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259 盲いた害人形

「ミュゼ!!」


 アクエリアの叫びよりも先に、フュンフの体が動いた。

 迫り来るスピルリナの、僅かに跳躍して繰り出す蹴りの軌道がミュゼの顔を狙っている。

 これを喰らわせる訳にいかないと、後方に居たフュンフが咄嗟にミュゼの腕を引く。

 体勢を崩す程に、強く腕を引かれたミュゼは前にも後ろにも抵抗が出来ない。

 ミュゼの頭があった筈の場所には、スピルリナの靴底が空気を裂いた。


「……あ、た、助かりました」


 床に倒れ込みながらも、転がって体勢を整えるミュゼ。その身を起こすのを手伝うフュンフの表情は苦い。


「構わない。――来るぞ」


 フュンフは、ミュゼを見ない。スピルリナに視線を向けたままだ。

 その横顔に、状況を分かっていながら泣きたくなる。

 今までミュゼを守ってくれたのはエクリィだけだった。肉親から守られた記憶が無い。遠い過去に遡って漸く、自分でも気づかなかった胸の寂しさが少しだけ埋められる。


「人形が相手となれば、持って来たものがこれでは心許ないな」


 言いながらフュンフは、背中に携えていた棒状のものを手に取る。

 ディルが持つ長剣ほどの長さしかない、先に三神教の象徴(シンボル)を付けた短い錫杖だ。歴代の『月』隊長が公式な儀式で使うものよりも短い。アクエリアがフュンフを抱きかかえて空から城に向かう、と言うので重さの面で譲歩した武器だった。

 それでどう戦うというのか、ディル以外には理解がまだ及ばない。

 今は、それよりも。


「っ、ぐ!!」


 ミュゼはスピルリナからの二撃目を自力で避けた。軽やかな動きから繰り出される足技は、ミュゼの身のこなしでも全てを避け切れない。

 手にしていた細い槍で受けようにも、細い足からは到底想像できない程の力で左右に揺さぶられる。


「ミュゼ!!」


 一方的に攻撃を受けているミュゼを助けるように、指先に雷を出すアクエリア。どの程度の威力だとミュゼを巻き込まずに済むかに思考を使う。

 素早い動きをしているとはいえ、所詮は木偶だ。行動不能になるだけの雷を喰らわせてやれば、嫌でも動けなくなるだろう――と。

 そう考えていたアクエリアの甘さが裏目に出る。

 指先に纏った雷を、スピルリナに指差して放つ。近くに居るミュゼに当たらないよう、注意を払いながら。


「っ……」


 閃光は指を離れ、屈折しながら少女の自動人形へと向かう。

 人の形をしたそれに触れた雷からは、ぱあん、と破裂するような音が響いた。だが、少女は立っていた。

 焦点の合わない、あべこべに向いた瞳の嵌まった顔が、ゆっくりとアクエリアの居る方角を向く。


「な、っ……」


 生理的嫌悪を催させる瞳の向きだ。なのに、少女は真っ直ぐアクエリアの居る方角へと走って来た。

 しかし、その速度は先程と比べてもっと早い。スピルリナを見る視点を置き去りにされるかのような動きに、アクエリアは反応できなかった。

 すぐ目の前にまで迫る少女の人形。大きく曲げて勢いを付けた足は、アクエリアの胸を蹴りつけた。


「がっ、あ……っ!!」 


 面ではなく、点。それで飛ぶように蹴りつけられたアクエリアは真後ろへと吹っ飛んだ。

 少女の見た目からは想像も出来ない程の強度。途中で体勢を整えるアクエリアだが、追撃が飛んでくる。


「っちょ、待っ」


 掠れた声で、待て、と言っても敵に回った人形が聞く訳がない。

 変な咳がして、胸が痛い。息が苦しい。なのに見開いた視界の先に、人形が走って来る。

 荒事が得意では無いと言ったアクエリアだが、油断が祟って死んだのでは笑い話にもならない。

 今度は横一線に振り抜いたスピルリナの足をなんとか避けて、見苦しく地面に転がった。


「あっはっは。大嫌いな人たちがやられる姿って、見ていて愉快ですねぇ!」


 耳障りな暁の声が聞こえて、アクエリアが状況の不快さに舌打ちする。

 暁は高みの見物を決め込んでいるようだ。


「貴方は下りて来ないんですかねぇ!? 自分の娘とか呼ぶ木偶人形に全部任せて、それが親のやることですか!!」

「えー?」


 姿が見えない暁は、けらけらと笑いながら。


「壊れたら直せばいい。頑張ってる娘の雄姿を応援するだけで、親の責任果たしてるって思いません? どうせ死なないんですし!」


 吐き気がするような身勝手な論調。親としての愛情を根本から間違えている暁。

 いつまでも下りて来ない暁に焦れているのは全員だ。


「親が子の死を見届けるつもりか」


 フュンフの低い声への返答は弾むように。


「俺の娘なら死にませんよ。死んだらそれは、俺の娘じゃない」


 その言葉は、ミュゼとフュンフの逆鱗に触れた。

 誰かを親に持つ全ての子供へ、例え親の愛を受けられない立場の子へ心を注ぐのが孤児院の役目。

 それが例え人ならざる傀儡でも、スピルリナは子供に似た身を与えられた者だ。親と名乗る者が愛情に掛ける発言をしたら気に障るのは当然で。

 その上、スピルリナの勝利を確実と見ているのにも腹が立って。


「ディル様!」


 フュンフの静かな怒りが濃くなって、ディルの名を呼ぶ。


「どうか先に行って、痴れ者の首を刎ねてください。こちらの事は気になさらずに!」

「……」


 行け。

 言われて応えるのは容易いが、ディルにはアクエリアからの忠告があった。

 『アクエリアが傍に居ない時は、暁との対峙を避けろ』と。

 ちらりとアクエリアへと視線を寄越すと、彼も彼で視線を向けて来た。そして、一度だけ首を大きく振る。

 振られた顎は『行くな』という否定の意味ではなく、暁の居るだろう窓の外を示していた。 


「すぐに、追い付きます!!」


 だから暁を黙らせろ。

 アクエリアの言葉に背を押されて、ディルは窓へと駆け寄った。足音を聞きつけてか、スピルリナが一瞬そちらを向いたが。


「お前の相手はこっちだよ!!」


 ミュゼの槍が。


「行かせるものか!!」


 フュンフの錫杖が。

 同時にスピルリナの頭部を狙う。

 しゃん、と飾りから音が鳴るフュンフの錫杖は殴打武器として、左側頭部を狙って振り被られた。

 音に反応したスピルリナは錫杖を率先して避ける。避けた先を、ミュゼの槍の穂先が狙っていた。

 一瞬の光が刃先を滑るように輝き、光を湛えたままの焦点が合わないスピルリナの瞳に吸い込まれるように向かう。そして、硬質な音を立ててふたつがぶつかり合った。

 槍の穂先は一瞬、瞳の表面で止まった。しかしその直後、瞳がひび割れる。


 ぱりん。


 音を立てた瞳は、小さな欠片を飛び散らせながら槍の先の侵入を許した。白目と瞳孔で分かれている瞳だが、並みの者なら悪寒を覚える程に残虐な光景。

 しかし血は流れない。――何故なら、スピルリナは人形だから。


「……」


 スピルリナが一撃を喰らった所を見て、ディルが窓に向き直る。即座にしゃがんで義足に服の上から指先で触れた。

 三人に任せるのが最適解だ。ディルが信じるに値するからこそ、共に此処まで来た。


「『飛翔』」


 後は任せる、と、ディルは言葉にしなかった。これくらいは、言葉が無くとも通じて欲しい。

 力を込めた足で、踵に力を込めて。


 飛び上がる。


 体重も、義足の重さも、今だけは関係ない。

 ヒューマンの跳躍では決して到達できない高みへ、ディルは飛んだ。

 怒りを覚える声の主は見えない。けれど、その先に奴が確実に居ることを知っている。


「っ、ふ!!」


 飛び上がった先に、暁との邂逅を阻む硝子窓。

 腰を捻って繰り出す蹴りに、その透明な板は呆気なく砕け散った。

 ばらばらの欠片となって落ちる硝子の雨の中、ディルは桟に飛び乗った。

 一度だけ気にするような視線を三人に向けた後は、大樹の幹を駆け上がって行く。


「……やっと行ってくれましたか」


 アクエリアの声に安堵が乗る。

 心の底から嫌いで憎い暁の命も、これで風前の灯だ。

 ディルが負ける訳が無いと確信している三人に、更なる気合が入る。


 早く人形を倒して、彼の許へ。


 一撃を喰らわせたことで勝機はあると、一時体勢を整えるために身を引いた三人が一ヶ所に集まる。

 立場としては魔法職で後衛のアクエリアを背中で守る、ミュゼとフュンフ。

 二人の背中を見る事になった、一撃を先に喰らったアクエリアだけが目を丸くしていた。


「世の倣いとして、背中に守られるのはミュゼでは無いんですかね?」

「魔法使えるお前が私らの要だろ、大人しく守られろ」


 一般の世に居る男よりも雄々しいミュゼの言葉に、恋人として何とも言えぬ感情を持つ羽目になる。

 目付きも振る舞いも、いつもの彼女では無くて、それがとてもくすぐったくて誇らしい。自分が選んだ女は、閉じこもって助けを待つだけの足手纏いの姫ではないと、改めて思い知る。


「……フュンフさん。それ、殴る専用の武器ですか」


 そんな未来の妻に相応しい男になりたくて、話をフュンフに振る、

 自分達が信仰する宗教の飾りのついた杖で敵を殴るとか、罰当たりな肉体言語も甚だしい。


「我等がアルセン神は何を使ってでも敵を殲滅する事を是とした。神話では燭台をも槍としたそうだ」

「そうですか、どいつもこいつも血の気の多くて心配になる国ですねぇ」


 神官騎士の中で現時点で頂点にいる男に、アクエリアが何かを説教するつもりはない。

 血の気の多いのも、嫌いではない。

 嫌いだったらこの国にはもう居ない。


「ちょっと、こっち向きなさい」


 ぐい、と自分を守る肩を引く。驚いたフュンフの顔を無視して、その手に握られた錫杖に指を添える。

 何を、と問うフュンフの声を待たない。錫杖の握り手から上へ。三神教の象徴は、少しだけ歪んでいるように見える。


「………」


 錫杖を飾る魔宝石は二種。緑と水色。

 水色に籠められる魔力をアクエリアは持っていない。だから意識を緑色だけに集中する。

 長い事時間も使っていられない。たった一瞬で済ませるのは、言葉も無い精霊への命令。

 ただ一度だけ指を曲げるだけで、錫杖の宝石が自ら光を発したように強く光った。


「少しだけ、俺の魔力分けてます」

「……驚いた。一瞬だったが」

「早くディルさんの後を追わないといけませんからね。貴方もキリキリ働いて下さい」


 アクエリアは神に祈る願いも持っていない。でも、願いが無い訳では無い。

 敵を殲滅し、味方は生き残り、皆で無事に酒場に帰り着く。

 その時には来た時よりも人数が多く、あの鈍い銀色の髪を持つ女が居れば良い。


「まだ、これで終わりじゃないんですから。ちゃんと三人で追いますよ」


 三人の目の前で、暁の人形が蠢く。

 片目を失って尚も向かって来ようとする、暁に対して忠義心しか持っていないような人形。

 ――対峙する状態になって、三人が人形の他の異変に気付いた。


 その人形には、右腕が、無かった。


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