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265 贖罪の強制



 プロフェス・ヒュムネ達にとっては不倶戴天の敵である人物を一人選べとしたら、ダーリャになるだろう。

 奴隷商に良い様に扱われるようになったのも、敵国も同然に成り下がったアルセンに保護される事になったのも、ダーリャが女王に近付いたからだ。

 黒髪が多いプロフェス・ヒュムネの国に、金の色素を持った男が珍しかったから。

 わざわざ鍛えなくとも強い種族しかいない国に、神官とはいえ騎士が来たから。

 敬意と畏怖を以て接される立場に、異性に向ける好意を抱いた男が近寄って来たから。

 ダーリャは、プロフェス・ヒュムネという国では分かりやすく『異端』だった。

 アルセンの使者を受け入れたのがそもそもの間違いだったのだ。

 あの時誰かが反対していれば、女王が弑される事も無かったろう。

 プロフェス・ヒュムネ達の恨みは二十年前から今までずっと続いた。

 憎しみを知らぬ子供達には言って聞かせた。

 我等が奴隷に身を窶した原因を忘れるな、と。


 恨みを受け継いだ所で、過去の栄光も幸福も、死者の命も戻らないのに。




 進行方向の大通りの突然の爆発に、およそ三十名のプロフェス・ヒュムネは巻き込まれた。

 地震で崩れた家屋の間に散らばしていたらしい魔宝石が、全て一瞬で火炎を拭き上げた。

 植物形態となったプロフェス・ヒュムネには目が無いが、周囲の異変を感じ取れない訳では無い。

 吹き飛ぶ同胞を、文字通り肌で感じ取っている。


 保護されて、同じ穴倉で暮らして。

 共通の敵を掲げて今まで過ごしてきた。

 自分達の幸せなど無いも同然で、決められた相手と決められた数の子供を育み、就きたい仕事にも着けないで住処の外にも出られない。人数確認の為に食事は毎日皆で集まって決まったものを食べ、趣味など見つけている時間があるなら同胞の為の作業をしろと言われる。

 同胞の為、仲間の為、皆の為。

 葵生様の為、緑蘭様の為、紫廉様の為。

 繰り返される『誰かの為』に、王家以外のプロフェス・ヒュムネ達は皆画一的な価値しか無かった。


 憤りは全て、アルセンへと注がれる。


 プロフェス・ヒュムネ達の地獄を、アルセン王国と帝国が築き上げた。

 その地獄の中に、保護という名目で同胞を集め始めたのは王妃だった。

 『いつか』『きっと』を繰り返して、やっと訪れた千載一遇の機会。

 爆発で同胞が隣で死に絶えようが、最後の一人になるまで戦う覚悟があった。


 死に絶えるだけの命を使って。

 憎い国を離れてしまえば、再び奴隷に落とされるだろう種族を。

 我等の恨みを思い知れ、と。


 プロフェス・ヒュムネの数が、二十名になった。




「あれだけの爆発で、まだ生きてるのかよ!!」


 驚愕の声をあげたのはアルカネットだった。持って来ていた大剣の柄を両手で握って、やがて訪れる戦闘への覚悟が決まっている。

 ログアスも肩に両刃斧を担いだ。今まさにこちらへ来ようとしている植物の集団は、例え爆発で弱っていたとしても自警団員より遥かに強い事は分かっている。


「そりゃ、生きてるだろうな。……だから奴隷として都合よく扱われてるんだよ」


 簡単には死なないから。

 その言葉を聞いた時、アルカネットの背筋が寒くなった。

 既に死んでしまったと聞いた、いつかミュゼと共に助けたプロフェス・ヒュムネの子供を思い出した。彼は、どれだけ酷い傷を負っていても生きていた。死の訪れを自分で願うほど。

 あんな酷い有様が、このプロフェス・ヒュムネ全員に訪れていたとしたら。

 また、それをアルカネットが自分の瞳で見ていたら。

 今この場で、剣を握るなんて出来なかっただろう。


「……団長。悪いけど、もうそういう話は聞きたくない。……俺の、剣が鈍る」

「そうかよ! 余計な口を開くからそうなったんだよ。まだまだヒヨッコだな」


 アルカネットは非情な『仕事』をやっておきながら、精神面はどこまでも普通だった。

 悪人ならいざ知らず、そうでないものが辿る悲運を直視できないお人好しだ。本当だったら、剣を握るのも不似合いな程の。

 けれどアルカネットは、自警団員として、人の命を背に立つことを決めている。誰にも覆させない、彼の信念。


「全員!! 突撃!!」


 空高くに響くダーリャの声。

 自警団員は全員がプロフェス・ヒュムネに向かって走り出す。騎士のように統率が取れた列は作れない彼等だが、それはプロフェス・ヒュムネも同じだった。

 彼等はこれまで、戦場での統率を必要としなかった。


 自警団員は総勢四十名。この場で八班が簡易的に割り振られている。

 対するプロフェス・ヒュムネは二十名。その半数は、爆炎に晒されて体を燃やしながらも近付いていた。

 簡単に計算しても、一班で二体以上のプロフェス・ヒュムネを相手にしないといけない。

 並んで戦える程に崩れた道は広くなく、自警団側は待機している広場と通りの境で交戦する事を余儀なくされた。


「一班! 悪いけど俺の指示に従えよ、死にたくないだろう!?」

「了解、班長!」


 アルカネットが班長を務める一班は、同じ年代の者で構成された一番機動力の高い班になる。

 他の班より先んじて交戦場所に辿り着くと、最初に行ったのはその場に灯り用の油を撒く事だった。

 自警団で備蓄していたもので量は少ないが、近隣や急遽必要になった家に分け与えるくらいは出来る。子供の腕ほどの小さな筒に入っているそれを四本、蓋を開けてプロフェス・ヒュムネ達の通り道に放り投げて中身が撒き散らされる。


「点火!!」


 合図と同時に短弓に火矢を番えたのは、同じ一班の後衛担当だ。

 射撃の腕はそこまで良くないが、撒いた油に火を点けるくらいの仕事は出来る。

 引き絞られた弓は、プロフェス・ヒュムネの足が油を踏む寸前で放たれる。


 二度目の火炎は、プロフェス・ヒュムネ達の動きを阻害した。

 目の前で広がるのは先程と比べると僅かな小火だが、だからと体を燃やす凶悪なものに変わりはない。

 彼等は一度迷うように立ち止まって、思考し、僅かな葉擦れの音をさせる。

 それが、アルカネット達には聞こえる筈のない言葉として聞こえた。


 ――行こう。


「っ……!?」


 もう何度目になるかも分からない、自分達にとって未知の恐怖。

 人の形を保っていない異種族が、葉擦れの音で意思疎通して炎の中を歩いて近付く。

 草が焼けこげる臭いが立ち込める。煙までを吹いて尚近付くプロフェス・ヒュムネ達は、その地を這う歩みに呪いを込めていた。

 死なば諸共に、という感情が、肌から伝わってくる。

 二十のプロフェス・ヒュムネの歩みを止める事は出来なかった炎が、また一人、最後尾近くに付いていた者を焼き焦がす。崩れ落ちたその影は、暫くはその場を苦しそうにのたうち回っていたが、やがて動かなくなり炎に巻かれた。


 自らが死ぬことになろうと止まれない。

 ここまでの怒りも、憎しみも。

 アルカネットは、知らない。

 いよいよ切り結ぶ瞬間がやって来た。怪我を耐えて剣を握るアルカネットが走る。


「これ以上、先には行かさないっ!!」


 先に負った傷の痛みは麻痺していた。

 プロフェス・ヒュムネ達を先に行かせた未来の地獄を想像すれば、自分の痛みなど蚊帳の外。

 構えた大剣を、斧を振るうかのように一番近くに居たプロフェス・ヒュムネへと振り抜いた。

 その姿は花のようだった。アルカネットも見覚えのある、夏に咲く大輪の黄金色の花をその身に二つ咲かせていた。

 樹と比べれば随分と細い茎だった。それでも、アルカネットの腕程はある。

 捉えたと思った筈のアルカネットの大剣は、振り抜かれると同時にその茎に弾かれる。半分も喰い込まないうちに刃が欠け、大輪の花の片方がアルカネットに向いた。


「は、……はっ!?」


 相手は植物だ。だから、刃物が負けるなんて思わなかった。

 手入れを怠っていた訳でも無いのに刃先が欠けるなんて初めてで、動揺が隠せない。鉄製の扉でも殴らないとこうはならないだろうに。

 アルカネットの方を向いた大輪の花は、その葉を伸ばした。まるで腕に見えるような動きで、天へと持ち上げる。

 持ち上げた所で、葉は長くない。何をするかも分からないが、アルカネットは引いて体勢を整えた。

 嫌な予感が止まない。

 黄金色の花はまだ、アルカネットを見ていた。


「っ……!?」


 その花が、急に身を屈めた。生き物で言う所の腰付近が大きく曲がる。

 普通の植物には無い動きだが、彼等には容易に出来るらしい。ぐん、と曲がった茎が、勢いをつけて葉を地面に叩き付けた。

 抉れる地面と、上がる土煙。喰らっていたら一撃で死んでいただろう。


「……ふざけんじゃねえぞ……!!」


 動き自体は遅いが、硬くて破壊力がある。顔色が分からないから、どれだけ傷付けても平気そうに見えるのがアルカネットの精神を摩耗させる。

 痛覚が無いのか、有るのか。

 もし茎を断てたとして、それで彼等は死ぬのか。

 ――本当に、殺して良いのか。

 アルカネットの煩悶は一瞬で終わる。それで終わらせなければ、自分が死んでしまうのだ。


「アルカネットさん!!」


 後衛担当が火矢を飛ばす。それでも、燃料の無いただの火矢は葉に振り落とされてしまった。

 まだ、一体だけしか相手にしていない。これで班を二つに分けるとなれば、勝機は更に薄くなる。

 覚悟を決め直したアルカネットが再び剣の柄を強く握る。――その時、また葉擦れの音がした。


 あいつがいる。


 此の恨みを晴らすなら今しかない。


 それは声、というよりは思念そのものだった。

 今まで、プロフェス・ヒュムネの意思疎通方法を知らないアルカネットにさえも届くほどの強い感情だ。

 思いが悪寒になって、その場にいた自警団員全員に伝わる。身を震わせるのも一瞬だったが、目の前に立ち塞がる黄金色の花に再び立ち向かう。

 五人がかりで、その花に攻撃を繰り返す。

 大剣で、槍で、片手剣で、弓で。五人がかりでも簡単に倒れてくれない大輪の花。

 葉での防御も挟まれて、茎への攻撃が当たらない。アルカネットも、四度ほど大剣を振り抜いた頃。


「っ……?」


 違和感に、漸く気付いた。

 一班で倒さねばならないのは、二体以上だった筈だ。

 黄金色の花に集中しすぎたせいもあるが、相手するべき二体目が近くに居ない。


「やられたっ!!」


 もっと早くに気付くべきだった。

 プロフェス・ヒュムネは分散して戦う事を選ばなかった。

 目標に対して向かうものを決めれば、あとは他を足止めすればいい。統率などと大層な言葉を使わずとも、少し程度の知能があれば思いつく作戦だ。

 プロフェス・ヒュムネにとっての目標はひとつだけ。


「っ……!!」


 四体のプロフェス・ヒュムネに囲まれている、戦線に立つダーリャだ。


「ダーリャぁっ!!」


 アルカネットが声を張り上げた。この場での司令は彼なのに、アルカネットさえ目を離してしまった。

 彼が、騎士だったから。元騎士だとはいえ、現役の冒険者だから。更に言えば司令だから、大丈夫だと思っていた。

 アルカネットは、ダーリャとプロフェス・ヒュムネの間に起きた事件を深く知らないが、彼だけを執拗に囲おうとする植物達の怨嗟は感じている。


「来てはいけません!!」


 アルカネットの叫びを聞いて、ダーリャが声を張り上げた。

 五体目が近付いて行っているのに、来るな、と。

 数を相手にしてそれでも騎士なら平気なのか。そんな訳が無い――と、アルカネットが即座に答えを出す。


「これが、私の罪ですよ。命で贖えない程の罪を犯した私には、貴方を巻き込む権利など無い! 貴方は貴方の責務を全うするのです!!」


 アルカネットは、班長だ。役職を与えられた者が、その役職を放棄してダーリャを助ける訳に行かない。

 ダーリャの犯した罪の詳細を知らないアルカネットは、一瞬躊躇った。罪とは、権利とは、贖うとは一体何の話なのか。分かるように説明をしろと求めた所で、時間は足りないだろう。

 更に六体目が、ダーリャへと向かっている。彼の姿が、緑色に囲まれてもう見えない。


「現時点を以て、全指揮権をログアス殿に!! 総員、自らの安全を守りながら各個撃破!!」


 最初から、そのつもりだったのかも知れない。

 青臭いガキ共の脇を締める為の、元騎士としての出陣。でも、アルカネットの知らないダーリャの過去が、プロフェス・ヒュムネ達を駆り立てる。彼の罪を贖わせるために。


「皆、生きて帰りなさい!! この国をっ……!! ど、どうか、ぐっ……!!」

「ダーリャ!!」

「私が、で、きな、かっ……、あ、あああっ……!!」


 緑色の壁の向こうで、ダーリャの苦悶の声が聞こえる。

 アルカネットはそれでも、言いつけを守った。

 例えその声が切れ切れのものになろうと、目の前の黄金色と対峙する。


「生き、てっ……!!」


 ダーリャは身勝手な男だった。

 勝手に国を離れて、勝手に戻って来て。愛した人を殺しておきながら、彼女を忘れられないと宣う程には。

 生の終わりを見たダーリャが、一人で死ぬのが怖かったから。

 誰も自分を知らずに看取られもせずに、朽ちていくのが怖かったから。

 愛する人と共に死ななかった時も。

 自分で、一人で死ぬのがただ、怖かっただけだった。


 ダーリャは、緑色で隔絶された世界でも、簡単に死のうとはしなかった。持っていた白銀のメイスを振るい、二体は打ち倒した。刃に頼らない、破砕する為の武器は彼等の中心を圧し折って、二度と動けなくさせられる。

 しかし、ダーリャだって騎士だったとはいえ、既に老いている。数に押されて捕らえられるのは一瞬で、メイスを取り落とさせられた後は首に蔓を巻かれて持ち上げられてしまう。


「っは、あ、あぐぅうっ……!!」


 窒息で霞む視界。足を動かしても地に付かない。

 苦しみ、藻掻き、充血するダーリャの瞳。彼が苦しむ様を見て、プロフェス・ヒュムネは何を思っただろう。顔が無いから読み取れる表情は無く、葉擦れの音では詳細が伝わらない。

 首の蔓を外そうと尚も苦しむダーリャは、自分に振り上げられる枝葉を見た。

 当たれば、死ぬ。

 分かっていてダーリャは、微笑みを唇に浮かべた。


 ――真珠。


 最期に、愛した女の名前を心で呼んで。


 ――やっと、貴女の顔を見て謝罪が出来そうですよ。


 そんなもの、彼女が望むかも分からないけれど。


 ダーリャに振り下ろされた緑色が赤色に塗り替えられる瞬間を、彼は視認する事は出来なかった。

 一人の元騎士が息絶えた緑色の壁は、その死体が地に横たわった瞬間に一体、また一体と離れていく。彼等は次の標的を見つけて散り散りになった。


「っ……、ダーリャっ……!!」


 目の前で、また人が死んだ。

 その瞬間を見ていないアルカネットでも、何が起きたかは分かる。

 戸惑いに揺らぎそうになる自警団員を纏めたのは、ログアスの怒鳴り声だった。


「もう誰も死ぬんじゃねえぞ!!」


 最初と比べれば、プロフェス・ヒュムネは随分減った。手負いの者も増えた。

 こっちだって戦闘の素人じゃない。これで負けるのは嘘だ。

 全員が心の中で言い聞かせる言葉は、己を奮い立たせるものだ。


「死ぬな! 負けるな!! お前たちの身代わりに、ダーリャ様が死んだんだからよ!!」


 返事の代わりに、全員が武器を握り直した。


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