264 二十年前の厄災
むかしむかし。
植物に満ち溢れた国がありました。
土地には花が咲き誇り、住まう人々も植物の性質を宿していて、普通のヒューマンとは別格の生命力を持っていました。生命力のみならず、戦闘力も遥かに強かったのです。
女王陛下の統治のもとで、皆が幸せに暮らしていました。
その国は自由国家を謳う隣の国と同盟を組んでいました。
逆の話をすれば、その国は隣の国以外と同盟を組めませんでした。
自分達が優秀であるが故に、他の種族を見下していたのです。
自由を謳う隣の国は、そんな国でも受け入れてくれたのです。
植物の国は、自由の国が派遣した騎士達を受け入れました。
名目は植物の国の国防方法の勉強の為ということでしたが、細部については国家機密なので教えられません。
そもそも、劣っている種族である彼等が植物の国の勉強をしたって無意味なことなのです。
それでも、女王陛下は異国の騎士達を受け入れました。
それが全ての間違いでした。
騎士の中に、金獅子を思わせる風貌の男が混じっていました。
人の好さそうな柔和な顔立ちでありながら、国防勉強の為と派遣された芯のある騎士。
金の髪を後ろへと撫でつけ、時に振り乱して任務に就く男。
女王陛下の興味は、その男へと向いてしまったのです。
縁というものは不思議でした。
金獅子の騎士は、女王を一目見ただけで好意を抱いてしまっていたのです。
若く見えるとはいえ、ヒューマンとは種族の違う女王とは年齢差が開いていました。
それでも騎士は愛を乞い、女王は戯れに応えました。
――乞われて簡単に頷く私ではなくてよ?
――そちらの方が安心します。私が求めたのは、一夜の慰みでは無いのですからな。
国も身分も種族も違う。けれど騎士は直向きに女王を愛し、女王も騎士の任務の間は側に置きました。
騎士の友人たちは口を揃えて言います。
「あんな高慢ちきな女の何処が良いんだよ……。絶対後悔するから止めとけ」
「あんまり女性の悪口とか言いたくないんだけどねぇ……。色々な事を抜きにしても……あんまり、良い気分のする女性じゃないわよねぇ」
彼等は、最後に決まって同じことを口にします。
「『任務』を忘れた訳じゃないんだろ?」
と。
女王の側に居る時間は、騎士にとっては甘く幸せな時間でした。
近い未来に何が待ち受けているか、分かっていながらも溺れていました。
自分だったら何とか出来ると、根拠もない自信さえあったのです。
派遣された期間を終えても、騎士は任務の合間を縫っては女王の許を訪れました。
任務が済んだのだから追い返せばいいのに、女王は騎士を歓迎しました。
叶うはずの無い身分違いの恋が叶うかも知れない。
植物の国の民が思ったのは、束の間の事です。
自由の国が戦禍に巻き込まれました。
火種はその隣の国、帝国です。
二国の戦争は苛烈を極め、罪もない民が暮らす町や村まで襲撃されることになりました。
自由の国には縁があると、植物の国も参戦を決意しました。
ヒューマン如きに自分達が負ける筈が無いと思っていたのです。
その考えは間違いだと気付かされます。
「……こうなる、と……全部を知っていて、妾達に近付いたのね? 流石だわ」
焼け落ちる植物の国の城で、女王が呟きます。
帝国と、同盟を組んでいた筈の自由の国が秘密裏に手を組んでいたのです。
国同士の間で不遜に振舞い続ける植物の国の在り様に、他の国も限界が来ていました。関わり続けることも苦しく、関わりを断つなど土台無理な事でした。
緩やかに巻かれた女王の黒く長い髪にさえ火の粉が飛んで来る、絶望的な状況。
その場にいたのは、自由の国の騎士でした。魔宝石の嵌まった長剣を携えていますが、その剣は女王を守るためのものではありません。
「最初はそのつもりでした。……ですが、貴女を想う気持ちにも偽りはありません。私は、貴女も、国の命令も等しく大事なのです」
「どうだか。妾が大事なのなら、こんな危険な目に遭わせる訳が無いのだわ。侮られるのも嫌いだけれど、欺かれるのはもっと嫌い。死んじゃえ」
女王の言い草は、拗ねた子供のようでした。
「逃げませんか」
騎士の言い草は、今起きている出来事をどこか遠くから見ているようでした。
「……逃げるって、何処へかしら? 逃げてどうするの」
「この城が焼け落ちれば、死体は簡単に見つからないでしょう。プロフェス・ヒュムネは骨さえも燃え尽きるのでしょう? でしたら、逃げられると思いませんか。逃げた後に、先の事を考えればいい」
「考えて、どうするの?」
「生きるんです。……私と」
女王が逃げて、どこか遠くで暮らして、その時に女王以外の生きる道が出来て。
その時、女王でなくなった彼女の隣に自分がいられれば、騎士にとってはそれで良かったのです。
騎士に命じられたのは、帝国が攻め入り易くするための国内の攪乱。それから、女王の首級を挙げる事でした。
けれど、愛する人の首を挙げられる訳が無い。最大限の譲歩案として、騎士は女王に提案しました。自分と生きろ、と。
「お前と?」
まるで思ってもみなかったような、女王の声。問い返すような言葉に繋いだのは、また女王でした。
「冗談でしょう? 何故妾がヒューマンなどと生きねばならないの? そもそもお前が居なければ、この国も『こう』はならなかったのだわ。妾の不徳が招いた事態だとしても、お前と生きるなんて死んだ方がまだ良いわ」
怒るでもなく、悲しむでもなく。ただ、淡々と。
愛を重ねたつもりだったのは、騎士だけだったのです。
女王にも、ほんのわずかな情はあったかも知れません。
ですが、自分の国を滅ぼす男だと分かれば、それまでの情なんて消えてなくなるのが普通でしょう。
それでも。
騎士には――ダーリャには、分からなかったのです。
「王族は国が滅びれば消えるものよ。妾も、例に漏れずそうなるのだわ。妾を殺しても、いつかきっと。……妾の育てた可愛らしいこの国の子供達が、お前の首を刎ね上げる」
国を捨てる女王になるのを、愛した女に選べる訳が無いと。
国を見捨てて生き延びる恥辱を、愛した女が享受する訳が無いと。
国が滅ぶ原因になった男を、選ぶ訳が無いのだと。
ダーリャは、その時が来ないと理解が出来なかったのです。
「さあ、お前も仕事が残っているのでしょう? 喜ぶといいのだわ。妾の首を持ち帰れるだなんて、お前くらいにしか出来ない名誉な事よ? ……この国にとっては下劣で醜悪な、卑しい男として刻まれるでしょうけどね」
もう、自分達には殺すか殺されるしか残っていないと。
そうして愛する人を手に掛けたダーリャは、近い将来に騎士隊『月』隊長となることが約束されたのです。
おしまい、で締めくくられない物語にはまだ続きがある。
それは、金獅子のようだと言われたダーリャがまだ生きているからだ。
愛する人を自分の手で殺した彼でも、生きる理由を見つけながら生きて来た。
国を滅ぼした一端である自分の所業を、忘れられる訳が無かった。
事情を知るプロフェス・ヒュムネ達からは、勿論心の底から恨まれた。
彼等の絶対的な指導者である女王を弑したのだ。同時に彼等の祖である母樹も燃え尽きてしまった。
「……」
――だから。
ダーリャにとっての現状は、昔の罪の繰り返しだ。
「頃合いですな」
「そうか」
ダーリャが遠くを見ながら口にした言葉を、ログアスが頷いた。
それまではぽつぽつと集まって来ていたプロフェス・ヒュムネの影が固まり出している。
数は、事前に偵察した所で言うと三十人くらいだろうか。平騎士でさえ正面から戦って勝てるかどうか分からないのに、自警団では勝てる訳もないだろう。
ダーリャとログアスの懸念はそれだ。実際、自警団の中でも若さと強さで群を抜いているアルカネットさえ、勝てずに怪我を負ったのだ。
「私が好機と思った時で、構いませんかな?」
「良いぜ。俺より、そっちの判断の方が正しいだろうからな」
横で二人の話を盗み聞きしているアルカネットには、話の流れが見えない。
さっきから何を以て『良い』のか『悪い』のか、いまいち分からない。この年ばかり食った男二人は、核心に触れる言い方をしないのが腹が立つ。
プロフェス・ヒュムネの侵攻はもう予断を許さない。一秒後に進軍を開始してもおかしくない状態になっても、ログアスは現状を何処吹く風のように見ている。
「……団長、ダーリャ。そんな悠長にしてていいのか。こっちは何の準備も――」
出来ていない。
そう言おうとしたアルカネットの視線の先で、プロフェス・ヒュムネ達が動き出した。
どんどん近付く緑色の群れに慄いたのはアルカネットで、ダーリャとログアスは待ちかねていたかのように溜息をつくばかり。
「それでは、行って参ります」
「気を付けろよ」
「は、……はぁっ!?」
気を付けろ、なんて、世間話みたいなものを交わす状況ではない筈だった。
足取りも慎重とは言えない、近所を散策するのと変わらない雰囲気だ。
「ちょっ……、団長! 幾ら元騎士って言っても、一人で行かせていいのか!?」
「まぁ、黙って見てろよ」
少しの間関わりがあったアルカネットより、ログアスの方がよっぽどダーリャを信頼していた。
彼は、肩を竦めてアルカネットを見遣る。
「あの方が、何の隊に所属していたか知ってるか?」
「所属、って……。兄さんが『月』で、その先代隊長って言うのならそれじゃないのか」
「じゃあその『月』が、城に仕えてどんな仕事してたかは知ってるか?」
改めて言われれば知らない内容だ。元々騎士嫌いで通して来たアルカネットだ、最近やっと打ち解けたディルともそんな話はした覚えが無い。
答えに詰まっていると、ログアスがダーリャの背中を指差した。
「『鳥』と『風』は前衛だ。お前の義姉さん……アルギン嬢ちゃんの『花』と、ディル様の『月』は後衛だったな。隊長職ってだけで俸給は抜群に良くて、『月』は神官職も兼任するから給料上乗せだ」
「……そんな景気の良い話が何か関係あるのか?」
「まぁ聞けよ。そんで今、ダーリャ様は冒険者だろう? 冒険者って、何が起きても自己責任なんだよな。そんな世知辛い業界で生きるには備えが必要じゃないか。冒険者の備えって言ったら、何になる?」
「……俺、冒険者だった事が無いから知らない」
「そうか。ばーか」
「はぁ!?」
言い争う二人の声を背中に受けながら、ダーリャが笑う。
背負ったメイスを両手に握り締め、先に付いている白銀の鉄塊を空に翳した。
「そもそも、団長はなんでそんなに詳しいんだよ。団長も騎士嫌いって言ってたじゃないか」
「………」
騎士の事情に明るい団長もそうだが、先程から気になっている事がある。
どうも、ログアスとダーリャは初対面な雰囲気ではない。
城下で長く生活をしていれば、何処かで知り合う事もあるかも知れない。けれど騎士と自警団員が仲良くしていた話は知らないし、そもそもログアスの口から騎士の話題が出る時は、大体治安維持を謳いながら城下に目を向けない騎士への愚痴や文句の類だ。
ログアスの口は、勿体ぶって答えを返す。
「嫌いだよ。今も昔も。騎士なんてものは頭のおかしい奴等しかいないんだ」
ダーリャがメイスを振り下ろしたのは、その瞬間だった。
地面に鉄塊が接地した瞬間、強い衝撃に揺れるようだった――否、確実に揺れた。
その瞬間起きたのは、プロフェス・ヒュムネが今進もうとしていた道の大規模な爆発。
火柱を上げて、周囲の崩れた家屋が弾け飛ぶ。
咄嗟に耳を塞いでも間に合わない程の轟音が、骨から伝わって脳髄を揺さぶる。肌に感じる熱風は、ここだけ季節を夏に遡らせたかのようだ。
「……なんだ、あれ」
轟音は一瞬のような瞬きの間に終わる。驚愕に目を見開いたアルカネットは、耳を塞いでいた手を外しながら呟いた。
「あれが冒険者の『備え』だ。お前も知ってるだろ、魔宝石だよ。それも、あんな爆発を起こせるほどに大量の」
ダーリャの頭部、後ろへ撫でつけた金髪が爆風で乱れている。その乱れ様は鬣を持つ獣のようで。
彼の髭と相俟って、人間離れした空気を醸し出している。
爆風の先を見据える瞳が、燃え盛る紅炎の中で蠢くプロフェス・ヒュムネ達の姿を捕捉した。
「発動の文言は言葉でなく、自分の武器が地を抉る音……ってね。随分粋なことするよ」
プロフェス・ヒュムネの葉擦れの音が、燃える自分達の体への叫びの様に聞こえる。
叫んで、呻いて、それでもこちらへ向かってくる彼等には執念を感じる。全て滅ぼすまで動きを止めないと言っているかのようで。
ヒューマンか。
それともプロフェス・ヒュムネか。
最後まで生き残っているのはどちらになるか、まだ分からない。
「――始まりますよ、皆さん!!」
ダーリャの宣告が、その場に轟いた。