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260 虚ろな人形の核


「……え?」


 血など出ない人形の体では、その異変に気付くのが遅かった。

 片腕で立ちはだかるスピルリナは満身創痍にしか見えない。なのに、顔色ひとつ変えずにそこに居る。

 片目を失い、視力は既に無い、隻腕の人形。

 無垢な子供に弄ばれた、無残な布人形のようだった。けれど彼女は布で出来てはいなくて、大きさも成人前の子供と同じ。


「ピィは、マスターの、人形。マスターは、ぴぃ、の。ああ、マスター。マスター、マスター」


 人形は既に壊れている。

 何かを話そうとすればするほど、自分と暁の名ばかりを出して意味の分からない言葉の羅列を作り出す。

 人の形をしているから始末が悪い。ヒトの形をした生理的嫌悪を齎す佇まいは、特にフュンフによく効いた。

 彼にとって『子供』は、誠心誠意守らねばならない存在だ。それが例え、暁の人形だと分かっていても。


「……これが、暁の望んだ先の形だというのか……!」


 自らの子と宣いながらも、直せるからと粗雑に扱う暁を許せない。

 ひたむきに暁に従うスピルリナの姿も、親を慕う子の姿と重なって見える。

 フュンフにとって相性の悪い相手だが、それでも武器は下ろさない。

 スピルリナは倒すべき敵。それを履き違えるフュンフではない。


「ピィは。マスター、ああ、ますたー。まいますたー。あなたの、あなたのあなたの」


 何処かが壊れてしまったのだろう。何度も同じ事を繰り返すスピルリナに、ミュゼが二人に小声を向けた。


「……あの人形、鳩尾狙え」

「鳩尾? どうして」

「いいか、鳩尾だぞ。忘れないでよアクエリア」


 何故か、と問い返すアクエリアの言葉すら無視して、ミュゼが先手を取り走る。

 足音に反応して、スピルリナがそちらに焦点の合わぬ顔を向けた。

 直線ではなく、床の上に弧を描くように遠回り。

 音が横に動く常闇の世界で、音の根源を潰すためにスピルリナも動いた。


「来たな!!」


 足音に反応するスピルリナの精度は甘く、足音に緩急を付けただけで躊躇する姿が見えた。

 ミュゼは、それで音だけで判断して襲撃してくるのだと悟った。わざと音を立てたら判断材料の過多に戸惑うだろう。


「ますたー。ますたーますたーますたー。ますたー、マスター」


 同じ言葉を耳障りに繰り返すスピルリナの声。

 今すぐその声すら断たせてやりたいが、簡単には叶わない。無尽蔵とも思える耐久力は健在で、生き物のように息を整えるための休憩が無い。

 蹴り技を中心とした動きは、怒気を露わにした猫のようだった。勿論、攻撃を受ければ猫よりも遥かに痛いだろうが。

 槍の穂先は、落ち着かない動きに全て躱されてしまう。ちぃ、と舌打ちしたミュゼは一度だけ男性陣に視線を向ける。


「フュンフ様!!」


 音に反応すると分かって、わざと大声を出した。


「音だ! 音に反応する!!」

「お、音? 音と言っても」


 フュンフも、最初は戸惑った。急に言われた言葉が何を意味するか、少し考えなければ戦闘状態から頭が働かない。

 けれど、彼だって騎士隊長の一人だ。勘が鈍ければ、戦争でとうに死んでいる。


「――承知した」


 その性格以外は最優の評価を受けたフュンフだ。若造(あかつき)が造物主であるスピルリナに負けるなど、彼の矜持が許さない。

 構えた錫杖が音を立てる。鈴を鳴らすような澄んだ音色にも反応したスピルリナが、ミュゼからフュンフに狙いを変えた。


「……他の男の名前呼ばれるのって、不快ですね」


 要らぬ対抗心を燃やしたのはアクエリア。

 何かにつけて嫉妬深いこの男は、スピルリナへと苛立ちを向けた。

 速度は誰が走るよりも早い。もしかしたらディルが走るよりも。

 その速度で準備が出来る魔法は――フュンフに無くても、アクエリアにある。


「『炎の精霊』」


 スピルリナから一撃喰らった体は痛い。

 でも、痛みに構っていられない高揚感があるのは事実で。

 全部を終わらせて、やっとアクエリアにも平穏が訪れる。地の底を這いずるような感覚からやっと抜け出せる。

 その時は、ミュゼと一緒に。


「『燃やせ』!!」


 フュンフを無視して、先に命令形の詠唱を完成させる。命じて振った指の先から、炎が帯となって現れ、スピルリナに向かって襲い掛かる。

 既に速度を上げて近付いていたスピルリナに避ける術はなく、彼女は炎に巻かれてから魔法に気が付いた。床を踏み締めて減速するが、もう遅い。


「『風の精霊』」


 続いて詠唱するのはフュンフ。


「『只此の声に従え。力は吹き飛ばすのみに非ず、我が意志の元に事を成せ。補助に回りて猛き炎に力を与えよ』」


 フュンフの声に呼応する魔宝石が光り、無風だった筈の周囲に風が吹きすさぶ。

 スピルリナに直接攻撃するものではない。けれど、それは巻き上げる炎に更なる力を与えるように吹き上げた。

 熱風と共にスピルリナの身が爆炎の中に消える。影のような何かが中で揺らめいていた。


「……終わった、か?」

「そんな訳無いでしょう。来ますよ」


 フュンフの安堵はアクエリアの言葉で消える。

 来る、と言った言葉の通りに、直後炎の中から躍り出る姿があった。

 髪も、服も、殆ど燃えて、陶器のような肌が露出している。まだ思春期ほどの少女の裸体のようだが、性差を思わせる身体的部分は凹凸も何もない。

 スピルリナだった筈の陶器人形は、それ以上燃える事も無い。火を消すために転がって、消えたら立ち上がる。


「ま、す。あ、あぁ、ます、たー」


 繰り返す言葉は、その時まで変わらなかった。発声器官が焼け付いたのか、濁ったような声になっても聞き取るのに支障はない。

 けれど。


「……あかつき、くん……?」


 スピルリナが、それまでの暁への呼称を変えた。

 三人とも、耳を疑う。それまで人形が狂ったように呼んでいたのは名前ではない。


「……あか、つき、くん。ああ、どうして。……私を。なん、で」


 まるで、それまで洗脳されていた者が正気に戻ったかのような声で。


「私が、どうして、こんな。たすけて、くれるって」


 何が起こっているか分からない。なのに、『それ』はスピルリナでない事は分かる。

 背筋に冷たいものが駆け上がった。


 理解出来ないけれど、理解してはいけないものだ。

 人形の中に、他の『暁に助けを求めた人格』が宿っている。


「……アクエリア、フュンフ様。これって、一体」


 そして、人形の言葉は命乞いなどではない。

 ミュゼが二人に問い掛けようとした言葉に、スピルリナが反応を示す。

 これまでと同じ、躊躇いの無い速度でミュゼに向かって走る。


「ミュゼっ!!」


 一瞬の判断が遅れたミュゼは、槍を構えて防御態勢を取るので限界だった。

 ミュゼ目掛けて走ったスピルリナが跳躍した。そこから飛び掛かるようにぐっと近づいて、空中からの踵落とし。

 まるで一瞬空中で止まったかのような動きに、ミュゼは戸惑いながらも反応した。踵落としで降って来る足首を、槍を頭上横に構えて受け止めようとする。


「っ、ぐ!!」


 槍の柄で受け止めた人形の攻撃は、子供の見た目からは想像も出来ない程の重さで。

 受け止めて、流さなければいけない。横に逸らさなければ、ミュゼの身が危ない。

 けれど。


「は、ぁ……!?」


 驚愕の吐息は、槍の柄が二つに割れた音の直後に聞こえた。

 人力で枝を折る時の音ではない。それはまるで、過剰な力が掛かった時のような不吉な音だった。

 折れた槍は破片さえ散らさない。受け止めきれなかった人形の踵は、吸い込まれるようにミュゼの肩に落ちた。


「か、……はっ……!!」

「ミュゼぇえっ!!」


 呻く声と、名を絶叫する声が重なった。

 折れた槍が地に落ちる。からん、と転がる短くなったその上に、ミュゼが倒れ込んだ。

 血こそ出ない殴打だ。けれどミュゼは確かに、自分の骨が折れる音を聞いた。


「あかつき、くん。あかつきくん。ひどいわ。わたしは、いたいわ」


 『何』になったのか分からないスピルリナだったものは、回答を必要としない怨言を繰り返しながらミュゼの前に立ちはだかる。

 次、決定的な攻撃があれば彼女の命は危ないかも知れない。アクエリアが魔法を発動させようとしたその隣で、フュンフが先に動いた。


「彼女に触れるな、木偶が!!」

「っ――」


 ミュゼが息を飲む。痛みもそうだが、フュンフが自分を守る為に動いたことが危険だと思った。

 危機意識とは裏腹に、錫杖の音が鳴る。しゃん、しゃん、と続けて鳴る音の方角に、スピルリナはぐにゃりと体を歪ませて振り返る。

 ミュゼの瞳に、意識とは関係なく涙が浮かぶ。

 似たような瞬間を、いつかどこかで見た気がしたから。


 自分を守る為に犠牲になった肉親の血飛沫を、心の何処かで覚えていた。


「っ……だ、め。だめぇっ……!!」


 フュンフが死ぬ事だけはさせたくない。

 他の誰が死んでも、それだけは嫌だった。

 彼が死んだら、未来が繋がらなくなる。例え『そう』ならなかったとしても、彼の死はミュゼの生に暗い影を落とすのだ。


「敵に回った女性から手を下すか? 造物主に似て卑怯だな!!」

「……あかつき、くん。どこ……? あかつきくん。どうして、私をこんな事に……?」

「話を聞かないもの似ているな、反吐が出る!!」


 フュンフの激昂を受けて、アクエリアが皮肉げな笑みを浮かべる。

 自分の恋人と縁が浅い筈なのに、並々ならぬ信頼を互いに抱いている気がしていた。

 どうして二人は、ミュゼの恋人の自分を差し置いて互いに信頼を向けるのか。彼女を守るのは自分の役割の筈なのに、平然とフュンフはその役割を奪っていく。

 嫉妬、しているのだと思う。

 けれど何故か、二人には恋愛感情が無いと、確信めいたものを感じている。

 それが何故だか、分からない。


「此方だ、木偶人形!!」


 フュンフはきっと、分かっていないのだ。

 肉親の愛を渇望していた女が、肉親の屍を盾として生きていた女が、それ以上身内の誰かの死を望んでいない事を。

 フュンフだって、肉親だ。

 遠い血縁かもしれない。でも、彼と血は繋がっている。彼自身には伝えられないけれど。

 堅物に見えて分かりにくいが優しくて、自分の眼鏡に叶うものには気を配って。

 そうして、ミュゼの代わりにスピルリナの気を引こうとしている。


「だめ、だよ。ふゅんふ、さま」


 彼が倒れたら――取り返しがつかない。


 曾祖父の名を呼んだミュゼは、立ち上がろうと渾身の力を振り絞る。



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