、義足に剣にと魔宝石を必要とするディルは文字通り痛いほどよく知っていた。

 氷の魔宝石は、水の魔宝石よりも温度が低く、価値が高い。そんなものを扱えるのは、騎士の中でも限られている。

 ――そう。騎士隊長、あるいはそれ以上でないと。


「……アールヴァリンであっても勝てぬ相手、だったであろうな」


 ディルの頭の中には、先程から一人の姿しか思い浮かばない。

 不愉快だった。

 王妃を弑し、暁を殺せばそれで良いと思っていた。後は知った事では無いと思った。

 なのに、ディルの中でその人物への怒りがふつふつと湧いてきている。ヴァリンを、数少ない理解者を殺した罪は重い。


 ――カリオン・コトフォール。

 

 奴が、ヴァリンを殺した。


「……どういう事です? マスターは、誰が犯人か知っているんです?」

「さてな。証拠は無い。だが、我の頭は、とある人物以外にヴァリンを殺せないと答えを出した」


 とある人物、という言葉にアールリトも表情を曇らせた。

 王家に属する次期国王候補ならディルの言葉の意味も分かるだろう。彼女の中の女王の資質は、騎士の能力を記憶している所にも表れている。

 短い髪を揺らして俯き、また顔を上げた王女はディルに向き直る。


「ねえ、ディル。相談があるのだけど聞いてくれますか?」

「……手短に。我にも、成すべき事が有る」

「時間は取らせない。……最悪の事態になってもすぐに終わるわ。貴方なら、ね」


 言いながら王女が懐から出したのは、掌に乗る小さな小さな粒だった。

 それは彼女の髪の色と同じ、濃紺色の種のような粒。

 これが何かと問わずとも、彼女の出自を知っているディルは理解した。


 プロフェス・ヒュムネの『種』。


「私は、皆と比べて弱いわ。今まで一度も自分の種を摂取したことが無いのだもの。でも、だから私が今『いつも通り』だとしたら? ……これを摂取した後の私に何かがあって、お母様や叔母様達のように、私の中の心持ちが変わってこの国に仇成したりはしない……という自信が無いの」

「……」

「そうなった時、ディルが私を止めて。……無い、とは思うけど、私だってどうなるか分からないから怖いのよ」


 誰も彼も、ディルに勝手な事ばかりを言う。

 その勝手を無理だと突っぱねる事も出来るのに。

 ディルは、小さく頷くと王女が口許に種を運ぶのを黙って見ていた。


「ありがとう。……私が私のままだったら、貴方と一緒に行動したいわ。……兄様が貴方と行動できない代わりとして」


 気安い言い草で、王女が微笑む。その直後、喉に種が通り過ぎて行った。

 小さな丸薬程度の大きさで、飲み込む分には問題ないだろう。こくり、と喉を鳴らした王女は目を瞬かせ、ディルとユイルアルトの顔を交互に見た。


「………」

「……」

「……えっと」


 確かに、種を飲んだ。

 しかしアールリトの表情も雰囲気も、それまでと同じで何も変わったように見えない。

 それは本人も同じらしく、周囲を見渡してはいつもと変わらない大きな瞳をくるくる動かしていた。


「ねえ、ディル。私、変わった?」


 そんな事を聞いてくるくらいには、本人だって動揺している。


「何も」

「……よね」


 この空とぼけた姿が演技であるなら危険だったろうが、王女はそんなに器用では無い。器用だったら、喜んで王妃に取り入っていただろう。

 惜し気に自分の姿を見る王女は、年齢に見合った若い女性で、立場に見合わぬ次期国王の姿だ。


「少しだけでも何か変わるって思ったんだけど、喜んでいいのか複雑だわ……。あれって本当に私の種だったのかし、ら……? え、……ディル」

「……何だ」

「足、……それどうしたの?」


 アールリトの視線は、ディルの義足である左足に注がれている。

 妻とダーリャと暁達以外、ディルが義足である話はしていない。それに、種を飲んですぐの発言にディルが目を丸くした。


「……どうした、ように、見える?」

「なんか、変なの。ぐにゃって、曲がって、……ううん、なんか、渦を巻いてるみたいになってる。渦がずっとぐるぐるしてて、……何なの、これ」

「………」


 アクエリアが言っていた。魔宝石を嵌め込んだ剣とは違う魔力の流れを、ディルから感じたと。

 アールリトが言う渦とやらが魔力の流れとするならば、種の接種によってそれらが見えるようになっている。


「……気にするな、元からだ」

「元からって、……こんな風に見え始めたのはさっきからよ? ……ってことは、もしかして」


 王女が何かに気付いたように、急に押し黙って自分の掌を見た。その直後、何かに納得したように首を縦に振る。


「……そう言う事なのね。なんとなく分かった気がするわ」

「………」

「何が分かったんです?」


 事情を知らないユイルアルトは質問を投げるが、アールリトはそれに曖昧な笑顔で返す。


「……色々。私ね、皆に知られてるような出生じゃないのよ」


 今、言えるのはこれだけだ。分からないユイルアルトは案の定不服そうな表情を浮かべるが、それ以上不満を述べる事も無い。

 今王女が自嘲するように言った、自分の出生を――ディルが知っていると知ったらどう思うだろうか。

 自分の知らぬうちに産まれた子供。愛する人と自分の想いの結晶を本気で欲しがったであろう頃のアクエリアがもし知っていたら。

 有り得ない世界の話を想像して、ディルが目を細める。


「……ディル、どうかしたの?」

「いや」


 知らなくていい話も、ある。

 アールリトに、特殊な異変が無いと分かったディルは先を急ぐことにした。ユイルアルトもアールリトも、文句は言わずに背中について歩く。

 この二人が何の役に立つか分からないが、何処に居たって危険なのは変わらないから好きにさせる。


「ねぇ、ディル」

「今度は何だ」


 アールリトが、声を掛けた。


「ディル、……私の本当のお父様の事、知ってるんじゃないの?」

「……」


 今のアールリトの瞳には何が見えているのだろう。

 ディルの周囲に漂う魔力が見えているように、自分の父との繋がりを見たのだろうか。

 知らない、などとは言わない。

 そんな嘘を吐く必要を感じなかった。


「殿下の父は、亡きガレイス陛下だけだ。血を分かつだけの男を父と呼ばずとも良かろう」

「………」

「父親どころか母親の顔も覚えておらぬ者も居る。……我も、アルギンも、戦災孤児故に戸籍を見るまでは自分の生まれた日すら覚えていなかった」

「……。うふふっ」

「何がおかしい?」


 楽しい話をした記憶は無かった。なのに、アールリトは声をあげて笑う。鈴が転がるような音で。


「ディルって……今でもあの人の話ばかり。兄様もソルビットの話ばっかりしていたわ。そういう所、似てるなって思ったの」

「……」

「本当に、心から愛していたのね。……私、兄様とソルビットの仲応援すれば良かったわ。……そうしたら、今だって、……こんな後悔したりしなかったでしょうに」


 先程笑った王女の瞳から、涙が零れた。

 ディルも、声の震えで泣いていると理解した。大切な兄を失ってすぐの悲しみは、彼女に重くのしかかっている。

 背中に啜り泣きを受けながら、ディルは先を急いだ。今、何と声を掛けても意味の無い行為になってしまう。


 失われた命はもう、戻って来ないのだ。



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