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261 彼女にとっての優先順位


 ――ああ? あのクソ野郎の話か?


 ――何で聞きたがるんだよ、二度と言わないって言ったろ?


 ミュゼの記憶が蘇る。

 いつも記憶を遡れば必ず側に居た育ての親が一番に出て来る。


 彼はいつも、(ねぐら)にしている建物の部屋の窓から外を見ながら煙草を吸っていた。

 その横顔がたまらなく好きだった。性格に難がある男だったが、顔の作りは良かった。

 塒は頻繁に変わる。同じ場所に戻る事だってある。彼は数々の地を転々としながらも、一定の清潔感は忘れない几帳面な男だった。

 部屋は綺麗だった。

 ミュゼ専用の寝台も用意されていた。

 食事は用意したり作って貰ったり。

 口で文句を言いながらも、ミュゼの世話はきちんとやる男だった。成長してからは「お前も出来るだろこのくらい」と、様々な家事を教わった。

 教わる家事の範囲が広がった。

 日常生活では関係無いような特殊技能まで教わった。

 それが戦術や槍術になるまでに時間は掛からなかった。


 ミュゼの初恋は、育ての親であるエクリィに容易く奪われていた。

 側に居て、面倒を見てくれて、性格に難があるのを知っていても好きだった。


 塒でなく定住先を持たなかったのは、時世のせいだった。

 ミュゼが生きた未来のアルセンは、プロフェス・ヒュムネが牛耳っていた。

 国家簒奪に成功した彼等は国を変え、法を変え、立場を変えた。

 他国が一国の内乱に手を貸す事は無い。他の国はアルセンの変化を見て見ぬ振りをする。

 そして、プロフェス・ヒュムネに反抗した者は反乱軍として処理される。

 ミュゼの祖先もそうされた。そして曾祖母も、身内として命が危険に晒された。

 双子だった曾祖母達を引き取って匿ったのが、エクリィだ。


 曾祖母からミュゼの代に至るまで、長生き出来た者は居ない。

 必ず命がどこかで奪われ、幸いにも血を繋ぐことは出来たからミュゼは命を与えられた。

 しかし曾祖母が結婚相手に選んだ相手が悪かった。


 ――あのクズは俺が育てたウィリアを孕ませやがってよ、許せるかってんだ。なぁ?


 ウィリア、というのは曾祖母の愛称だ。ウィスタリア。この世界では今、孤児院でエデンと名の付けられた彼女。

 エクリィは、毎度曾祖父の話になると憎しみと苛立ちを抑えられないようだった。

 一時期、ある理由で孤児院に預けられていた曾祖母の面倒をよく見ていたと。

 年齢も親子ほど、或いはそれ以上に離れていた。

 だから、曾祖父と関係を持つなんて思ってなかったらしい。


 ――もう二度と言わねぇ。思い出したくも……ああ、いや……。


 エクリィは、昔は曾祖父の事を嫌いじゃなかったんだと思う。


 ――……全く、あんなクソジジイを身内に持つと大変だな。でも、あいつの罪はお前には無ぇよ。


 大事に育てた子と関わる事を許していたくらいには。


 ――だがお前にはフュンフの話は、もう伝えてるからな。二度と名前も出すな。


 煙草を指に挟んで、色も変えてしまった濃い灰色の髪と、自分で切り取って成形したという歪な耳が夕日に照らされた。彼の端正な顔が彫りに合わせて影を濃くする。

 エクリィとの記憶は、いつだって碌なものじゃない。ミュゼが何回死にかけても、彼は笑っていたんだ。


 自分がいるから、絶対に死なせないという自負があったから。




「フュンフ様っ……!!」


 ミュゼにとって、一番死なせたくないのはフュンフだった。

 自分が弱いから。弱くなくとも、スピルリナから一撃を喰らってしまったから。だから身を挺してミュゼを助けようとする彼の行動は嬉しくて、とても苦しい。

 ミュゼの命は、文字通りに彼無しでは成立しないのだ。

 種の無い所に、花は芽吹かない。

 彼の存在無くして、ミュゼは生きられない。


 フュンフは、ミュゼの曾祖父だから。


「下がっていろ、ミュゼ!!」


 音でスピルリナをおびき寄せるフュンフは、変わらずミュゼを気遣っている。


「貴方こそ下がりなさいフュンフさん!!」


 一撃喰らったのは同じはずなのに、アクエリアの声の張りはいつもと変わらない。

 二人とも、それぞれが持ち得る魔法でスピルリナに対抗していた。けれど、人形の動きは簡単に止まるものじゃない。

 二人とも、スピルリナへ決定的な攻撃が与えられていない。何度も炎に巻かれて風に阻まれて、光球を身に受けても煤けた陶磁器人形は二人を狙って動いた。何度も危うい程に接近を許した。このままでは、持久力の危ういフュンフが先に脱落してしまう。

 現に、最初は避けられていたスピルリナの蹴りが際どい所まで来ている。服を掠めたのも一度ではない。

 当たるのは次か、その次か。

 当たってしまえば、フュンフの命も危険に晒されるだろう。


「うあ、……くそ。……痛い」


 喘ぎながら、ミュゼが周囲を手で探る。鎖骨が折れたらしい左腕は上がらない。

 半分に折れてしまった槍の、穂先が付いている方を手に取った。手の届く範囲にあったそれを床に立てて、無理矢理立ち上がる。

 余計な部分の体の痛みまで引き連れながら、膝を真っ直ぐにして立つ頃には息も上がってしまった。


「……えく、りぃ」


 呼んだのは最愛の人が名乗った名前ではないけれど、間違いなく最愛の人だ。

 未来に繋がるアクエリアの姿。

 視線の先で、ミュゼの為に戦っている一人の男。


「……鳩尾って、言ったろうがよ……」


 不満を口にしても、仕方のない事だって分かっている。

 鳩尾だけを狙う術を、彼等は持たない。鋭い刃先の武器を持っていないし、魔法は陶器のような肌を侵食できない。

 アクエリアが、一点を穿つような魔法を持っていたら話は違ったろう。

 そうしたら、今こうやってミュゼが立つ必要はなかった。男二人に任せて、床に転がっているだけで事は済んだだろう。


 体が、痛い。

 でも、二人がスピルリナを倒せないままなのは痛みよりも嫌だ。

 痛みを訴える体を引き摺って、攻防続く三人の元へ向かう。


「っ……フュンフ様!!」


 体が痛くて、少し動くだけで全身を苦痛が駆け巡る。

 転がっていたかったけど、決まって育ての親の笑顔が瞼の裏に蘇る。

 無理だ、もう駄目だ、死にそう、と泣き言を言うと必ず返って来る言葉と共に。


 ――どうせお前、死ぬなら死ぬで「もっと頑張れば良かった」とか抜かすんだろ?


「フュンフ、さまっ……!」


 ――お前の祖父さんも曾祖母さんも、そう言いながら死んでったからな。


 何を言わせても小憎らしい男だった。

 けれど、今のミュゼの心を奮い立たせるには覿面で。


「鳩尾、割って!!」 


 苦痛に塗れた声で、指示を出す。

 割れ、と言ったのはスピルリナの、鳩尾を覆っている陶磁器の肌。表面さえ割れれば、あとはミュゼがやる。

 声を聞き届けたフュンフは、攻防の最中にスピルリナの隙を見た。周囲が見えていない故の回し蹴りの合間に一瞬だけ胸元ががら空きになる。

 割れ、と言われれば手に握る錫杖に力が籠る。見計らって詰めた距離を、振り被った錫杖が横薙ぎに鳩尾を狙った。


「そろそろ、退場願おうかっ!!」


 聞こえたのは息の荒いフュンフの声と、破砕音。

 煤けた破片が直後散らばる。

 フュンフが振り抜いた錫杖の先から、スピルリナの陶器肌が散らばった。

 割れた跡には木目が見える。木で出来たこれが、彼女の中身だ。

 更にその木製の体の間の鳩尾より、もっと窪ませた奥。光が当たると輝く宝石のようなものがあった。子供の握り拳ほどの大きさの、薄緑と紫色の二色を孕んだ宝石。

 割った事で数歩引いたフュンフ。衝撃を受けてもすぐさま体勢を戻したスピルリナは、自身の鳩尾を暫くの間押さえていた。


「ありがと、フュンフ様、――っ!?」


 次の瞬間、ミュゼは息を飲まずにいられなかった。

 片方しかない腕と両足で軽く跳躍したスピルリナは、見えない視界でそのまま窓際へと向かった。

 ぱりん、と高い音をさせて、腕で厚い窓を割る。亀裂が入ったそれを無理矢理引っ張れば、彼女の腕程の長さの鋭利な刃物そのものが出来上がる。

 硝子を握る彼女の手は、人と違って簡単に傷つかない。易々と、しかし破壊しないように握ったそれを持ったまま、床を踏みしめる。


 再び走り出すスピルリナ。

 見えていない筈なのに、その顔はフュンフのいる方角を向いていた。

 一瞬だけ怯むフュンフだが、次の瞬間には覚悟を決めたようにスピルリナを睨みつける。気丈な彼は、逃げ出すなんてしない。


 ミュゼには選択肢など無かった。

 自分の曾祖父の、命を伴う危機に、その身を人形の前に躍り出す。

 背中にフュンフの瞠目の視線を受けながら、一つ結びにした髪を振り乱す。


「誰にそんなモン向けてんだよ、テメェ!!」 


 フュンフには、こんな所で死なれちゃ困る。

 アクエリアは、こんな所で死なないって知っている。

 ミュゼは、二人の為なら命など惜しくは無くて。


 ミュゼが折れた槍を突き出すと、吸い込まれるように宝石に切っ先が向かう。

 折れた槍と傷ついた体では、上手く力が籠らない。

 ガッ、と鈍い音をさせた切っ先は、滑るように宝石の表面を撫でた。


「――え」


 スピルリナの動きは一瞬止まる。

 止まって、一拍だけ置いて、また動き出す。


「あかつき、くん」


 ミュゼの鼓膜を撫でる声。


「暁君」


 スピルリナが振り下ろす手に握られた硝子が、ミュゼの胸に突き刺さった。


「っ……ぁ、がっ……!!」

「――ミュ」


 息も出来ない程に、硝子が刺さる傷が熱い。

 人の形をしながら異形の見た目になったスピルリナは、握る硝子をミュゼの体に、向きを変えながら再度捻じ込んだ。


「っあ、あ、ああ、っ、ああああああああああああああ!!!」

「暁君、どうして」


 人形の繰り返す言葉は、ミュゼには掛けられていないのに。


「助けてくれるって、言ったのに」


 まるで暁に向ける恨みを全て、ミュゼに向けているようだった。


 ミュゼの絶叫が響く中で、アクエリアは動けずにいた。

 フュンフを庇った恋人に起きた事態が、まるで夢の中の出来事のように思えていた。

 ミュゼを刺したスピルリナが倒れ伏す瞬間をも、アクエリアはただ見ていた。

 ミュゼとスピルリナが同時に床に転がる。


 ミュゼの宝石を狙った一撃は、時間を置いてからそれを割るに至った。

 けれど、スピルリナの行動を抑制するには遅すぎた。


 血溜まりが広がる。

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